今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します・
JR西船橋駅(北口)。写真奥は、西船橋駅です。

飲食店などが多い通りですが、雑居ビルの中に簡易なホテル。質素な看板です。

少し離れた場所にもう一軒。

レストホテル。休憩専用のホテル、という意味でしょうか。

今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します・
JR西船橋駅(北口)。写真奥は、西船橋駅です。
飲食店などが多い通りですが、雑居ビルの中に簡易なホテル。質素な看板です。
少し離れた場所にもう一軒。
レストホテル。休憩専用のホテル、という意味でしょうか。
JR小岩駅の北側の路地。
お城。
昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。
ホテルの隣に質屋。※1
高田馬場の繁華街「さかえ通り」を100mほど進んだあたり。南側に細い路地があります。
卓球場の角に建つホテルの電柱看板。
この付近は、小規模なホテル街になっています。
逆方向から。
飛鳥山公園(写真奥)の南に建つゲストハウス。
ゲストハスウスの全景。
屋上に「ホテルあすか」の看板が残っています。
飛鳥山公園から音無川方面の遠望。
大井町の池上通りの仙台坂上の交差点から、西へ入ったところ。閑静な住宅街が続きます。
大井町に1軒だけあるラブホテル。
シンプルな入口。
午前と午後はフリータイム制です。
三沢空港前の道路。コスモスロードと名付けられている道路を東へ向かいます。
ホテルの電光掲示板。
入口には、18歳未満立ち入り禁止の張り紙。
西側から。
今回は、駒込(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
駒込駅の南側。線路沿いの坂道の途中に建つ旅館「江戸駒」。昭和30年代のオールドファッションスタイルです。
和風の佇まいは癒されます。
全室和室で、数寄屋造り。次の間付きです。
懐かしのスタイル。価格も安価です。
錦糸町駅の南側。錦糸堀公園裏から首都高速7号線にかけて、錦糸町のラブホテル街が広がっています。中でも竪川第一公園沿いの通りは、高級感のある建物が建ち並びます。
北側の通り。ホテル街のメインの通りです。
錦糸町には、珍しい和風の店。
夜の様子。
四谷四丁目の外苑西通り。旧大木戸花街の東側に、旅荘への入口があります。看板には、旧花街※1 にある2つのホテルの位置も示されていますので、経営が同じなのかもしれません。
現在も「旅荘」という呼び名で営業中です。
北側の入口。
閑静な住宅街(写真右手は、大木戸子ども園)の中にあります。写真の奥の鳥居は、田安稲荷神社。
料亭栃木家※1 の西側。ビル街の路地を入ると、隠れ家的なホテルが佇んでいます。
周囲には木々が植えられていて、温かみのある雰囲気です。
ちょうど、果樹が見頃です。
レトロなネオン看板。
今回は、市川(千葉県市川市)の町並みを散歩します。
JR市川駅北口を出て西側へ線路沿いの路地を入ったところにあるホテルシャトー。
隠れ家的で静かな雰囲気です。
線路を挟んだ南側には、高層マンション「アイ・リンクタウン」。
高層マンション「アイ・リンクタウン」のエレベータから見たシャトー。本館と別館に分かれています。
坂出港の南側(坂出市西大浜北)はビジネスホテルとラブテホル混在して立地するエリアです。
築地橋南交差点近くにある巨大ラブホテル。
長大な入口のゲート。
坂出プラザホテル近くにある巨大ラブホテル。
坂出プラザホテルの大きさに負けていません。
潮江橋から見る鏡川河畔(高知市天神町)は、観光ホテルとラブホテルとが混在し、奇妙な風景をつくりだしてています。*1
派手な色のラブホテルの建物。
古城を模した建物もあります。
夜になると、鏡川におちるネオンの影が美しい夜景を演出します。
福生のスナック街の東側。古いホテルが建っています。神社が隣にある不思議な空間です。
「ホテル徳川入口」の看板。
神社から逆方向を見たところ。ホテルの裏側は段丘になっていて、建物は連続しています。
丘の上のホテルは、近代的なホテルに生まれ変わっています。
東伏見4丁目交差点の看板※1 に導かれて、青梅街道を西へ進み、東伏見稲荷神社近くが、ホテルへの入口です。
広大な庭園を持つホテル。
かつては、モーテルだったようです。*1
レトロな電飾看板。
「旅荘」と書かれています。
今回は、吉祥寺(東京都武蔵野市)の町並みを散歩します。
吉祥寺駅北東側の繁華街の狭い通り。「ニューヨーク」と書かれたラブホテルの看板が確認できます。
交差点の角に面した大きな建物です。
JR中央線の高架を挟んだ南側。ギリシャのコリント式オーダー(建築様式)の円柱を持つ建物が現れます。
以前は、駐車場でしたが、ホテルが出来たことにより、通り抜けできなくなっています。
高天原の住宅街にひっそりと建つラブホテル。
この付近には、戦後、外国人相手の貸席(ハウス)が分布していました。*1*2
当時の名残かもしれません。
広い通りに面した場所にあるホテル。
路地を入った奥まった場所に入口があります。
JR天満駅南側。天神橋筋商店街の東側に大看板が見えます。
ホテルが建っています。
御入口。
