JR福島駅の東側。福島市新町に、昭和の時代のものと思われる「商店街共同建築」があります。

たくさんの看板が道路側に突き出ています。

「新町ビル街」の看板。

建物の中央部の階段。

JR福島駅の東側。福島市新町に、昭和の時代のものと思われる「商店街共同建築」があります。

たくさんの看板が道路側に突き出ています。

「新町ビル街」の看板。

建物の中央部の階段。

会津若松の現在の繁華街は栄町(市役所の北側)が中心ですが、上町2丁目周辺にも新しい歓楽街ができています。

交差点に設置された大看板。

バブやクラブなどの風俗店が入居しています。

夜の様子。

飲食店街「りゅえる」の中心部。昭和の雰囲気が残る建物が残っています。十字路の「スナック喫茶アモール」の看板に導かれて進むと、...

「喫茶アモール」の隣の赤色の建物。1階は、スナックと立ち飲み中華です。

その向かいにある和風のスナック店。

奥まった場所にあるスナックが建ち並ぶ一画。

今回は、武蔵小山(東京都品川区)の町並みと風俗を散歩します。武蔵小山飲食店街「りゅえる」は、再開発計画により、今年から取り壊しが予定されている商店街です。

スナックや居酒屋が軒を連ねる昭和レトロ感満載の飲食店街です。

北側の通り。片側は駐車場になっています。

道幅の狭い路地にスナックが密集しています。

今回は、相模原(神奈川県相模原市)の町並みと風俗を散歩します。
JR相模原駅前には、小規模な歓楽街があります。

風俗店の看板。

レトロな看板もあります。

キングコース、¥10,000.-です。

善通寺町6丁目には、かつての善通寺門前の歓楽街であったと思われるスナック街や料亭街があります。倉庫のような建物ですが、スナックの屋号が書かれています。

入口付近の奇抜な装飾。

錆びたトタン板。

スナックの路地が続きます。

撫養町斉田の飲み屋街。入口には、骨組みだけが残されたゲートがあります。

居酒屋などの飲み屋が連なっています。

モダンな建物。

裏から見ると長屋の建物であることが解ります。

海岸通の北西側に、古い町並みが残る一画があります。1970年頃の住宅地図によると、「バー・ブイ」「文楽スタンド」「幾久恵旅館」「多津美スタンド」(写真左側)、「銀波旅館」「河上旅館」(写真右側)があって、この付近は飲み屋と旅館が建ち並ぶ繁華街だったようです。

河上旅館は、現在は民宿になっています。

民宿「市原」。

玄関前のタイルの装飾。

猪戸1丁目のスナック街の路地。

路地の曲がり角の母屋の前にゲートの骨格部分だけが残されています。

ゲートの下部の取り付けられた電球。

路地はコの字型になっています。

宵まち通りの南側の通り。スナックやパブが密集する通りです。

フィリピンパブの看板。

現在、パブとなっているこの場所は、かつての「伊東トルコ風呂」があった場所です。

すなっく「黒美人」。ビルのガラス窓に書かれています。

かつて花街だった猪戸界隈の通りを挟んだ南東側は「宵まち通り」と名付けられています。

現在はスナック街になっています。

ゆるやかにカーブしている通り。

ナイトパブの看板。

竹鼻の中心街の北東の通り。

昭和5年発行の市街図*1 によるとこの付近には、食堂の「旭食堂」、料理屋の「一富士」「栄楽」「喜月」がありました。通りには、歓楽街の名残とも思われる雰囲気が残っています。

市街図*1 に記載のある「旭食堂」と思われる「喫茶・お食事 アサヒ」。

この界隈は「新天地」と呼ばれていたようです。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 第205号 岐阜県(東京交通社,1930)
静岡の歓楽街、両替町。昔からの飲み屋街の一つである「ちゃっきり横丁」の入口です。

