東上野三丁目のビル街。通り沿いには、仏壇店が連なっています。(写真の左右の店舗はいずれも仏壇店です。)

通りを南へ入ったところにあるラブホテル。

モダンなデザインの入口。

反対側(南側)から。

げきじょう・せいくうかん
東上野三丁目のビル街。通り沿いには、仏壇店が連なっています。(写真の左右の店舗はいずれも仏壇店です。)
通りを南へ入ったところにあるラブホテル。
モダンなデザインの入口。
反対側(南側)から。
今回は、幕張(千葉県千葉市花見川区)の町並みを散歩します。
JR幕張本郷駅の南側。京葉道路幕張インターの東側にラブホテル街に、宇宙船の形をしたラブホテルがあります。
正面入口。
入口のゲートには、ロケットを模したオブジェ。
宇宙船の丸窓。
今回は、新小岩(東京都葛飾区)の町並みを散歩します。
新小岩二丁目の住宅街。
児童公園の隣に大ゲートが出現します。
住宅街の中のラブホテル。
L字型の小路を抜けると反対側にもゲートがあります。
鶯谷のラブホテル街は、駅前の言問い通りの南側が中心ですが、言問い通りの北側にも大規模なホテル街が立地しています。
敷地内に祠のあるラブホテル(写真中央に祠の屋根が見えます。)
メインの通り。
西側には、高層階のホテルが建ち並んでいます。
上野6丁目の繁華街にはレンタルルームが数軒点在しています。最近、繁華街で多く見かける業態です。
1階がラーメン店。2階がレンタルルーム。
赤い看板のレンタルルーム
英語と中国語の看板。
真金町2丁目の旧遊廓街の北側の通り。中央に緑地帯を持つ道幅の広い道路です。
ラブホテルの建物。
入口には、フリータイムとSTAYの2つの看板。
古い看板。
JR石川町駅前の高速道路の向こう側は、ラブホテル街です。
まるでマンションのような外観のホテル。
老朽化が進んでいますが、近日中に建て替えが計画されているようです。
最近建てられたと思われる上層階に露店風呂が設置されたホテル。周囲はマンションが建ち並んでいますが、ホテルもマンションと同じような外観です。
野毛の繁華街の中心部。四つ角にホテルがあります。ホテルのビルの1階には、串カツ店などの飲食店舗が入っています。
入口。
西側の小路のホテル側は、木製板塀になっていて、そこには昭和を感じさせるホテルの裏口があります。
ホテルの裏口。
川崎南町の北側の通り。
ストリップの川崎ロック座が営業中です。
レトロな大看板。nudetheater(ヌードシアタ)と書かれています。
建物側面の階段。
権田原バス停の近く。
権田原のハッテンバの第一エリアだった公衆トイレは、最近リニューアルされたようです。
権田原の地名を冠した公衆便所です。
JR信濃町駅前の歩道橋から、権田原公衆便所方面への遠望。
JR信濃町駅を下車し、外苑東通りを南へ進むと、「権田原(ごんだわら)」の交差点があります。交差点の角には交番があって、交差点の北東側に、明治記念館。南東側に東宮御所、西側に明治神宮外苑が立地しています。
かつて、このエリアは、「権田原」という名のハッテンバでした。ハッテンバとは、ある一定の場とか施設が時間帯によってその機能を変質させられ、男性の同性愛者の性行動をうながす場となっているところを指しています。そこは、公園であり、公衆便所なのですが、夜になるとどこからともなく集まってくる男たちによって、開放的な性行動の場に変質させられました。権田原のハンテンバのエリアは、第一エリアから第三エリアと呼ばれる三ヶ所があって、その最盛期は、1961年から1971年までの10年間でした。第一エリアは、権田原バス停近くの公衆便所、第二エリアは、明治神宮外苑の森の入口の公衆便所で、第三エリアは、第二エリアの南側の前方の小公園でした。*1
1964年、東京オリンピック開催のため、第一エリア周辺が道路整備事業の対象区域となると、人々は向かい側の第二エリアに移動しました。やがて第二エリアも柵がめぐらされ、入口が閉ざされてしまうと、人々は第三エリアに移動しました。
ところが、第三エリアに隣接した都営住宅の住民の騒音拒否運動の抵抗にあい、住民の都への働きかけによって、東京都公園管理事務所は、夜間は閉門の措置をとったため、権田原のハッテンバは消滅しました。*1
現在も、そのためか、夕方16:30以降、公園の門は閉ざされます。
【参考文献】
*1 現代風俗研究会:現代遺跡・現代風俗91(リブロポート,1990)P.168-P.175
今回は、津田沼(千葉県習志野市)の町並みを散歩します。JR津田沼駅の西側。JRの線路と御成街道ど斜めに交差する地点に、ラブホテルが建っています。ビルの前面が広告スペースになっている狭小建物です。
突端部分に入口。狭小建物の特徴※1 です。
入口を廻り込むようにして裏側へ回る通路があります。
地元の人のみが利用するホテル裏側の通路。写真右側のフェンスの向こう側はJRの用地です。
今回は、成増(東京都板橋区)の町並みを散歩します。
成増駅南側は、駅前の繁華街です。
現在、成増会館がある場所には、映画館の成増国際劇場がありました。
踏切を渡って、線路沿いを北西方向へ進んだあたりには、映画館の「成増東映」がありました。
近くには、「成増北口商店街」のゲートがありますが、商店街らいしい雰囲気はありません。
