出雲(今市町のスナック街)モダンなデザインの建物。

出雲駅の駅北側の今市町は、大規模な歓楽街です。

モダンなデザインの建物。

小路の奥まったとこにあるカラフルな建物。

逆方向(東側)から。道幅の狭い小路の両側に店舗が建ち並んでいます。

参考文献

参考記事

日奈久(温泉街のスナック店)昭和レトロな建物。料理屋やスナックが密集。

温泉街の中心部には、料理屋やスナックが密集していて昭和レトロな雰囲気です。

休業中のようですが、スナック店だったと思われる建物。

夜のスナック街。

温泉街中心部の案内図。スナック「栄子」の近くには、「男性天国クリニック」という店があった模様です。

参考文献

参考記事

勝山(スナック店)旧遊廓街の周辺に点在。

勝山の旧遊廓街の周辺には、スナックが点在しています。

旧遊廓街の北側。

スナックの案内看板。

1階が和風パブに改装されている建物。

参考文献

参考記事

伏木(スナック店)伏木湊町。商店街の中に居酒屋やスナックが点在。

伏木港に近い伏木湊町。

商店街の中に居酒屋やスナックが点在しています。

木造建物に、スナックの看板。

路地を進むと、同じ名前のスナックがありました。

参考文献

参考記事

戸倉温泉(古びたスナック)上山田温泉本通りの南側の一画。

上山田温泉本通りの南側の一画。

古びたスナックの建物があります。

以前は、このあたりも歓楽街だったのかもしれません。

哀愁をおびたスナックの看板。

参考文献

参考記事

太田(スナック店)古い建物

大田駅の北側は、南側とは異なり風俗店はありません。富士重工業(「スバル」ブラ前ンドの自動車などを製造)の工場の周辺には、古びたスナックがあります。

居酒屋風の古い建物。

駅の北側は、再開発の計画があるらしく、広大な空き地となっていますが、西側の一画は商店街が残っています。

駅の南側の東寄りに、旅館、スナック、美容室が同居する長屋風の建物が残っていました。

参考文献

参考記事

太田(駅南側の風俗街)パブなどの風俗店が密集するエリア。

「南一番街」の西側のエリアは、パブなどの風俗店が密集するエリアです。

パブの看板。

新しい店舗が多い中で、唯一レトロなつくりの店舗があります。

建物の側面には、「素人専門店」と書かれた貼り紙が貼られています。

参考文献

参考記事

大垣(高屋町の小路)スナックの看板が郷愁を誘います。

大垣駅前の高屋町に、ラーメン店や居酒屋、スナックが並ぶ一画があります。

2本ある小路のうちの西側の小路。

二階部分に手すりのある建物。

紫色のスナックの看板が郷愁を誘います。

参考文献

参考記事

大津(柴屋町の歓楽街)スナックが密集している路地。

遊廓があった柴屋町(馬場町)は、その後は夜の歓楽街となりました。*1
1966年刊行の「あじ・やど・おんな」*2 によると、柴屋町のクラブ・バーの建物は、300年の間栄えた遊廓の建物をそのまま使った古い店で、大津絵から抜け出たような色の白い京女が酌をしてくれたそうです。
旧赤線だったことから、店によっては飲食を抜きにして、ホステスに肉体サービスをさせるところもありました。*3
写真右手前のあたりには、花街会館がありました。*4

現在の柴屋町の歓楽街。

ひところと比べると店舗はまばらですが、所々に、スナックが密集している路地があります。

バー「たか」跡。*4

【参考文献】
*1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会:角川日本地名大辞典(角川書店,1979)P.579
*2 福村弘二:あじ・やど・おんな(東栄堂,1966)P.130-P.131
*3 梅田晴夫:全調査東海道酒・女・女の店(有紀書房,1967)P.312
*4 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4

