かつて倉賀野宿の仲町と下町の境に、大名行列も通過したという石造りの「太鼓橋」が架かっていました。※1
その欄干石といわれる部材が今から十年以上も前に、民家の庭から発掘され、当座の保管場所として倉賀野神社に置かれていました。*1
この石柱が「倉賀野古商家おもてなし館」の中庭に組み立てられました。*2
寳蔵橋(ほうぞうばし、太鼓橋の正式名称)と刻まれた石柱。
手前の列には、遊女たちの名が刻まれています。*3
奥の列の刻まれているのは、高崎の商家などと思われます。
かつて倉賀野宿の仲町と下町の境に、大名行列も通過したという石造りの「太鼓橋」が架かっていました。※1
その欄干石といわれる部材が今から十年以上も前に、民家の庭から発掘され、当座の保管場所として倉賀野神社に置かれていました。*1
この石柱が「倉賀野古商家おもてなし館」の中庭に組み立てられました。*2
寳蔵橋(ほうぞうばし、太鼓橋の正式名称)と刻まれた石柱。
手前の列には、遊女たちの名が刻まれています。*3
奥の列の刻まれているのは、高崎の商家などと思われます。
倉賀野神社境内南側の一画に、大小二十数本の古い石柱が並べ寝かせてある。江戸…
かつて倉賀野宿の往還の仲町と下町の境に石造りの「太鼓橋」が架かっていました…
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太鼓橋が当時板橋で地盤が低く、夕立雨の大きいのが来ただけでも五間…