最乗寺※1 を開いた了庵禅師は糟谷庄(現在の伊勢原市)の出身で、伊勢原に高森道了尊があります。*1

高森道了尊境内に江戸時代の陰陽師の手による星図を描いた石碑が建っています。周縁を二十八宿が囲む図案は星曼荼羅(密教における宇宙観を示すもの)に類似します。*1

星図には「北極連珠」と表題があります。*1

銘に嘉永5年(1852)の記載があります。*1

最乗寺※1 を開いた了庵禅師は糟谷庄(現在の伊勢原市)の出身で、伊勢原に高森道了尊があります。*1

高森道了尊境内に江戸時代の陰陽師の手による星図を描いた石碑が建っています。周縁を二十八宿が囲む図案は星曼荼羅(密教における宇宙観を示すもの)に類似します。*1

星図には「北極連珠」と表題があります。*1

銘に嘉永5年(1852)の記載があります。*1

とうふ坂への分岐点近くの道路脇の斜面の記念碑。

「江戸浅草と組大太刀奉納」と書かれています。
大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝でした。*1

東京浅草。

雷門、駒形、新吉原などの地名が確認できます。

大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清…
「式部旅館」の玉垣には、当時の実力者の名が刻まれています。右側の角の大きな玉垣には鳩山一郎(元内閣総理大臣)の名があります。

左側の角の大きな玉垣には、白山三業株式会社社長の秋本鐵五郎の名。

秋本鉄五郎は、白山に三業地を開設するために中心的役割を果たしました。*1

東京白山「もみぢ」の玉垣。

新玉橋を渡ってすぐ右手に「式部旅館」。*1

入口には、「先導師 内海式部」の木製看板。

先導師旅館だった頃の面影が漂います。

旅館の前の玉垣。古くて重厚感があります。

先導師旅館「高尾」。玉垣が並ぶ石垣が建つ厳粛な構えです。

旅館「高尾」の南側の玉垣は、芝八雲講の関係者寄進の玉垣でしたが※1、北側の玉垣には、「東京木場筏協同組合」と木場の筏業者の名前が刻まれています。

石垣には四角形の記念碑が組み込まれています。寄進者の名が刻まれています。洲崎遊廓の関係者かもしれません。

昭和9年の「深川狭斜史」には、「深川仲町の三業は、料理店としては、伊勢平、一力、宮川、はつね、新濱、金月、みなき、小川屋、島峰、天金、待合茶屋は、真砂、蔦屋、奥山、松葉屋、ふじ家、末廣、登茂栄…..」と記載されています。
木場の旦那衆が深川や洲崎の賑わいを支えていたことが想像できます。

今回は、伊勢原の町並みを散歩します。
小田急線伊勢原駅北口を出ると、商店街の入口に大山阿夫利神社の「一の鳥居」が建っています。大山登山の入口です。

鳥居の脇に小さな喫茶店。隣のたばこ店と同じ経営のようです。

少し暗めの店内。落ち着いて過ごせます。

ハムトーストとコーヒーを注文。

江東区を東西に流れる小名木川の西隅田川に近いところに架かる「高橋(たかばし)」の周辺から猿江にかけては昭和30年代まで労働者を相手にする木賃宿、簡易旅館が多く、「高橋のドヤ街」と呼ばれていました。小名木川の水運に従事する労働者のために古くから旅館が作られていったようです。*1
宮部みゆきの「理由」*2は、この高橋にある片倉ハウスという簡易旅館の中学生の娘が近くの交番に、「殺人事件の重要参考人がうちに泊まっている。でも、おじさんは犯人ではない。」と言いに来るとことから始まり、荒川区でおきた「一家四人殺し」事件が多角的に検証されることになります。

現在も、多くのビジネスホテルが営業中です。

飲食店の並びにあるビジネスホテル。

昔の面影を残すアパート。

江東区を東西に流れる小名木川の西隅田川に近いところに高橋が架かる。「ばし」…
P.7
東京都江東区高橋(たかばし)二丁目の警視庁深川警察署高橋第二交番に…
森下三丁目の都営高橋アパート※1 のある交差点の対角に赤いビルの中華料理店。

中華料理「楽楽」。

五目チャーハン、揚げワンタンがお勧めです。

五目チャーハンとビールを注文。五目チャーハンのてっぺんに、海老と錦糸卵がのっています。

高橋夜店通りの交差点の角にある都営高橋アパート。かなり年数が経過している建築です。

1階部分は、商業施設。

住居部分へつながる階段。

レトロなホーロー看板。

吉良邸跡があった本所松坂町公園(写真奥)の東隣には、伊勢ノ海部屋がありました。伊勢ノ海部屋は、遠く江戸勧進相撲(かんじんずもう)のゆりかご時代・・約220年も前の寛保時代から続き、そして栄えてきた由緒深い角界の名門です。*1

両国4丁目24附近には、「伊勢の海」と記された電柱番号札をみることができます。

伊勢ノ海部屋の所在地は、五代目は向両国、七代目、八代目、九代目は、本庄元町、十代目になって、墨田区東両国に移転しました。11代目は江戸川区春江町です。九代目の昭和初期に崩壊しましたが、その後は、第二次大戦後に台頭する双葉山の興した時津風一門に所属するようになりました。*2

本庄元町(今の墨田区東両国の回向院の正門前)にあったのは、大正12年の関東大震災までで、天井の低い、昔ながらの稽古場を持つ建物がそびえていました。*1
