倉賀野は中山道の宿場の一つでした。旅の疲れを休め、骨休めをする旅籠屋や飲み屋が軒を連ね、飯盛女もいました。*1
この寺の墓地の片隅に、無縁仏となったいくつかの墓があります。
「高崎の散歩道」*1に、遊女の墓として紹介されいる墓石。
墓石には、
「越後 新潟平次 娘 きく墓」
「越後 三條裏館村 こよ墓」
「越後 大宮嶌村 女 へて墓」
「越後 三條久兵衛 女 里よ墓」
と刻まれています。*2
無縁仏は、他国出身の娘で、若く死亡した仏さまの墓が多い。出身地を分類すると越後の国が多く、また、没年齢の平均は21才でした。*1
「越後国長岡中源町 権介娘 やの」と刻まれています。*2