今回は、下北沢(東京都世田谷区)の町並みを散歩します。
「若者の街」として紹介されることが多い駅前の商店街。
商店街の中にひっそりとラブホテルが佇んでいます。
商店街の西側(小田急線の線路沿い)。閑静なたたずまいの割烹店。
割烹店が入っているビルは、ホテルです。
登戸駅の北西側にある旅館「新雪」。
落ち着いた感じの和風旅館の佇まいです。
「ご休憩」もあります。
もう一つの入口。
今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します・
JR西船橋駅(北口)。写真奥は、西船橋駅です。
飲食店などが多い通りですが、雑居ビルの中に簡易なホテル。質素な看板です。
少し離れた場所にもう一軒。
レストホテル。休憩専用のホテル、という意味でしょうか。
船橋市の海老川沿いの住宅街。このあたりは、道幅の狭い昔ながらの路地が残っています。
立派な門構えの家。
木が生い茂る中に残る「旅館妙泉」の看板。
裏口付近。
栄町の風俗街の中には、無料案内書が点在しています。
旅館の建物。ローマ字で「ryokan」と書かれています。
旅館の建物の裏側。
スナックビルの中の案内所(写真右下)。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。
以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。
この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。
2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。
池袋駅北口を出て通り沿いにある地得ビル。
1階にある老舗映画館の「シネロマン池袋」。
都内では数少なくなった、成人映画館です。
映画館の入口。
新小岩駅南口の繁華街は、街全体が碁盤の目のように区画されていて、それぞれの街路が商店街となって南東方向へ続いています。
ルミエール商店街の1本隣の商店街「一番街」もそのうちの一つです。
この通りは、エステが多いです。
さらに南東へ行ったところにもピンク色の看板。
健康マッサージ。
小岩駅南口の商店街「フラワーロード」を南下し五差路を左に折れます。
電柱には「日活」の文字。
かつて、この場所には、日活の映画館がありました。1968年頃までは、日活の名を冠し、その後はスカラ座と改名しました。
南小岩コミュニティ会館、全景
JR小岩駅の北側の路地。
お城。
昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。
ホテルの隣に質屋。※1
高田馬場の繁華街「さかえ通り」を100mほど進んだあたり。南側に細い路地があります。
卓球場の角に建つホテルの電柱看板。
この付近は、小規模なホテル街になっています。
逆方向から。
浅草の国際通り沿い。
韓国焼肉&エステの看板。韓国といえば、焼肉とエステですが、同じビルの中で両方を味わうことができるようです。
健康マッサージの看板。看板だけが残されていて、店舗は無い模様です。
火花。
浅草の浅草寺の東隣にある旅館「一富士」。
落ち着いた佇まいの和風旅館です。
白い塀に、一富士の看板。
一富士旅館。
五反田の有楽街には、多数の案内所が密集しています。
ピンク色の大型看板。
昼間から営業しています。
自販機にも風俗案内所の文字。
飛鳥山公園(写真奥)の南に建つゲストハウス。
ゲストハスウスの全景。
屋上に「ホテルあすか」の看板が残っています。
飛鳥山公園から音無川方面の遠望。
大井町の池上通りの仙台坂上の交差点から、西へ入ったところ。閑静な住宅街が続きます。
大井町に1軒だけあるラブホテル。
シンプルな入口。
午前と午後はフリータイム制です。
鶯谷のラブホテル街の中にある無料案内所。12年前(2006年)のとき※1 と変わらず盛況です。
ビルの1階に2軒が建ち並んでいます。左側の店舗は、セルフ案内所。
駅近くの食堂「信濃路」近くにある無料案内所
無料案内所の看板。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR鶯谷駅は、吉原ソープランド街への最寄り出来です。南口の駅前ロータリのタクシー乗り場は、吉原からの送迎者が発着する場所でもあります。
北口の駅前。こちらも待ち合わせ場所としてよく利用されます。
富士銀行前の交差点も送迎者の発着場所として利用されているようです。
張り紙。
今回は、駒込(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
駒込駅の南側。線路沿いの坂道の途中に建つ旅館「江戸駒」。昭和30年代のオールドファッションスタイルです。
和風の佇まいは癒されます。
全室和室で、数寄屋造り。次の間付きです。
懐かしのスタイル。価格も安価です。
大塚駅南口のサンモール商店街のゲートを入り、50mほど進むと、五差路になった広場に出ます。交差点の角に大塚鈴本ビル(写真左側)が建っています。
交差点角にある大塚鈴本ビル*1
