飯田(くつわ小路)古い飲食店が並ぶ小路です。5階建ての建物。

今回は飯田(長野県飯田市)の町並みと風俗を散歩します。
昔から「飯田の町は女の町」と言われていただけあって、大正年間から昭和初年にかけ人口2万人たらずのところに芸妓が380人、料理屋に働く人500人、娼婦など500人、妾などを合わせると、相当なものだったそうです。*1
現在の繁華街は、駅の南東側に広がっていて、道路は格子状に整然と区画されています。駅前の観光案内所で受け取った観光地図に「くつわ小路」と書かれているのが目にとまったので、まず、この界隈を散歩してみます。

情緒のある料理屋風の建物が残っています。

小路の片側は崖になっています。

向こう側に見えた建物。こちらから見ると5階建てのようにも見えます。

【参考文献】
*1 村沢武夫:飯田情話(南信州新聞社,2006)P.57

参考文献

参考記事

松本(西堀地区飲食街)昭和の初期からの飲食街。

西堀地区は、その名の通り、松本城の西側の堀の外側に置かれた町ですが、現在は、スナックなどが建ち並ぶ繁華街となっています。その中でひときわ目立つ存在の古い3階建ての建物がありあす。

建物横の看板。

裏側から。

1階の通路。

近代公娼制度に基づき、明治10年に横田遊廓が建設されましたが、その陰で、裏町(松本城の東隣)などに芸者置屋街がありました。
西堀地区には、昭和の初期の頃から私娼窟があり、戦後は「特殊飲食店」として政府が認める「赤線地域」となり、10軒ほどの店がありました。
昭和31年の売春防止法が制定以降、西堀地区は夜の食堂街として栄え、暴力バーや暴力団の事務所が入り込みました。それに対して、住民たちの間で暴力追放運動が起こりました。*1
【参考文献】
*1 松本女性史の会:”買春”許すまじ(銀河書房,1984)P.17-P.18

参考文献

参考記事

伊那(伊那市駅周辺)山と川に囲まれた町です。

今回は、伊那(長野県伊那市)の町並みと風俗を散歩します。
伊那は、南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那盆地の北部に位置する町です。

伊那市からは南アルプスが見えます。

市街を流れる小沢川が天竜川に合流するあたり。写真右側が仙丈ケ岳、左側が甲斐駒ケ岳。

市街を流れる小沢川の清流。源流は中央アルプスです。

参考文献

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枚方(鍵屋資料館)かつの枚方宿のにぎわいに関する展示。

今回は、枚方(大阪府枚方市)の町並みと風俗を散歩します。京阪本線枚方駅の一つ隣の枚方公園駅で下車。かつての枚方宿の名残を感じる通り。

宿鍵屋資料館。

かつの枚方宿のにぎわいに関する展示。
江戸時代の枚方宿は、現在の枚方公園駅から枚方駅の間の旧道沿いにあり、そこに飯盛女がいました。
天保9年(1838年)には、旅旅籠57軒に飯盛女78人となっており、その他に下女97人が存在していました。*1
その後、明治41年(1908年)に桜新地という行政区ができ、枚方遊廓の貸座敷は、桜新地への移転が進められました。*2

江戸時代後期のシーボルトの旅行記には、当時のにぎわいの様子が記されています。

【参考文献】
*1 宿場町枚方を考える会:枚方宿の今昔(宿場町枚方を考える会,1997)P.46
*2 京都橘女子大学女性歴史文化研究所:伝えたい想い 枚方の女性史(枚方市,1997)P.84

参考文献

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滝井(新地近くのスナック)周囲は住宅街です。滝井新地の入口付近。

今回は、滝井(大阪府守口市)の町並みを散歩します。
滝井駅から線路沿いの道を歩き、すし屋のところを右折すると、スナックが建ち並ぶ一画があります。

風情のあるスナックの建物。1つの建物の中に4軒の店が同居しています。

スナック香住。

路地にもスナックの看板。

参考文献

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大久保(職安通り)韓国の生きる町。韓流ブームにあやかったグッズ店。

今回は、新大久保の町並みと風俗を散歩します。
職安通りは、ここ数年で韓国の店が急増したようです。*1
「大使館」と大きく書かれた看板は、韓国の炭火焼肉店です。

韓流ショップの店。ブロマイドなど、韓流ブームにあやかったグッズ店が並らび、主婦層の客で賑わっています。「美容室」の看板には、ハングル文字の表記もあります。

ホトックとトッポッキのお店。ホトックは、アンコ、チーズ、ハチミツの味があり、値段も200円とお手頃です。

職安通りと言えば、数年前は外国人売春婦がたむろす通りといったイメージがありましたが、現在はまったく様変わりしています。

【参考文献】
*1 新谷尚紀,岩本通弥編:都市の光と闇(吉川弘文館,2006)P.174-P.188

参考文献

参考記事

家老渡(土生港)因島へは高速船で渡ります。

今回は、家老渡(広島県尾道市因島三庄町)の町並みと風俗を散歩します。
因島(いんのしま)は、かつては全国でも珍しい一島一市でしたが、2006年1月10日、尾道市に編入されました。島内には、村上水軍の史跡などもあり、観光地としても有名です。
家老渡(かろうと)は、島の南東部にあります。

