昭和32~3年ごろ、落合橋際の平安閣があったあたりに「茂原グリーンセンター」が開設しました。*1*2
ヨード温泉も兼ね、舞台村100畳の大広曲があって、芝居、手踊り、歌謡曲など各種の園芸が催され、大衆向きの娯楽場として賑わいました。*1
茂原グリンセンターは、太平洋戦争末期、海軍からの要請で開設された慰安所が、終戦後は一時進駐軍の慰安所となり、その後「茂原温泉郷」となったものが、昭和33年に、大衆娯楽場のグリンセンターに転業したものです。*3*4
現在、当時の面影はありません。
「茂原太平記」*4 には、「阿久川の流れにかかった落合橋を渡ると、六軒ばかり固まって割烹旅館式の作りの家が立ち並び、温泉マークがネオンに輝いている。弁天荘、大善、若松、松竹、松の家、深川という色どり。」と、茂原温泉郷の当時の様子が描写されています。
阿久川の流れ。
遠くにガスタンクとガス管橋※1 が見えます。