地下1Fに「鈴本キネマ」。3Fに「大塚名画座」がありました。*1*2
1977年の雑誌「ぴあ」*2 によると、「大塚名画座」は洋画。「鈴本キネマ」は、邦画と成人映画が上映されていたようです。
現在も、ビル名に鈴本の名が残ります。
錦糸町駅の南側。錦糸堀公園裏から首都高速7号線にかけて、錦糸町のラブホテル街が広がっています。中でも竪川第一公園沿いの通りは、高級感のある建物が建ち並びます。
北側の通り。ホテル街のメインの通りです。
錦糸町には、珍しい和風の店。
夜の様子。
新橋駅ガード脇に、屋号の表示の無い謎のビルがあります。
18禁マークがずらりと貼られています。
入口。店の屋号の表記はありません。2階が入口です。
近くにもう一つ、18禁マークだけの看板。こちらは地下1階です。
四谷四丁目の外苑西通り。旧大木戸花街の東側に、旅荘への入口があります。看板には、旧花街※1 にある2つのホテルの位置も示されていますので、経営が同じなのかもしれません。
現在も「旅荘」という呼び名で営業中です。
北側の入口。
閑静な住宅街(写真右手は、大木戸子ども園)の中にあります。写真の奥の鳥居は、田安稲荷神社。
小作駅前の飲食店ビル。このビルの1階に無料案内所が入っています。
かつての小作は、奥多摩方面では、数少ない風俗店のある町でした。*1
ビルには空き店舗もあるようです。
無料案内所。
派手な看板が乱立しています。
福生のスナック街の東側。古いホテルが建っています。神社が隣にある不思議な空間です。
「ホテル徳川入口」の看板。
神社から逆方向を見たところ。ホテルの裏側は段丘になっていて、建物は連続しています。
丘の上のホテルは、近代的なホテルに生まれ変わっています。
今回は、武蔵小金井(東京都小金井市)の町並みを散歩します。
JR中央線武蔵小金井駅北口を出て約300m。けいやき通りに映画館の名画座がありました。*1
名画座は、ふとん店の東隣の敷地にありました。
1970年代は、主にポルノ映画が上映されていました。
1977年の雑誌「ぴあ」を見ると《田中絹代さんを偲んで》と題し「サンダカン八番娼館・望郷」が上映されている他、《日活ロマンポルノ決定版》では、宮下順子さんや谷ナオミさんの作品が上映されています。*2
現在は、駐車場になっています。
東伏見4丁目交差点の看板※1 に導かれて、青梅街道を西へ進み、東伏見稲荷神社近くが、ホテルへの入口です。
広大な庭園を持つホテル。
かつては、モーテルだったようです。*1
レトロな電飾看板。
「旅荘」と書かれています。
今回は、吉祥寺(東京都武蔵野市)の町並みを散歩します。
吉祥寺駅北東側の繁華街の狭い通り。「ニューヨーク」と書かれたラブホテルの看板が確認できます。
交差点の角に面した大きな建物です。
JR中央線の高架を挟んだ南側。ギリシャのコリント式オーダー(建築様式)の円柱を持つ建物が現れます。
以前は、駐車場でしたが、ホテルが出来たことにより、通り抜けできなくなっています。
上大岡駅前の国道21号線沿い。旧道と合流する三角形の部分に巨大なラブホテルが建っています。
先端の緑地帯部分の看板。
京急線の高架と交差する場所にある狭小ラブホテル。
男女の看板。
天王崎橋から、堀川沿いの西側の通りへ入るとラブホテルが密集する一画があります。
ピンク色の外壁。
夜の様子。
ライトアップされて華やかです。
宮西国際通り商店街近くの細道。
細道を抜けると、商店街の裏側に出ます。
いっそりと佇むラブホテル。昭和50年の住宅地図*1 によると、この場所には「旅館玉栄」がありました。
隠れ家的な雰囲気の路地です。
【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:府中市(日本住宅地図出版,1975)P.51
浅草には、ラブホテルが散在しています。ひさご通りの商店街から脇道に入ると、ピンク色の光を放つラブホテルがあります。
さらに進むと、花やしきの裏手に出ます。ここにもラブホテル。
言問通りからの遠望。
浅草寺の東側にある隠れ家的ラブホテル。
今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
浅草六区の交差点の角に「浅草東洋館」と「浅草演芸ホール」が併設された建物(写真左側)が建ちます。
渥美清やビートたけしなど、数多くの役者や芸人を輩出した「浅草フランス座」が平成12年より「浅草東洋館」として生まれ変わりました。(案内板より)
フランス座は、昭和26年にオープン。昭和34年に東洋劇場として、軽演劇とショーとストリップとなりましたが、昭和39年、寄席とストリップとなりました。*1
浅草フランス座出身の芸人。
昭和23年以来、浅草ロック座の楽屋へ通い続けた永井荷風は、昭和28年にフランス座の楽屋を初めて訪れています。*2
【参考文献】
*1 佐藤洋一:あの日の浅草(武揚堂,2007)附図
*2 堀切直人:浅草 戦後篇(右文書院,2005)P.232
西蒲田6丁目。通りの向こう側にホテルの看板が見えます。
多摩堤通り。ホテルへの入口を示す多数の看板。
趣のある路地。隠れ家的な雰囲気のラブホテルです。
屋上の看板には、ビジネスホテルと書かれていますが、「ビジネス」の部分が白く塗られて消された跡があります。
