浦賀(「大乗妙典六十六部供養」の碑)江戸屋半五郎の墓。常福寺。

東浦賀の愛宕山にある常福寺。境内へは長い階段を登っていきます。

「大乗妙典六十六部供養」の碑。(「妙典六十六部」とは、法華経を66部写経し、日本全国(66ヶ国)を巡る修行のこと)

願主、江戸屋半五郎と刻まれています。
江戸屋半五郎は、洗濯屋(遊廓)の主人でしたが、あるとき、江戸で、一人の僧に説教され、自分の商売の罪深さを知り、すべての財産を投げ売り、これを抱えていた遊女たちに分け与え、仏門に入り、修行僧として全国を行脚しました。*1

江戸屋半五郎の墓。
「大誉果向深本法子」の法名が刻まれています。半五郎は、修行僧として全国を行脚の折、紀州の山中で徳本上人に出会い、子弟の関係を結び、「深本」の名をもらいました。*1

参考文献

*1
浦賀古文書研究会浦賀中興雑記浦賀古文書研究会1981.11

P.173
浦賀の遊女屋は、洗濯屋と呼ばれ、この港に出入りする船舶の船乗り仲…

参考記事

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浦賀(叶神社の手洗い石)前面左下に江戸屋半五郎。寛政元年。
浦賀(六字念仏塔)東林寺の三浦稲荷社。
浦賀(柳町の碑)戦後、浦賀港が栄えた頃の歓楽街。

浦賀(ペリー歯科)提督の名を冠した店。

西浦賀1丁目の「ペリー歯科」の看板。鳥居を抜けた先であることが示されています。

叶神社の鳥居の向こう側にあります。

ペリー歯科。

下田のペリーロード※1 や那覇のペリーの名を冠した店舗※2 など、ペリーは親しまれています。

浦賀(うなぎ「梅本」)明治初頭に鰻割烹の店として創業。

今回は、浦賀(神奈川県横須賀市)の町並みを散歩します。
浦賀5丁目の「梅本」。蒲焼の専門店です。
明治初頭に鰻割烹の店として創業し、当時は勝海舟も訪れたそうです。*1
「三浦繁昌記」によると、当時は、離座敷や浴室も完備されていたようです。*2

「蒲焼」の看板。代々受け継がれてきたものだと思います。

浦賀の散歩地図も掲載されています。*3

うな丼とビールを注文。

参考文献

*1
日本ミシュランタイヤミシュランガイド横浜・川崎・湘南 : RESTAURANTS & HOTELS日本ミシュランタイヤ2015.5
梅本

明治初頭に鰻割烹の店として創業。当時は勝海舟も訪れたという。飾り気のない店…

*2
横須賀繁昌記 三浦繁昌記付解説横須賀・三浦繁昌記復刻刊行会1977
岡田緑風三浦繁昌記 リンク
蒲焼料理 浦賀町荒巻 梅本事

弊店蒲焼は、名代にして数年来営業罷在(まかりあり)候事とて其料理に至っては汎…

*3
梅本ようこそ梅本へ梅本 リンク
浦賀散歩 リンク

参考記事

鎌ヶ谷(花束)商店街のスナック。花柄模様の看板。

馬込沢の商店街※1 のスナック店。

「花束」と書いて「ブーケ」と読みます。

花柄模様の看板。

夜の様子。

参考文献

参考記事

鎌ヶ谷(商店街)馬込沢駅の西側。電化ショップ。

今回は、鎌ヶ谷(千葉県鎌ヶ谷市)の町並みを散歩します。
二和川が流れる谷沿いに発達している馬込沢の商店街は、馬込沢駅の西側にも延びています。

電化ショップ。

飲食店もあります。

そば処「大文字」。

参考文献

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川越(天婦羅「てんぬま」)40年以上続く建物。

川越市の西小仙波町1丁目は、かつての花街で、現在も旅館の建物が残っています。※1

天婦羅「てんぬま」。風情があります。

店の前に生える1本松が目印。40年以上続く当店の外観は、当時の面影を残したままの作りです。*1

天丼と日本酒を注文。

参考文献

*1
てんぬまてんぬまてんぬま リンク

店の前に生える1本松が目印。40年以上続く当店の外観は、当時の面影を残したま…

参考記事

※1川越(花街跡)風情のある石畳。当時の面影が残る旧市村旅館。

川越(トンネル路地)2階に丸窓のある長屋の建物。

弁天横丁※1 の奥には、長屋の建物が残っています。

丸窓に竹を配し、2階部分に手すりのある意匠を凝らした置屋の雰囲気をもつ建物が現存しています。

建物の中央部はトンネル路地になっていて、向こう側へ抜けられます。

逆方向から。

参考文献

参考記事

川越(弁天横丁)かつては置屋が建ち並ぶ通りでした。

現在の札の辻の交差点の北側に、レトロなゲートが残る路地の入口があります。

クラブ浮世、ロートレック、小料理悦、パブ河。

「ロートレック」は、現在も営業中です。

かつて、置屋があった頃の雰囲気が残る路地。細い路地は、微妙に折れ曲がっています。*1
川越の花柳界は明治10年前後に起こり、明治26年の川越大火後にさかんになりました。本町(現元町1丁目)の裏宿あたりに芸妓置屋と待合茶屋が雑居し、「川越遊園地」と呼ばれていました。*1

参考文献

*1
いき出版川越市の昭和 写真アルバムいき出版2012.12

P.15
蓮馨寺(れんけいじ)境内中央では季節ごとに芸者衆の踊りや演芸大会が…

参考記事

川越(スカラ座)明治38年、寄席としてスタートした歴史ある映画館。

一番街商店街から東へ入った通りに、映画館のスカラ座があります。

スカラ座は、1905年(明治38年)「一力亭」(寄席)としてスタートした歴史ある映画館です。*1

入口。

建物は、1945年(昭和20年)築で、建物側面をトタン板とモルタルで覆った倉庫、または小屋のような造りになっています。その外装は1986年(昭和61年)に変更され、建物の正面と側面の一部は白いタイルで覆われています。*2

参考文献

*1
プレイグラウンド川越スカラ座の歴史プレイグラウンド リンク

1905年(明治38年)「一力亭」(寄席)としてスタート
1907年(明治40年)「…

*2
「川越の建物」編集委員会川越の建物 近代建築編仙波書房2021.5
川越スカラ座

P.53
川越市内にはかつて9館もの映画館がありましたが、年々数が減り、「川…

参考記事

川越(小便小僧)川越街道沿いの石材店。

川越街道沿いにある石材店。1階はショールームになっていて、商品の石材が陳列されています。

小便小僧も販売しているようです。

小便小僧の前には、日本庭園でみかける「ししおどし」(竹筒の水がいっぱいになると、重みでパッタンとなる仕組み)があり、ここに、小便が注ぎ込まれるよう配置されています。

この日は、水が出ておらず、少し残念でした。

参考文献

参考記事