参考文献

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男鹿(あけぼの町のスナック)かつての色町を思わせる風景

船川港のあけぼの町には、スナックが点在しています。

かつての色町を思わせる風景です。

雰囲気のある入口。

スナックが数軒入る建物。

参考文献

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名瀬(看板建築のスナック)屋仁川通りの交差点の角。

屋仁川通りの交差点の角に、看板建築の建物があります。

1階には、スナックが3軒。

左側のスナックは、通路を進んだ奥に入口があります。

夜になると明かりが灯ります。

参考文献

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名瀬(スナック街)昔の雰囲気を残す建物。屋仁川。

昭和33年の売春防止法の施行により、赤線廃止後は屋仁川の料亭料理屋は衰退し、バーが雨後の竹の子のように出現しました。*1

現在の屋仁川通りは、バーやスナックが建ち並ぶ歓楽街になっています。

昔の雰囲気を残すスナックの建物。

看板は取り外されていますが、スナックの建物だったのだと思います。

【参考文献】
*1 草戸寥太郎:ヤンゴ物語(屋仁川通り物語)-三味線(サンシン)と酒(セー)と女(ウナグ)の情景(奄美協同印刷,1997)P.17

参考文献

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琴平(スナック)地元の人に利用されるこじんまりとした盛り場。

昭和33年(1958年)に琴平新地遊廓の歴史は閉じましたが、その後もその跡地はソープランドやバー・スナックが散在する「夜の街」という性格を現在も持ち続けています。赤線当時は参詣客が主でしたが、現在は地元の常連客が主になっています。*1

表参道脇にあるラウンジ。

稲荷神社の隣のスナック。

参詣客を相手にした門前町特有の賑やかな色街から、赤線廃止後徐々に、地元の人に利用されるこじんまりとした盛り場へと変遷していきました。*1

【参考文献】
*1 前島裕美:お茶の水地理 42 P.77-P.80 「香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原

参考文献

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歌志内(市街のスナック)石炭産業で栄えました。

今回は歌志内(北海道歌志内市)の町並みと風俗を散歩します。
かつては石炭産業で栄えた歌志内ですが、現在は静かな町並みとなっています。

市街には、スナックが数店舗点在します。

コンクリート造りのスナックの建物。

タイルで装飾された店の入口。

余談になりますが、歌志内出身のストリッパーのナンシー・ルミさんは、18歳の頃、「てい子の店」というスナックを歌志内に開業しましたが、19歳のとき(昭和45年)、「ダンサーになりたい。」という自分の夢の実現に向けて札幌に旅立ちました。このとき、歌志内の炭砿は、空知炭砿、住友歌志内炭砿の二山を残すのみとなっていて、人口もピーク時の46,000人から19,000人に減少していました。*1
【参考文献】
*1 藤井さとる:ストリッパー「ナンシー・ルミ」物語(文芸社,2008)P.59

参考文献

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境港(スナック街)昭和10年の大火の消失区域の北側。

栄町周辺には、スナックが点在しています。このあたりは、昭和10年の大火の消失区域の北側に位置します。

洒落たスナックの看板。

木造母屋を改造したスナック。

古びたスナックの建物。

参考文献

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大洗(スナック街)天満宮近く。カラフルな洋風の建物。

大洗の北側、那珂川を挟んだ対岸に位置する那珂湊。天満宮の近くにスナックの看板があります。

和風の佇まい。

対照的に、左側には、洋風のスナックが並んでいます。

赤、青、黄、カラフルです。

参考文献

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宮崎(上野町のスナック街)かつては恵比寿町呼ばれていたあたり。

上野町の一画。このあたりは恵比寿町と呼ばれていたあたりです。スナックがはいる雑居ビルやラブホテルがあります。

スナックが点在しています。

大通りに近いあたり。

逆方向から見たところ。

参考文献

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宮崎(スナック街跡)長屋の建物。「ホステスさん募集」の貼り紙。