24時間OKです。
北陸ホテルの周囲を散策します。
入口の「いらっしゃいませ」の案内看板。
客室の番号札。
石川県モテルホテル業組合連合会推薦の店。
国道8号線沿い。「パステル北陸」の東側をさらに進みます。
8号線から南側の林を入ったところに、「モテル北陸」と思われる建物が残っています。
「モテル北陸」は、昭和38年に開業。日本のモーテル第一号として知られています。ただし、最初はドライバーの休息所でした。*1
入口。
1階がガレージ、2階が客室。
当時の写真*1 と比べると、2階部分の造作の特徴が今も残っています。
【参考文献】
*1 双葉社:夢空間ファッションホテル名商・巨匠の物語(双葉社,1999)P.32
国道8号線沿いの分校町(ぶんぎょうまち)にあるモーテル「パステル北陸」の建物。現在は休業中のようです。
入口近くに、アダルトビデオのパッケージが捨てられています。
小屋に張り付けらている料金表。
看板。
今回は、羽咋(はくい、石川県羽咋市)の町並みと風俗を散歩します。
羽咋大橋近くにあるラブホテルの看板。
看板に導かれて進みます。
歩くこと、約10分。青緑色のブロック塀が現れます。
緑色のラブホテル。
上大岡駅前の国道21号線沿い。旧道と合流する三角形の部分に巨大なラブホテルが建っています。
先端の緑地帯部分の看板。
京急線の高架と交差する場所にある狭小ラブホテル。
男女の看板。
古城の外観のモーテル廃墟の隣にある「私の部屋」。
マンサード屋根の外観が特徴です。
スチュワーデス風の二人。
奥行のある建物です。
大釈迦のラブホテル街から、さらに、五所川原方面へ国道101号線を行くと、道路沿いに古城の外観のラブホテル廃墟があります。
モーテルの形式(1階部分が車の駐車スペース、2階部分が客室)のホテルです。
入口の「いらっしゃいませ」の看板。
入口は、所々破られています。
今回は、大釈迦(だいしゃか、 青森県青森市)の町並みと風俗を散歩します。
JR奥羽本線の大釈迦駅から徒歩約10分。国道101号線沿いに、ラブホテルが密集する一画があります。
休業中のホテルもあります。
ほとんどがモーテルの形式のホテルです。
斜面に建つホテル。
岐阜市街の金町5丁目の交差点。ビルの屋上にホテルの案内看板があります。
住宅街の中のホテル。柳ヶ瀬商店街の裏手(南側)に位置します。
同じ屋号のホテルがもう1軒。
南国ムードのホテルです。
天王崎橋から、堀川沿いの西側の通りへ入るとラブホテルが密集する一画があります。
ピンク色の外壁。
夜の様子。
ライトアップされて華やかです。
宮西国際通り商店街近くの細道。
細道を抜けると、商店街の裏側に出ます。
いっそりと佇むラブホテル。昭和50年の住宅地図*1 によると、この場所には「旅館玉栄」がありました。
隠れ家的な雰囲気の路地です。
【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:府中市(日本住宅地図出版,1975)P.51
浅草には、ラブホテルが散在しています。ひさご通りの商店街から脇道に入ると、ピンク色の光を放つラブホテルがあります。
さらに進むと、花やしきの裏手に出ます。ここにもラブホテル。
言問通りからの遠望。
浅草寺の東側にある隠れ家的ラブホテル。
「ホテル遠矢」の建物は、直木賞受賞作「ホテルローヤル」*1 で描かれている構造(一階が車庫、二階が客室)と同じです。
「ホテルローヤルは、一階が車庫で、二階が客室になっていた。」(第2話「本日開店」)
「建物には、六つの客室があるが、どれもみな同じ間取りだ。一階は車庫で、二階が客室になっている。」(第3話「えっち屋」)
入口付近。
ホテルの塀に沿って設置されている灯籠風のオブジェ。
わらび団地町内案内図に記載されている「ホテル遠矢」。
【参考文献】
*1 桜木紫乃:ホテルローヤル(集英社,2015.6)P.51,P.79
JR釧網本線の踏切(遠矢駅数えて4番目)を渡ったところにある「ホテル遠矢」。
入口のレトロな看板が人目をひきます。
HOTELの「O」の字の部分が温泉マークになっています。
現在は休業していて、土木会社の事務所になっています。
「ホテルローヤル」の建物は現在は無くなっていますが、付近には、2軒のラブホテルが営業中です。場所は、JR釧網本線の踏切(遠矢駅数えて4番目)を渡ったところ(「ホテルローヤル」があった高台の下)です。*1
高台からの眺め。
遠矢駅数えて2番目の踏切。
踏切を渡った先に、「ホテル静」*2 の遺構と思われる「入口の門」があります。
【参考文献】
*1 国土地理院:遠矢1:25000地形図(国土地理院,2009)
*2 ゼンリン:釧路郡釧路町(ゼンリン,1987)P.20
「ホテルローヤル」は、小説「ホテルローヤル」が発表された2013年1月の直前に廃業しました。*1
現在、建物は無くなっていて売地になっています。
舗装されている部分が東側に残っています。ここがホテルへの入口だったのでしょうか。
「山の方にあった『ホテルローヤル』って知ってるか」
「ええ、近くにお墓があるところでしたね」
第2話「本日開店」の主人公の幹子は、貧乏寺の住職の夫人で、寺を維持してゆくために、檀家の男たちと寝ることが当たり前になっている常識はずれの話です。*2
