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生田原(北の王金山跡)現在も残る遺跡。現在の生田原神社の南側。

大正10年代から昭和初期にかけての生田原は、第一次世界大戦後の経済不況と農業の断続冷害凶作で、商業界は低迷の苦境を余儀なくされましたが、鉱山の操業という起死回生の天恵に救われ、再び活況を取り戻しました。*1
現在の生田原神社の南側に北の王金山跡の入口があります。

林道をしばらく歩くと、眼下に眺望が開けた場所へ出ます。

そこからすぐのところに残るコンクリート造りの建造物。

四角い窓が見えます。

参考文献

*1
生田原町*生田原町史生田原町1981
商業界の盛衰
P.524 鉄道開通と林業の勃興 大正3年、鉄道が開通すると、物資の需給は増大の一途をたどり、翌4年には…

参考記事

※1生田原(市街地図)生田原駅。昭和29年発行の「生田原市街地図」。

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