川越(佐久間旅館)川越で由緒ある旅館のひとつ。登録有形文化財。

松江町にある佐久間旅館は、川越で由緒ある旅館のひとつです。*1

佐久間旅館の奥の間は、登録有形文化財に指定されています。*1

長大な板壁。

建物の側面。

参考文献

*1
文化庁文化遺産オンライン文化庁 リンク
佐久間旅館奥の間 リンク

登録有形文化財(建造物)

<…

参考記事

川越(笹寿司)入りたくなる店。勇気の一歩。

川越の商店街沿いにある寿司店。

江戸前寿司の暖簾。

「入りづらい店。」「勇気の一歩お願い。」と書かれた貼り紙を見ると、入りたくなります。

ちらし寿司と日本酒を注文。

参考文献

参考記事

川越(丸広百貨店)人工芝生の広場。かつては屋上遊園地。

今回は、川越(埼玉県川越市)の町並みを散歩します。
丸広百貨店の川越本店は、地域に密着した老舗百貨店です。

以前は、屋上に遊園地がありましたが、残念ながら閉園し、現在は人工芝生の広場になっています。

稲荷神社もあります。

近くにあった「丸広」の電柱番号札。

参考文献

参考記事

松戸(的中童子)松戸けいりん。的中。見通し。

松戸競輪場(松戸けいりん)の場内に設置されている童子像。

作者の籔内佐斗司(やぶうち さとし)さんは、仏像彫刻の研究家です。*1

競輪場に入ったところにある「お見通し童子」。

「見通し=的中」を象徴する像です。

参考文献

*1
松戸競輪場松戸けいりん松戸競輪場 リンク
アートコレクション リンク

作者の紹介 ~ 籔内 佐斗司(やぶうち さとし) ~

松戸(蕎麦店)競輪場近く。北松戸駅北口。

北松戸駅北口から徒歩5分のところに松戸競輪場があります(写真右奥)。

競輪場前の通りにある大衆そば処「やまわ」。

店内にはテレビが設置されていて、競輪のレースの模様を放映中です。

天婦羅そばとビールを注文。

参考文献

参考記事

松戸(ブラジャーの店)松ノ木橋近くの居酒屋。

松戸市根本の松ノ木橋近く。川沿いに、やきとりやと居酒屋が入る商業ビルがあります。

和みの店「さんちゃん」居酒屋です。

ブラジャーと言えば、ブランデーをジンジャーエールで割った、横須賀の若松マーケット生まれのカクテルが有名ですが、同様のものが松戸にもあります。*1*2

無料の貸し傘もあります。

参考文献

*1
若松マーケット若松マーケット若松マーケット リンク
横須賀ブラジャーとは? リンク

ブランデーをジンジャーエールで割った、若松マーケット生まれのカクテルです。…

*2
テレビ朝日珍百景テレビ朝日 リンク
ブラジャーを販売する居酒屋さん千葉県松戸市 リンク

登録ならず
居酒屋「さんちゃん」の入口にはられた「ブラジャーあります」と…

参考記事

松戸(マンダムの看板)松ノ木通り近くの薬局。

松ノ木通り近くの交差点にある商店だった建物。

「東京堂薬局」と書かれています。

前面の看板建築部分に残るマンダムの看板。

マンダムのロゴ看板。※1
チャールズ・ブロンソンがCM「うーんマンダム」(1970年)は、外国人CMのはしりでした。*1

松戸(レトロ電柱)かつての遊廓街。老朽化が進んでいます。

かつて、平潟遊廓があった通り。マンションの建物の脇にレトロ電柱が残っています。

しっかりと建っているように見えます。

背面にあるスイッチの格納部分。

錆びた鉄骨がむき出しになっており、老朽化が進んでいる模様です。

参考文献

参考記事

松戸(車地蔵)来迎寺。車地蔵」は、飯盛女供養のために建てられた地蔵尊。

今回は、松戸(千葉県松戸市)の町並みを散歩します。
来迎寺※1 の入口に一風変わった石塔が建っています。

この石塔が一風変わっているのは、正面下部を縦長の長方形にくりぬいて、六道輪廻を意味する石車が取り付けられた痕があることから「車地蔵」と呼ばれています。*1

石車を入れたくり抜きの痕。

風化して、ほとんど読み取れませんが、女人(おみの おつや おろく はな)の名が刻まれています。この「車地蔵」は、飯盛女供養のために建てられた地蔵尊であると考えられています。*1

参考文献

*1
榎本正三女たちと利根川水運崙書房利根川叢書 ; 4崙書房出版
飯盛女と車地蔵松戸・平潟河岸

P.169
墓地入口に地蔵菩薩が安置されている。手前にあるのが一風変わってい…

参考記事

※1松戸(来迎寺)九十九楼が大正13年に建てた遊女の墓。

鎌ヶ谷(鉄道連隊橋脚)新京成電鉄の開業に伴い残された遺構。

東道野辺6丁目のアカシア児童遊園内に、巨大なコンクリートの構造物が遺跡のように建っています。

遺跡のようにそびえたっています。

この橋梁(史跡)は、旧日本軍の鉄道大隊が建設した鉄道の一部です(案内板より)。
戦後、線路の大部分は、新京成電鉄に移管されましたが、一部のルートが変更となっため、橋脚のみが残ったようです。

遠くから眺めると、この辺りの窪地の地形を回避するための橋りょうだったことが解ります。

参考文献

参考記事