残念ながら、向こう側半分は最近になって解体されたらくし、更地になっています。

以前は、ここに横丁の建物がありました。

中央部分には、横丁らしい雰囲気がわずかに残されています。

小中野の鍵の手の街路の裏手。バス停の「浦町」があるあたり。

ここに古い飲み屋街が残っています。

和風スナックや居酒屋などの店舗が並んでいます。

現在、営業中の店は少ないようです。

鷹匠小路を進むと、昭和の雰囲気が残る「たぬき小路」の入口があります。

提灯が連なります。

JR東日本のポスターに出演を続ける吉永小百合さんの「八戸の横丁編」は、「たぬき小路」で撮影されました。*1

小路を奥へ進むと鍵型に横丁が曲がって、奥の「五番街」へ続いています。

【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39
夜の「れんさ街」。

昭和の雰囲気を感じる横丁です。

横丁がTの字になっている場所。中華料理屋のネオンが怪しい雰囲気に感じます。

裏通りにある「洋酒喫茶プリンス」。

今回は、八戸(青森県八戸市)の町並みと風俗を散歩します。
八戸には、その名にふさわしく八つの横丁があります。古い順に、たぬき小路、長横町れんさ街、ハーモニカ横丁、ロー丁れんさ街、五番街、花小路、みろく横丁、八戸昭和通り。

長横町れんさ街の入口。案内板に、れんさ街の歴史が説明されています。
れんさ街は、昭和30年、商店が軒を連ねる横丁として、産声をあげました。かつては周囲に映画館も集中していました。やがて飲食店が集まり出し、現在のような町並みが出来上がりました。(案内板より)

「れんさ名店街」という呼び方もあるようです。

「ロー丁れんさ街」は、漢字では「牢丁連鎖街」。藩政時代の牢屋の場所に、戦後、鎖のように飲食店が連なりました。*1
。現在は、商店が少なくなり、駐車場になっています。

【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39
二戸には、小規模ながら歓楽街もあります。

趣のあるスナックの建物。「クラブエレクトーン」という店名です。エレクトーンの演奏を楽しめる店でしょうか。この一画には、複数の店舗が軒を連ねています。

スナック店の看板。

夜の観光。

新津屋小路に、約160メートルにわたって長屋が連続する「人情横丁」があります。

人情横丁の創立は1951年。堀を埋めた跡地に、露天商が移転してきて店を開いたのが人情横丁の始まりです。当時は、生鮮商品中心の約80軒が店を連ね、人が前に進めないほど賑わいました。(案内板より)

現在の堀の跡が残っています。

現在も「新潟の台所」として市民に親しまれています。

今回は、武蔵小杉(神奈川県川崎市中原区)の町並みと風俗を散歩します。
開発が進む武蔵小杉は、昭和の雰囲気が残る飲み屋小路です。

その中でも人目を引くのが、この「超ミニスカスッチー」の看板です。

「コパンビル」と書かれた階段が、「超ミニスカスッチー」の店の入口です。

コパンビルの3階には、バドガールの看板。

駅前のみつわ通り商店街の奥。商店もまばらになり、事務所のビルが建ち並びます。

商店街の中ほどにあるスナック店。

テレクラ「てれ魔くん」。

18歳未満は入場おことわりです。

鬼脇は、利尻島のフェリーターミナルのある鴛泊(おしどまり)から、バスで約30分の場所にある町です。かつてはニシン漁で繁栄しました。
鬼脇の市街の中心部にある利尻島郷土資料館は、かつて鬼脇村役場だった歴史ある建物を利用した資料館です。

館内に地元の古老が記憶にもとづいて作成した「明治末期 大正初期 鬼脇市街略図」が展示されています。市街の中心部には、料亭が建ち並ぶ通りもあり、かつての繁栄が偲ばれます。

市街図によると、資料館(旧役場)の前の一つ南側の通りを西側へ進んで橋を渡った先に、遊廓があったようです。

遊廓手前の橋の下を流れる川を南へたどったところに、「ヤムナイ橋」の名が記されていますが、現在のヤムナイ橋は、ここから約1kmも離れた場所にある橋なので、この橋は鬼脇橋(鬼脇市街の東端に現存する橋)のことかもしれません。

今回は、利尻(北海道利尻郡)の町並みと風俗を散歩します。
利尻島へは、稚内からフェリーで110分です。

乗船してしばらくすると、前方に利尻岳の雄姿が望めます。

利尻岳の山肌が眼前に迫ってきます。

利尻島の玄関口「鴛泊(おしどまり)港」に到着。美しい「ペシ岬」が見えます。

畠中町3~4丁目。かつての歓楽街に、スナックが散在しています。

ギャンブレル屋根のスナック。

スナックの看板を支える柱は木製です。

スナックもっちゃん。

千石蔵は、日本最北の酒蔵として知られる國稀酒造が所有する蔵で、現在は、にしん船やにしんの資料の展示室になっています。

展示室の休憩コーナーに、増毛町市街案内図(昭和5年)*1 のコピーが展示されています。南が上向きで描かれています。

当時の繁華街だった畠中町3~4丁目界隈。交差点の角に遊廓の松嶋楼、その対角に、松島見番。松島見番の向かいに銭湯の増毛湯があります。通りを東側へ進むと、共立見番、金盛楼、石川楼、藤見楼、増毛楼があります。他にも料理屋と思わえる店が建ち並んでいたことがわかります。