ロサ会館の裏側の通り。
池袋では、風俗紹介所と思われる18禁マークだけが看板に描かれた事務所を見かけます。
大きな看板。
紹介所ですが、派手な装飾は無く、18禁マークの看板だけが取り付けられています。
西浅草に、東京遺産ともいえそうなホテルがあります。
あちこちに庭石が配置されている和風のホテルです。
料金は、1席、2席、...と時間帯や宿泊・休憩に関係ない、コマ数単位の料金体系となっています。
残念ながら、昨年閉店しました。
西浅草(国際通りの西側)は、ラブホテルが散在する一画です。
競馬中継が楽しめるホテルもあります。
ホテルと同じ屋号のカラオケボックスが道路を挟んで並びます。
国際通りに面したカラオケボックス。
東急線の高架近く。
ラブホテルの立地の原則通りとでも言えそうな、線路沿いの場所のラブホテルです。
このあたりも、新丸子三業地の一画で、この場所は、旅館「こまどり」があった場所です。*1
ホテルの東側を回り込んだ路地の両側には、旅館「くるみ荘」や料亭「丸子荘」などがありましたが、現在は面影はありません。
【参考文献】
*1 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79
大綱橋北詰を西に入ったところに、ラブホテルが数軒建ち並ぶ一画があります。
綱島有料駐車場(写真左側)が隣接しています。
ホテルをご利用のお客様は無料です。
待合所まであって、至れり尽くせりです。
神田駅周辺には、ラブホテルはありませんが、新旧のレンタルルームが多数あります。
新しいレンタルルームもオープンしています。
ビデオ鑑賞店に隣接するレンタルルーム。
駅の西側のビジネス街の中にあるレンタルルーム。
巣鴨駅近くの山の手線の線路沿いは、小規模なラブホテルエリアになっています。
公園の隣にあるラブホテル。
巣鴨駅前の陸橋から見えるホテル。
線路沿いの道路に面して入口があります。
飯田橋駅近くにあるぎ。ギンレイ劇場。
ギンレイ劇場の建物の西側は成人映画館の「くらら劇場」になっています。
入口へは、階段で地下1階に降ります。
近日上映のご案内。
道玄坂の周辺には、ここ数年で多くの風俗案内所ができました。特に道玄坂小路周辺に密集しています。
1階には、出会いカフェが併設されています。
渋谷最大の案内所。
ビルの地下の案内所。
JR蒲田駅東口の中央通りは、飲食店が建ち並ぶ繁華街です。
「エステ」の大看板。
高級感があります。
隣の通りのアカスリ店。
エステの店舗が密集しています。
柳通りには、多数のラブホテルも立地しています。
53年もの長きの間、営業してきた老舗ホテルも廃業しました。
モダンな曲線のデザインのホテル。表玄関には、「駅前再開発事業施行地区」を示す看板が取り付けられています。
裏玄関。路地の表側と裏側でそれぞれ玄関を持っているのが、柳通りのラブホテルの特徴です。
吉祥寺の南口から井の頭公園にかけての界隈には、「旅荘」が多くありました。*1
現在は、閑静な住宅街ですが、当時の名残と思われる旅館があります。裏口は塀で囲まれています。
井の頭公園の東側にあるひょうたん橋から坂を上がったあたりにも、旅荘がありました。昭和40代の旅荘は、現在のファッションホテルとは異なり、一見料理屋風の建物でした。写真の左側に旅荘「利根川」、右側に旅荘「安楽」がありました。*1
旅荘「安楽」があった通り。
【参考文献】
*1 土屋恂:吉祥寺消えた街角(河出書房新社,2004)P.103,P.106
吉祥寺駅から井の頭公園へ向かう坂道。
坂を下りきったところに、風情のある旅荘があります。
旅荘の裏側のお客様入口。
昭和初期の雰囲気を伝える佇まいです。
不忍池は、江戸時代、有数の出会い茶屋の密集地帯でした。*1
「江戸名所図会」の「不ばずの池、中島弁財天社」や歌川広重「名所江戸百景」の「上野清水堂不忍ノ池」を見ると、池の中央部に中島が築かれ、中島のまわりを、水面に突き出すようにびっしりと建物が取り囲んでいますが、これらはすべて茶屋で、そのうちの何軒かは出会茶屋でした。*1
このあたりにも、かつては茶屋が並んでいたのだと思います。
現在の池畔には観光客向けの茶店が建ち並んでいます。
【参考文献】
*1 永井義男:江戸の下半身事情(祥伝社,2008)P.32
今回は上野(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
上野駅不忍口前は、昭和雰囲気を色濃く残している場所です。
「上野オオクラ劇場」。”ADULT MOVIES”の看板が目立っています。
現在は、新館に移転しています。
「毎日オールナイト」の看板。
日暮里駅周辺は、最近になって再開発が行われた結果、高層ビルや高層マンションが林立する町並みとなりましたが、西日暮里方向には、昔からあるラブホテル街が健在です。
日暮里駅北側。
日暮里のラブホテル街は高架沿いに発達しています。
「風俗デリバリーの利用OK」。
舎人ライナーの高架が横切る日暮里駅前の近代的な町並みに混じって、古びた旅館の建物が1軒あります(写真奥)。
繊維街として発展した頃の日暮里には、このような旅館がたくさんあったのかもしれません。
