水戸(桂岸寺)寺の近くには花街がありました。

水戸駅前から茨城大学行きのバスに乗ります。バスは、大工町から右に曲がり、国道118号線へ入ります。末広町三丁目で下車したところに、桂岸寺があります。「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている写真に、「桂願寺門前の飲み屋横丁跡」とのコメントが付けられていますが、石柱は、「桂願寺」ではなく、「桂岸寺」となっています。

桂岸寺周辺(市の北西部)を、ロマンチックゾーンと呼ぶそうです。「赤線跡を歩く」*1 には、「水戸には、大工町と竹隈町に花街があり、のちに市の西方、練兵場近くの近くの料理屋にも芸者が入るようになり、谷中花街が生まれた。」と書かれています。

案内板に、次のような解説があります。
「市街地の北西部、水戸八幡宮から曝井(さらしい)の一帯に、太古の昔から近代までの歴史的遺産が、あたかも時の流れを忘れたかのようにその姿を止めている。訪れる人々の心に安らぎを与えてくれる恵まれた緑と湧き水。また、古くから寺町・花街として栄えた商業地が広がり、古い店舗や土蔵が見られ、昔の栄華を今なお偲ぶことができる。この辺りを水戸のロマンチックゾーンと呼ぶ。」
案内板にある「花街」は、谷中花街のことを言っているものと思われます。

桂岸寺の隣にある回天神社には、格さんの墓があります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.160-163

参考文献

参考記事

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水戸(裸像)新修道路開通記念。末広町2丁目。

水戸(宮下銀座商店街)昭和37年の東照宮再建の際に整備された商店街。

今回は、水戸(茨城県水戸市)の町並みを散歩します。
水戸駅から徒歩5分のところにある宮下銀座商店街は、昭和37年の東照宮再建の際に整備された商店街でした。*1

昭和37年頃は、アーケードはまだ無く、よしずのようなひさしが掛かっていましたが、青果店、レストラン、電器店、さまざまな店が立ち並び、市場のような雰囲気で、宮下銀座をめぐれば、揃わないものは無いといわれるほど品揃えも豊富でした。*1

光があまり差し込まないため、昼でも薄暗く、ディープな雰囲気です。

東照宮の石段から見下ろしたアーケードの突端部分。

参考文献

*1
宮下銀座商店会宮下銀座商店会宮下銀座商店会 リンク
宮銀物語

昭和37年、東照宮は戦災で失っていた社殿の再建を果たしましたが、復興にあたり…

参考記事

松岸(利根川)湖のように広い川です。

利根川は、このあたりは川幅が広いので、川というよりは湖のようです。護岸は、コンクリートで固められています。

河口(太平洋)の方向には、銚子大橋が見えます。

護岸には、ヨットがたくさん引き上げられています。

護岸の近くは芝生の公園になっていて、お年寄りがゲートボールを楽しんでいます。

参考文献

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松岸(松岸遊廓跡地)龍宮城と形容された二軒の妓楼の跡地。

結婚式場「モアパーク」の隣に広い駐車場がありますが、ここには、龍宮城と形容された二軒の妓楼(松岸遊廓)がありました。*1
松岸遊廓の最盛期は、銚子汽船と総武線開通によって客の範囲の広がった明治後期から大正期で、明治5年(1872)の資料によると貸座敷4軒が営業し、娼妓数は64名でした。*2

昭和40年頃までは建物が残っていたそうです。ひと頃、演芸ホールに改装されて芝居や歌謡ショーの興行がおこなれていたこともありました。*1

別の角度からも撮影してみました。

る護岸は後年できたもので、以前は妓楼のすぐ下までおだやかな利根川の流れが打ち寄せ、建物の周りには掘割がめぐらされていました。*1
龍宮城の雰囲気を味わいたいと思い、利根川の桟橋から妓楼跡を眺めてみました。