もう一つ展示されているが、昭和30年の「増毛町市街明細図」。こちらは、北が上向きで描かれています。銭湯の増毛湯はそのままですが、遊廓は、割烹料理屋などに変わっています。

【参考文献】
*1 安田俊平:増毛市街案内図(北陽社,1930)
門前通りを北側に入ったところに、スナックが密集した一画があります。

昭和を思わせるモダンなスナック店。両側の店舗とは建物がつながっています。

反対側から見たところ。

長屋風のスナック店。

桜町の風俗街には、スナックなどの飲食店が混在しています。

大通りに面したスナック店。

ヘルス店隣の飲食店だったと思われる建物。

古い市街図が残っています。現在は無くなっている風俗店の店名が数多く確認できます。

1965年(昭和40年)に本格的に始まる北見市の中部地区土地区画整理事業の関係で、1966年(昭和41年)、稲荷神社付近の料理店が、同区画整理のため取り壊され、稲荷神社は5条から幸町に移転。稲荷神社跡は、現在のロータリーに姿を変えました。*1

1968年(昭和43年)、映画、ボウリング、料飲店街が入った娯楽センター「東宝ビル(4階建て)」が5条西2に完成しました。*1

翌1969(昭和44年 )、木造平屋建ての「稲荷小路」が料飲店ビルに集約(稲荷小路都市改造)、札幌以北では初という料飲店だけが入った「スカイビル」が5条西3にお目見えしました。*1

スカイビルに次いで、エイトビル、ユニオンビル、プラザジョイフルビルなど次々と料飲店テナントビルが誕生しました。*1
写真はエイトビル。

【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.83
戦後、市内の飲食店街は、市勢の発展とともに盛り返し、稲荷小路、銀座街、狸小路、稲荷仲店、千歳小路など、飲み屋小路(横丁)が誕生しました。

狸小路は、昭和29年、あけぼのマーケット跡にできた「狸小路」は、現在は「狸小路名店街」となっています。

横丁は、トンネル路地になって続いています。

反対側の入口。

【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.77-P.78
江別市の歓楽街は、5条5・6丁目にあります。

5条会館。

水色のタイルで装飾された雑居ビル。

スナック・パブ専用です。

江別市街の五条一丁目通り。写真の左奥に見える森は、王子製紙江別工場の敷地です。

昭和レトロな飲食街ビル。

昔ながらの横丁の雰囲気です。

密集する飲み屋の看板。

今回は、江別(北海道江別市)の町並みと風俗を散歩します。
江別の条丁目地区は、江別駅前から北西方面に位置し、東は千歳川、西は江別神社、南が函館本線、北は王子製紙に囲まれた母町(ぼちょう)と呼ばれる街区です。母町と呼ばれたのは、明治11年の開村以降、石狩川沿岸農村の消費都市として栄えた江別街区の発祥の地であったからです。明治30年代に入ると貸座敷(遊廓)や本格的な劇場・千歳座が開業し、昭和39年に着工の富士製紙江別工場(現王子製紙)の進出がこの街区の面貌を大きく変えました。*1
当時の市街地図*2*3 によると、遊廓(貸座敷)は、現在の江別市5条3丁目の一画にありました。

王子製紙の進出により、当初、郊外であった貸座敷地区は、人家のどまんなかになり、江別小学校の通学路に面し、妖女が太股を露わにしていました。*1

貸座敷は六軒で、千歳楼、寿楼、若竹楼、武蔵楼、栄楼、改進楼で、この一画を六軒町と呼びました。六軒町には料亭や飲み屋が軒を並べました。*1

五条4丁目と3丁目の間の通り。

【参考文献】
*1 藤倉 徹夫:えべつ百話 下(ユベオツ書房,2007)P.75-P.79
*2 江別市役所総務部:えべつの歴史=増刊号=(江別市,2005)P.13
*3 江別市役所総務部:えべつ昭和史(江別市,1995)P.833
深川市4条6にある居酒屋&スナック貝。