三原港から高速船で31分で島の南部の土生(はぶ)港に到着します。

土生(はぶ)港は、近隣の島とのフェリー航路もある因島の玄関口です。

島の南部には、日立造船所の工場があります。

参考文献

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木江(天満区の古い町並み)EXPO’70のステッカー。

木江の天満区の古い町並みを歩きます。こちらの建物は、1階が商店であったように見えます。

コカコーラなど、家のあちこちに看板やステッカーが貼ってあります。

オロナミンCのステッカー。残念ながら年代を特定できるような手がかりはありません。

月星(シューズメーカー)のセールのステッカー。
EXPO’70(大阪万国博覧会)ということは、37年間、貼られたままの状態ということでしょうか。保存状態は、良好です。

参考文献

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木江(神峰山)頂上から瀬戸内の眺めを堪能できます。

今回は、木江(広島県豊田郡大崎上島)の町並みと風俗を散歩します。前回散歩した大崎下島の大長(おおちょう)港から大崎上島の天満桟橋までは、高速船で14分です。
まず、大崎上島の最高峰、神峰山 (452.6m)に登ります。登山口である金剛寺から山道に取り付きます。

1時間弱で頂上の展望台に到着します。頂上からは、瀬戸内の眺めを堪能できます。北東方向には、大島上島の東野地区(鮴崎(めばるざき)方面)が見渡せます。


南側には、本州四国連絡橋(来島海峡大橋)と四国(今治)方面が見えます。

眼下には、深い入江状となっている木江港が見えます。高速船が着いた天満桟橋などの天満地区は、手前の山の斜面で隠れて見えませんが、入江の北側の宇浜地区の一貫目桟橋や造船所が見えます。

参考文献

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御手洗(御手洗港)江戸時代、潮待ち風待ちの港として栄えました。

今回は、御手洗(広島県豊田郡大崎下島)の町並みと風俗を散歩します。御手洗(みたらい)は、瀬戸内海のほぼ真ん中に浮かぶ大崎下島の港町です。

JR山陽新幹線で三原まで行き、JR呉線に乗換えて竹原駅で下車、駅から、タクシーかバスに乗り約5分で竹原港につきます。竹原港から高速船で約40分、御手洗港に到着します。高速船は、1日8往復運行されています。

御手洗は、江戸時代に潮待ち風待ちの港として栄えた港町でした。江戸時代から昭和初期にかけての貴重な建物も残されており、町並み保存地区に指定されています。*1

現在は、観光地として整備されています。絵地図で書かれた観光スポットの案内板があります。

【参考文献】
*1 中尾醸造株式会社:蔵元だよりNo.2(2003)P.4

参考文献

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伊勢佐木町(末吉町)料理店のプレートがあります。

今回は、曙町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。日の出町の駅から伊勢佐木町方面へ向かう途中の末吉町のあたり。古い雑居ビルがあります。

1階に、料理店があります。

料理店のプレートが残っています。

一見さんお断りの注意書き。

参考文献

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西新宿(思い出横丁)昔はしょんべん横丁と呼ばれていました。

新宿駅前に「思い出横丁」、「やきとり横丁」と看板が掲げられた飲み屋街があります。昔は「しょんべん横丁」と呼ばれていました。

もつ煮がおいしそうな飲み屋や、やきとり屋が軒をつらねています。

線路沿いの横丁は、「やきとり横丁」と呼ばれています。こちらは、明るい雰囲気です。

横丁を横断する狭い路地。人ひとりがやっと通れる幅です。

【参考文献】
*1 泉麻人:青春の東京地図(晶文社,2001)P.209

参考文献

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小姓町(飲食街)旧花街は、現在は繁華街としての賑わいを維持しています。

メインストリートから路地を入ったところに、飲食店やスナックが建ち並ぶ歓楽街があります。

スナックなどの店舗が営業しています。

2階建ての建物。

看板が密集しています。

参考文献

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国分町(飲み屋街)昔の雰囲気が残っています。

虎屋横丁近くの小路。昔の雰囲気が残っています。

ちょうちんのある飲み屋は風情があります。

看板が乱立するあたり。

ある飲食店の入口のドア。

参考文献

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尾張一宮(泉2丁目のスナック街)レトロなアーチが続きます。

今回は、尾張一宮の町並みと風俗を散歩します。
JR尾張一宮駅から東へ約1km。泉2丁目に、居酒屋やスナック店が密集する歓楽街があります。

スナックが連なる一画。

風俗店とスナック店が混在しています(上の写真の反対側)。

上の写真の通りを抜けたところによあるスナック横丁の「HANAOKAGINZA」。

参考文献

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真金町・永楽町(横浜橋市場)魚屋と立ち飲み屋。

今回は、真金町・永楽町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
京浜急行の黄金町から5分ほどのところに横浜橋商店街があります。
商店街の中ほどで、鮮魚店や精肉店が並ぶ路地が交差します。

路地の中に入っていきます。短いですが幅が狭く、昭和の時代を感じる路地です。

路地を抜け、逆方向から見ると、「横浜橋市場」と書かれた看板があります。なぜか鉄腕アトムが描かれています。

隣では、一杯飲み屋が営業中です。

参考文献

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丹波山(飲食店)二十才未満の者おことわりの鑑札があります。