「全国花街めぐり」*3 では、『青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のごとく一大楼閣の浮き上がってくるのを望んだとき、「まるで繪(ゑ、かい)のやうだね」「(まるで)龍宮といった態(かたち)だね。」、誰しもそう言って歓喜のこえを放つのである。』と紹介されています。

参考文献

*1
木村聡赤線跡を歩く消えゆく夢の街を訪ねて自由国民社1998
利根川に浮かぶ竜宮城 松岸

P.118
昭和40年頃までは建物が残っていた。(写真:2軒の妓楼はこのあたりに…

*2
加藤晴美松岸地区における遊廓の成立と展開歴史地理学調査報告 11号筑波大学人文社会科学研究科歴史・人類学専攻歴史地理学研究室2004.03 リンク

P.73
良福寺の過去帳に遊女の記載が初めてあらわれるのは享保9年(1724)の…

*3
松川二郎全国花街めぐり誠文堂1929
松岸

その一すぢ青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のご…

参考記事

松岸(商店街)利根川の近くの町。

今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。

近くにあった煙草屋。カラフルなタイルが印象的ですが、休業中のようです。

しばらく行くと、前方に利根川が見えてきます。同時に、壮大な王宮のようなピンク色の建物が左手に現れます。

制服を着た若い女性が玄関の掃除をしています。どうやら、ピンクの建物は、「モアパーク」という名の結婚式場のようです。

参考文献

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神田(OK牧場)飲食店にも萌え現象。コスプレ焼肉。

神田駅西口近くの路地。

コスプレ焼肉「OK牧場」があります。
ガッツ石松さんが流行らせた「OK牧場!(私もあなたもOK)」を思い出します。

メイド服等のコスプレ姿のおねえさんが席の隣に座って、焼肉を食べさせてくれるそうです。

風俗店ではないのに、なぜか、18歳未満入店お断りです。

参考文献

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神田(ビデオ鑑賞店)新種のビデオ鑑賞店?。

神田には、ビデオ鑑賞店が密集しています。

「ホテルがライバル」と書かれた大型のビデオ鑑賞店。

「太郎と花子」。新種のビデオ鑑賞の店でしょうか。

詳しい説明があります。

参考文献

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神田(駅西口付近)パチンコの町。「でちゃガ」。

神田はパチンコの町です。神田駅西口の改札口を出ると、まず目につくのが、パチンコ店の広告です。

西口近くのゲーム店。お店入口のオブジェがボコボコにされていて、ちょっと可愛そう。

スロット専門店の「GOLD」。ここのお店の女性従業員の制服は、白のジャッケットに黒の超ミニスカートです。

でちゃう!ガールズ(略称:でちゃガ)」というパチンコガールのおねえさんが来店する日があります。写真のミニスカの制服を着た女の子が来店し、お客様を応援するというタイアップ企画で、おしぼりやキャンディーのサービスがある模様です。

参考文献

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神田(駅南口)違法エステ禁止看板。客引取締中。

今回は、神田(東京都)の町並みと風俗を散歩します。南口の交差点から見た神田駅。中央線の高架を挟んで、両側に商店街が並びます。
最近はあまり見かけませんが、このあたりには、夜になるとアジア人のマッサージ嬢が出現していました。

駅前に、「違法客引取締中」の看板があります。看板は新しく、最近、設置された模様です。韓国語、中国語でも書かれています。

西口にも同じ看板があります。

西口にある古いバージョンの看板。「神田の街から違法エステを追放しよう!」と書かれています。かなりくたびれていますが、「違法エステ」という具体的な業種名が示されており(しかも赤字で強調)、かつての神田の状況を伝えています。

参考文献

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小田原(早川駅前の白ポスト)水色のデザイン。

JR早川駅。前小田原駅の一つ隣の駅

駅前に白ポストがあります。

投函口は水色に塗られています。

箱の側面に「青少年に有害な本はこのポストへ」の表記。取り出し口は箱の側面下部にあります。

参考文献

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小田原(駅近く)三角地にある狭小建築。先端部分に自販機。

