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東村山(糞尿タンク跡地)俗に黄金列車と呼ばれました。

太平洋戦争末期、東京都は、糞尿民の処理が行き詰まり、西武鉄道村山線は、昭和19年(1944)から10年間、夜間に糞尿輸送を行っていました。この糞尿専用列車は、俗に黄金列車と呼ばれました。*1

糞尿は始発駅のタンクに蓄えられ、これを糞尿列車が輸送し、終着駅(東村山)で列車のバルブを開けるとモノがタンクに落ちる仕掛けです。*2

東村山の糞尿タンクは、駅北方の現在の西武鉄道社員寮付近に設けられ、東村山の農家はリアカーやオート三輪で糞尿を汲みに来ました。*1

付近は、高架化の工事中です。

参考文献

*1
東村山ふるさと歴史館東村山駅西口のあゆみと北西部:市制施行40周年記念特別展図録東村山ふるさと歴史館2004.7
戦中・戦後の東村山駅西口

旭館の周辺(昭和5年ごろ)
演芸場「旭館」は、昭和3年に開館した。

<…
黄金列車

P.24
黄金列車
西武鉄道村山線は糞尿輸送を夜間に行っていた。昭和時代、…

*2
堤康次郎苦闘三十年三康文化研究所1962
黄金は花ざかり

P.46
その頃農村は食糧増産に懸命な努力を続けながら肥料不足に困っていた。…

参考記事

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