東三町と西三町とをつなぐ路地が二つあって、待合や芸妓置屋が多い所でした。そのうちの一つ、狢(むじな)横丁と呼ばれる通りは、東町から入り、「新柳」や「釜平」※1 を経由して西町の旧千代本の横に出る通りです。*1
一品料理「新柳」。
新柳の奥(西側)には、待合がありました。*2
西三町側から振り返ったところ。
東三町と西三町とをつなぐ路地が二つあって、待合や芸妓置屋が多い所でした。そのうちの一つ、狢(むじな)横丁と呼ばれる通りは、東町から入り、「新柳」や「釜平」※1 を経由して西町の旧千代本の横に出る通りです。*1
一品料理「新柳」。
新柳の奥(西側)には、待合がありました。*2
西三町側から振り返ったところ。
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大正14年(1925)から昭和10年(1935)頃までの太田町ついて次のよう…