上野町の宮崎県遺族会館の隣に、スナック街があります。

長屋の建物の1階にスナックが入っています。

企業の事務所になっている建物もあります。

「ホステスさん募集」の貼り紙が貼られた建物。

参考文献

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宮古島(平良のスナック街)昼は野球、夜は酒。

平良の旧料亭街の南側は、新興のスナック街です。

カラオケ店などが建ち並びます。

赤瓦屋根のスナック。

夜になると、艶っぽい町並みに変貌します。

宮古島には風俗は無いので、娯楽は、昼は野球、夜は酒です。
【参考文献】
*1 吉田直人:金なし、コネなし、沖縄暮らし!(イカロス出版,2006)P.249

参考文献

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辺野古(スナック街)色とりどりの建物

辺野古の社交街には、現在もスナックが営業中です。

アメリカ合衆国の国旗。

曲線のデザイン。

鮮やかな黄色の建物。

参考文献

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コザ(ゲート通り周辺のスナック)スナック喫茶「プリンス」。

コザのゲート通りは、かつては米兵向けの歓楽街でした。現在もその名残として、英字看板の店舗が建ち並ぶ通りになっていて、バーやスナックも営業中です。

通りに面した場所にあるスナック喫茶「プリンス」の看板。

通りから路地に入ったところにあるバーの建物。

木造家屋を改装したスナック。

参考文献

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普天間(基地の町のスナック街)普天間宮の門前町

今回は、普天間(沖縄県宜野湾市)の町並みと風俗を散歩します。
普天間は、普天間宮の門前町として栄えた場所ですが、町の南側には普天間飛行場が位置し、北側には、同じく米軍のキャンプフォスターがあって、古くからの町と基地の町という2つ顔を持った町です。
町の奥まったところにスナックが密集しているエリアがあります。

木造のスナックの建物。

すすけたコンクリートの大看板。かつてはここに英文字で店名が書かれていたのだと思います。

建物正面に入口を持つスナック。

参考文献

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那覇(樋川のスナック)路地に密集しています。

那覇市の樋川に、スナックが密集する路地があります。周囲は閑静な住宅街ですが、この路地だけがスナックが建ち並んでいます。

色とりどりのスナックの店舗。

古い木造建築の建物です。

別の路地に残るスナックの建物。

参考文献

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港陽園(スナックの建物)隣り合う入り口。

港陽3丁目付近はマンションが建ち並ぶ住宅地です。

1軒だけ、周囲と趣きを異にするアパート風の建物があります。

1階にはスナック。2階部分はタイルで装飾されています。

洋風の入口と和風の入口が隣り合って並んでいます。

参考文献

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苦竹(歓楽街の名残)キヤンプシモフネ跡地。

現在は更地となっているかつてのキヤンプシモフネの歓楽街の名残と思われる建物が残されています。

左側のスナック「デコプチ」。

右側は居酒屋「ぴーちゃん」。

建物の背面は蔦に覆われています。

参考文献

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苦竹(苦竹駅近くのスナック街)米兵向けでした。

今回は、苦竹(宮城県仙台市宮城野区)の町並みを散歩します。
R仙石線で仙台駅から4つ目の苦竹(にがたけ)駅で下車します。

「苦竹」の地名は、この地に「真竹」がたくさん生えていて、えぐ味があって湯替えをして炊かないと食べられないほどだったことかが由来だそうです。

すると、国道45号線沿いに近くに、突如、ゴーストタウンのような飲み屋街が現れます。

ここはには、かつて苦竹小路の呼ばれた2本の路地がありました。苦竹は、敗戦後、進駐軍の苦竹キャンプ(キャンプシモフネ)があった場所で、苦竹小路は、米兵たちのために基地の目の前の田んぼを埋めて建設した歓楽街でした。進駐軍向けのスーベニアショップ(外国人向けのみやげもの店)やバー、クラブなどの他に、飲み屋でありながら2階で売春もする、いわゆる曖昧屋と呼ばれる店もありました。*1*2

【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.124-P.127
*2 別冊東北学編集:仙台学v. 1 (別冊東北学編集室,2005)P.93