今回は、丹波山(山梨県)の町並みと風俗を散歩します。JR奥多摩線の終点の奥多摩駅で下車し、そこから、丹波行きの西東京バスを乗りついで約1時間で丹波山に到着します。

バス停の近くにかつて飲食店だったと思われる建物があります。

2階の窓の部分に竹や鳥などの図案が彫り抜かれています。

1階の柱に残っていた鑑札。「二十才未満の者はおことわりします。上野原警察署」「営業時間は午後11時までなので、ご協力ください。」「山梨県公安委員会」と書かれています。

参考文献

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品川(天王洲運河)海岸線の名残。高層ビル群の景観。

「北品川の古い家並み」の南側の天王洲運河は、昔はここまでが海岸線だったところで、今でも海岸線の名残が感じられます。

この日はボラがたくさん泳いでいました。

運河の北側は、品川駅方面です。こちら側にも屋形舟がたくさん停泊しています。運河の向こうには、古い民家が数棟残っていますが、その向こうには、駅前の再開発によってできた高層ビル群が景観を圧倒しています。
写真左側には、都営北品川アパートが見えます。

都営北品川アパートから見た天王洲運河と屋形舟。手前には、「古い民家の家並み」が見えます。

参考文献

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品川(北品川の古い家並み)しながわ百景。長屋の建物。

今回は、品川(東京都品川区)の町並みと風俗を散歩します。
品川宿は、北から、
 ①歩行(かち)新宿(現在の北品川1丁目)
 ②北品川宿(現在の北品川2丁目)
 ③南品川宿(南品川1~3丁目)
の3つの部分からなっていました。
品川宿は、江戸時代に出来ましたが、②北品川宿と③南品川宿が初めに出来て、後から①歩行新宿が作られました。①歩行新宿は、本宿(②)の手前に出来た新興の盛り場で、江戸に近かったため、最も賑わいました。*1
北品川1丁目に、「しながわ百景」に指定されている「古い家並み」が残っています。

生活感のある路地。

長屋の建物が続きます。

昭和の風景が現在も残されています。

【参考文献】
*1 海野弘:ユリイカ(1994.7)P.8「品川宿繁昌記」

参考文献

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秋葉原(講武稲荷神社)旧町名の旅籠町の名残です。

秋葉原の石丸電気の隣に講武稲荷神社があります。

講武稲荷神社は、花街の繁栄に貢献顕著だと言われ、近隣の関係者はもちろん、向島からも参詣者があったとされています。(説明文より)

このあたりは、旧町名で、旅籠町と呼ばれていました。旅籠町は、もとは、昌平橋外河岸通りにあって、そこは板橋宿・川口宿への街道筋にあたって旅籠屋が多かったことから旅籠町と名づけられました。その後、移転や合併により、現在の外神田1・3丁目の一部となりました。*1
稲荷神社に旅籠町町会と書かれた街路灯が記念に残されています。

今でも、旅籠町の名残を見ることができます。(古美術茶廊「伊万里」にて)

【参考文献】
*1 竹内誠:東京の地名由来辞典(2006,東京堂出版)P.326

参考文献

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今里(韓国料理店)韓国パワーを感じます。旅館の佇まいの中に飲食店が混在。

今里新地の南北に走るメインの通りには、飲食店が並んでいます。

今里新地内の古い旅館の佇まいの中に飲食店が混在しています。韓国焼肉店、韓国食料品店など、韓国パワーを感じます。

韓国食堂(写真右手前)。

韓国焼肉の店。

参考文献

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大和郡山(旅館「松栄」)東岡町。大型の三層楼。

旅館「松栄」は、東岡町の遊廓跡の中でも最も大型の三層楼の遺構です。(写真の右点前は北側の入口)

建物は、南側の道にも面しています。

周囲が住宅街に変貌していくなか、この建物だけが異彩を放っています。

南側にも入口があります。(写真右奥)

参考文献

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大和郡山(金魚池)心温まる田園風景です。

今回は、大和郡山(奈良県)の町並みと風俗を散歩します。
町の南側には、金魚を養殖する池が広がっています。心温まる田園風景です。
大和郡山の金魚養殖は、奈良盆地の気候条件が養殖に適していることと、溜め池が多いことから、発展しました。
その起源は、宝永年間に佐藤三左衛門という商人が、飼育に精通し、その業を伝えたのが始まりとされ、明治維新後に本格的に名声を勝ち得るようになりました。*1*2

金魚池(正しくは金魚田と呼ぶそうです。)のそばを走る近鉄電車。
郡山市内には、金魚田は、全部で100ha、養殖農家は、約80戸あり、年間8,000万匹の金魚を出荷しているそうです。*3

出荷を待つ金魚(金魚資料館にて)。

金魚池に立つ「ちかん注意看板」。理由は解りませんが、金魚池には、ちかんが出没する模様です。

【参考文献】
*1 柳沢文庫専門委員会:大和郡山市史(大和郡山市,1966)P.831,P.833
*2 三木 理史:総合研究所所報(2006)「大和郡山金魚史料について」P.111
*3 Front(2003.7)「金魚のまち大和郡山を行く」P.7