長屋風の建物の飲み屋。

深川市3条6の郵便局の隣にあるスナック「おれの店」。古い住宅地図*1 には「ニューハワイ」と記載されています。

すなっく「おれの店」の看板。

【参考文献】
*1 深川市街戸別明細図(北海道立図書館所蔵)
今回は、深川(北海道深川市)の町並みと風俗を散歩します。
深川駅前(深川市2条)に、小規模な飲み屋街があります。

飲み屋街の中心部の十字路。

緩やかにカーブを描いてスナックが建ち並んでいます。

西側の一画。

今回は、油津(宮崎日南市)の町並みと風俗を散歩します。
「堀川運河」は、飫肥藩により1686年につくられ、油津港発展の礎となりました。

運河にかけられている堀川橋はアーチ状の石橋で、地元では親しみを込めて「乙姫橋」と呼ばれています。

1992年(平成4年)秋、渥美清、後藤久美子、風吹ジュンら主演「男はつらいよ」のロケーションが油津堀川を中心に繰り広げられ、同年12月から新春にかけて上映されました。*1

反対側(上流)から見た堀川運河。

【参考文献】
*1 日南市産業活性化協議会:油津(鉱脈社,1993)P.239
博労町の商店街。人通りが多く賑やかな商店街です。

モダンな商店の建物。昭和34年の住宅地図によると「米本商店」と記されています。

「吉田精肉店」の建物。

タイルの装飾が鮮やかです。

橘通西の横丁「六番街」は、食品市場の通りの路地からソープランドの建物脇に通じています。*1

居酒屋が建ち並ぶ細い路地です。

出口に近いあたり。ソープランド「琥珀」の看板が見えます。

反対側の入口。夜になるといい雰囲気です。

木造モルタルの母屋を改造した「スナック貴子」

「スナック貴子」の正面は一見何の変哲も無い木造モルタルの建物ですが、裏側へ回るとレトロ感がアップします。

奥まったところになるスナック。

夜の「スナック貴子」。

今回は、宮崎(宮崎県宮崎市)の町並みを散歩します。
歓楽街の中心部にある「人情横丁」。横丁の入口で、女将さんが三味線を演奏していました。

風情のある看板。

黄色い提灯が特徴です。酔客で毎晩賑わいます。

昼間は、一転して静かな通りです。

石堂川沿いには、戦後、大規模なバラック群がありました。*1

「電柱歴史案内」によると、第二次大戦敗戦直後、大陸へ帰ろうとする人々が続々と博多港へ終結してきました。ところが、米国とロシアによって二つの祖国(韓国と北朝鮮)が成立。それに続く朝鮮戦争の混乱によって帰国を諦めた人々は、再び日本各地へ散っていきましが、そのままこの地に残った集団もあって、昭和30年代まで巨大な難民キャンプの様相を呈していました。この石堂川を挟んで、西岸に韓国系、東岸に北朝鮮系と一応のすみわけがありました。

石堂川東岸に隣接して、大津町商店街という日本人商店街がありましたが、商店街の中には、朝鮮系食材を扱う店が数軒ありました。大津町商店街は、その後再開発により「博多せんしょう」という商業施設に移転しましたが、その際、いくつかの店舗は「博多せんしょう」前の道路に面したところに店舗を構えました。*1

闇市時代からある飲食店。*1

【参考文献】
*1 島村恭則:〈生きる方法〉の民俗誌(関西学院大学出版会,2010.3)P.61,P.66,P.125-P.128
須崎町の須崎問屋街周辺には、古い商業ビルが残っています。その中で、茶色のタイルの円柱を持つ建物は、異彩を放っています。

かなり太い円柱です。問屋を営んでいた建物でしょうか。

こちらは、ゲストハウスを営む店舗。茶色の円柱が見えます。

飲食店の建物の玄関部分の装飾。

中洲の人形小路。

狭い路地に飲み屋が密集しています。

2階部分に看板が取り付けられています。

T字路になっているあたり。

中洲の繁華街の「さつま富士」の大看板。「多門通り」の入口です。

居酒屋やスナックが建ち並ぶ通りです。

ビルの2階から。

反対側(中洲大通りに面した側)の入口。

三島市街の中央町の八坂神社の西側にある細い通りの町並みを昔は唐人町と言いました。*1

現在も、唐人町の地名の名残が見られます。

寛延元年(1748年)朝鮮使節が来朝し、将軍に謁見の途路、正使は旅籠に宿泊しましたが、随員は、ここに宿泊したことから、唐人町と呼ばれるようになりました。*1

140mほどで大通りに出ます(左側は東京三菱UFJ銀行)。*1

【参考文献】
*1 土屋寿山,稲木久男:ふるさと三島(土屋寿山,1989)P.140,P.146
源兵衛川は、三島市街を約1.5キロ流れるの美しい清流です。
伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅近くでは、鉄道の線路と平行して、「源兵衛川水辺の散歩道」が整備されています。