モルタル造りの建物。
玄関付近は、竹で装飾されています。
谷中のおせんべい屋さん。下町ではよく見る風景です。
おせんべい屋さんの脇には、ラブホテルの看板。
カーブを描く路地の奥にラブホテルがあります。
古い煉瓦塀が周囲を遮断していて、隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。
今回は、日暮里(東京都荒川区)の町並みを風俗を散歩します。
JR日暮里駅の西側にある「夕焼けだんだん」は、谷中では有名な夕焼けの絶景スポットです。
夕焼けだんだんの階段の上に、「富士見ホテル」の大看板があります。
細い路地をいくと、奥に富士見ホテルがあります。
ひっそりとしたホテルの入口。
ひさご通りの西側に、ビジネスホテルが密集する一画があります。
商店やスナックなどが建ち並んでいます。
ホテルの大看板。
ホテルの提灯。
ロック座は、昭和22年にオープンし、23年よりストリップを開始し、昭和58年に休館となりますが、その後復活しました。*1
経営母体を替えながら、今でも同じ場所場所で営業を続けているストリップ劇場です。*1
昭和20年代に次々と造られた浅草のストリップ劇場は、浅草座や美人座などストリップ専門の小屋もありましたが、ロック座は、ストリップショー1時間半に軽演劇1時間という時間割を定めて演劇に力を入れていました。ロック座の初代軽演劇部門の初代座長は伴淳三郎でした。*2
女性は、割引です。
懐かしいアイスキャンディー売りの自転車がとまっていました。
【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の浅草(武揚堂,2007)P.37,付録地図
*2 堀切直人:浅草 戦後篇(右文書院,2005)P.207
インターチェンジ沿いには、「ホテル京浜」以外にも数棟のホテルが立ち並んでいます。
複雑な形をした歩道橋の向こう側にホテルが見えます。
インターチェンジの南側。
人目をひく概観のホテル。
今回は、今井町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
戦後のモータリゼーションの進展に伴い、日本でもアメリカのモーテルを真似たホテルが道路沿いに建てられました。
日本初のモーテルは、石川県の「モテル北陸」であると言われていますが、「モテル北陸」はドライバーの休息を目的としたものであったため、本格的な日本初のモーテルは、横浜の東名高速道路のインターチェンジ近くにつくられた「モテル京浜(ニュー京浜)」でした。
ガレージ式ラブホテル。
入口を示す看板。
道路から見ると目立ちます。
新宿区役所裏の老舗のファッションヘルス店のある路地。
「レンタールーム」と書かれた元旅館の看板。
青いタイルで全面が装飾されています。
宿泊料3500円の貼り紙。
総武線の高架沿いに、お城のラブホテルがあります。
城郭を模したラブホテルの特徴である「狭間胸壁」(兵士が身体の一部を隠したままで射撃したり戦ったりするための隙間)と「張り出し狭間」(持ち送り支持構造の間に開いた床の開口部から攻撃者に向かって岩石を落とすための穴)がしっかりとデザインされています。*1
城郭を模したラブホテルの3つ目の特徴である「小塔」(狭間胸壁の上に、建物の外周に沿って不規則に配置されている円錐形の屋根を頂く構造物)はありません。
屋上には、「狭間胸壁」がデザインされています。
窓には、像と欄干。
【参考記事】
*1 風俗みちくさ 「中世の城郭を模した風俗建築(その1:ラブホテル建築の場合)
西船橋でよく見かける18歳未満入店お断りの看板。店の名前は書かれていません。
このビルの4階に店があるようです。
駅前の商店街から西へ延びる通り。
別の場所にも同様の看板。デリヘルの紹介所でしょうか。
JR目黒駅から急な下り坂の行人坂を下ると、急坂が目黒雅叙園の入り口で終わって太鼓橋に出ます。目の前を流れる目黒川沿いには、桜並木の続く遊歩道が整備されていて、桜のシーズンには多くの見物客で賑わいます。
川のほとりに、中世の城郭建築を模したラブホテルの「目黒エンペラー」があります。
昭和49年、「目黒エンペラー」の出現は、ラブホテル史を大きく塗り替えました。「目黒エンペラー」は、ラブホテルの代名詞となる画期的なラブホテルでした。外観だけでなく、内装もまた金をふんだんに使ったと言われ、仕掛け小道具も時代の先端をいくものでした。*1
当時の週刊誌やテレビは、競ってこのめずらしい豪華ラブホテルについて報じました。*1
ピンク映画もこのホテルを舞台に撮影され、また、テレビコマーシャルを行ったのもこの「目黒エンペラー」が最初でした。*1
【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩声社,1983)P.77-P.81
今回は、目黒(東京都目黒区)の町並みと風俗を散歩します。
駅の北側に向かうとテレクラの看板が目に入ります。
1階のハンバーガーショップの入口の真横にテレクラの看板があります。テレクラは、会話を楽しむ場所として発祥しました。
