小島湯※1 のある通りを荒川堤防のある方向へ進むと、中華料理の「第二萬福」があります。

木造の店舗併用住宅。2階部分の建物正面は洋風に装飾されています(=看板建築)。

赤を基調とした店内。

ラーメンとビールを注文。

小島湯※1 のある通りを荒川堤防のある方向へ進むと、中華料理の「第二萬福」があります。

木造の店舗併用住宅。2階部分の建物正面は洋風に装飾されています(=看板建築)。

赤を基調とした店内。

ラーメンとビールを注文。

西葛西の荒川堤防(写真奥)の近くの「かさいスーパー」のある通り。

銭湯の小島湯。

綺麗な暖簾のかかる入口。

蔦の絡まる白い煙突が魅力的です。

西葛西は、インド人が多く住む町です。町を歩いているとインド人をよく見かけます。インド料理やインド食材店も数多く営業しています。
そもそも西葛西がインド化したきっかけは、「2000年問題」でした。先に問題の対応に動いていたアメリカがインドのエンジニアに頼っていたことに倣って、日本政府もインドのエンジニアにはすぐにビザを発給できるようにしたため、インド人エンジニアが多く来日する流れができたわけです。大手町や茅場町、日本橋など東西線沿線の金融機関で働くエンジニアたちにとって西葛西はアクセスの面で魅力的でした*1

マンションの1階の商店街にあるインド食材店。

レトルトの製品が充実しています。

さとうきびジュース(タイ産ですが)を購入。

P.28-63
そもそも西葛西がインド化したきっかけは、世間を騒がせたあの「2000年問題」が…
今回は、西葛西(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。

地下鉄東西線西葛西駅前を降りた喫煙所コナーの隣に、設置されている女性像。

作者は、彫刻家の高橋剛。*1

高橋剛は、バレリーナをモチーフとした作品で知られた彫刻家です。

日展理事、日本彫刻会理事、東京家政大学名誉教授の彫刻家高橋剛は、9月5日午…
小川方面と黒山方面の三差路の道標※1にしたがってさらに進むと、梅林入口への分かれ道に着きます。

ここにも尾張屋三が建てた道標があります。*1
右 志かう道 二里
(正面)左 子ノ権現 三里廿九町
高山不動 二里半
左 大平山 三瀧 一里十五町
元治二乙丑歳 二月吉祥日
(裏面) 新井三平 建之
助力 当村中

この道標が、他の道標と異なる点は、「吉原講中」と書かれていない点です。
尾張屋三平は吉原でますます人気が高まった頃、吉原の講を率いて故郷に錦を飾るのを夢見ました。その道中は、華美をきわめ、吉原の花魁道中の再現とまでいわれましが、生家のすぐ前の梅林入口の道しるべには、新井三平と彫り、新吉原講中の名を除きました。豪気の三平も生家の真ん前に、新吉原講中、講元尾張屋三平では、後世角上、新井家の人々へ迷惑が掛かりはしないかとの配慮がなされました。*2

側面には、左 大平山と書かれています。

P.198
越生町のはずれ…
P.204
尾張屋三平は吉…
越生町のはずれ、小川方面と黒山方面の三差路。

歩道橋の階段の下に高さ2mほどの石柱が建っています。
石柱には、以下のように書かれています。*1
(正面)日本無双 左 黒山三瀧道 二里
江戸 正木龍塘 書
(側面)東都 新吉原講中
建之 尾張屋三平
(裏面)慶応元乙丑歳 六月吉晨 助力当村中

側面(西側)。

側面(東側)。

越生市街を南北に縦断する県道30号線(飯能寄居線)沿いに、テーマパークのような場所があります。

越生酒造と書かれた看板。ここが越生酒造の跡地だということが解ります。
「来陽」は、越生酒造の銘柄だったようです。

建物一面にホーロー看板が貼られた建物。

「ライヨウ」と書かれた煙突。

越生市街のバス停「新宿」のところに、曙会館跡の碑が建っています。

曙会館は、昭和21年(1948)に地元有志らが開設した劇場で、最新の芸能文化を提供する娯楽の場として利用されました。昭和20年代後半からは、映画上映が主となりました。(案内板より)

昭和34年(1959)3月の上映プログラム。
当時の上映映画や料金(大人70~90円、子供20~30円)などが解ります。

「桃ぢりめん女大名」は、新東宝時代劇の看板女優の宇治みさ子の男装を売物とする企画。*1

P.72
宇治みさ子の男装を売物とする企画だが、新東宝の時代劇陣にあっては一…
大山阿夫利神社の浅間社の左側にある天満宮。

学問の神様としてひろく崇敬されている菅原社の石碑が建っていますが、その奥にたくさんの名が彫られた石塀があります。

石塀に、新吉原納地会幹部8名の名が刻まれています。ここに名を連ねているのは、他に、四ツ谷の花街など商売の関係者ばかりです。

吉原の実力者、水常楼の伊藤常吉※1~4 などの名が刻れています。

バス通りの「開亀橋」前から左に入り、「千代見橋」までの間は「とうふ坂」と呼ばれる約330mの旧参道で、道幅は昔のままです。ここは昭和40年まで石段のある坂道でした。その道を車が通れるよう舗装したので起伏が激しい急な坂道になっています。*1

道沿いには玉垣に囲われた重厚な構えの宿坊が建ち並んでいます。昔の面影が色濃く残る地区です。*1

道の始点と終点には「とうふ坂」の石碑が立っています。そこには「江戸時代より参拝者たちが豆腐を手のひらに乗せてすすりながらこの坂を上った。」とあります。*1

先導師旅館の軒下には、かつては板まねき(講員の屋号などを彫った板札)が掲げられていましたが、現在はそれに代わって「布まねき」が掲げられることが多くなっています。
