鮮やかな緑色のアパートがあります。

美しい緑色のタイルで装飾されています。

路地側に回り込むと鮮やかな青色の建物があります。

全面のタイルの装飾。

鮮やかな緑色のアパートがあります。
美しい緑色のタイルで装飾されています。
路地側に回り込むと鮮やかな青色の建物があります。
全面のタイルの装飾。
旧カフェー街の通りに面して、赤紫色の装飾が施された建物があります。
看板を取り付けるための金具があります。店の屋号か何が掲げられていたのでしょうか。
側面の装飾。
玄関付近。
安浦の旧カフェー街は、現在は住宅地となっていますが、当時の歓楽街を偲ばせるスナック喫茶の建物が残っています。
入口のピンク色のアーチが印象的です。
こちらは、現在も営業中のスナック店。
奇抜なデザインの玄関。喫茶店かスナックだったのだと思います。
今回は、福生の町並みと風俗を散歩します。JR福生駅東口から通りを5分ほど歩くと通称「赤線」の入り口の十字路です。
昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと並んでいますが、昼間はほとんど人通りがありません。
地元の人の話によると、これらのスナックの中には、ホステスを連れ出させる店もあるそうです。
外見は、普通のスナックです。
歌舞伎町で急増しているのが、ホストクラブです。ホストクラブ専門の紹介所もできています。
交差点の大きな看板。
歌舞伎町で最大のお店
おなべ専門のクラブもあります。
「新宿歩道公園四季の道」の脇に、かつては青線街であった新宿ゴールデン街があります。
最近設置されたと思われる案内板。「新宿ゴールデン街案内図。明朗会計お待ちしております。」と書かれており、店の名前がすべて地図に記載されています。紙で印刷された地図もあり、「ご自由にお持ちください。」と書いてあります。最近は、観光スポットとして変貌をとげているようです。隣には「マップ業者に注意。東京標識社はじめ、インチキ業者からお金を請求される被害が出ております。組合とは関係ありませんので、絶対に金を支払わないでください。」との注意書きがあります。
花園神社側の通りから見たところ。花園一番街、三番街、五番街と名前がつけられています。
昔懐かしいグループサウンズの曲が聴けるお店の看板。
今回は、新宿歌舞伎町の町並みと風俗を散歩します。
新宿駅南口から見るマイシティの裏側の通り。
成人映画専門の「新宿国際劇場」があります。
看板はかなり大きめです。人通りの多い通りに成人映画の大型の看板があり、新宿の伝統を受け継いでいます。
入口付近。映画のポスターがたくさん貼られています。
若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。
木の温もりが感じられる建築です。
奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。
玄関の明かり取り。
スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。
バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。
若松劇場。
女の子の写真が掲載されています。
鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。
家の左側に水色の大きな円柱。
水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。
株は緑色です。
鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。
赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。
赤いタイルの円柱もあります。
黄緑、水色、赤(ピンク)。
藤沢の風俗街。「小鳥の街(写真左奥)」※1 の建物のある通り。
奇抜なデザインの建物。
めずらしい「湯房」というネーミング。
入口の看板には、「ご入浴料金¥5,000、サービス料金¥2,500」と書かれています。
風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。
豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。
美しい入口の扉。
扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。
ロシア大使館の裏にSM専用ラブホの「アルファイン」があります。
閑静な高級住宅街に異様な外装でそびえたっています。ホームページを見ると、各部屋に名前がつけられています。狂い十字架、羞恥破壊、拷問地獄、拷縛便器、排泄学園、奴隷市場、診察学園、.....。
表側の入口。不思議な洞窟のようなイメージです。
近くの六本木ヒルズとの対照が印象的です。
六本木交差点近くのビル。1階はショットバーですが、2階はSM関係です。
女性のオブジェがあります。
看板をみると、SMショップの店舗のようです。
入口のドアは赤いライトで照らされており、怪しげな雰囲気です。店員は女性です。
今回は、人形町(東京都中央区)の町並みを散歩します。
地下鉄の人形町駅を出たところの交差点。
歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んになり、人形町の地名の由来になりました。
歌舞伎で有名な玄冶店跡の碑。