小田原駅前の東通り商店街近くに大乗寺がありますが、このお寺へ向かう道が分岐する三角地帯に狭小建物があります。建物の前には自販機が置いてあります。

この角度から見ると、かなり薄型の建物に見えます。

自販機と建物は、以外にもこのぐらい離れています。

建物の先端部分は、入口と階段になっています。

参考文献

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津田沼(線路脇のホテル)突端部分に狭小建物の特徴。

小田原(浜町旅館街)現在は、静かな住宅地です。

渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。

壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。

このような木の壁が景観を特徴づけています。

縦横に走る路地。

参考文献

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小田原(宮小路の料理屋)タイルのモザイク。

元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。

ピンク色の料理屋。

タイルのモザイク。

同じ通りの小料理屋とクラブ。

参考文献

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小田原(キャバレービル)上から下まですべて。

本町二丁目の中心部にあるキャバレービル。上から下まですべてキャバレーの看板で埋め尽くされています。

キャバレー「ドンファン」(地下1階)。

付近には、フィリピン系の店が数多くあります。

フィリピンパブの看板。

参考文献

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小田原(スナック街)本町二丁目の歓楽街。クラブやスナックが密集。

小田原市本町二丁目の歓楽街。クラブやスナックが密集しています。

スナックとエステ。

一本東側の通り。

逆方向から。

参考文献

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小田原(みやこ旅館)風情のある板塀。旅館の裏側は墓地。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みと風俗を散歩します。
小田原駅前の好立地にある「みやこ旅館」。当時のままの姿の建物です。

風情のある板塀。

情緒ある和風造り。

旅館の裏側は墓地です。

参考文献

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吉原(一葉桜まつり)花魁道中。花魁ショー。

吉原のはずれの千束通りを行くと、一葉桜・小松橋通りと交差します。通りには、一葉桜(八重桜の一種)が植えられています。この日は、一葉桜まつりが行われていました。一葉桜まつりは、一葉桜が植えられた2002年から始まり、今年で4回目だそうです。

まつりの目玉は、花魁道中です。もちろん、これは、当時のものを再現したものです。禿(かむろ)、花魁、振袖新造の順です。

ステージが用意されており、そこでは、花魁ショーが行われました。写真は、花魁が杯を飲み干した場面です。

最後に、花魁の撮影タイムがありました。

参考文献

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吉原(京町二丁目と角町の間の通り)昔の建物が残っています。

京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。

アパートに転業した建物。

円柱と石材が調和しています。

ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。

参考文献

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吉原(旧「金よし」)転業アパートが軒を連ねます。

今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。

角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。

正面から見たところ。

ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。

【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)

参考文献

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九条(九条OS劇場)名門の劇場です。

駅前に、「名門九条OS」の看板があります。ストリップ劇場の九条OS劇場の案内板ですが、場所は、駅を挟んだ逆側(キララ九条商店街側)です。

閑静な住宅街の中に九条OS劇があります。

九条OS劇場は、客席数142席。1951年7月開館の名門で、毎年盆と暮れにSM大会を開催するため、関西の変態小屋といわれています。(ウィキペディアより転載)

近くにある理容室。なぜか、店の名は、「OS理容」となっています。

参考文献

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九条(松島新地)モダンなデザイン

松島新地の中に入ります。料亭が整然とならんでいます。飛田に似た雰囲気ですが、飛田と比べて明らかに異なる点は、道路の幅が広いことです。道路は、車も通りますので、ど真ん中を歩くと危険ですが、少し離れて歩いて見て回ることができるので、安心感があります。

「おおさか百景いまむかし」*1 に写真が掲載されている建物。

軒下のオブジェ。

モダンなデザインです。

【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.112

参考文献

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九条(駅周辺)松島新地の案内板があります。

今回は、九条(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
中央線九条駅で下車し、百十四銀行のところを右へ曲がります。