「水辺の散歩道」から見た駿豆線の電車。

「水辺の散歩道」は、線路の下をくぐって、源兵衛川を飛び石伝いに横断します。写真右上の水色の建物は、「ヘルス銀座」です。

線路の下をくぐると、源兵衛川の川原に出ます。ここも遊歩道の一部(近道)です。

江東区深川江戸資料館。江戸深川の町が再現されています。

土蔵が町並みから突出してたち、その右手前二棟は長屋、奥に火の見櫓が見えます。*1

船宿の猪牙舟(ちょきぶね)。

天保の終わり頃の深川の町が再現されています。*1

【参考文献】
*1 藤沢周平:深川江戸散歩(新潮社,1990)P.58-P.67
清澄庭園の東側に、レトロな2階建ての長屋建築が残っています。

2階建てですが、所々3階建てに建て増しされいて、全体としては3階建てと言ってよいと思います。

壁面の装飾。

1階部分は、商店が入っています。

門前仲町2丁目にある辰巳新道。昭和の風情が残る飲み屋横丁です。

辰巳新道は、昭和26年に屋台を集め、一軒三坪が基本の長屋として作られ、当時は、花屋、菓子屋、紳士服テーラーなどもありました。*1

写真の「鳥信」は、辰巳新道の中でも古い店だそうです。*1

提灯。

今回は、深川(東京都江東区)の町並みみと風俗を散歩します。
地下鉄東西線の門前仲町駅の南東方向に釣船橋があります。

乗船場の看板。

越中島川には、釣り船や屋形船が停泊しています。

江戸の深川の思わせる風景です。

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
ひさご通り商店街は、昭和30年に、当時都内で第一号のアーケードを造った商店街でした。平成2年に解体工事が行われ、「現代に生きる江戸の街」をテーマに生まれ変わりました。*1

ひだご通りで、異彩を放っているのが、かつら屋(帽子屋)さんです。

多数のかつら、帽子、おめん、が陳列されています。

ヘアーの色もさまざまです。

【参考文献】
*1 浅草観光連盟創立五十周年記念誌編集委員会:浅草繁栄の道 -浅草観光連盟半世紀の軌跡-(浅草観光連盟,1997)P.193
内通町4丁目商店街の新開地入口の東側(居酒屋「若竹」の奥)に、瓢箪(ひょうたん)横丁があります。戦後、元大黒屋旅館を含む一画で、故高平氏がキャバレー・ハリウッドを経緯していたが、現在は改造されて9軒のスナックが入居する「箪笥横丁」になっています。細い路地の奥は新開地に通じています。*1

階上(2階)は、「文化住宅」のスペースになっています。

「文化住宅」の廊下。

レトロな「瓢箪横丁」のネオン看板。都美人は、淡路島の地酒です。

【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料
弁天横丁は、戦前、弁天座の南隣にあった大きなカフェー「灘政」を一族の故高平正一氏が譲り受け、戦後の一時期ダンスホールにしていたが、旅館「光陽荘」に衣替え、のち改造して2、3階をマンションに、1階をスナック街にして「弁天横丁」と名付けられました。*1

おでん屋とエステ

1階のスナック街。

「弁天」は旧字で「辨天」と書きます。

【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料
コモード56商店街に洲本の歴史を展示している資料館があります。

昭和の茶の間を再現と町並みの資料の展示されています。

弁天さん界隈の昭和の新旧の町並みが比較されています。

花魁道中が行われたこともあったようです。

今回は洲本(兵庫県洲本市)の町並みを風俗を散歩します。
本町4丁目の厳島神社近くの弁天銀座は、洲本の中心街です。

弁天銀座から東側へ入った幅3メートルほどの小路は、新開地と呼ばれています。

スナック、寿司屋、料理屋、風俗店がひしめく夜の街です。

「カフエー」のプレート。

鷹匠町1丁目の歓楽街。「小唄横丁」と名付けられた小さな横丁があります。

1階に居酒屋が風俗店。2階は居住空間になっています。

裏口からも入店OK。

横丁の奥は、風俗紹介所の裏口につながっていて、そのまま向こう側へ通り抜けできます。

丸亀の現在の歓楽街は、遊廓があった港寄り(駅の北側)とは逆の駅の南側にあります。
富屋町(とみやまち)の商店街を抜け、京極通りを超えた大手町3丁目の北側に、バーなどが入居する商業ビルが建ち並ぶ一画があります。