玄治店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐(せがわじょこう)が脚色し、嘉永6年(1853年)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の「源氏店(玄治店)」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。(案内板より)
成田山への近道を下りきったあたりに、ちょっとした広場のような場所があり、そこに旅館の看板を掲げた古い家があります。
料理屋の看板。
裏の路地へ回ると入り口があります。
風情のある木造の古い家です。
料亭だったと思われる家。
お茶漬け屋のある緑色の壁。
緑色の壁は路地の奥まで続いています。
赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。
反対方向から。
小料理「あわじ」。
長屋風の飲み屋。
当時そのままの料理屋やスナックが残っています。
交差点の角に、入口が大きく開いているスナックがあります。入口部分がレンガで作られており、古さを感じます。
こちらも交差点の角にあるスナック。
右側から見たところ。
住宅街の中の一画。
赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。
同じ通り沿いにある旅館風の建物。
菱型の窓。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。
これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。
横から見たところ。
1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。
大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。
大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1
現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。
老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。
親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。
1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。
緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。
スナックの横は路地になっています。
横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。
それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。
写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。
バルコニー付きの建物。
電気街の路地に、コスプレ専門店があります。
今年の流行語大賞のトップテンに「萌え~」が受賞し、テレビ放映された受賞式にメイド服の女の子多数見られました。秋葉原には”萌え”の象徴とも言えるコスプレショップがあります。
店の前に貼ってあるポスター。
こちらの店舗はメイド服やセーラー服を中心に品揃えが豊富です。
店の裏側にも看板があります。
電気街の中になるたちばな書店ビル。
このビルの4Fにブルセラショップがあります。
入り口のドアに「中古品ブルマー、夏冬セーラ制服」と書かれています。実際、店内に入ってみると夏用、冬用それぞれ50着ほどの本物の制服が並んでいます。中には学校名が表示されていものもあります。
雑居ビルにあるアダルトショプ。ここにも中古の本物のセーラ服が置いてありましす。
秋葉原駅昭和通り口は、ビデオボックスなどが散在する小規模な歓楽街です。
こちらのビルは、全フロアがほぼ風俗店です。
不倫クラブの看板。
入口の看板。
かつての黄金町のちょんの間跡は、現在は営業休止の状態です。
大岡川沿いの通り。
大岡川佐倉通りのゲート。
わずかに飲食店として営業している店舗があるようです。
ちょんの間があった日ノ出町の京急高架下では、警察の浄化作戦は継続中です。
通りには、売春防止の看板が多数設置されています。
警備の拠点となっている交番の出張所
エイズ撲滅の看板もあります。
黄金町の京浜急行ガード下は、かつてのちょんの間地帯でしたが、現在は、ガード下に鉄板の囲いがされています。
ガード下の隣の通りでは、営業を続ける小料理屋や居酒屋が建ち並んでいます。
初音町と黄金町。「初黄商店街」と呼ばれていました。
ガード下から1本路地を入ったところの飲み屋。
保土ケ谷区のカフェーとしては、浅間町の「新天地」と和田町の「楽天地」がありました。
売春防止法施行前の1956年の住宅地図2 を見ると、尾張屋橋の麓の稲荷神社の周辺に約20軒のカフェーが密集していて、「新天地カフェー街」の記述(P.72)があります。売春防止法施行後の1958年の住宅地図3 では、これらのカフェーは、旅館やバーに転業しています。
庇の部分は、タイルで装飾されています。
反対側(尾張屋橋側)から。
【参考文献】
*1 青木正晴:和田町思考(青木正晴,1971)P.42
*2 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1956)P.64,P.72
*3 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1958)P.64
中田宿の遊廓は8軒ありましたが、現在はそのうちの1軒のお宅だけがその威容をとどめています。*1