このお墓のことかどうかは不明ですが、近くに「床丹墓地」があります。
第7話「ギフト」では、主人公の大吉が己の夢を託してラブホテルを開業しようとします。
「るり子、すげぇだろうこの景色。ここにラブホテルなんか建てちゃったら、みんな列を作って遊びに来ると思わねぇか。」*2
「ホテルローヤル」跡の西側には雄大な釧路湿原の景色が広がっています。
【参考文献】
*1 桜木 紫乃:青春と読書48(1)(集英社,2013.1)P.18-P.21 インタビュー『ホテルローヤル』刊行記念 自分の思う理想の一編が書けたと思います
*2 桜木紫乃:ホテルローヤル(集英社,2015.6)P.50,P.183,P.213
今回は、遠矢(とおや、北海道釧路郡釧路町)の町並みと風俗を散歩します。
桜木紫乃さんの小説「ホテルローヤル」(第149回直木賞受賞作)は、釧路郊外にあった実名のラブホテルが舞台とした7つの短編から成っています。*1
JR釧網本線の遠矢駅から国道を南下すると、随所に踏み切りがありますが、遠矢駅から数えて5番目の踏切のあたり*2 は釧路湿原と国道が接しており、このあたりが原作*3 で登場する「湿原脇の国道」と考えられます。
第1話の「シャッターチャンス」に登場する踏切と思われる場所。
「車は湿原脇の国道を右へと曲がり、踏切を超えて坂道を上った。」*3 ということは、釧路市街方面から国道を北上し、この踏切を右に曲がったのだと思います。
踏切を超えて坂道を上ります。
古い住宅地図*4 によると、坂を上り切ったあたり(住所:釧路町別保原野南19線)に、「ホテールローヤル」がありました。
【参考文献】
*1 桜木 紫乃:青春と読書48(1)(集英社,2013.1)P.18-P.21 インタビュー『ホテルローヤル』刊行記念 自分の思う理想の一編が書けたと思います
*2 国土地理院:遠矢1:25000地形図(国土地理院,2009)
*3 桜木紫乃:ホテルローヤル(集英社,2015.6)P.13
*4 ゼンリン:釧路郡釧路町(ゼンリン,1987)P.27
西蒲田6丁目。通りの向こう側にホテルの看板が見えます。
多摩堤通り。ホテルへの入口を示す多数の看板。
趣のある路地。隠れ家的な雰囲気のラブホテルです。
屋上の看板には、ビジネスホテルと書かれていますが、「ビジネス」の部分が白く塗られて消された跡があります。
半田市街のラブホテルの案内大看板。「看板右の側道へ入る」と大きな矢印で誘導してくれます。
看板右の側道を進むと、正面にラブホテルの建物が見えてきます。
緑地帯のある幅広い道路に面しています。
ホテルの入口。
権堂町の繁華街の路地。ホテルの裏口を示す看板があります。
表通りへ回っていると、青色のタイルに彩られたホテルが現れます。
現在は休業中のようです。
「サンゴ礁」の看板。
今回は、三島(静岡県三島市)の町並みと風俗を散歩します。
三島は、古くより「水の都」と呼ばれ、市内各所で富士の湧水が噴出してすばらしい水辺環境を有しています。
白滝公園脇を流れる桜川は、三島の市街を流れる川の一つです。
川沿いにたたずむ「ホテル桜川」。
その奥の旅館は、外壁の工事中でした。
素泊まり3000円の看板。
西浅草に、東京遺産ともいえそうなホテルがあります。
あちこちに庭石が配置されている和風のホテルです。
料金は、1席、2席、...と時間帯や宿泊・休憩に関係ない、コマ数単位の料金体系となっています。
残念ながら、昨年閉店しました。
西浅草(国際通りの西側)は、ラブホテルが散在する一画です。
競馬中継が楽しめるホテルもあります。
ホテルと同じ屋号のカラオケボックスが道路を挟んで並びます。
国際通りに面したカラオケボックス。
東急線の高架近く。
ラブホテルの立地の原則通りとでも言えそうな、線路沿いの場所のラブホテルです。
このあたりも、新丸子三業地の一画で、この場所は、旅館「こまどり」があった場所です。*1
ホテルの東側を回り込んだ路地の両側には、旅館「くるみ荘」や料亭「丸子荘」などがありましたが、現在は面影はありません。
【参考文献】
*1 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79
徳島県徳島市鷹匠町3丁目の交差点。ラブホテルへの入口を示す看板があります。
通りを進むと住宅街に混じってラブホテルの建物があります。
隣の民家の塀にあった「18歳未満の者の出入を固く禁じます」と書かれた看板。何かの店舗なのでしょうか。
ホテルの前は公園です。
阿波池田の隣駅である佃駅(JR土讃線とJR徳島線の分岐駅)から徒歩10分のところに、モーテルだったと思われる建物が残っています。
古い看板がいい味出してます。
「空室アリ/満室」の表示看板。
いらっしゃいませ。
大綱橋北詰を西に入ったところに、ラブホテルが数軒建ち並ぶ一画があります。
綱島有料駐車場(写真左側)が隣接しています。
ホテルをご利用のお客様は無料です。
待合所まであって、至れり尽くせりです。
神田駅周辺には、ラブホテルはありませんが、新旧のレンタルルームが多数あります。
新しいレンタルルームもオープンしています。
ビデオ鑑賞店に隣接するレンタルルーム。
駅の西側のビジネス街の中にあるレンタルルーム。
今回は、小倉(福岡県北九州市)の町並みと風俗を散歩します。
