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下ノ江(遊廓跡地)帆船時代は風待ちの港。

今回は、下ノ江(したのえ、大分県臼杵市)の町並みと風俗を散歩します。
帆船時代、下ノ江港は風待ちの港として賑わいました。船乗りたちは、船から下りると酒を飲み各地の港で風待ちしている間に覚えた歌や踊りで時を過ごしました。店では、そんな客の要望にこたえて酌をする女を置き、やがてこの女たちが遊女になり、”下ノ江女郎衆”と呼ばれようになりました。*1

明治時代に入り、帆船時代が去ると下ノ江港の使命は終わりました。下ノ江遊廓は、船員相手ではなく、町から人力車で遊びに来る紳士、紳商が主な客となり、この頃、今に伝わる下ノ江節が定着しました。*2
下ノ江節(抜粋)
 下ノ江可愛や金毘羅山の松が見えますほのぼのと
 下ノ江女郎衆は錨か網か今朝も出船を二隻とめた
 下ノ江に女郎買って三つ子の沖で、はじくそろばん後やさき

下ノ江節は、遊廓の衰微とともに忘れ去られようとしましたが、大正15年、下ノ江観光協会によって復活し、戦後は、臼杵市桜まつり、別府市温泉まつりで婦人会が出演し、また、NHKでも放送されました。*3

「和」という屋号の店。古い町並みが残っています。

参考文献

*1
大分合同新聞社大分合同新聞大分合同新聞社
高橋長一下ノ江今昔臼杵の話371980.7.27 朝刊

帆船時代、下ノ江港は風待ちの港として賑わった。船乗りたちは、船から下りると…

*2
高橋長一臼杵物語高橋長一1978

P.582
下ノ江港は帆船時代の風待ちの港であり、5万石城下臼杵の港でもあっ…

*3
臼杵史談会臼杵史談 第45号臼杵史談会1956
下ノ江節

P.17
下ノ江節は、遊廓の衰微とともに忘れられようとしたのを大正15年、下ノ…

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