交差点の商業ビル。

バー、マッサージ店の看板が乱立します。

2階への階段。

阿波池田の長尾通りに、隠れ家的な店があります。

レンタルルーム「めだかの家」。

スナック店のような雰囲気の入口のドア。

「エンゼル」と書かれています。

今回は、阿波池田(徳島県三好市)の町並みと風俗を散歩します。
阿波池田は、三好市の中枢となる町です。町の中心街の長尾通りは、小規模ながらスナックや居酒屋が連なる通りです。

スナック街の看板。

バスセンター前にある古風なスナック。

駅前の路地。

市電の旭町一丁目電停。旧玉水新地の近くです。

ここに、飲み屋が集中している一画があります。

すぐ南は玉水町で、昔はこのあたりで一杯飲んでから玉水に遊びに行ったのでしょうか。*1

飲み屋街の北側の一画。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.43
綱島駅に隣接して「綱島駅ビル商店街」があります。1Fは東急ストアをなどの食料品街で、改札口とつながっています。

2Fの飲食店街は、昭和レトロな雰囲気が残っています。

ビルの老朽化が進んでいるようで、トイレは利用できない状態です。

3階より上は、立ち入り禁止です。

神田駅から線路沿いに南下すると、「今川小路」の看板が現れます。

居酒屋が営業するガード下の飲み屋街です。

高架下建築。

高架の複雑な鉄骨構造が露出しています。

今回は、神田(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
神田の魅力は、ガード下です。

通常の高架下建築とは異なり、山の手線の高架と道路が交差する部分のガード下に飲み屋が集中していて、独特の雰囲気をかもしだしているのが、神田駅前の特徴です。

昼、なお暗いガード下。

夜の飲み屋街の雰囲気です。

横丁の「新富町」。緩やかにカーブを描いて奥に続いています。

古びたスナックの店舗が連なっています。

和風スナック。

派手な色の店舗もあります。

モダンなアーチの新富町。スナックが建ち並ぶ横丁です。

ラーメン屋の脇が横丁です。

反対側から。

夜の様子。

飯塚の歓楽街の中心部に、「有楽町」のアーチがあります。

緩やかなカーブを描いて、路地が続いています。

反対側の入口。

夜の雰囲気は格別です。

直方駅前にある古い駅ビル。1階は商店街。2階と3階は居住スペースになっています。
戦後に建てられた防火建築帯(商店街共同建築)*1 と思われます。現在でも残っているのは、貴重です。

居住スペースへの入口階段。

2階から3階へ登る階段。

眼下に、すさき商店街のゲートが見えます。

【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.253
直方の古町のスナック街。

奥の通りに入ったところにある飲食ビル。

古びた「ミス・ユニバース」の看板。

古き良き時代のキャバレーを思わせます。

地元では有名な「エビス屋のごはん」が1階に入っているビル。

1階に「大和ビル飲食街」と書かれた入口があります。

狭い通路の両脇に飲食店が並んでいます。

反対側の出口。

三角公園の近くにある「であい横丁」。手書きの看板がレトロな雰囲気をかもし出しています。

歌謡倶楽部サユリズ。

スナックの看板が密集しています。

飲み放題2000円の大衆スナック。

三角公園の前に「紳士街」と大きな四角い看板が出ている建物があります。

入口には、紳士街通りの看板。スナックが5軒入っている建物です。

「紳士街通りと言っても通りの長さは、ビルの奥行分の長さで、すぐに反対側に出てしまいます。

反対側の入口。

栄町から、番田町へ向かう途中(田川市日の出町11)の通り。古びたスナックが建ち並びます。

朽ち果てたスナックの看板。

スナック「チャコ」。

田川伊田駅に近いあたりにあったスナックの建物。

旦過市場は、今や北九州観光の拠点でもあります。2012年8月現在、旦過市場には約120の店舗があります。韓国や中国からの観光客も多く、映画の撮影に使われることもあります。*1

昭和の薫り漂う商店街。

奥まった場所にあるホルモンの店。

野菜市場の一画。

【参考文献】
*1 毎日新聞西部本社報道部:北九州市50年の物語(石風社,2013)P.138-P.141
北九州の台所と呼ばれる旦過(たんが)市場は、大正時代に商いが始まったといわれています。戦中は中断しましたが、戦後は庶民を相手に生鮮食品を売る市場として再開。1962年にアーケードが完成し、今の形ができました。*1