すこし行くと左手に松島新地の入口があります。

松島料理組合が組織されています。

この地図を見る限りは、料亭街といった感じです。

参考文献

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信太山新地(公衆トイレ)新地の中にあります。

信太山新地の中央部あたりに、公衆トイレがあります。男女の別はありません。入口は一つだけです。

「きんかくし」は、きれいです。中に、清掃用具が置いてあるので、定期的に清掃が行われているのだと思います。

トイレの窓。窓枠に、女性の名前や携帯の電話番号の落書きがあります。

トイレのドアの内側。「○○ちゃん、サイコー」、「超名器」、「テクニシャン」、「サービスいいよ」、「かずのこ天井」、「こんぺいとう天井」、などの落書きがあります。

参考文献

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信太山(神社)新地の中に神社があります

信太山新地の中に神社があります。

信太山新開地三十周年記念の碑があります。新地の歴史を感じさせます。

鳥居の裏側に、新開地共同組合と彫られています。

寄進者の名前と店の名前が記載されています。「淡島社建立寄附御芳名 昭和五拾五年四月 信太山新開地共同組合」と書かれています。

参考文献

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信太山(駅周辺)閑静な住宅街です。

今回は、信太山(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪からJR阪和線に乗って、信太山(しのだやま)駅で下車します。

信太山新地へは、駅前からJR阪和線の線路沿いに天王寺方面へ向かって進むか、駅前の「スーパー玉出」の脇の道を進むみます。今回は、「スーパー玉出」の脇の道を行くことにします。

道なりに進むと府道30号線に出ます。信号のある交差点に、「そこはだめ!!勝手な駐輪大迷惑 信太山新地」と書かれた看板がありますが、新地のような雰囲気はありません。

信号のある交差点の左側を見ると、旅館が立ち並んでいます。ここが、信太山新地の入口のようです。道の左側手前に、「スタンド○○」という看板のあるスナックのようなお店があります。

参考文献

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飛田(飛田新地)夕方になると人通りが増えてきます。

夕方になると、お店に提灯が灯ります。これからが飛田新地の始まりです。

店には女性とやり手婆が座り、客を待ちます。顔を明かりで照らしているせいか、女性はみな美人に見えます。女性は、10分か15分毎に交代するお店が多いようです。

青春通りと呼ばれる北部の通り。

店の前で、交渉している客がいます。

参考文献

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飛田(飛田新地)壁に囲まれたちょんの間

飛田大門から、いよいよ飛田新地の中へ入ります。
まず、目に入るのが高速道路。飛田新地のほぼ真ん中をを高速道路が走りぬけます。東京の風俗地帯では見られない光景です。

しばらく歩くと、反対側の壁が見えてきます。壁には階段があり、阿倍野地区へぬけることができます。整備された綺麗な階段です。

登ったところから見た壁の側面と飛田新地。こうやって見ると、飛田新地はくぼ地にあることがわかります。

壁の上から見た飛田新地。2階建ての建物がずらっと並ぶ光景は圧巻です。

参考文献

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飛田(大門跡)最近立て替えられて新しくなりました。

動物園前商店街がつきるあたりに、大門跡の碑があります。

「TOBITA」と書かれた大門のモニュメント。

最近、碑が新しく立て替えられたようです。

飛田大門のことが次のように紹介されています。
「明治45年の火災によって廃止となった難波新地の遊郭の代替地として、飛田遊郭は大正7年に開郭しました。飛田大門は開郭当時から飛田新地の玄関口として機能していました。そして、昭和12年に遊客数として松島新地を上回りました。昭和20年には太平洋戦争で、大門通りの南側の東の一部と西部を消失しましたが、大門は消失を免れました。その後、昭和33年に飛田遊郭は、廃止となりましたが、飛田大門は当時の面影を伝えるものとして、現在も地域の人々に親しまれています。」

