川崎南町(政の湯)四角い煙突。政の湯通り。

川崎南町にある銭湯「政の湯」。平凡なビル型銭湯ですが、ソープランド街の中にあるという点は非常に珍しいと思います。隣の隣にソープランド「京都クリスタル」があります。

四角い煙突。

このあたりは、政の湯通りと呼ばれています。銭湯の名前が通りの名前になっています。

脱衣場にタイル貼りの大きな円柱があります。

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川崎南町(カフェー「金鶴」跡)彫りぬかれた屋号。

料亭だったと思われる家。

お茶漬け屋のある緑色の壁。

緑色の壁は路地の奥まで続いています。

赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

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川崎南町(路地裏の料理屋街)未舗装の砂利道。

川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。

反対方向から。

小料理「あわじ」。

長屋風の飲み屋。

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川崎南町(スナック店)かつてのカフェー街。

当時そのままの料理屋やスナックが残っています。

交差点の角に、入口が大きく開いているスナックがあります。入口部分がレンガで作られており、古さを感じます。

こちらも交差点の角にあるスナック。

右側から見たところ。

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川崎南町(「酒亭かの子」)菱型の窓を持つ旅館風の建物。

住宅街の中の一画。

赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。

同じ通り沿いにある旅館風の建物。

菱型の窓。


【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

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川崎南町(カフェー「スエヒロ」跡)正面に4本の円柱。

赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。

これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。

横から見たところ。

1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。

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大塚(大塚三業通り)バッティングセンター脇に入口看板。

大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。

大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1

現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。

老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。

参考文献

*1
豊島区豊島区史 通史編 2豊島区史編纂委員会1983
大塚三業
P.801 日露戦争頃より東京市隣接町村の都市開発は高まり、田畑は姿を消し、代わりに大塚周辺は宅地造成と…

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この記事を参照している記事

大塚(三業通り)看板がリニューアル。芸者さんのモニュメント。

伊勢佐木町(阪東橋付近)ヘルス店が乱立する通り。

風俗店の大看板が乱立する通り。写真は曙町二丁目北交差点。

目立つ看板。

ファッションブティックのような外観。ここもヘルス店です。

ヘルス店の前にあるオブジェ。ぐるぐると回っていて360度いろいろな角度から楽しめますが、やはりこの角度が一番です。目線も刺激的です。

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伊勢佐木町(親不知通り)丸い円柱のある和風スナック。

親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。

1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。

緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。

スナックの横は路地になっています。

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伊勢佐木町(路地裏に残る赤線跡)バルコニー付きの建物。

横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。

それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。

写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。

バルコニー付きの建物。

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