参考文献

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古市(小田の橋)伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ参宮街道の入り口。

今回は、古市(三重県伊勢市)の町並みと風俗を散歩します。
古市には、かつて古市遊廓があり、お伊勢参りの人々で賑わっていました。
近鉄線宇治山田駅から勢田川に向かって10分ほど歩いたところに、「古市参宮街道」の案内板があります。これによると、古市遊廓は日本三大遊廓の一つと紹介されています。

橋の欄干。

小田橋は、伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ参宮街道の入り口にあたり、江戸時代から勢田川にかかっていました。(「小田橋」の案内板より)

小田の橋の案内板。
伊勢といえば、誰もが古市遊廓を連想するほど、この色里は天下にその名が高く、年間数十万人と言われる旅客の落とす巨額の金銭のほとんどが、古市遊廓に吸収されたといわれています。*1

----「古市参宮街道」の案内板(抜粋)----
「伊勢に行きたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と道中伊勢音頭にうたわれたように、江戸時代、伊勢参りは庶民の夢でした。全国津々浦々から胸躍らせて伊勢参りに向かう人々、特に、慶安3年(1650年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年(1830年)、慶長3年(1867年)の「おかげ参り」には、全盛期を迎え、多いときには、半年間に約458万人に参詣者があったと記録に残されています。
外宮から内宮へ向かう古市街道は、伊勢参りと共に栄えました。その中でも古市は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大遊廓で、全盛期には、妓楼70軒、遊女1000人を数えました。
【参考文献】
*1 中沢正:遊女物語(雄山閣出版,1971)P.142

参考文献

参考記事

渡鹿野島(スナック店)町の中心部に散在。

渡鹿野島の町の中心部の通りには、カラオケ店などのスナックが散在しています。

ホテルでの宴会の後の2次会に使用されるのだと思います。

コンパニオンの置屋あるらしいですが、昼間のうちは営業していません。

住居とスナックが混在しています。

参考文献

参考記事

渡鹿野島(シーサイドホテルつたや)旅館から見る眺めは最高です。

今回は、渡鹿野島の町並みを散歩します。

渡鹿野島は、近年は観光地として発展を遂げています。
渡鹿野港近くの「シーサイドホテルつたや」は、渡鹿野島を代表する観光ホテルです。

宿泊した部屋。

ホテルの窓からは、渡鹿野港と周辺の美しい海が見渡せます。
昔、志摩には、「はしりがね」と呼ばれる船女郎がいましたが、渡鹿野島は、「はしりがね」の情緒を色濃く残しており、波止場に船がつくと媚を売る女達が、出迎えてくれる情景が見られたそうです。*1

【参考文献】
*1 岩田準一:志摩のはしりがね(1940)P.57

参考文献

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富士吉田(富士山三合目)コナミルクの木製ベンチ。

富士吉田は、唯一、富士山を一合目から上れる登山道の登山口です。まずは、遊歩道を歩いて、一合目を目指します。

三合目まで来ました。

案内板によると、ここには、江戸時代から茶屋(山小屋)が2軒あり、ここからの見晴らしが良かったので、多くの登山者がここで休憩したそうです。

廃屋に「ルミナコ治明」...ではなく、「明治コナミルク」(右から読みます)と書かれた木製ベンチが放置されていました。
明治コナミルクは、1923年に開発された歴史のある乳製品です。*1

【参考URL】
*1 明治乳業(株):明治コナミルクの歴史

参考文献

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富士吉田(日昇旅館)モダンな建築。貴重な財産ともいえる町並み。

西裏通りから路地を一本入ったところにある元旅館。

まるで、赤線跡の建物のようなモダンな建築です。

パラペット部分のランプ。

隣接する飲食店の建物の丸窓。

参考文献

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富士吉田(ミリオン通り)レトロな雰囲気のスナック街。


富士吉田は、昭和30年代、織物産業が盛んで、県内外から業者たちが集まりました。月江寺駅周辺には、歓楽街の面影が、色濃く残っています。*1
神田堀川の東側にある「ミリオン通り」には、レトロな雰囲気のスナックが残っています。

韓国食品の店ですが、入口の看板にはビデオと書かれています。

ホルモン焼の店。

逆方向(南東側)から。

*1 富士吉田市観光協会:富士吉田市街案内ガイド「富士吉田今昔の旅」

参考文献

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池袋(取り壊し直前の建物)昭和30年代に建てられました。

カラオケパセラのある交差点近くに取り壊し直前の古い建物があります。1階にカラオケパブ、2階に旅行会社の事務所が入っています。

「トリスバー 夜の貴婦人」と書かれた看板が残っています。トリスバーは、昭和30年(1955年)前後に生まれた庶民的なバーで、トリスウイスキーをソーダで割ったハイボールが主力製品でした。トリスのハイボールは大阪では「トリハイ」、東京では「Tハイ」という愛称で呼ばれました。*1
残念ながら、この建物は、今月中に取り壊され、跡地には9階建てのビルが来年9月に完成するそうです。(「建築計画のお知らせ」の看板より)

