日立(大煙突記念碑)新田次郎文学碑。日立市のシンボル。

今回は、常陸(茨城県日立市)の町並みを散歩します。
かみねレジャーランドから鞍掛山へ向かう途中に、「大煙突記念碑」と「新田次郎文学碑」が建っています。

大煙突は、日立市のシンボルです。

新田次郎文学碑。

「三郎は祈るような気持ちで大煙突を見上げていた。高い、高い煙突の上には青空があった。いつまでも煙突を見上げていると、眩舞いがしそうだった。」

参考文献

参考記事

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日立(大煙突展望台)煙害問題を克服した歴史。

東武練馬(喫茶ボタン)昔ながらのレトロな喫茶店。

東武練馬駅の南口から細い路地を抜けたところにある喫茶ボタン。石材やステンドグラスが使われている概観は人目を引きます。

昔ながらのレトロな喫茶店です。

昭和感のある店内。

ジャンボオムライスとビールを注文。

参考文献

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小田原(日清亭)年季の入った食品サンプル。巨大オムライス。

東武練馬(北町アーケード)ショッピングセンター。

北町楽天地の50mくらい東に、大きな電飾看板の「北町アーケード ショッピングセンター」の入口があります。

昼間でも薄暗い感じの商店街です。

商店街の奥の方には、居酒屋やスナックもあります。

商店街はコの字型になっていて、西側にも出入口があります。

参考文献

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東武練馬(コの字の飲食街)東武東上線の線路沿い。

東武練馬(北町楽天地)昭和にタイムスリップしたかのような小さな飲み屋横丁。

今回は、東武練馬(東京都練馬区)の町並みを散歩します。
東武東上線、東武練馬駅前の旧川越街道沿いに、昭和にタイムスリップしたかのような小さな飲み屋横丁があります。

左右に、2階建ての建物が並び、横丁を形成しています。

横丁の上部には左右に支柱がわたされています。

大衆スナック。

参考文献

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東武練馬(コの字の飲食街)東武東上線の線路沿い。

常陸太田(たか松)南側と西側の2面に装飾があります。

鯨ヶ丘の北側。棚倉街道をさらに北へ進んだ馬場町にも商店街が続いています。

事務用品の「たか松」。

南側と西側の2面に装飾があります。

南側の壁面。

参考文献

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常陸太田(大森文具店)セーラー万年筆の看板。

常陸太田の鯨ヶ丘の北側の商店街にも、古い商店の建物が残っています。

セーラー万年筆の看板のある文具店。
セーラー万年筆株式会社(本店:広島県呉市)は、1948年(昭和23)、国産初のボールペンを発売しました。*1

重厚感のある木製の切り文字。

セーラーのロゴ。
軍港都市・呉から、将来は自らの製品を船によって輸出したいという念願と、ひとりの提督より多くの「水兵(セーラー)」が大切だとの思想により、「セーラー」と命名されました。*1

参考文献

*1
セーラー万年筆SAILORセーラー万年筆 リンク
セーラー万年筆の歴史

「SAILOR」の由来

常陸太田(昇龍)パラペット部分には、太陽の意匠。

東二町の商店街にある「昇龍」。支那そばが名物の店です。

パラペット部分には、太陽の意匠が施されています。屋号の「昇龍」にふさわしい看板建築です。

テーブル席と、座敷があります。

チャーシューメンとビールを注文。

参考文献

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常陸太田(板谷稲荷神社)南側は切れ落ちた崖。芸妓たちが信仰。

板谷坂(ばんやざか)の下り口の脇に、板谷稲荷神社の参道の入口を示す石柱が建っています。

参道を進むと、奥に稲荷神社の鳥居が見えてきます。南側(写真右側)は、切れ落ちた崖になっています。

板屋稲荷神社は、1394から1427年(応永年間)に建立されたもので、佐竹氏累代の氏神です。かつて、芸妓たちは新年の初午にお参りしました。芸妓がいなくなった今では、東町二丁目の氏神様となっています。*1

傍らの石碑には、大雨のたびに何度も繰り返されていた崖の崩壊を防ぐため、明治33年に石垣による大工事が行われた経緯が記されています。

参考文献

*1
額賀せつ子水戸と太田の芸妓たち : 芸妓の今昔(公財) いばらき文化振興財団助成事業K5 ART DESIGN OFFICE.2015.12
太田の芸妓たち

P.90
板屋坂の中間地に板屋稲荷神社がある。かつて芸妓たちは新年の初午にお…

参考記事

常陸太田(狸横丁)芸妓置屋「若小磯」があったあたり。

かつての歓楽街だった東三町の広場になっている場所がありますが、このあたりには、芸妓置屋「若小磯」がありました。*1
若小磯は当時全盛で、常に十余人の芸者がいました。*2

東三町と西三町とをつなぐ路地は二つあって、狢(むじな)横丁※1 と呼ばれる通りがその一つで、もう一つは、狸横丁で、曲がりくねった道で西町へ通じ、待合や芸妓置屋が多い所でした。*2

曲がりくねった道の先は、まっすぐな道が西町へ通じています。

西町側から見たところ。

参考文献

*1
岩間実思い出小学校卒業まで茨城出版企画センター1993.11
表通りの思い出

P.88
東三丁目表通りの家並

P.530
大正14年(1925)から昭和10年(1935)頃までの太田町ついて次のよう…

参考記事

※1常陸太田(狢横丁)待合があった通り。東三町と西三町とをつなぐ路地。

常陸太田(若宮八幡宮)割烹料亭寄進の玉垣。

常陸太田の鯨ヶ丘の北側にある若宮八幡宮。

大正時代初期。祭りや祝い事があると、芸妓の出番になっていました。若宮八幡宮の例祭には、山車が出て、芸妓が山車に乗りました。*1
境内の西側に並ぶ玉垣には、「釜萬」※1(東三町の板谷坂のところにあった割烹料亭)や「㐂可久」の名が刻まれています。

割烹「若柳」。※2

玉垣は、新しいものも混在しています。梶山清六は、常陸太田出身の国会議員(元自民党幹事長)です。

参考文献

*1
額賀せつ子水戸と太田の芸妓たち : 芸妓の今昔(公財) いばらき文化振興財団助成事業K5 ART DESIGN OFFICE.2015.12
太田の芸妓たち

P.90
板屋坂の中間地に板屋稲荷神社がある。かつて芸妓たちは新年の初午にお…

参考記事

※1常陸太田(「若柳」跡)急峻な地形の上に建つ割烹旅館跡。※2常陸太田(「釜萬」跡地)かつての歓楽街。東通り商店街。