今回は倉賀野(群馬県高崎市)の町並みを散歩します。
倉賀野駅前の旧中山道(国道121号線)を倉賀野追分方面を向かう途中。道が緩やかに下っていった谷の部分は五貫堀川と交差する場所で、かつてのここには、「太鼓橋」という呼ばれた橋が架かっていました。
太鼓橋は、倉賀野宿の遊女屋の女郎が200両を出してつくられました。享保3(1718)年に大水のために橋が流出したとき、幕府の道中奉行に願い出て作ったもので、そのとき寄進した女郎の名がこの橋桁に彫られていました。*1
一方で、倉賀野の旅籠屋が、いちばん賑わう表舞台に掲げた広告塔だった、という説もあります。*2
案内板によると、そとのきの石が現在は、おもてなし館の中庭に復元されているそうです。
案内板に、「寳蔵橋」と彫られた柱が掲載されています。太鼓橋の正式名称は寳蔵橋(ほうぞうばし。寳と寶は同じ。寶は宝の旧字体)です。*2
現在の太鼓橋の下は、遊歩道となった五貫堀川跡※1※2です。