2階はマッサージ店。飲食店などの看板が乱立しています。テレクラの入口は、このビルの左奥にあるようです。
戦後の旅館(旅荘)ブームの中で、雨後のたけのこのように盛んに建てられた旅館の群れ。のちにその多くが、最新のホテルに改築されましたが、東京の下町に、和風の味を残して、いまも営む旅館があります。*1
旅館「夕月」は、昭和26年頃の浅草の火災保険特殊地図*2 にも記載されている当時のままの旅館です。
旅館「石水」。
この付近には、他に昭和28年開業の旅館「成駒屋」(2000年頃まで現存)がありました。*1
落ち着いた佇まいです。
【参考文献】
*1 双葉社:夢空間ファッションホテル名商・巨匠の物語(双葉社,1999)P.26
*2 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の浅草(武揚堂,2007)あの日の浅草(火災保険特殊地図)
浅草の六区ブロードウエイ商店街にあるアダルト映画館の浅草世界館。
入口には、映画のポスタが並べられています。
ちょうど、アダルト映画のポスタがバックに入るアングルに、記念撮影用の顔ハメ看板が設置されています。
「本日オールナイト」の看板。
歌舞伎町のコマ劇場前の通り。
最近は見かけることが少なくなったピンクビラが、支柱や電話ボックスに張り付けられています。
一方通行の交通標識。
ピンピラは、何度も剥がされ・貼り付けられます。
今回は、歌舞伎町(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
歌舞伎町の18階建て複合ビル「東京都健康プラザ『ハイジア』」。
道を挟んだ東側には、ラブホテル街があります。
ハイジア前の歩道は、数年前まで、路上に「立ちんぼ」がたむろす売春スポットでした。
浄化対策が進んだせいか、最近は「立ちんぼ」を見かけなくなりました。
円山町のラブホテル街。
ホテルの壁面に公衆電話が備え付けられています。
ホテルの利用者は、公衆電話を使用することが多いことを見込んで備え付けられているのでしょうか。
ちらし等、はり紙、落書、おことわり。
「新宿二丁目東」交差点は、ゲイの街「仲通り」の入口にあたる場所です。
その「新宿二丁目東」交差点の南側に、ガラス張りのビルがありますが、この場所には2006年頃まで「ラシントンパレス」という新宿二丁目の特殊性を象徴するようなテナントビルがありました。その最上階をまるまる占めていたのは、「スカイジム」というゲイ専用のサウナで、ハッテンバ(ゲイの性の社交場)でした。*1
ラシントンパレスは、戦後新宿二丁目では一番早く建てられた大きなビルで、羅府飯店が中国名でした。*1*2
ビルの裏の路地。
路地の反対側にはアーチがあって、昔の雰囲気を伝えています。
【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.120,142-P.143
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108
駅間のロータリーから南東方向の住宅街に、昭和26年頃、連れ込み旅館が急増しました。また、国立駅付近に稲荷神社をつくって、その門前町に特殊飲食街を建設しようとする計画もありました。*1
下宿屋が学生を追い出して旅館に鞍替えするところも現れ、また、子供が銭湯で性病に感染したことが、これは売春婦からうつされたものだという噂が流れました。*2
昭和26年、この連れ込み旅館を追放しようとする浄化運動が起こりました。避難の主な対象となったのは、付近の国立ホテルと新国立ホテルの2軒でした。安眠妨害になるほどの嬌声やダンス騒ぎ、出入りする自動車の爆音など、旅館の近くに住む主婦たちの訴えから持ち上がったものでした。*1
国立ホテルがあったあたり。*1
新国立ホテルがあったあたり。*1
浄化運動を推進する人々は「文教派」と呼ばれ、町議会で、国立の「文教地区指定」を決議することを目標にしました。一方、「反対派」は、「経済発展のためには文教地区指定は障害になる」「町がさびれ税金が高くなる」「文教派の運動は、反米の政治運動だ」だと非難し、一部の町民を動揺させました。これに対して文教派は、国会やマスコミにも訴え、世論で反対派を包囲することにより、町議会で議決を勝ち取りました。*2
【参考文献】
*1 りべらる(昭和26年9月号)P.86-P.93「学園都市『春の宿』追放騒動記」
*2 「くにたちの歴史」編さん専門委員会:くにたちの歴史(国立市,1995)P.207-P.211
風俗店が密集する新橋駅烏森口の飲み屋街には、無料案内所もたくさんあります。
派手なネオンの案内所。
こちらは、ピンク色の看板です。
こちらは、ピンク色の看板です。
裏口のドア。
足立区入谷にある舎人一号公園の隣に小規模なラブホテル街があります。
オウム(アレフ)断固反対ののぼり。この付近にアレフの施設がある模様です。
ホテルの入口。
裏側からの遠望。
【参考テレビ番組】
*1 NHK総合テレビ ニュース・気象情報(2010.11.28 21:15)
心霊スポットとして有名な舎人公園は、足立区最大のゲイのハッテン場です。*1
公園内のトイレには、落書き禁止の貼紙が貼られています。
