わすれじの碑※1 のある場所から平潟駅へ向かう道の途中に、「風船爆弾放球基地跡」があります。看板が建っているのみで、遺構らしきものはありません。
風船爆弾の風船部分は直径10m。手漉き和紙(気球紙)をこんにゃく糊で貼り合わせた、世界史上に見られない仕掛けでした。日本の三ヵ所(平潟、福島県勿来、千葉県一宮)から、9,300個が放流され、そのうち、アメリカ合衆国などに届いた風船爆弾は約280個ほどでした。*1
風船爆弾の「気球紙」は、埼玉県小川町の薄くて丈夫な細川紙を使って開発されました。※2
風船爆弾放球基地跡の奥に供養塔が建っています。
昭和19(1944)年、初の放球時、装置の故障による誤爆で3名の兵士が死亡しました。風船爆弾は、重要秘密事項だったため、亡くなられた兵士の名前は明らかではありませんが、菩提を弔うため地元の方々により建立されました(案内板より)。