常陸太田(都々逸坊の石像)都々逸節の元祖。

JR常陸太田駅の前を水戸方面に向かって南へ約3kmほど。

道路沿いに数本の松の木に囲まれた「都々逸坊扇歌の石像と石碑」がひっそりと立っているのを見つけることができます。*1

都々一坊扇歌は、都々逸節(どどいつぶし)の元祖といわれ、生まれながらの美声と才能を生かして、江戸に出て寄席芸人となり、都々逸節を全国に流行させました。*1

石碑には「磯部田んぼの バラバラ松は 風も吹かぬに 気がもめる」という歌(生まれ故郷の風景を唄ったもの)が書かれています。この歌は都々一坊扇歌が少年時代につくった歌で、当時扇歌が村中を唄い歩き、磯部で流行したと伝えられています。*1

参考文献

*1
常陸太田市教育委員会常陸太田の礎を築いた人たち 2常陸太田市教育委員会2014.3
都々逸坊扇歌

P.7
都々逸節(どどいつぶし)の元祖といわれるのが、江戸時代の終わりに久…

参考記事

江古田(富士塚)江古田浅間神社。国の重要有形民俗文化財。

江古田駅北側にある浅間神社。境内の奥に、国の重要有形民俗文化財に指定されている富士塚があります。

富士塚は、高さ約8メートル、直径約30メートル。築かれたのは、天保10年(1839年)で、都内に残る富士塚の中では、規模が大きなものです。*1

富士塚には、毎年7月1日の山開きの日や正月など、限られた日しか登ることができません(案内板より)。

頂上の鳥居。

参考文献

*1
練馬区練馬区練馬区 リンク
江古田の富士塚

江古田の富士塚は、高さ約8メートル、直径約30メートルの大きさで、通称“江古田…

参考記事

江古田(江戸清)レトロな店構え。「そば」の看板。

旭丘1丁目の通り沿い。「そば」の看板。

レトロな店構えの「江戸清」。

そば・うどんの他、丼ものもあります。

天ぷらそばとビールを注文。

参考文献

参考記事

江古田(江古田湯)昔ながらの薪で沸かす銭湯。

練馬区旭丘1丁目にあるビル型銭湯の江古田湯。

昔ながらの薪で沸かす銭湯です。

入口。

縁側から眺める庭園。

参考文献

参考記事

江古田(野方配水塔)ドーム型の屋根。東京近郊都市化のシンボル。

中野区の哲学堂公園の北側。「水道タンク前」のバス停。バス停の名前の通り、水道タンク(野方配水塔)が建っています。

野方配水塔は、ドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」中島鋭治(なかじまえいじ)博士(1858-1925)の設計です。着工は昭和二年(1927)で、竣工は同4年です。

ドーム型の屋根は、地域の特徴ある景観をかたちづくっています。東京近郊都市化のシンボルです。*1

「江古田の水道タンク」「水の塔」「給水塔」などと親しまれてきました。

参考文献

*1
中野区教育委員会野方配水塔(案内板より)中野区教育委員会2014.2

野方配水塔は、荒玉水道の給水場につくられた塔でした。荒玉水道は、大正12年(…

参考記事

江古田(お食事処)住宅街にある大衆酒場食堂。

江古田から都営新宿線新江古田駅へ向かう途中の四つ角にある「お食事処かなっぺ」。

食堂ですが、酒場のような雰囲気です。

飲み物を頼むとお通しがついてきます。

やきとりを注文。

参考文献

参考記事

江古田(自販機コーナー)1000円ガチャ。18歳未満専用の自販機。

今回は、江古田(東京都練馬区)の町並みを散歩します。
西部池袋線江古田駅から東長崎へ向かう通り沿い。旭丘1丁目に、自販機コーナーがあります。

歩道に面した場所には、食料や飲料の自販機が設置されています。

2列目の自販機は、レアアイテムなどの1000円ガチャ。

3列目は、18歳未満専用の自販機です。自販機前に立つと自動的に明かりが灯ります。

参考文献

参考記事

国府台(柳原水閘)美しい4連アーチの土木遺産。

矢切の低湿地を流れる坂川が江戸川に合流する地点に、柳原水閘(やなぎはらすいこう)の遺構が残されています。坂川は、古記録では「逆川」と記され、洪水時には合流する江戸川から水が逆流し、しばしば湛水状態に陥れました。これを防ぐために建設されたのが柳原水閘です。*1

現在は、その役目を柳原水門が担っています。

柳原水閘は、1904(明治37)年、美しい4連アーチを誇る煉瓦づくり樋門(ひもん)として、建設されました。

ゲートの上部には、柳原水閘(やなぎはらすいこう)と刻まれています。

反対側(南側)から見た柳原水閘

参考文献

*1
土木学会選奨土木遺産土木学会 リンク
柳原水閘 リンク

千葉県松戸市の西部、江戸川左岸の低湿地を流れる坂川は、水運路や農業用水路と…

参考記事

国府台(栗山配水塔)「野菊支」と書かれた電柱プレート。

北総線矢切り駅からも見える栗山配水塔は、1937(昭和12)年竣工した配水塔で、千葉県営水道の要となった施設です。*1

近傍に新設された「ちば野菊の里浄水場」の稼働により、2007(平成19)年度に古ヶ崎浄水場は閉鎖されましたが、栗山浄水場と栗山配水塔は、現役施設として活躍しています。*1

配水塔の円筒形の胴体には、ドーム状の塔屋が被さり、さらに頭頂部には四本の柱で支えられた換気口が備わっています。また、ドームの周囲にはバルコニーがめぐらされた意匠になっています。*1

平成19年に、栗山配水塔の西隣にできた「ちば野菊の里浄水場」の名前は、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」に由来しているそうです。*2
栗山配水塔の敷地周辺の電柱プレートには、「野菊支」と書かれています。

参考文献

*1
土木学会選奨土木遺産土木学会 リンク
栗山配水塔 リンク

1934(昭和九)年3月31日、内務省の認可を受け、千葉県営水道がスタートした。…

*2
千葉県千葉県千葉県 リンク
ちばコレchannel リンク
ようこそ!浄水場へ(5)ちば野菊の里浄水場 リンク

現在、千葉県水道局には5つの浄水場があります。ちば野菊の里浄水場はその中で…

参考記事

国府台(矢切の渡し)寛永八年に幕府が始めた公営の渡し場。

「野菊の墓の碑」から西へ徒歩15分。江戸川が見えてきます。

「矢切の渡し」は、寛永八年に幕府が始めた公営の渡し場で、近郷の木こり、草刈、工作人のみが利用できる渡し船でした。今も残る「観光渡船」矢切の渡しは、都内唯一の渡し船となっています。*1

矢切りの渡しは、小説「野菊の墓」の政夫と民子の別れの場面にも登場します。*2
「船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個ひとつにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。」

時刻表などはなく、渡し場に客がくれば一人でも運航します。

参考文献

*1
新人物往来社江戸史跡事典 下巻谷根千地区・文京区・台東区・墨田区・江東区・荒川区・葛飾区・江戸川区新人物往来社2007
矢切の渡し

矢切の渡しは、寛永八年に関東郡代伊奈半十郎を管理者として幕府が始めた公営の…

*2
青空文庫青空文庫青空文庫 リンク
伊藤左千夫野菊の墓 リンク

 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎり…

参考記事