小倉駅前に入口のある大丸ビル名店街は、古くからの飲食店などが軒を連ねる小路です。
レンタールルーム「キーロック」。入口の看板を見る限り、ビデオボックスです。看板には、「ビデオテープがベッド付きの個室で見れます。」と書かれており、宿泊もできるようです。
昭和54年の開店以来、35年にわたり殿方の憩いの場所として営業してきましたが、2014年1月閉店しました(貼り紙より)。
2階には、キャバレーがあったようです。
レトロな雰囲気の入口の階段。
今回は、西川口(埼玉県川口市)の町並みと風俗散歩します。
JR京浜東北線の西川口を発車した直後の車窓からは、線路沿いに建ち並ぶラブホテルを目にすることができます。
都内には、日暮里や巣鴨など、線路沿いにラブホテルが立地する場所がありますが、西川口もこの例にならっているようです。
京浜東北線と東北本線が並走する長い直線コースは、鉄道ファンにとっても恰好の撮影ポイントです。
ラブホテルの前の電車が走り抜けます。
浦和駅前の南西側(高砂一丁目)の飲食店などの商店が密集する一画に、ぽっかりと空地になった場所があります。
風俗店の張り紙が貼られた電柱が1本あります。
若妻・マダム。
電柱の反対側から見たところ。近くにホテルがあります。
兎我野町は、ラブホテル、ホテヘル・デリヘル・ファッションヘルスなどの風俗店が混在する歓楽街です。
大通りに面した、大きなホテル。
お洒落なラブホテルが建ち並びます。
歓楽街の西側。
勝富遊廓跡地の東側は急な斜面になっています(写真は東側から見たところ)。
坂道の途中にラブホテルがあります。
高台にあるホテルの入口。
「VODシアター 1000タイトル」。
唐津城の南側の町田川の河口。「場内橋」と呼ばれる歩道橋から、対岸が見渡せます。
場内橋を渡り川沿いの遊歩道を歩くと、ラブホテルがあります。
プチSMルーム完備。
千代田橋からの眺め。町田川を挟んで、西側(写真左奥)に唐津城、東側(写真右側)にラブホテルが位置しています。
巣鴨駅近くの山の手線の線路沿いは、小規模なラブホテルエリアになっています。
公園の隣にあるラブホテル。
巣鴨駅前の陸橋から見えるホテル。
線路沿いの道路に面して入口があります。
県道45号(つくば真岡線の)沿いの新井新田付近。道路に面してラブホテルがあります。
県道がカーブするあたりに、ホテルの案内看板があります。ここが入口のようです。
突如、メルヘンチックなホテルが現れます。
さらに、森の中の道を進むと、別のホテルが現れます。いずれもモーテルの形式です。
今回は、明野(茨城県筑西市)の町並みと風俗を散歩します。
県道45号(つくば真岡線の)沿いの新井新田付近は、ホテル(モーテル)が密集するエリアです。
森の中のレトロなホテル。この周辺には、同様のホテルが数軒密集しています。
ハートのマークの看板。手書き看板が郷愁を誘います。
二人の愛(看板の裏面に書かれています)。
崖上にある吉文旅館から下るコンクリート階段の左側は、湯本旅館があった場所です。
現在、この場所には大きなラブホテルがあります。
かつての絶景の地「衣浦温泉」は、住宅とラブホテルが混在する町並みに変貌しています。
建物の裏側(崖上側)。こちらにもホテルの入口があります。
京橋駅近くのJR大坂環状線と京阪国道(国道1号線)とNTT西日本に囲まれたエリア(都島区東野田町)は、ラブホテル街になっています。
ラブホテルの集積度はかなり高いです。
洒落たラブホテルが建ち並びます。写真奥は、JR大坂環状線です。
ホテル街の北端のあたり。
京橋の繁華街のど真ん中に、昭和のレトロ感を大切にしたラブホテルがあります。
すぐ近くにもう1軒のレトロなホテル。
昭和レトロな豪華な看板。
洋風の入口。
桜ノ宮のラブホテル街。建物はすべて大型で、集積度の高いラブホテル街です。
建物のデザインもメルヘンチックです。
価格もリーズナブルです。
一年中クリスマス気分が味わえるホテル。
今回は、桜ノ宮(大阪市都島区)の町並みと風俗を散歩します。
桜ノ宮公園は、明治18年の大洪水の後、整備された河川公園で、この地は、昔から桜の名所として知られていました。
公園の南側に位置する桜ノ宮橋。かつては銀橋と呼ばれていました。
戦後いち早く(昭和20年代半ば)、銀橋の近くに連れ込みホテルが建ち始めました。最初は木造ホテルで、最も有名だった「銀橋ホテル」は、木造二階建て、全室タイル風呂、テレビ付きでデビューしました。場所は、「桜宮ホテル」、「銀橋御苑」とともに、橋の下流にありました。*1
国道1号線沿いのラブホテルは、やがて北のエリアに進出し、西日本一のラブホテル街が形成されました。*1
大川の対岸から見ると、桜ノ宮公園の向こう側にラブホテル群が見えます。まさに、リバーサイドホテル*2 です。
桜ノ宮のホテルの歴史は、「さかのぼれば太閤秀吉の時代の夜鷹にはじまる。」という説もあります。秀吉が大阪城を築く際に全国からたいへんな数の労働者が動員され、その男たちを慰めたのが桜ノ宮付近にたむろしていた夜鷹だったわけです。*1
明治になると、対岸に造幣局がつくられ、その中に見事な桜並木が植えられて、年に一度、桜の季節になると一般公開されるようになり、一段と発達しました。造幣局の「通り抜け」は、大阪庶民の春の一大イベントとなり、対岸には料理屋や連れ込み宿などができました。*2
【参考文献】
