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白山(花街跡地)電柱に「三業」の文字。現在、面影はありません。

白山に商家が建ち始めたのは日清戦争の頃で、現在の柳町仲通りに「新開地」と呼ばれる歓楽郷ができ、陸軍砲兵工廠(現在は東京ドーム)に通う職工さんなどの往来で賑わいました。日露戦争の頃になると、樋口一葉の「にごりえ」の舞台にもなった銘酒屋ができて、はじめて酌婦がホステスとして現れるようになったのが、白山花街ができるまでの濫觴(らんしょう)でした。*1

「大正時代における白山花街分布図」*1 を見ると、現在の白山仲通りにある商店街付近は、花街の北側に位置します。

現在、その面影はありません。

花街の北東側。住宅街になっています。

付近の電柱には、「三業」と書かれたプレートがあり、当時この一帯が花街だったことが解ります。

【参考文献】
*1 浪江洋二:白山三業沿革史(雄山閣出版,1961)P.9,P.159

参考文献

参考記事

「白山(花街跡地)電柱に「三業」の文字。現在、面影はありません。」への2件の返信

3月12日の昼下がり、国道17号線を歩いていました。ヘリがずっと同じ場所を旋回していてうるさかった。税務署の手前辺りで、テレビ局の車両を見つけたので、ふとスマホでニュースを検索したら、白山1丁目の民間の床下から、ホルマリン云々と・・・。元産婦人科医が住んでいたそうですから、まあありがちな話です。が、後でその家が築80年(昭和10年代)で、見つかったモノも相当古いとか。地図で調べて見ますと、花街から多少離れていました。遊廓には、産婦人科があって「けんばいだあー」と子供が囃し立てる光景がありましたが、花街は?半世紀ぶりに地上に出られた子は、誰の子だったのでしょう。新たに色街花街の痕跡が見つかりました・・・と言っていいのかな?

定マニアさん、
ひょっとすると、けんばいの関係者だったのかもしれませんね。
定マニアさんの嗅覚に感動です。

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