澤村泰彦 星々のみちびき:大大雄山参道二十八宿灯 平塚市博物館 平塚市博物館平成二十三年度冬期特別展図録

星宿燈建立者の顔ぶれ

参廿一丁目の水常楼伊藤常吉は三業組合取締役等の公職に着いてはいなかったようですが、裏で吉原を仕切った大物でした。無縁の遊女を弔った浄閑寺の新吉原総霊塔や 震災犠牲者を悼んだ吉原観音、吉原神社の鳥居など吉原各所の石造物に名を残しています。個人的に建てている供養碑もあり地位に限らずひとりの人としての信心が窺えます。吉原今昔図等の編纂に関わった吉原の荒い一鬼氏からは、子供の頃池で遊んでいると危ないと怒鳴る怖いおじいさんだったというエピソードを伺いました。

軫廿八丁目の大きなな星宿燈を建てた中米楼は、吉原では最も奥にある大路の京町二丁目にあった妓楼です。吉原細見の格付けでは中見世にランクされ星宿燈建立者の中では一、二を争う大きな店と言えます。明治の廿八丁目星宿燈を建てた中米楼は、吉原の道了信仰の指導的立場にありました。

星の名前を頂く道標たち

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参道の両脇には、古びた石の道標が建ち、往来を見送っています 表面には一丁目から二十八丁目までを記して、人々に道程を知らせているのですが、これらには〇丁目と記したその上にもう一文字見慣れない漢字が冠されています。
面白いことにその文字は、日本や中国で用いていた古い星座(星宿)名なのです。
これらの道標はお寺が発行した古い案内書には「星宿燈」と紹介されています。
星宿燈は全部で42基あります。高さは1mほどで、 100m前後の間隔で次々に建っています。上部に四角い口を開け、背中にも丸い穴があるので、かつては桟をはめ、灯をともして、道のありかを知らせる石灯籠だったとわかります。
星宿というのは、中国や日本の星座体型では、二十八の星宿が天の赤道の方向に沿って天空を分割していました。月、惑星は星宿の中を行き来し、太陽は一年で二十八宿を一巡りするというわけでした。