参考文献

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浜島(スナック街)スナックや飲食店が連なる路地。

商店街から一本入いると、スナックや飲食店が連なる路地があります。

和洋折衷の建物です。

スナックの看板が掲げられた和風の木造家屋。

飲食店と古い木造の建物が混在しています。

参考文献

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倉敷(川西町のスナック街)旧遊廓街。看板の跡。

川西町の旧遊廓街は、現在はスナック街になっています。

こじんまりとしたスナックの建物が建ち並んでいます。

和風の木造家屋の一部がスナックに改築されています。

上の写真のスナックの建物の上部。ここに看板があったようですが、今は蛍光灯がむき出しの状態になっています。

参考文献

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金沢(石坂のスナック)掘割にかかる小橋。スナックが多いエリア。

今回は、金沢(石川県金沢市)の町並みと風俗を散歩します。
金沢市街の南側に位置する石坂(いしさか)は、戦前は西廓と呼ばれた遊廓があった場所で、戦後は赤線として栄えました。「にし茶屋資料館」の角を右に曲がってしばらく行くと、掘割にかかる小橋が見えます。*1

この付近はスナックが多いエリアです。

掘割に沿って歩くと公園にでます。

公園に隣接しているスナックの建物。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.193-P.199

参考文献

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七尾(遊廓跡地のスナック)色町だった名残。

常盤町遊廓跡地には、色町だった名残と思われる居酒屋や料亭、スナックなどが現在も営業中です。

通りの南側。料亭と喫茶・スナックが建ち並んでいます。

通りの北側。ニュー十番街。建物の両側は駐車場になっています。

西側の端にあるスナック。

参考文献

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鶴来(遊廓跡地のスナック)現在は鶴来温泉。旅館やスナックが建ち並ぶ町並み。

昭和34年の売春防止法施行により、その灯かりは完全に消え、現在は鶴来温泉として旅館やスナックが建ち並ぶ町並みになっています。

2階がスナックになっている建物。

和風の建物がスナックに改装されています。

スナックの入口付近。

参考文献

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川崎(堀の内のスナック)ソープランドご用達。

堀の内のソープランド街の入口付近。

こじんまりとしたスナックがあります。

入口の看板。35年間、ソープランド御用達(ごようたし)です。

ラーメンを注文。海苔とワカメがトッピングされたあっさりとした醤油味です。

参考文献

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銚子(田中町)左右にびっしりとスナックが並んでいる一画。

飯沼観音の裏手(西側)を行くと、町名が田中町に変わり、左右にびっしりとスナックが並んでいる一画に出でます。*1
風俗雑誌の記述によると、これらのスナックの中には、いわゆる連れ出しができるスナックが存在する模様ですが、今回は昼間の散歩のため、詳しいことは解りませんでした。