貼紙のすぐ隣に落書きがあります。
落書きは、犯罪です。
アズマヤへ集合。
【参考文献】
*1 鉄人社:東京裏地図(鉄人社,2007)P.57
今回は、赤坂(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
赤坂は美しい自然をもっています。赤坂見附方面から見上げると、緑の森の丘の上に白いホテルが続いて建っていて、都心とは思えない落ち着いたムードをかもし出しています。*1
弁慶橋と弁慶濠は、「江戸城外堀跡」として文化財に指定されています。
橋の欄干や擬宝珠(ぎぼし)に、無数のピンクチラシ剥がし跡があります。
デリヘルのチラシでしょうか。
【参考文献】
*1 松沢光雄:繁華街を歩く東京編(綜合ユニコム,1986)P.171-P.195
都内で、名画座と呼ばれる映画館で残っているのは15軒ほどです。高田馬場の「早稲田松竹」は、毎回2本立て旧作名画を流し、朝から晩までのんびりと楽しめる空間です。*1
「早稲田松竹」は、昭和26年に、松竹の封切館としてスタートし、昭和50年に2本立て名画座に路線変更しました。平成14年にいったんは休館しましたが、その後、早稲田大学の学生が中心となって、復活させました。*1
穴八幡宮の近くに、映画館の「早稲田全線座」が昭和30年代までありました。「早稲田全線座」は、映画館でしたが、実は映画館とストリップの2本立てで、上映されていました。*1*2
「早稲田全線座」で上映されたストリップは、「全スト」(一糸まとわぬストリップ)でした。劇場の前には、「憎いほど見せます!悶えます!」とお色気たっぷりの看板が立掛けられました。*2
閉館後は、自動車販売会社のショールームになりましたが、現在は空きビルとなっています。
【参考文献】
*1 散歩の達人(2006.7)P.33「復活の名画座ものがたり」,P.49「昭和33年地図で歩く」
*2 実話と秘録(広晴社,1963)P.22-P.23
千駄ヶ谷の鳩の森神社近くに、千駄ヶ谷が旅館街だった頃に営業していたと思われる旅館の看板があります。
1959年の住宅地図*1 を見ると、旅館「喜鶴(きかく)」と記されています。
現在は、営業していません。
看板は、「旅館」でしたが、その後「ホテル」として営業していたようです。
現在は、周囲に旅館街の面影はありません。
【参考文献】
*1 住宅協会:渋谷区東部(住宅協会,1959)P.4
昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争によって、米兵の往来は激しくなり、売春業も繁盛しました。しかし、昭和20年代後半には、まだ新宿歌舞伎町界隈に連れ込み旅館が密集するという状態ではありませんでした。当時、連れ込み旅館の代名詞ともなった地名は、千駄ヶ谷でした。*1
旅館「白樺荘」*2 があったあたり。現在は、マンションが建っています。
千駄ヶ谷の「温泉マーク」を舞台にした梶山季之の小説「朝は死んでいた」によると、昭和30年代前半の千駄ヶ谷の旅館は、一夜の泊まり料金が高いせいもあって、夜の客は、銀座、新宿、渋谷といった一流の店に勤めている女性たちがほんどでした。一方、昼間の客は、人妻と大学生、重役と女秘書、商店主と女事務員など、時間決めの客がほとんどでした。*1
旅館「もみじ」があった場所。現在は駐車場になっています。
隆盛を誇った千駄ヶ谷ですが、昭和33年(1958年)の第三回アジア大会の開催を契機に、凋落(ちょうらく)の運命をたどることになります。アジア大会の開催は、1964年の東京オリンピック開催を射程に入れていたので、場所は千駄ヶ谷周辺。日本にとっては、戦後から脱却するワンステップという大きな意味を持っていたため、渋谷区は、「風紀がみだれていてはまずい」という理由で、千駄ヶ谷の温泉マークに自粛をうながしました。*1
これかがきっかけとなって、鳩森小学校のPTAの活動が起こりました。「鳩の森騒動」とも呼ばれるこの運動の結果、昭和32年(1957年)に代々木千駄ヶ谷地区が文教地区に指定され、連れ込み旅館の自壊は時間の問題となりました。*1*3
【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩聲社,1983)P.63-P.66
*2 住宅協会:渋谷区東部(住宅協会,1959)P.4,P.6
【参考URL】
*3 代々木商店街ホームページ:代々木まち語り
原宿駅の西側に広大な敷地を持つ代々木公園があります。代々木公園は、敗戦後の1945年にアメリカ軍に接収されたワシントンハイツが、1964年に東京オリンピックの選手村となった後、1967年に都市公園として開園したものです。
広大な敷地の中には、サイクリングコースがあります。
公園の北部にあるサイクリングセンター(通称自転車小屋)で自転車を借りてサイクリングを楽しむことができます。
この自転車小屋の裏手は、都内では有名な野外ハッテンバでした。ネットの掲示板には、「筋肉系」とジャンルを絞って、毎夜書き込みがされていました。*1
幼児車向け自転車乗り場の奥の広場もハッテンバでした。*1
【参考文献】
*1 Badi(2002.8)P.36-P.37「野外ハッテンスポット厳選紹介」