もう1軒、取り壊し予定の建物がありました。昭和30年代に建築されたスナックです。立入禁止を示す黄色のテープが貼られています。

張り紙に書かれている内容によると、この建物は、昭和30年代に建築されたものだそうですが、老朽化が進んでいるため、取り壊しが検討されているそうです。

【参考URL】
*1 サントリー(株):お酒・飲料大事典「トリスバー」

参考文献

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中村(大門通り)旭廓が一斉移転してできた中村遊廓。

今回は中村(愛知県名古屋市)の町並みと風俗を散歩します。
中村日赤駅から徒歩10ほどのところにある大門通り。この一角には、かつて中村遊廓がありました。中村遊郭は、それまで大須観音近くにあった旭廓が一斉移転して造られた花街で、大正12年(1923年)に一挙にできあがりました。*1

金属でできた「OMON」と書かれた新しいタイプのゲートもあります。近くには、昔、遊郭であったと思われる古い建物(「長寿庵」)があります。

町の中心部にスーパーマーケットのユニーがあり、全体的には普通の町と変わりません。しかし、よく見ると、ユニーの前にソープランドがあったりと一味違った雰囲気を感じさせます。

歩道にあった装飾。大門の絵が描かれています。

【参考文献】
*1 若山滋:遊蕩の空間(INAX出版,1993)P.13

参考文献

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甲府(柳小路)狭い小路に飲食店が建ち並んでいます。

甲府市中央4丁目。ビル街に「柳小路」の入口があります。

柳小路飲食店街。

狭い小路に飲食店が建ち並んでいます。

小路はL字型になっていて、北側の通りに抜けています。

参考文献

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甲府(一番街)春日ビル。ビル内の路地の飲食街。

甲府の繁華街の中心部。春日ビルの中にある「一番街」。

ビル内の路地の飲食街。

韓国エステの看板。

反対側の入口。

参考文献

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この記事を参照している記事

甲府(地下バー街)春日ビルの地下1階。薄暗いらせん階段。

甲府(オリンピック通り)

今回は、甲府(山梨県)の町並みと風俗を散歩します。
甲府の中心街にあるオリンピック通り。青色のゲートが印象的です。

案内図。

飲食店がひしめき合っています。

反対側から。

参考文献

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神栖(居酒屋のある通り)黄色い建物の風俗店。

息栖小学校と神栖第二中学校に挟まれた通りを北上すると、居酒屋と風俗店のある看板に出会います。

右(南東)へ曲がると広い通りが続いています。

黄色い建物の風俗店。

こじんまりとした店の入口。

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松戸(樋古根川)平潟遊廓跡の裏手を流れています。

平潟遊廓の裏手には、排水川(現樋古根川)が流れていました。昔は、この排水川が江戸川の本流だったそうです。当時は、川沿いに平潟遊廓の建物を眺めることができたのだと思います。(写真は、樋野口橋から見たところ。)

樋野口橋から見た樋古根川の上流。美しい流れです。

排水川沿いに見た平潟遊廓跡のマンション群。

江戸川との合流点に「坂川排水碑」があります。ここに設置された排水機によって、水害が解消され、人々は安心して暮らせるようになったそうです。

参考文献

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雄琴(比叡山)ケーブルカーで登ります。

雄琴のソープランド街を散歩した後は、比叡山を登山することにします。比叡山鉄道(坂本ケーブル)の坂本駅で、切符を買います。切符には、ケーブルカーの車両の名前である「縁」と「福」の文字が書かれています。切符の裏面の説明書きによると、「皆様と良いご縁が結ばれ、また、福が授かるよう願って」名付けたそうです。

ケーブルカーの車両は、落ち着いた和風のデザインです。比叡山の山頂に延暦寺があるので、ケーブルカーもそれに合わせたデザインとなっているのだと思います。山頂に遊園地がある生駒山のケーブルカーとは対照的です。

山頂から雄琴方面の眺め。さきほどまで、散歩したソープランド街が遠くに見下ろせます。(この写真の中央あたり)

雄琴のソープ街の建物が見えます。写真の手前側が国道161号線。右側が川筋通りです。

参考文献

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橋本(橋本駅周辺)橋本の渡しの名残

今回は、橋本(京都府八幡市)の町並みと風俗を散歩します。橋本は、京都府八幡市の西部に位置し、西側には木津川・宇治川・桂川の三川が流れていて、橋本付近でそれぞれの川が合流し、淀川となります。

大阪方面行き改札口前には、かつて橋本の渡しがあった名残として、「橋本渡舟場 三丁」、「山崎停車場 十丁」、「柳谷観音 一里一丁」と場所と距離が書かれた石柱があります。

駅前に地図が掲示してあります。駅前には、洋食の店「やをりき」をはじめ数軒の商店があります。大谷川方面へ行くと、松永歯科医院、淀川温泉「多津美旅館」、銭湯の「橋本湯」などがあります。

踏み切りに「しゃだんきをくぐってはいけません。」の看板。子供向けに書かれています。たぶん大人達がしゃだんきをくぐるので、それを真似する子供が危険にさらされているのだと思います。

参考文献

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中書島(京阪電車)京都の私鉄です。

今回は、中書島(京都府)の町並みと風俗を散歩します。京阪電車で中書島駅で下車します。

京阪電車のこの色が気に入りました。車両もユニークです。ラッシュ時は5扉電車ですが、閑散時間帯は2扉を閉め切って格納していた座席を戻して、座席定員を増やす離れ業ができます。*1