旦過市場はモノレールと神嶽(かんたけ)川に囲まれた場所にあります。

旦過市場の店舗は、神嶽川にせり出して建っています。

南側の入口。

【参考文献】
*1 毎日新聞西部本社報道部:北九州市50年の物語(石風社,2013)P.138-P.141
西川口東口駅前。整備された駅前ロータリーの脇に古くからの商店が並ぶ一画があります。

建物の裏側。

小さな空地になっています。

商店の1軒1軒がトタンの建物であることが解ります。

今回は、川口(埼玉県川口市)の町並みと風俗を散歩します。
近年の川口は、開発が進み、高層マンションが林立する町並みとなっていますが、かつては鋳物工場の街でした。映画「キューポラのある街」では川口でロケが行われ、当時の町並みが映画の中に記録されています。

現在は、鋳物工場があった頃の名残はほとんどありませんが、高層マンション「リビオタワー川口ミドリノ」の敷地には、「こしき」と呼ばれる当時の小型の炉が保存設置されていて、当時を偲ぶことができます。

「鋳物の街」の案内板。

こしき(小型の炉)。

浦和駅西口に、「ナカギンザセブン」と呼ばれる商業施設があります。開発が進む浦和駅前の中で、唯一、昭和の名残のある空間です。
1階が商店で、2階より上は居住スペースになっています。

中華屋の看板が残されてままになっています。

小路のような商店街は、駅前の郵便局脇から大通りに抜ける通路になっています。

ビルの裏側から見ると、複雑な形状の4階建てのビルであることが解ります。

今回は、浦和(埼玉県さいたま市浦和区)の町並みと風俗を散歩します。
浦和駅西口のガード下に、飲食店やスナックが連なる一画があります。

昭和の雰囲気が残っています。

スナックの店舗

北端に、大型店(浦和最大のクラブ)がありました。

千日前2丁目にある千日センタービル。

2階には、スナックの看板。

ホテルべに花の看板。

2階部分には、ホテルベニスの看板。「べに花」が「ベニス」と改名されたのでしょうか。

千日前の家具問屋街の西隣に、昭和の雰囲気香る建物があります。

南側のスナックの店舗脇の建物内部に通じる通路。

通路は、L字型になっていて、西側に通じています。

オリオン通りと名付けられた通路には、カレーハウスなどの店舗が営業中です。

味園ビルの東側に、千日二番街の入口があります。
味園ビルの2階のフロアは「千日二番街」と呼ばれ、以前は「大スナック街」*1 でした。

2階のフロアの見とり図。フロア内を一周することができ、向こう側はらせん階段に通じています。

ジャズ喫茶やスナックなどが並んでいます。

現在は、日本のサブカルチャー、アンダーグラウンド文化の発信地として注目されています。

【参考記事】
*1 風俗散歩(千日前):味園ビル(2011.3)
千日前の宴会場「味園ビル」。以前は、建物の角の部分に夥しい数の店名を記すレトロ看板が並んでいましたが、*1 現在は、緑色を基調にしたデザインにリニューアルされています。

宴会天国味園。

入口はのらせん階段はそのままです。

らせん階段の上部から下を見下ろします。

【参考記事】
*1 風俗散歩(千日前):味園ビル(2011.3)
千日前が庶民派グルメの殿堂であるのに対し、法善寺横丁は、大阪の応接間のような存在です。*1

東西両端に「法善寺横丁」の文字が書かれた門があって、静かななにわ情緒を漂わせています。

歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われました。

路地裏の飲み屋。この先に法善寺があります。

【参考文献】
*1 大坂人(2009.11.1)P.5
今回は、千日前(大阪市中央区)の町並みと風俗を散歩します。

戎橋は、道頓堀の繁華街の中心部に位置します。

周辺には、グリコのネオン看板など、道頓堀の名物がたくさんあります。

東側には、ドンキホーテの巨大観覧車が見えます。

塩浜町の歓楽街にレトロな飲み屋横丁があります。

太陽光が入る高い天井。

逆方向から見た看板の裏側には「毎度ありがとうございます」と書かれています。

空き瓶がディスプレイされているBAR。

今回は、佐世保(長崎県佐世保市)の町並みと風俗を散歩します。
長崎県佐世保市塩浜町の通り。居酒屋やスナックが密集する歓楽街です。

レトロなスナックが建ち並びます。

おびたたしい数の看板が密集しています。

塩浜パビリオン。

今回は、唐津(佐賀県唐津市)の町並みと風俗を散歩します。
唐津駅前の木綿町(きわたまち)は、唐津を代表する繁華街です。*1

特に、東西に走るこちらの通りには、居酒屋やスナックの店舗が密集しています。

レトロなスナック店が建ち並びます。

大きなイラストが書かれたスナック店。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
雑餉隈の寿町3丁目から2丁目にかけては、多くのスナックが点在するエリアです。

