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調布(敷石碑)常性寺。明治11年、布田貸座敷の全盛期。

布田駅近く。旧甲州街道沿いにある常性寺。

境内の西側手前の隅に、「敷石碑」が建っています。
これは、五宿の貸座敷業の主人が、明治11年、境内の敷石を寄付した記念碑です。※1

「五宿貸座敷」。

五宿貸座敷の主人20名の名が刻まれています。*1

1865年、幕府は長州征伐を行ない、布田五宿に対し、軍用金5000両の献上を要求しましたが、五宿は、飯盛り旅籠の設置の許可を願い出、飯盛旅籠が認められれば、7000両の冥加金を上納することを申し出ました。その結果、1866年 7月以前には布田五宿に飯盛旅籠が許可されました。その後、貸座敷業者は、1875年には17件を数え、さらに1877年には21軒に増加しましたが、その後は衰退しました。※2

この「敷石碑」は、布田の貸座敷が全盛期のものといえます。

参考文献

*1
今井金吾今昔三道中独案内新装版JTB出版事業局2004
国領より下布田へ

P.265
国領二丁目から一丁目に入ると、右手に常性寺がある。境内隅には敷石…

*2
続調布の里ものがたり編集委員会調布の里ものがたり女たちの明治・大正・昭和 : 研究レポート・資料・聞き書き 続調布市生活文化部女性課2000.11
布田五宿から仲町特飲街へ

P.73
甲州街道筋では、内藤新宿、高井戸、府中、八王子が飯盛女を置いていた…

参考記事

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