中書島は、高浜虚子の句に「花人の落合ふ駅や中書島」と詠まれ、京阪本線と京阪宇治線の分岐点でもあります。

中書島は、寺田屋や伏見の酒蔵群など、観光地として有名です。

【参考URL】
*1 京阪電気鉄道(株):車両資料館

参考文献

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嵯峨野(広沢池の近く)発見!ちんこまんこ石。

広沢池近くの珍石をよく観察してみることにします。
黒い男性器。ペニスに観音様が描かれています。

赤い男性器。玉袋のフサフサ感がリアルに再現されています。

赤い女性器。両側に観音様が描かれています。

黒い女性器。こちらは、仏足石のようです。上部の平らな部分に、仏様の足の裏が描かれています。

ところで、なぜ、このような珍石がなぜこの場所に置かれているかについてですが、この付近の土地の所有者が石材屋を経営しており、未加工の石材や加工した石灯籠や石柱、置物などを置いているものだそうです。ちんこまんこ石は、商売のために制作し、主に温泉地や風俗店に納入していますが、商売で余った石たちをこの場所に置いているそうです。*1
【参考URL】
*1 怪しげ探検隊:エログロ調査報告集「チンマン王国」

参考文献

参考記事

嵯峨野(広沢池)美しい田園風景です。

嵯峨嵐山駅からレンタサイクルに乗ってで嵯峨野を散歩します。美しい田園風景がひろがります。嵯峨野は、歴史的風土特別保護地区に指定されています。写真に写っている自転車は、レンタサイクルです。

府道宇多野嵐山山田線を東へ行くと、広沢池に到着します。

広沢池は、日本三沢の一つと言われます。奈良の猿沢池、大分県宇佐市の初沢池、そして広沢池です。

広沢池は、朝霧が立ち昇るときの風景がすばらしいと言われます。今回、訪れたのは昼ですが、十分に幻想的で美しい風景です。

参考文献

参考記事

嵯峨野(嵐電)情緒たっぷりの電車です。

今回は、嵯峨野(京都府)の町並みと風俗を散歩します。
嵯峨野へは、四条大宮駅から嵐電(京福電鉄)に乗って行く事にします。「嵐電1日フリーきっぷ」を購入しました。

途中、西院駅で下車し、西院車庫の横を走る嵐電を撮影しました。

山ノ内駅で下車。このあたりは、道路併用軌道の区間です。市電と同じ光景です。

嵯峨駅前で下車し、JR嵯峨嵐山駅へ向かいます。トロッコ列車に乗る観光客で賑わっています。レンタサイクルの看板があります。ここからは、自転車で嵯峨野を散歩することとします。

参考文献

参考記事

五条(高瀬川)木々の緑が美しい流れです。

今回は五条(京都市下京区)の町並みと風俗を散歩します。
五条大橋の西側に高瀬川が流れています。すぐ近くに「五条楽園」の看板があり、そこが楽園の入口であることがわかります。

木々の緑が美しい流れです。

高瀬川は、豊臣秀吉の天下統一後、資材の運搬のためにつくられた水路(運河)です。案内板には、五条ー七条間に架かる橋は、人が橋の下を通れるように高くしてあって、中でも、六軒橋、上の口橋は階段式(10段ほどの石段)であったと説明されています。

その上の口橋ですが、現在は「五条楽園」の大きなアーチがあって、五条楽園の象徴的な場所の一つになっています。

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松岸(利根川)湖のように広い川です。

利根川は、このあたりは川幅が広いので、川というよりは湖のようです。護岸は、コンクリートで固められています。

河口(太平洋)の方向には、銚子大橋が見えます。

護岸には、ヨットがたくさん引き上げられています。

護岸の近くは芝生の公園になっていて、お年寄りがゲートボールを楽しんでいます。

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松岸(商店街)利根川の近くの町。

今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。

近くにあった煙草屋。カラフルなタイルが印象的ですが、休業中のようです。

しばらく行くと、前方に利根川が見えてきます。同時に、壮大な王宮のようなピンク色の建物が左手に現れます。

制服を着た若い女性が玄関の掃除をしています。どうやら、ピンクの建物は、「モアパーク」という名の結婚式場のようです。

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神田(駅南口)違法エステ禁止看板。客引取締中。

今回は、神田(東京都)の町並みと風俗を散歩します。南口の交差点から見た神田駅。中央線の高架を挟んで、両側に商店街が並びます。
最近はあまり見かけませんが、このあたりには、夜になるとアジア人のマッサージ嬢が出現していました。

駅前に、「違法客引取締中」の看板があります。看板は新しく、最近、設置された模様です。韓国語、中国語でも書かれています。

西口にも同じ看板があります。

西口にある古いバージョンの看板。「神田の街から違法エステを追放しよう!」と書かれています。かなりくたびれていますが、「違法エステ」という具体的な業種名が示されており(しかも赤字で強調)、かつての神田の状況を伝えています。

