猿島は、「記念艦館三笠」のある三笠公園隣の三笠桟橋(猿島渡船乗船場)から、約10分のところにある無人島です。
猿島は、江戸末期、江戸湾防備の一要点として、1846(弘化3)年に砲3門が設置された。ペリー来航の7年前である。明治政府による沿岸防備は、1878(明治11)年に海岸防禦取調委員会が設置され、「東京湾海門を最先とし、順序は観音崎・猿島・富津」とする意見を上申した。*1
島の北端に、砲台跡が残っています。
猿島砲台の起工は1881(明治14)年11月5日。竣工は1884(明治17)年6月30日。関東大震災によって被害を受けた猿島砲台は、一度も使用されることなく1925(大正14)年に除籍。その後、海軍に移管されて高角砲陣地となり、終戦を迎える。戦後は、観光拠点として注目され、1949(昭和24)年に海上公園として開園した。*1