大久保駅近くの住宅地街に、一軒の旅館があります。
風情のあるネオン管です。「旅荘」という呼び方も味わいがあります。
落ち着いた雰囲気の外観。
和風の玄関の装飾。
大久保の町にラブホテル(当時の「連れ込み宿」)が進出したのは、1960年頃からでした。背景としては、1957年に売春防止法が施行されたことがあげられます。新宿二丁目で営業していた特殊飲食街の経営者がホテル業へ転業し、歌舞伎町から職安通りを超えて大久保にまで流れ込んできました。*1
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」と言われていて、大久保にに進出したホテル経営者も真向かいが墓地の地所を選びました。*2
大久保のラブホテル街には、長光寺と金龍禅寺の2つの寺があり、いずれも細長い墓地を有しています。この墓地の近隣にラブホテルが建ち並んでいます。
写真中央部に見える森が金龍禅寺の墓地です。墓地は南側に細長く伸びていてその東側(写真左側)に、1990年頃、ラブホテルが建ち並びました。
現在は「大久保の竹下通り」と呼ばれる韓流ショップとラブホテルが混在する町並みとなっています。
【参考文献】
*1 稲葉佳子:オオクボ都市の力(学芸出版社,2008)P.163-P.164
*2 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62
彦左小路裏の通り。
レトロな旅館が2軒建ち並んでいます。
玄関のタイルの円柱。
入口には、「いらっしゃいませ」の看板。
JR埼京線十条駅の近く。電信柱に貼紙があります。
貼紙は、電信柱の根元に近い部分に貼られています。
パートナー紹介。
女性は無料。有償行為は厳禁です。
今回は、川崎(神奈川県川崎市)の町並みと風俗を散歩します。
京急川崎駅の下り線ホームから宗三寺の墓地と墓地に隣接するラブホテルと質屋が見えます。
墓地の反対側(北側)には、別のホテルが隣接しています。
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」*1 と言われているそうですが、川崎駅前もこの法則が当てはまりそうです。
ひっそりとしたラブホテルの入口付近(写真左側)。墓地(写真右側)が隣接しています。
未成年者、売春婦の利用お断り。
【参考文献】
*1 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62
柏木田遊廓跡地のメインの通りの西側。
福助ホテルがあります。
福助は江戸時代から存在したキャラクターです。*1
現在は、休業中のようです。
【参考文献】
*1 荒俣宏:福助さん(筑摩書房,1993)P.19
竹ノ塚駅の東側。国道4号線沿いの元渕江公園では、夜な夜な露出狂のカップルが出没するといいます。*1
都心部のハプニングバーの客が店の後に訪れ、公園内の身障者用便所がプレイルームになっていると言われています。*1
トイレのドアの内側の落書き。ハッテンバとしても活用されているのでしょうか。
長文の落書き。
【参考文献】
*1 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
今回は、竹ノ塚(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
団地の一大密集地である竹ノ塚は、主婦売春が盛んと言われています。*1
しかし、竹ノ塚駅周辺のラブホは意外にも少なく、線路沿いにあるこちらの2軒のみです。
足立区の主婦は、地元のホテルは利用せず、隣の埼玉県八潮市のホテル*3 を利用するという情報もあります。*2
24時間いつでも休憩OK。便利なホテルです。
八潮市のラブホテルも同じシステムを採用しています。*3
ホテル脇の路地を通りに出ると、テレクラがあります。
【参考文献】
*1 山藤 章一郎:週刊ポスト(2006.9.29)P.198-P.171 「現場の磁力6」竹の塚”主婦売春”は格差社会の産物か
*2 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
【参考記事】
*3 風俗散歩(八潮):大曽根のラブホテル(2009.11)
今回は、石川町(神奈川県横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。
JR京浜東北線、石川駅の北西の一画にラブホテル街があります。
JR京浜東北線(写真奥)と首都高速道路沿いのラブホテル街です。
部屋の写真の大看板。
付近の電柱にあったバイアグラの広告の貼紙。
京急横須賀中央駅から歩いて1~2分のところ(若松町1丁目)に金星(きんせい)劇場があります。とにかく、建物の概観には圧倒されます。
看板には、「金星★劇場」、「KINSEI THEATER」と書かれています。中央の★のマークはインパクトがあります。
ポルノ映画館の雰囲気たっぷりです。
入口には、「オールカラー成人映画」。まだ、カラーの映画が珍しかった時代のものでしょうか。
入口付近。きっぷ売場下のタイルがいい感じです。