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小田原(宮小路の料理屋)タイルのモザイク。

元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。

ピンク色の料理屋。

タイルのモザイク。

同じ通りの小料理屋とクラブ。

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小田原(キャバレービル)上から下まですべて。

本町二丁目の中心部にあるキャバレービル。上から下まですべてキャバレーの看板で埋め尽くされています。

キャバレー「ドンファン」(地下1階)。

付近には、フィリピン系の店が数多くあります。

フィリピンパブの看板。

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小田原(みやこ旅館)風情のある板塀。旅館の裏側は墓地。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みと風俗を散歩します。
小田原駅前の好立地にある「みやこ旅館」。当時のままの姿の建物です。

風情のある板塀。

情緒ある和風造り。

旅館の裏側は墓地です。

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信太山(駅周辺)閑静な住宅街です。

今回は、信太山(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪からJR阪和線に乗って、信太山(しのだやま)駅で下車します。

信太山新地へは、駅前からJR阪和線の線路沿いに天王寺方面へ向かって進むか、駅前の「スーパー玉出」の脇の道を進むみます。今回は、「スーパー玉出」の脇の道を行くことにします。

道なりに進むと府道30号線に出ます。信号のある交差点に、「そこはだめ!!勝手な駐輪大迷惑 信太山新地」と書かれた看板がありますが、新地のような雰囲気はありません。

信号のある交差点の左側を見ると、旅館が立ち並んでいます。ここが、信太山新地の入口のようです。道の左側手前に、「スタンド○○」という看板のあるスナックのようなお店があります。

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飛田(動物園前商店街)飲食・娯楽がすべて揃っています。

動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。

綺麗に整備された商店街です。

商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。

二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。

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古河(中央町の飲食店)「カフエー」のプレートがあります。

横まち柳通りを散歩した後、横山町の南側の中央町のあたりを散策します。

1階に3軒のお店が入っている建物があります。

右側のお店。赤いドアが印象的です。

ドアの上に「カフエー」と書かれたプレートがあり、小さな文字で「茨城県公安委員会許可第1795号」と書かれています。さらに、その右側には、「二十....立入....」と書かれたプレートがあります。

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鶯谷(鶯谷駅北口)待ち合わせ場所。「うぐいす小路」の案内板。

今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。

待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。

駅前から路地を入るとラブホテル街です。

北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。

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東向島(いろは通り)赤線時代の名前を残す通り。

今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。

「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。

いろは通りの商店街。

最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。

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福生(国道16号線)国道沿いに米軍基地があります。

「赤線」を東へ行くと、JR八高線の踏み切りを越えると、国道16号線に出ます。国道の向こうは米軍横田基地の第二ゲートです。

国道沿いに店が並びます。

店の看板は、すべて英語です。アメリカがそのまま引っ越してきたような雰囲気です。

派手なペンキ絵のなるお店。

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福生(レストラン)タイ、アメリカなど、多国籍です。

旧赤線の通りには、おしゃれなレストランやバーがたくさんあります。

米軍横田基地が近くにあるので、横文字の看板のお店が多いです。

タイ・レストラン

派手なペンキ絵が書いてあるバーの建物の壁面。

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船橋(スナック街)バルコニーに装飾のある建物。

今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。

バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。

古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。

建物の角に入口があるスナック。

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大宮(平和通商店街)特殊浴場協会の事務所。

今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。

大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。

商店街といっても商店はあまり多くありません。

しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。

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曳舟~鳩の街(鳩の街商店街)ピンク色のアーチが入口です。

