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北千住(遊廓跡地の電柱標識)「廓」「廊」「くるわ」。

かつて千住遊廓があった千住柳町。写真の通りの両脇が遊廓地でした。*1
現在は遊廓時代の面影はありません。

唯一の名残とも言える電柱標識。「廓支」と書かれています。

さて、問題の電柱標識はここからです。古いタイプの標識を見ると「廊支」。これまで幾度となく見てきた※1 廊下の「廊」です。正しい「廓」の表記は、上の写真の1本のみで、他の電柱のほとんどがこの「廊」でした。

1本だけあった、いらがなの「くるわ支」。平仮名表記の廓(くるわ)は、初めて見る事例です。

参考文献

*1
五十嵐典彦「千住柳町」調査報告書(二)足立史談 第50号足立区教育委員会1972.4
千住遊廓の建物配置図 ・大正8年新開地当時 ・大正12年震災直後

参考記事

※1唐津(西遊廓跡地)廊内。笹と鳥の透かし模様の入った石塀。※2大垣(旭遊廓跡地)電柱に「廊」。道幅の広い道路が南北に2本。※3清水(清水新地遊廓跡地)「廊」と書かれたプレート。

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