T字路やカギの手になっているところもあって、いかにも旧赤線らしい町並みが続きますが、往時の建物は残っていないようです。*1

道の両側にスナックが建ち並んでいます。

古い和風の建物を改築したスナック。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.116-P.117

参考文献

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この記事を参照している記事

銚子(船首像)国木田独歩の父が乗船した神龍丸。円福寺。

柳井(天満宮裏のスナック)和風の建物。東側の路地。

菅原神社(柳井天満宮)裏には、 スナック街がひろがっています。

天満宮の東側の路地。

和風建物ですが、スナックとして改装されているようです。

写真の奥のオレンジ色に見えるところが、柳井天満宮です。

参考文献

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標津(市街のスナック)演歌師お断りのプレート。

標津市街の国道244号線沿いにスナックが密集しているエリアがあります。

はまなす通り。

現在は、寂れています。

元スナックと思われる建物にあった演歌師お断りのプレート。

参考文献

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諫早(スナック街)只今の料金。本明川沿いのスナック街。

今回は諫早(長崎県諫早市)の町並みと風俗を散歩します。

諫早市街の中心部を流れる本明川沿いにスナック街があります。

路地を入ると、スナックが密集しています。

スナック店と思われる店の前の「只今の料金」と書かれた看板。

参考文献

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三津浜(トンネル小路)理容室脇

住吉町の商店街の北側。理容室脇に、商店街の入口と思われるゲートが残っています。

木造家屋が建ち並ぶ小路。

京都で見かけるようなトンネル状の小路です。ここを通り抜けると商店街に出ます。

トンネルの出口(商店街側)。

参考文献

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平井(駅前のスナック街)包丁、ハサミ、研ぎますの看板。

割烹「まじま」や料亭跡の建物が残っているエリアの東側は、スナックや飲食店が建ち並ぶ繁華街になっています。

スナックが密集する路地。

四つ角にあるスナック。

スナックの建物脇に、「包丁、ハサミ、研ぎます」の看板。

参考文献

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三河三谷(スナック跡)坂の途中にレトロなバー街の跡。

明山荘のある中心部から北へ向かって坂を下ります。

坂の途中にレトロなバーの建物が連なっています。

バー「田園」の入口。

バー街の建物を後ろから見るとこんな感じです。

参考文献

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大曽根(松竹コーヒー)杉栄町5丁目バス停近く。

大曽根(松竹コーヒー)杉栄町5丁目バス停近く かつて、名古屋には、八幡園、城東園、港陽園の3ヶ所に赤線があり、その中でも北区長田町にあった城東園は、156軒、360名の最大規模でした。*1
長田町の北側に位置する杉栄町5丁目。

古い住宅地図*2 には、この建物は「松竹コーヒー」と記載されています。

モダンな造りの入口です。

松竹の屋号が現在も残されています。

【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.91
*2 善隣出版社:名古屋市北区(善隣出版社,1972) P.120

参考文献

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函館(大門仲通りのスナック街)建物はまばらです。

函館駅近くの大門仲通り。スナックが密集するエリアです。

再開発が計画されているエリアなのでしょうか。建物はまばらです。

古びたシャッター。

交差点の角にあるスナックとパーマ屋さん。

参考文献

参考記事

浅虫温泉(飲食店だったと思われる建物)温泉街の奥まったあたり。

浅虫温泉の温泉街の奥まったところに、飲食店だったと思われる建物があります。「アゲーン」と書かれた看板だけが残されています。

1階部分。

閉店してからだいぶ経過しているようです。

建物の裏側へ通じる入口。

参考文献

参考記事

大湊(三叉路南側のスナック店)古い店舗が建ち並ぶ一画。

大湊新町の三叉路の南側に、古い店舗が建ち並ぶ一画があります。

スナックの建物が1軒だけ残っています。

レトロな看板が印象的です。

古い住宅地図*1 によると、このあたりは、道の両脇に「だるま」「プリンス」「くろねこ」「すみれ」などのスナックと思われる店舗が建ち並ぶ繁華街だったようです。

【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:むつ市(日本住宅地図出版,1980)P.44

参考文献

参考記事

湯本(温泉街のスナック)かつては、炭鉱景気で賑わいました。

今回は、湯本(福島県いわき市)の町並みと風俗を散歩します。
JR常磐線の湯本駅前から山側に、湯本温泉街が広がっています。戦後、朝鮮動乱は特需ブームをもたらし、常盤炭田地帯は出炭量が増えて、空前の黒ダイヤ景気を呼びました。炭鉱地帯の中心であった湯本温泉は、炭鉱景気で賑わい、湯本の芸者数は急増し、一時は300人を超えました。*1
温泉街には、旅館の他、スナックが点在しています。