水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。

賑わいのある商店街。

2階に物干し台のある商店(写真右)。

木造和風の佇まいの化粧品店。

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藤沢(和風スナック)小鳥の街の北側

小鳥の街※1 の北側は、和風スナックや旅館が建ち並ぶエリアです。

和風スナック店。

仙成旅館。

水色のスナック店。

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藤沢(かつての旅館街)現在はマンションが林立。

藤沢(奥の飲食街)和風スナックや小料理店。

小鳥の街※1 の北側の奥まった場所。

両側に飲食街が建ち並ぶ一画があります。

和風スナックや小料理店が建ち並びます。

東側の和風スナック。

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藤沢(小鳥の街)居酒屋とスナック店。ひよ子、せきれい。

木造アーチのある飲食街を抜けると、スナック街が現れます。

居酒屋やスナック店が入る建物。ひよ子、せきれい。鳥にちなんだ店名が多いです。

「小鳥の街」と呼ばれているようです。

「小鳥の街」のネオン管

藤沢(木造アーチの飲食街)藤沢銀座近く。

藤沢銀座の「飲食街in」の看板の一つ手前の路地を右手に入ると、木造アーチを持つ飲食街の建物があります。

内側から見たところ。このような空間が藤沢銀座と隣接して残っていることは驚きです。

「まりこ」という店の名前と思われる看板が軒下に残っていました。

裏面は蝶のデザイン。

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藤沢(木造アーチの飲食街)老朽化が進んでいます。

川崎(小町横丁)小さな横丁です。奥は行き止まりです。

旧東海道を葬祭場のところから右に曲がると、スナックが並ぶ一角があります。

料理屋の隣に小さな横丁の入口があります。

小町横丁という名前です。おとなのおもちゃの看板があるのがユニークです。

奥は行き止まりです。

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天王町(帷子川)尾張屋橋付近。

今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。

尾張屋橋の上り口のあたり。

尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。

尾張屋橋から見た住宅街。

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栗橋(旧中田宿)江戸時代から続く宿場町

利根川を渡ると旧中田宿の町並みが見渡せます。

中田は、江戸時代から続く宿場町でした。

中田のバス停。栗橋駅からは約10分です。

近くには、古い建物が残っています。

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北千住(大門商店街)遊廓街があった付近です。

今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。

お買い物の散歩道。

商店街の脇の路地。

モダンなデザインの建物。

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小山(みつわ通り商店街)緩やかにカーブを描く商店街

小山駅東口の北側に、「みつわ通り商店街」があります。

古くからある商店街らしく、道は緩やかにカーブを描いています。

左側に曲がったあたりが、商店街の北端です。

「みつわ通り商店街」にあるカラオケパブ。和田アキ子、坂本九など、懐かしさを感じます。

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小山(小山タワー)小山遊園地のシンボル。

閉園となった小山遊園地は、いずれ取り壊される予定です。
小山遊園地のシンボルの小山タワーがそびえたっています。

ジェットコースター。

観覧車。写真左下奥は、小山温泉「思川」。

キャンプ村。

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吉原(吉原の飲食店)赤線の屋号を引き継いだ飲食店。

吉原ソープ街の周囲には、飲食店もあります。
京町通り北側にある飲食店。

隣には、花柳舞踏研究所。

旧赤線の「美津和」の屋号を引きついだ食堂。

吉原の北東側の土手通りにあるつけ麺チェーン。看板には「吉原店」と書かれています。

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洲崎(古いバーの建物)住宅街の中に残っています。

現在は住宅街となっている通り。

古いバーの建物があります。

ニューボン。

入口には、ピンクのタイルの装飾があります。

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洲崎(洲崎神社)洲崎の名を残す静かな神社。

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
木場駅からすぐのところに洲崎神社があります。

弁天池

洲崎神社に隣接する児童公園に書かれていた絵。当時の洲崎を伝える絵です。

洲崎神社の隣の区民会館のところにある掲示板。江戸時代は洲崎神社は海岸に面していたそうです。

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町田(「田んぼ」跡)現在は立ち入り禁止です。

かつての歓楽街「田んぼ」があった通り(南西側から)。

古い建物が残っています。

駐車場側から。

別の棟。立ち入り禁止のテープが貼られています。

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入谷~吉原(せんわ通り)美しい柳並木。水道尻。

国際通りを横切るとせんわ通りに入ります。ここからは柳並木が現れます。

交差点を左に曲がると吉原の一角にさしかかってきます。

花園公園のあたり。道がS字型にカーブしています。このあたりは水道尻(すいどじり)と呼ばれているそうです。

水道尻を抜けると吉原のソープ街まで一直線です。

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入谷~吉原(金美館通り)映画館の名前の通りです。

今回は、入谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。地下鉄日比谷線の入谷駅を出ると、まず目につくのが大手家具小売のハヤミズ家具センターのビルです。不況の影響受けて経営破綻しましたが、店舗兼本社ビルは、そのままです。

入谷から金美館通りを経由して吉原へ向かいます。吉原へ歩いて行く道としてはもっともオーソドックスな道順です。昔、金美館という名前の映画館があった(写真の東京菓子会館のあたり)ことが、金美館通りの名前の由来だそうです。なんとなく妖しい響きのする名前です。

金美館通りの歩道を歩くと、「これから吉原へ行くんだ」という気分になってきます。

「第一食品」や「入谷市場」という名前のスーパーがあるあたりは下町風情が残っています。

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渡鹿野島(市街地近くのアパート)昼間は静かです。

渡鹿野園地から市街地の方へ向かいます。途中、アパート等の建物が点在しています。

市街地を北側に奥に入り、坂道を少し登ってみます。昼間はとても静かです。

島の市街地を見渡すと旅館のある市街地の中心部とその周りの居住地が見渡せます。

島の住民の住居と思われるアパートがあちこちにあります。

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渡鹿野島(渡し船)伝説の島へ渡る

今回は、渡鹿野島(三重県志摩市)の風俗を散歩します。渡鹿野島は数百年の秘密を守る島と聞きます。風俗雑誌等でもここだけは「W島」とか伏字にして語ることが多いようです。
近鉄線鵜方駅で下車し、安乗行きのバスに乗ります。

20分ほどで、「渡鹿野渡船場」に到着します。

ここからは、船で渡鹿野島に渡ります。船の運賃は200円です。

5分ほどで渡鹿野島に到着です。

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宝山寺(近鉄生駒駅)駅から生駒山が見えます。

今回は、宝山寺の風俗を散歩します。宝山寺(生駒)はマニアックな裏風俗として雑誌などで紹介されています。
近鉄生駒駅で下車すると、目の前に生駒山が望めます。よく見ると山の斜面にケーブルカーの線路が延びており、中腹あたりが目指す宝山寺であることがわかります。

生駒山へ伸びる商店街があります。宝山寺まで歩いて上る場合は、ここが登山口です。

駅前の道路には、「生駒聖天(宝山寺)」の看板があります。車で宝山寺まで行く場合はこの道路を登ります。

今回は、宝山寺初挑戦ということもあり、登りはケーブルカーを使うことにします。ケーブルカーの鳥居前駅は近鉄生駒駅に隣接しています。

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