*1 近藤利三郎:なつかしの関西ラブホテル60年裏のうらのウラ話(レベル,2006)P.22-P.25
*2 中沢新一:大坂アースダイバー(講談社,2012)P.200
国道10号線沿いの「なかよし公園」の東側にラブホテル街があります。別府の繁華街からは約1kmの距離です。
ラブホテル街の向こう側(東側)は海(別府湾)です。
海を望む露天風呂のあるホテルもあるようです。
写真の右側が海、左側がラブホテル街です。
かつて花街であった円山町一帯は、現在はラブホテル街となっていて古い建物はほとんど残っていません。
ラビホテル街に、唯一1軒だけ当時の頃からの建物と思われる民家があります。
風情のある木造建物です。
火災保険地図*1 に「春富久井」という屋号が記載されている場所に残る建物。
玄関先には、庭園があります。
【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図 渋谷区(3)道玄坂方面(都市整図社,1955-1958)
柳通りには、多数のラブホテルも立地しています。
53年もの長きの間、営業してきた老舗ホテルも廃業しました。
モダンな曲線のデザインのホテル。表玄関には、「駅前再開発事業施行地区」を示す看板が取り付けられています。
裏玄関。路地の表側と裏側でそれぞれ玄関を持っているのが、柳通りのラブホテルの特徴です。
戸畑駅近くにあるホテル「パリ」。
トリコロールカラーの看板が目につきます。
ホテルの入口付近。
現在は、休業中です。
駅館川から豊前長洲駅方面へは丘陵になっていて、丘の上にはラブホテルが建っています。
ホテルの看板。
ホテルの直下は、急峻な崖になっています。
登りきると、ホテルの入口です。
日暮里駅周辺は、最近になって再開発が行われた結果、高層ビルや高層マンションが林立する町並みとなりましたが、西日暮里方向には、昔からあるラブホテル街が健在です。
日暮里駅北側。
日暮里のラブホテル街は高架沿いに発達しています。
「風俗デリバリーの利用OK」。
谷中のおせんべい屋さん。下町ではよく見る風景です。
おせんべい屋さんの脇には、ラブホテルの看板。
カーブを描く路地の奥にラブホテルがあります。
古い煉瓦塀が周囲を遮断していて、隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。
手力の国道沿い。自動車の便が良いことから、レンタカー、車検場、中古車販売、廃棄物処理業者などの、自動車関連の施設が、道路沿いに密集しています。
これらの自動車整備関係の施設に混じってラブホテルが立地しています。どちらも自動車に縁の深い施設ですが、ここでは両者が同じ場所に立地しています。
道路から一歩入ると、そこはラブホテル街です。
ラブホテルに隣接する廃棄物置き場。
インターチェンジ沿いには、「ホテル京浜」以外にも数棟のホテルが立ち並んでいます。
複雑な形をした歩道橋の向こう側にホテルが見えます。
インターチェンジの南側。
人目をひく概観のホテル。
今回は、今井町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
戦後のモータリゼーションの進展に伴い、日本でもアメリカのモーテルを真似たホテルが道路沿いに建てられました。
日本初のモーテルは、石川県の「モテル北陸」であると言われていますが、「モテル北陸」はドライバーの休息を目的としたものであったため、本格的な日本初のモーテルは、横浜の東名高速道路のインターチェンジ近くにつくられた「モテル京浜(ニュー京浜)」でした。
ガレージ式ラブホテル。
入口を示す看板。
道路から見ると目立ちます。
住宅街の中にイスムラ寺院のモスクのようなドームが見えます。
広大の敷地と高級感あふれる豪華な外観。「モテル」と書かれた看板が見えます。
相模線の線路沿いにあります。
大通りからの入口を示す看板。
宮川町の花街には、数軒のラブホテルが隣接しています。祇園の安井神社周辺のラブホテル街*1 と同様、花街の待合から転業したのかもしれません。
宮川町の花街の北端にあたる宮川筋三丁目の交差点にラブホテルがあります。(写真左)
鴨川に面した宮川筋二丁目。和風の料理屋の建物の隣はラブホテルです。
ホテル「と、いうわけで。」 。
80年代の後半から、新築ホテルは、とてつもない発想の店名をつけることが流行しました。
「ひっくりかえったおもちゃ箱」(久留米市)
「と、いうわけで。」「イポパパラニ」(京都市)
「G7」(新宿区)
「風がはこんだ物語」(大阪市)
「勉強部屋」(奈良市)
「よい子CLUB」(千葉市)
「かぼちゃの馬車」「風クラブ海がすき」「ぶたぶた子ぶたのぶー」(泉大津市)
「そしてちゃぺる物語」「いねむりのネコ」(堺市)
「ちゅういんがむ」(滋賀県)
「南風のトレーナー」(奈良県)
「ゴジラの花束」(加古川市)
「24℃」(香川県)
などの変わった名のホテルが出現しました。*2
【参考記事】
*1 風俗散歩(祇園):安井神社周辺のラブホテル街(2011.12)
【参考文献】
*2 近藤利三郎:なつかしの関西ラブホテル60年裏のうらのウラ話(レベル,2006)P.182-P.184
安井神社周辺には、ラブホテル街が隣接しています。鳥居をくぐって参道を歩いているとすぐ脇がラブホテルです。