花街らしい雰囲気も残っています。

奇抜なデザインの建物。

味わいのある建物が多いです。

【参考文献】
*1郷土出版社:いわき今昔写真帖(郷土出版社,2003)P.98

参考文献

参考記事

伊勢崎(緑町)スナックが密集する小路。和風の建物。

緑町には、古びたスナックなどの飲食店が密集しています。路地に入ると雰囲気が一変します。

小路の入口附近。

スナックが並んでいます。

和風の建物もあります。

参考文献

参考記事

八戸(小中野の遊郭跡地の近く)古いスナックの建物。

小中野の町並みを散歩していると、古いスナックの建物に出会いました。

入口の凝ったデザイン。

1つの建物に何軒かのスナックが入っている長屋の建物です。

側面はオレンジ色です。

参考文献

参考記事

柏崎(湯の街通り)スナックやマッサージ店が軒を連ねます。

柏崎は、1949年に温泉が噴出し、湯の街として発展してました。

スナックやマッサージ店が軒を連ねます。

ピンサロらしき店。

アーチを逆から見たところ。

参考文献

参考記事

防府(新天地)天神一丁目のスナック街。新天地飲食ビル街。

防府駅近く、天神一丁目の「新天地」と呼ばれる繁華街があります。

ちょっと寂れた雰囲気のスナック街。

スナック街にある旅館風の建物。

新天地飲食ビル街。空き店舗が多いです。

参考文献

参考記事

防府(三田尻の古いスナック)かつての色町の名残でしょうか。

三田尻には、かつての色町の名残でしょうか、スナックだった古い建物が残っています。

建物は、和風です。

スナック明日香。

売地に残るスナックの看板。

参考文献

参考記事

新小岩(赤線跡地のスナック)現在も営業中です。

松島の赤線跡地の奥まったあたり。以前は、未舗装の砂利道でしたが、古い建物が取り壊されたため、駐車場となりました。

以前は通り抜けできたのですが、駐車場のフェンスでさえぎられています。

現在も営業中のスナック。緑色の塗装が印象的です。

反対側から見たところ。「赤線跡を歩く」に掲載されていた「玉屋」の建物は、新しいビルに建て変わっていました。写真の左手前にあった串あげ小料理「佐竹」の建物も無くなっていました。

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

新小岩(レトロなスナック街)赤線跡地近く。

立川(高松町のスナック群)色鮮やかな建物。

高松町には、商店街に混じってスナックの建物があります。

色鮮やかな建物。

風俗店のような入口。

階段を登ると、2階はスナックです。

参考文献

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渋川(平沢川沿い)川の両岸に建ち並ぶスナック街。

渋川の市街を流れる平沢川。

平沢川の左岸のスナック街。

アキ、千代子、おとみさん。

「おとみさん」の裏側。

宇都宮(釜川沿いのスナック)カフエーのプレートがあります。

宇都宮市街の中央を流れる釜川沿いにある本町はクラブなどが建ち並ぶ繁華街です。

2つの店舗が同居している建物です。左側の店は、1階用の2階用の2つの入口があります。

建物の奥行きは、2メートル程でしょうか。1階から2階へ上がる階段がどうなっているのか興味があります。建物の角には、看板が取り付けられていたと思われる金具の跡が残っています。

「カフエー」のプレート。「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されている中河原(中央5丁目)のカフエーのプレートと同じタイプのものです。

参考文献

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宇都宮(江野町のスナック)カフエーのプレートがあります。

江野町のソープランド街のはずれの路地。

古びたスナックの建物があります。

入口のドアの上部。

カフエーのプレートがあります。

参考文献

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天草(本渡)和洋折衷の建物

スナックが散在する通り。近くに旅館もあるようです。

瓦屋根の家屋の1階部分を改造したスナック。

こちらも瓦屋根の家屋ですが、1階部分は派手なデザインに改装されています。ピンク色の壁の中央に白い川のようなものが流れています。人の顔のようにも見えます。

入口の側面には、丸い窓があります。往時はどのようなお店だったのでしょうか。

参考文献

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天草(本渡)スナックが点在しています。

今回は、天草(熊本県)の町並みと風俗を散歩します。
天草最大の都市、本渡(ほんど)の飲み屋街は、天銀街のアーケードを抜けたあたりに散在しています。

「全国女性街ガイド」*1 によると、本渡の赤線の様子を「市内に散在する飲み屋の女の大半はねる。」と紹介していますが、現在、その飲み屋がどのあたりにあったのかは不明です。

