棚木の遊廓へ足を運ぶには、笹谷川にかかる橋を渡らなければなりません。地元ではこの橋を「さよなら橋(別名:未練橋)」と呼ぶようになりました。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201004/06/51/e0073751_22501597.jpg?w=450&h=300)
遊廓は、治安や風俗の取り締まりなどの目的から、人々が住む土地から隔離され、定められた一つの地域に許可されました。棚木遊廓の周囲の大部分は笹谷川で仕切られ、客は木橋を渡って往来しました。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201004/06/51/e0073751_22502144.jpg?w=450&h=300)
当時の遊廓の建物の前にかかる橋。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201004/06/51/e0073751_22502656.jpg?w=450&h=300)
小さな地蔵堂は、遊女たちの心の拠りどころとなる確かな存在仏でした。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201004/06/51/e0073751_22503320.jpg?w=450&h=300)
【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.156