横から見たところ。
雲形の持ち送りのある窓の庇。
右側から見たところ。
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
古河市には、幕末以来という古い遊廓がありました。光了寺の南側に塀で区画された場所があり、昭和初年には、ここに8軒の妓楼が建っていました。*1
中央の通り。
廓の外側を1周できる道があります。
奥まった一画へ続く道。こちらへも塀が続いています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
今回は、千葉県幕張を散歩します。
JR幕張本郷駅から徒歩10分の場所。国道をはさんだ南側(写真左側)には家電量販店のコジマがあります。
北側(写真右側)には、奇抜な建物が屹立するラブホテル街があります。
道路は広々しています。
最上階には窓付きの部屋のあるホテル。「海が見えるラブホ」というのがウリのようです。
ときわ通りと劇場通りが交差する交差点の角。交差点の対面にはカラオケのパセラがあります。
ここに新しいタイプの紹介所があります。
1階に居酒屋がある小さな建物の2階が案内所です。
「案内所」と3文字書いてあるだけです。以前は楕円形の看板のところに「Dellys」と書かれていましたが、今はなぜか消されています。
2階には、5店舗のデリヘルの事務所が入っていて、その場で写真を見て女の子を選べます。指定された場所で待ち合わせをするシステムです。
待ち合わせ場所はいくつかあるようですが、いずれもときわ通り近くの場所です。
蔦に覆われた建物があります。この建物は近年まで旅館として使われていました。*1
入口だけが少し見えます。
横に回ってみます。
2階部分。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.90
現在でも原型をとどめている建物。最近、補修されたようですので、まだまだ大丈夫のようです。
軒下にランプがあります。
隣のアパートの3階から見たところ。建物の奥行きに驚かされます。
2階部分。
通りの奥にある建物。正面から。
裏門付近。
隣のアパートから見たところ。奥行きがあり立派です。
真上から見ると建物の大きさが実感できます。
暁橋の手前の交差点から左に折れる道路は、突然道幅が広くなっています。田町遊廓跡の大門通りです。周囲には卸売り業者の倉庫や物流拠点があります。
地図で確認していみると、周囲の道路の幅と比べ、ここの部分だけが幅の広い道路となっていることがよく解ります。
逆方向(西側)から。
工場だったと思われる建物を転用した雑貨のディスカウントストアがありました。八王子はかつて絹織物工業がさかんでしたが、その頃の工場だったのかもしれません。
千住柳町の赤線跡(遊廓跡)は大門商店街の隣の路地にわずかに残っています。
二軒続きの家があります。
一階の窓に特徴があります。
二階の窓にはひさしがついています。
角町二丁目に赤線跡の建物があります。表通りはソープランド街です。
路地の十字路の角にあります。
外壁の装飾が独特です。
軒下にランプがあります。
ソープランド街の中には、旅館もあります。ソープランド「ワールド」の近くにある旅館。雰囲気があります。
正面から見るとかなり大きな立派な建物であることがわかります。
堺町の通りから旅館の側面を見たところ。
入口にあった吉原観光旅館組合員のプレート。
伏見通りは、古い建物が多く残る通りです。
赤茶色が印象的な建物があります。
正面上部には、「マスミ」という屋号が大きく書かれています。
「マスミ」は吉原今昔図*1 にも記載されています。
【参考記事】
*1 吉原神社の吉原今昔図(風俗散歩,2005.9)
洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。
建物には、屋号が外壁に残っています。
現在は、共産党の事務所として使用されています。
タイルで装飾された大型の丸い円柱。
弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。
通りに入って横から見たところ。
青いタイルが綺麗です。
この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。
町田の通称「田んぼ」と言われるちょんの間地帯が壊滅状態と聞き、立ち寄ってみました。 ここがちょんの間のある通りです。
ちょんの間のあったプレハブの建物は、入口に黄色のテープとベニア板が張られ、閉鎖されています。
もう1軒あったプレハブの建物。こちらはつい数年前な営業していた記憶がありますが、閉鎖されています。建物の内部には窓ガラスが散乱していました。すでに廃墟と化しています。
この建物は、反対側の通り沿いのコンビニのあたりからも駐車場を隔てて見ることができます。
今回は、町田(東京都町田市)の町並みを散歩します。
町田駅の南西側。境川を渡ったすぐの場所(神奈川県上鶴間本町)には、かつて「田んぼ」と呼ばれた歓楽街がありました。
最近、この付近は浄化され、警察署の出張所もできています。
かつての名残の建物も残っています(写真左奥)。
付近には「貸ルーム」と呼ばれる店舗もあります。
ケーブルカーの宝山寺駅を下車するとカーブした道が続いています。ここから生駒新地に突入と思うと気持ちが高ぶってきます。
「観光生駒(聖天通り)」のアーケードがあります。観光地らしい雰囲気です。
観光案内図があります。もともと生駒新地は、宝山寺に参詣するために時間をかけて生駒山に登る必要があったことから、付近に旅館が発達したものです。宝山寺は「商売繁盛の聖天さん」として全国に知られる由緒正しいお寺です。
「観光生駒、旅館ご案内」の案内板。14の旅館があります。