高田馬場(女神の像)昭和37年の駅前再開発。

今回は、高田馬場(東京都新宿区)の町並みを散歩します。

高田馬場の駅付近は、戦後急増したバラック建ての老朽家屋が密集していましたが、昭和37年、駅前再開発が始まり、駅前広場の中央に女神の像が設置されました。*1

完成当時は、周囲に噴流水が設けられたそうです。*1

再開発の経緯を記す碑が建てられています。

参考文献

*1
丹羽正春こうして高田馬場の商店街再開発に成功した(講演要旨)東京 (通号 287)東京商工会議所1971.05
P.37-P.38 高田馬場は終戦後の二十三年の三月に、戦災復興事業として、政府の指定を受けたのですが、まだ…

参考記事

この記事を参照している記事

高田馬場(“湯の街”計画跡地)昭和25年、特飲街騒動。

「高田馬場(女神の像)昭和37年の駅前再開発。」への4件の返信

高田馬場の「噴水」と言うと、夫はこちらの噴水。私は「質やスズヤの力士と金髪女」年齢差を感じます。で、お互いにこんな噴水知らない・・・汗

定マニアさん、
高田馬場の歴史、ご教示ありがとうございます。
金髪と力士、すごい組み合わせですね。
質屋と歓楽街は何となく関連性があるのは理解できるのですが、力士との関係はよく解りませんが、男の力強さを表現しているのでしょうか。

テレビでデーブスペクターがビッグボックスは、あそこが緩い女性のことだと言っていました。
戸塚警察の反対側に葉隠という店がありますが、昔は二階に女性を置いていたと聞いたことがあります。

さすらい日乗さん、高田馬場も昔は猥雑なところが多かったのですね。
「ビックボックス」にそういう意味があるとは知りませんでした。

定マニア へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です