スナックが点在する通り。

壁が斜めに傾いたデザインの店。

【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.193

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(黒い円柱の建物)屋号のネオン管。

阪東橋駅近くの伊勢佐木町6丁目に小規模な飲食小路があります。

円柱を持つ黄色い建物。

黒いタイル。

店の屋号と思われるネオン管

参考文献

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この記事を参照している記事

伊勢佐木町(スナック街)片側のみが残っています。

千葉(スナック街)栄町の歓楽街。休業中の店舗。

今回は、千葉(千葉県千葉市)の町並みと風俗を散歩します。
栄町のソープランド街の中には、古いスナックが数多くあります。休業中の店も多いようです。

営業中のソープランドの隣にある和風スナック。

風情のある建物。現在は休業中のようです。

休業中の店の入口。

参考文献

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野毛(2軒ならんだ店舗)黒いタイルの円柱。

野毛の飲食街。

飲み屋街が密集する一画です。

2軒ならんだ店舗。黒い柱が3本レイアウトされています。

柱は黒いタイルで装飾されています。

参考文献

参考記事

土浦(スナック街)風俗街に古いスナック街があります。

風俗店が乱立する風俗街の中に古びたスナック街があります。

同じ通りをもう少し進んだところ。

さらに進むと、スナック街は十字路になっています。

逆方向から。

参考文献

参考記事

滝井(新地近くのスナック)周囲は住宅街です。滝井新地の入口付近。

今回は、滝井(大阪府守口市)の町並みを散歩します。
滝井駅から線路沿いの道を歩き、すし屋のところを右折すると、スナックが建ち並ぶ一画があります。

風情のあるスナックの建物。1つの建物の中に4軒の店が同居しています。

スナック香住。

路地にもスナックの看板。

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(末吉町)料理店のプレートがあります。

今回は、曙町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。日の出町の駅から伊勢佐木町方面へ向かう途中の末吉町のあたり。古い雑居ビルがあります。

1階に、料理店があります。

料理店のプレートが残っています。

一見さんお断りの注意書き。

参考文献

参考記事

丹波山(飲食店)二十才未満の者おことわりの鑑札があります。

今回は、丹波山(山梨県)の町並みと風俗を散歩します。JR奥多摩線の終点の奥多摩駅で下車し、そこから、丹波行きの西東京バスを乗りついで約1時間で丹波山に到着します。

バス停の近くにかつて飲食店だったと思われる建物があります。

2階の窓の部分に竹や鳥などの図案が彫り抜かれています。

1階の柱に残っていた鑑札。「二十才未満の者はおことわりします。上野原警察署」「営業時間は午後11時までなので、ご協力ください。」「山梨県公安委員会」と書かれています。

参考文献

参考記事

今里(韓国料理店)韓国パワーを感じます。旅館の佇まいの中に飲食店が混在。

今里新地の南北に走るメインの通りには、飲食店が並んでいます。

今里新地内の古い旅館の佇まいの中に飲食店が混在しています。韓国焼肉店、韓国食料品店など、韓国パワーを感じます。

韓国食堂(写真右手前)。

韓国焼肉の店。

参考文献

参考記事

小田原(宮小路の料理屋)タイルのモザイク。

元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。

ピンク色の料理屋。

タイルのモザイク。

同じ通りの小料理屋とクラブ。

参考文献

参考記事

船橋(スナック街)バルコニーに装飾のある建物。

今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。

バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。

古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。

建物の角に入口があるスナック。

参考文献

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藤沢(和風スナック)小鳥の街の北側

小鳥の街※1 の北側は、和風スナックや旅館が建ち並ぶエリアです。

和風スナック店。

仙成旅館。

水色のスナック店。

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藤沢(かつての旅館街)現在はマンションが林立。

吉原(吉原の飲食店)赤線の屋号を引き継いだ飲食店。

吉原ソープ街の周囲には、飲食店もあります。
京町通り北側にある飲食店。

隣には、花柳舞踏研究所。

旧赤線の「美津和」の屋号を引きついだ食堂。

吉原の北東側の土手通りにあるつけ麺チェーン。看板には「吉原店」と書かれています。

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