北側の鳥居を出ると東側にラブホテル街が連なっています。
待合か料理屋だったと思われる和風の建物の両脇はラブホテルです。
大正期以降、安井神社周辺には雇仲居(やとな)が出入りする貸席街が存在していました。雇仲居については、織田作之助の小説「夫婦善哉」や「それでも私は行く」に描かれていて、雇仲居の仕事は「宴会でお酌をするだけ」「芸もいらない」というのが条件で、「明かし」と称される泊まりがありました。*1
このようにして発展した京都の貸席(待合)ですが、「馴染み客だけの利用を待っていては効率が悪い」と、いち早く同伴ホテルに転業したのが、安井のホテル街の前身でした。*2
【参考文献】
*1 加藤政洋:京の花街ものがたり(角川学芸出版,2009)P.206-P.208,P.251
*2 近藤利三郎:なつかしの関西ラブホテル60年裏のうらのウラ話(レベル,2006)P.31-P.34
総武線の高架沿いに、お城のラブホテルがあります。
城郭を模したラブホテルの特徴である「狭間胸壁」(兵士が身体の一部を隠したままで射撃したり戦ったりするための隙間)と「張り出し狭間」(持ち送り支持構造の間に開いた床の開口部から攻撃者に向かって岩石を落とすための穴)がしっかりとデザインされています。*1
城郭を模したラブホテルの3つ目の特徴である「小塔」(狭間胸壁の上に、建物の外周に沿って不規則に配置されている円錐形の屋根を頂く構造物)はありません。
屋上には、「狭間胸壁」がデザインされています。
窓には、像と欄干。
【参考記事】
*1 風俗みちくさ 「中世の城郭を模した風俗建築(その1:ラブホテル建築の場合)
今回は、天王寺(大阪府大阪市天王寺区)の町並みと風俗を散歩します。
天王寺駅から北側を見ると、目に入るのが茶臼山のラブホテルの建物です。
中でもひときわ目をひくのがこの天守閣です。
実際のホテルは、通常のビル構造となっていて、城郭様式の建築ということではありません。
つまり、ビルの屋上に天守閣を模したオブジェが乗っかっているわけです。
JR目黒駅から急な下り坂の行人坂を下ると、急坂が目黒雅叙園の入り口で終わって太鼓橋に出ます。目の前を流れる目黒川沿いには、桜並木の続く遊歩道が整備されていて、桜のシーズンには多くの見物客で賑わいます。
目黒川のほとりに、中世の城郭建築を模したラブホテルの「目黒エンペラー」があります。
昭和49年、「目黒エンペラー」の出現は、ラブホテル史を大きく塗り替えました。「目黒エンペラー」は、ラブホテルの代名詞となる画期的なラブホテルでした。外観だけでなく、内装もまた金をふんだんに使ったと言われ、仕掛け小道具も時代の先端をいくものでした。*1
当時の週刊誌やテレビは、競ってこのめずらしい豪華ラブホテルについて報じました。*1
ピンク映画もこのホテルを舞台に撮影され、また、テレビコマーシャルを行ったのもこの「目黒エンペラー」が最初でした。*1
【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩声社,1983)P.77-P.81
牟田町の繁華街のパブの看板。
パブ「おとなの学校」。
繁華街の中の商店に掲げられたホテルの看板。
ホテル「城」。ホテルはこの近くにあります。
円山町のラブホテル街。
ホテルの壁面に公衆電話が備え付けられています。
ホテルの利用者は、公衆電話を使用することが多いことを見込んで備え付けられているのでしょうか。
ちらし等、はり紙、落書、おことわり。
駅間のロータリーから南東方向の住宅街に、昭和26年頃、連れ込み旅館が急増しました。また、国立駅付近に稲荷神社をつくって、その門前町に特殊飲食街を建設しようとする計画もありました。*1
下宿屋が学生を追い出して旅館に鞍替えするところも現れ、また、子供が銭湯で性病に感染したことが、これは売春婦からうつされたものだという噂が流れました。*2
昭和26年、この連れ込み旅館を追放しようとする浄化運動が起こりました。避難の主な対象となったのは、付近の国立ホテルと新国立ホテルの2軒でした。安眠妨害になるほどの嬌声やダンス騒ぎ、出入りする自動車の爆音など、旅館の近くに住む主婦たちの訴えから持ち上がったものでした。*1
国立ホテルがあったあたり。*1
新国立ホテルがあったあたり。*1
浄化運動を推進する人々は「文教派」と呼ばれ、町議会で、国立の「文教地区指定」を決議することを目標にしました。一方、「反対派」は、「経済発展のためには文教地区指定は障害になる」「町がさびれ税金が高くなる」「文教派の運動は、反米の政治運動だ」だと非難し、一部の町民を動揺させました。これに対して文教派は、国会やマスコミにも訴え、世論で反対派を包囲することにより、町議会で議決を勝ち取りました。*2
【参考文献】
*1 りべらる(昭和26年9月号)P.86-P.93「学園都市『春の宿』追放騒動記」
*2 「くにたちの歴史」編さん専門委員会:くにたちの歴史(国立市,1995)P.207-P.211
宮古島のイーザトの社交街の北側。
水色に塗られた木造2階建てのゲストハウスがあります。
この建物は、元は連れ込み旅館でした。エロ懐かしい雰囲気が漂います。*1
和風の部屋。
【参考文献】
*1 カベルナリア吉田:ひたすら歩いた沖縄みちばた紀行(彩流社,2009)P.218
