堅川(墨田川と中川を東西につなぐ川)を渡ると、墨田区千歳です。

千歳2丁目には、銭湯の弁天湯がありました。

創業明治十三年。現在は、弁天湯の看板がだけが残されています。

隣の駐車場の側から見ると、銭湯があった頃のものと思われる庭石に痕跡が。..

堅川(墨田川と中川を東西につなぐ川)を渡ると、墨田区千歳です。

千歳2丁目には、銭湯の弁天湯がありました。

創業明治十三年。現在は、弁天湯の看板がだけが残されています。

隣の駐車場の側から見ると、銭湯があった頃のものと思われる庭石に痕跡が。..

おそば「玉屋」の看板が目に入ります。

大正8年の創業の老舗です。

昔ながらの街の蕎麦屋という風情の外観。

天ぷらそばとビールを注文。

都営地下鉄新宿線の森下駅の近くに建つ理容「タカハシ」。右側が駐車場になっているので、風情のある一軒家に見えます。

青色の建物が印象的なBARBER。

奥行のある建物です。物干し台もあります。(写真左上)

側面は、鉢植えが並べられています。

今回は、両国(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
両国駅近くの墨田川沿い。

案内板が3つ並んでいます。一番手前が「旧両国橋、広小路跡」。

両国橋の袂には火除け地としての広小路が設けられました。西側は「両国広小路」といわれ、東側は「向こう両国」と呼ばれ、見世物小屋、食べ物小屋、食べ物小屋の屋台が軒を連る繁華街となりました。(案内板より)

広小路における水仕掛け大からくり引札。
「江戸東京年表」の宝永元年(1704)に、「大川端で大からくり興業や花火が禁じられた。」とある(禁令が出るというのは、逆に言えば、すでにからくり芝居小屋や花火打ち上げが行われていた。)ので、元禄期(宝永の前)には大道芸や小屋掛けの見世物は始まっていたようです。*1

新川近くの住宅街にある中華料理の「山久」。

テーブル席。

東京山久会、山久のれん会所属の店名が掲げられています。

天津丼とビールを注文。

古川親水公園の清流沿いに、銭湯の宝来湯が佇んでいます。

散歩の休憩場所としてはちょうど良い場所です。

瓦屋根の建物。

軒下の電球。

環七通り沿いの「古川親水公園」バス停近く。歩道橋から見ると、古川親水公園の木々が東西に延びています。

古川親水公園は、「親水」という新たな概念に基づき川を再生させた全国初の事業により誕生しました(案内板より)。

古川はその昔、船堀川と呼ばれていて、徳川家康の江戸入府により、行徳の塩などを江戸に運ぶ重要な水路でした。明治になると、地元の産物を運ぶ身近な川として地域の生活を支えましたが、水運の衰退と都市化の波によりドブ川と化しました(案内板より)。

まるで庭園のようです。

今回は、東葛西(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
葛西駅北口近く。口を開けたカバのモニュメントがある通り。

BIGWESTビル。西葛西駅のビル※1 と同じビル名称です。

バーやスナック専用の娯楽ビルです。

夜の様子。塔のようなネオン看板。

西葛西駅南口から徒歩約2分。

スナック・バーが入居する雑居ビル(ビックウエストビル)。

ビルの1階から最上階までがすべてクラブ、パブなどの店舗です。

夜の様子。

西葛西の棒茅場(ぼうしば)通り。西葛西駅からは、都営バス「西葛26」が10分に1本程度の頻度で船堀駅まで通じています。
昭和初期は、十八軒川(灌漑用水)が流れていた場所で*1、この先は、宇喜多川(同じく現在は棒茅場通り)につながっていました。

飲食店が建ち並ぶ一画があります。

とんかつの名店「よしみ」。駅から遠いにもかかわらず、常連客でいつも賑わっています。

とんかつ定食とビールを注文。
