元治元年(1864年)、新島襄は、函館から日本を脱出しました。
函館市大町の岸壁に「新島襄海外渡航の地碑」が建てられています。
「新島襄海外渡航の地碑」から約300m離れた場所に、新島襄のブロンズ像があります。
新島襄は、元治元年(1864年)、6月14日夜半に、用意されていた小舟で沖に碇泊していたアメリカ船を潜り込みました。小舟の中での様子をその手記に「あたかも、商船に忍び通う婦人の有様なり」と記していますが、おそらく沖の外国船へ通う売女は結構多かった思われ、黒い着物に手拭をかぶった彼は、売女のごとく変装して監視人の気をはぐらかしました。*1
【参考文献】
*1 須藤隆仙:箱館開港物語(北海道新聞社,2009)P.274-P.276