嘉数高台公園へ向かう途中の坂道。
「自動車ホテル」の看板があります。沖縄ではモーテルのことを「自動車ホテル」と呼ぶようです。
人間は常に若若しく 人の心は ひろく まるく 美しく
未成年者は入室禁止です。偽って入室すると補導されます。
普天間から北へ向かってバスに乗って4つ目の停留所の屋宜原(やぎばる、中頭郡北中城村)は、周囲を山に囲まれた集落ですが、山の斜面にはラブホテルが数軒建ち並んでいます。
坂の途中にラブホテルがあります。
円形のホテル。
夜になると、綺麗です。
足立区入谷にある舎人一号公園の隣に小規模なラブホテル街があります。
オウム(アレフ)断固反対ののぼり。この付近にアレフの施設がある模様です。
ホテルの入口。
裏側からの遠望。
【参考テレビ番組】
*1 NHK総合テレビ ニュース・気象情報(2010.11.28 21:15)
昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争によって、米兵の往来は激しくなり、売春業も繁盛しました。しかし、昭和20年代後半には、まだ新宿歌舞伎町界隈に連れ込み旅館が密集するという状態ではありませんでした。当時、連れ込み旅館の代名詞ともなった地名は、千駄ヶ谷でした。*1
旅館「白樺荘」*2 があったあたり。現在は、マンションが建っています。
千駄ヶ谷の「温泉マーク」を舞台にした梶山季之の小説「朝は死んでいた」によると、昭和30年代前半の千駄ヶ谷の旅館は、一夜の泊まり料金が高いせいもあって、夜の客は、銀座、新宿、渋谷といった一流の店に勤めている女性たちがほんどでした。一方、昼間の客は、人妻と大学生、重役と女秘書、商店主と女事務員など、時間決めの客がほとんどでした。*1
旅館「もみじ」があった場所。現在は駐車場になっています。
隆盛を誇った千駄ヶ谷ですが、昭和33年(1958年)の第三回アジア大会の開催を契機に、凋落(ちょうらく)の運命をたどることになります。アジア大会の開催は、1964年の東京オリンピック開催を射程に入れていたので、場所は千駄ヶ谷周辺。日本にとっては、戦後から脱却するワンステップという大きな意味を持っていたため、渋谷区は、「風紀がみだれていてはまずい」という理由で、千駄ヶ谷の温泉マークに自粛をうながしました。*1
これかがきっかけとなって、鳩森小学校のPTAの活動が起こりました。「鳩の森騒動」とも呼ばれるこの運動の結果、昭和32年(1957年)に代々木千駄ヶ谷地区が文教地区に指定され、連れ込み旅館の自壊は時間の問題となりました。*1*3
【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩聲社,1983)P.63-P.66
*2 住宅協会:渋谷区東部(住宅協会,1959)P.4,P.6
【参考URL】
*3 代々木商店街ホームページ:代々木まち語り
大久保の町にラブホテル(当時の「連れ込み宿」)が進出したのは、1960年頃からでした。背景としては、1957年に売春防止法が施行されたことがあげられます。新宿二丁目で営業していた特殊飲食街の経営者がホテル業へ転業し、歌舞伎町から職安通りを超えて大久保にまで流れ込んできました。*1
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」と言われていて、大久保にに進出したホテル経営者も真向かいが墓地の地所を選びました。*2
大久保のラブホテル街には、長光寺と金龍禅寺の2つの寺があり、いずれも細長い墓地を有しています。この墓地の近隣にラブホテルが建ち並んでいます。
写真中央部に見える森が金龍禅寺の墓地です。墓地は南側に細長く伸びていてその東側(写真左側)に、1990年頃、ラブホテルが建ち並びました。
現在は「大久保の竹下通り」と呼ばれる韓流ショップとラブホテルが混在する町並みとなっています。
【参考文献】
*1 稲葉佳子:オオクボ都市の力(学芸出版社,2008)P.163-P.164
*2 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62
今回は、川崎(神奈川県川崎市)の町並みと風俗を散歩します。
京急川崎駅の下り線ホームから宗三寺の墓地と墓地に隣接するラブホテルと質屋が見えます。
墓地の反対側(北側)には、別のホテルが隣接しています。
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」*1 と言われているそうですが、川崎駅前もこの法則が当てはまりそうです。
ひっそりとしたラブホテルの入口付近(写真左側)。墓地(写真右側)が隣接しています。
未成年者、売春婦の利用お断り。
【参考文献】
*1 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62
西口商店街の南西側。スナックや風俗店に混じって「レンタルルーム」と書かれた店舗が数軒あります。
レンタルルームのある路地。
デリヘル店とレンタルルームが同居する建物。
ネクタイ姿のサラリーマンが仕事をする姿が描かれている看板。「ビジネスマン向けの休憩室」というコンセプトのようです。
柏木田遊廓跡地のメインの通りの西側。
福助ホテルがあります。