三叉路に面したスナック。

長屋風の建物。

風俗店も入居する飲食ビル。

今回は、雑餉隈(福岡県博多区)の町並みと風俗を散歩します。
西鉄天神大牟田線の雑餉隈駅前の商店街。昭和のかおりが残ります。

青果店を中心とした商店が数多く建ち並びます。

まるで、市場のような雰囲気です。

活気のある青果店。

歌謡スナック「姫」の反対側には、「ミッキー」と書かれた看板のある小路があります。

幅の狭い路地に、大きな看板。

カラオケスナックのようです。

反対側からの遠望。

歌謡スナックの脇に趣のある小路が伸びています。

路地の奥には、大衆酒場や小料理屋が肩を並べています。

小路の奥まったところにある小料理屋。

逆方向から見たところ。

本庄市銀座2丁目1~2のあたりには、割烹料理店などの飲食店が密集しています。

丸窓のある建物。

古い木造の建物が建ち並びます。

和風のスナック。

今回は、指宿(鹿児島県指宿市)の町並みと風俗を散歩します。
指宿駅の北側、、指宿枕崎線の線路の近くに銭湯の松元温泉がありますが、その奥に小規模なスナック街があります。

鮮やかな紫色のスナック店。

奥まったあたり(線路に近い側)には、スナックが密集しています。

昭和を思わせる風情のスナックが連なります。

歓楽街の「天文館」の通りに、思わず立ち止まってしまう、うらぶれた路地があります。

見上げると「新宿街」と書かれた看板が2つ。

奥行50mほどの袋小路の両側に飲み屋が軒を連ねています。*1

密集度の高い路地。

【参考文献】
*1 清水哲男;浜地克徳 絵:天文館物語(シーナ,2009)P.6-P.7
鹿児島の歓楽街「天文館」に古い雑居ビルがあります。

雑居ビルの裏側は、裏町通りと呼ばれています。東南アジアのどこかの通りを思わせるような光景です。*1

雑居ビルの1階を貫くトンネル路地。

別の路地の入口。「ひげ船長」と書かれた看板がいい感じです。

【参考文献】
*1 清水哲男;浜地克徳 絵:天文館物語(シーナ,2009)P.10-P.11
水俣市浜町のそば屋の脇の小さな飲食街。

「ひかり」、「なぎさ」、「とも」などの店の看板が2階部分に並びます。

スナック「ひかり」の裏側の路地。

トンネルのようになっている路地を抜けると(写真左側)、スナック「洋子」がある通りに出ます。

水俣市桜井町の肥薩おれんじ鉄道の線路沿いに、スナックが密集する一画があります。

狸小路と名付けられたスナック街です。

スナック街の共同トイレ。

夜の様子。

水俣市大黒町の肥後銀行水俣支店の前に「夕焼け横丁」と名付けられたスナック街があります。

駐車場脇に横たわる横丁の建物。

昭和レトロを感じるスナック街です。

味わいのある看板。

今回は、水俣(熊本県水俣市)の町並みと風俗を散歩します。
肥薩おれんじ鉄道の水俣駅から延びる駅前の通りを行くと、駅と正対する位置にチッソ(株)水俣工場の正門があります(写真右奥)。
通りの脇(写真左側)には、古びた飲食店街があります。

現在は、営業中の店舗は少ないようですが、古いからある飲み屋街のようです。

スナックの建物の右横が横丁の入口になっています。

芸者の絵が描かれたドア。

伊万里市街の伊万里町甲。

大通りから少し入っところの四つ角にスナックがあります。

中央市場の隣の和風スナック。

タイルで装飾されたレトロな雰囲気の居酒屋の建物。

長崎の市電の終着駅の崇福寺駅。川の上に設置されている駅です。

駅からは、川沿いにせり出し建物が見えます。

逆方向から見たところ。写真の右奥の市電の車両が見える場所が正覚寺下駅です。

建物の反対側。飲食店が連なる長屋風の建物です。
