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倉賀野(太鼓橋跡)遊女屋の女郎が200両を出してつくられました。

今回は倉賀野(群馬県高崎市)の町並みを散歩します。
倉賀野駅前の旧中山道(国道121号線)を倉賀野追分方面を向かう途中。道が緩やかに下っていった谷の部分は五貫堀川と交差する場所で、かつてのここには、「太鼓橋」という呼ばれた橋が架かっていました。

太鼓橋は、倉賀野宿の遊女屋の女郎が200両を出してつくられました。享保3(1718)年に大水のために橋が流出したとき、幕府の道中奉行に願い出て作ったもので、そのとき寄進した女郎の名がこの橋桁に彫られていました。*1
一方で、倉賀野の旅籠屋が、いちばん賑わう表舞台に掲げた広告塔だった、という説もあります。*2
案内板によると、そとのきの石が現在は、おもてなし館の中庭に復元されているそうです。

案内板に、「寳蔵橋」と彫られた柱が掲載されています。太鼓橋の正式名称は寳蔵橋(ほうぞうばし。寳と寶は同じ。寶は宝の旧字体)です。*2

現在の太鼓橋の下は、遊歩道となった五貫堀川跡※1※2です。

参考文献

*1
根岸省三高崎郷土花街史P.51-P.52,P.61吾妻書簡1981
倉賀野女郎衆というもの

P.76
倉賀野宿の遊女屋の女郎が倉賀野宿のあった中山道に太鼓橋を作ったこと…

*2
倉賀野神社社報「くらがの」第63号倉賀野神社2017.10.19 リンク
太鼓橋のこと

倉賀野神社境内南側の一画に、大小二十数本の古い石柱が並べ寝かせてある。江戸…

参考記事

※1倉賀野(五貫堀川)駅前から200m南下したところにある栄橋。※2倉賀野(冠稲荷大明神)旅籠や飯盛女の信仰を集めました。

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倉賀野(太鼓橋の石柱)倉賀野古商家おもてなし館に復元。

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