福助は江戸時代から存在したキャラクターです。*1
現在は、休業中のようです。
【参考文献】
*1 荒俣宏:福助さん(筑摩書房,1993)P.19
今回は、竹ノ塚(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
団地の一大密集地である竹ノ塚は、主婦売春が盛んと言われています。*1
しかし、竹ノ塚駅周辺のラブホは意外にも少なく、線路沿いにあるこちらの2軒のみです。
足立区の主婦は、地元のホテルは利用せず、隣の埼玉県八潮市のホテル*3 を利用するという情報もあります。*2
24時間いつでも休憩OK。便利なホテルです。
八潮市のラブホテルも同じシステムを採用しています。*3
ホテル脇の路地を通りに出ると、テレクラがあります。
【参考文献】
*1 山藤 章一郎:週刊ポスト(2006.9.29)P.198-P.171 「現場の磁力6」竹の塚”主婦売春”は格差社会の産物か
*2 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
【参考記事】
*3 風俗散歩(八潮):大曽根のラブホテル(2009.11)
新開地の北側に位置する湊川公園は、天井川だった旧湊川の川床と同じ高さに埋め立てられたので、土手の東側の石垣には、階段が作られています。*1
階段の上にホテルの土地がせり出してします。
ホテルへの階段。
ホテル脇の路地を進むと松竹小路*2 を経由して新開地商店街に出ます。
【参考文献】
*1 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.9,P.66
【参考記事】
*2 風俗散歩(福原):松竹小路(2010.1)
今回は、石川町(神奈川県横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。
JR京浜東北線、石川駅の北西の一画にラブホテル街があります。
JR京浜東北線(写真奥)と首都高速道路沿いのラブホテル街です。
部屋の写真の大看板。
付近の電柱にあったバイアグラの広告の貼紙。
生國魂神社(生玉神社)の公園脇に、ラブホテルの廃墟があります。
廃業してから、かなり年数が経過しているように思われます。
モダンなデザインの建物です。
「とるな」と書かれた看板。
今回は、生玉町(大阪府大阪市天王寺区)谷町(同中央区)の町並みと風俗を散歩します。
谷町九丁目の南側に、上町台地と呼ばれる南北に連なる細長い台地があります。この付近には、「天王寺七坂」と呼ばれる趣深い美しい坂道があって、散策コースとなっています。七坂のひとつ、源聖寺坂は、石畳が階段状に続く風情のある坂道です。*1
寺院が密集する霊験あらたかな静かな道の周囲はラブホテル街で、「ミスマッチがワンダフル」「いかにも大阪」と喜んでカメラを構える外国人も多いユニークな名所です。*1
ギリシャ神殿を思わせる荘厳な建築。
銀山寺付近から西方を見たところ。南海サウスタワービルが見えます。
【参考文献】
*1 橋爪紳也:大阪力事典(創元社,2004)P.249
今回は、八潮(埼玉県八潮市)の町並みと風俗を散歩します。
八潮市は、埼玉県の東南部に位置し、西は東京都足立区の竹ノ塚に接しています。足立区と埼玉県の堺付近に、ラブホテル群があります。
大曽根(首都高速6号三郷線の八潮南ランプ付近)にあるラブホテル。
ホテルの入口を示す看板。歩道に張り出しているので、いやがおうでも目につきます。
「24時間休憩OK」なラブホテル。足立区妻たちに重宝がられています。*1
【参考文献】
*1 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.57
ラブホテル街は、夜になると美しく光り輝きます。
メインの通り。
南国のリゾートのような風景。
まるで光の芸術です。
ホテル街には、人目をひくための看板や広告塔が乱立しています。
こちらの屋上には自由の女神像が設置されています。
特にインターチェンジの出口周辺は、看板が密集しています。
夜になるとネオンが光り輝きます。
巨大な広告塔。
諫早駅から、バスで約20分。「トンネル上」という名前のバス亭で下車します。近くに大村線のトンネルがあるので、この名がついたのだと思います。
トンネルの上の道を登っていくと、ラブホテルの入口があります。
さらに、山道を登ると別のホテルがあります。この一画にはラブホテルが集中しています。
まるで、南国のリゾート地のような風景です。
新開地に残るホテルの建物。
沖縄にあるのに、なぜか「ホテル東京」です。
歴史を感じさせる看板。
四つ角にあるホテルだったと思われる建物。
船橋港の近くにあるビジネスホテルの「市松」。
近代的なビジネスホテルになっていますが、敷地の端に古い建物があります。
建物の側面上部に、ローマ字で「HOTELU ICHIMATS」と書かれています。普通は、「HOTEL ICHIMATSU」だと思うのですが、昔は、こういう書き方をしていたのでしょうか。
モダンなデザインです。
伊勢崎オートレース場の近くに停泊する豪華客船。
クイーンエリザベス号と言えば、20世紀を代表する豪華客船です。
実は、豪華客船の形をしたラブホテルでした。
船首部分。タイタニックごっこができそうです。