参考文献

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飛田(動物園前商店街)飲食・娯楽がすべて揃っています。

動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。

綺麗に整備された商店街です。

商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。

二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。

参考文献

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飛田(商店街の路地裏)ホテルの廃墟

動物園前の駅から、商店街へ入ってすぐの路地裏に、「ゴールデン 休憩200より 宿泊300より」と書かれた看板があります。「ゴールド」ではなく、「ゴールデン」という名前が何となくそそります。(新宿ゴールデン街のことを思い出していました。)

かなり、ボロボロの状態です。朽ち果てた雰囲気が何とも言えません。

入口らしいものは、こちらの一箇所のみ。どうやら廃業中のようです。

正面へ回ってみると、建物の角の部分に、「ホテルゴールデン」の小さな看板がついています。右側にいい雰囲気の路地があります。

参考文献

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飛田(動物園前駅周辺)大衆酒場が繁盛しています。

今回は、飛田(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪市営御堂筋線を動物園前駅で下車し、地上へ出ます。出口の隣に、緑色に塗装された新聞・雑誌の売店が目に入ります。

出口を出て、すぐ目の前にある大衆酒場。

通りの方へ回りこんだところにある大衆酒場。古い看板が特徴的です。立ち飲みやに近い雰囲気があります。

こちらの大衆酒場は、なぜか、脇にうどん・そばの屋台が置いてあります。これほどまでに、大衆酒場が密集しているのは見たことがありません。すでに、ここから飛田は始まっているのだと予感させるような光景です。

参考文献

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古河(中央町の飲食店)「カフエー」のプレートがあります。

横まち柳通りを散歩した後、横山町の南側の中央町のあたりを散策します。

1階に3軒のお店が入っている建物があります。

右側のお店。赤いドアが印象的です。

ドアの上に「カフエー」と書かれたプレートがあり、小さな文字で「茨城県公安委員会許可第1795号」と書かれています。さらに、その右側には、「二十....立入....」と書かれたプレートがあります。

参考文献

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古河(横山町)花街のあった通り

JR古河駅から北西に500mぐらいのところに横町があります。「よこまち柳通り」の碑があります。

碑の裏側に、この通りの建設の経緯が書かれています。「横山町通りは、かつて江戸時代に日光街道の北玄関口として作られ、宿場としての問屋場や旅籠、茶店等が軒を連ね、陸上交通の要所として賑わった。しかし、明治から現在に至る社会経済の変化、交通手段の変革により、まちも変遷を余儀なくされた。そこで、市は、地域住民と相計り、往時を思い、さらに風格と活力のあるまちづくりを目指して、ここに『よこまち柳通り』を建設した。」

逆方向から見た横町柳通り。道路は、一直線ではなく変化がつけられていますので、自動車も速度を落として運転しています。

通りの雰囲気にマッチした水のみ場がありました。

参考文献

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古河(駅前)白ポスト

今回は、古河(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。

駅前に白ポストがあります。 「こどもたちに見せたくない雑誌・写真・ビデオ等のみ入れて下さい。」「少年雑誌、ゴミ等はだめ」と書かれています。

箱の側面には、「ゴミその他のものを入れた方をみかけた場合、御連絡をください。」と書かれています。いかにして、このポストにゴミを入れさせないようにするかに労力が注がれています。

西口にも、同じ仕様の白ポストがあります。但し、こちらのは、台座が丸型です。

参考文献

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鶯谷(駅前の路地)下着のガチャガチャ。線路沿いの路地。

北口の駅前ロータリーから線路沿いの路地を入ったところに輸入品専門店があります。

店の前に、ガチャガチャがあります。

「ランジェリーがちゃがちゃ 500円」と書かれています。大人向けのガチャガチャです。

試しに1個買ってみました。中には黒いパンティが入っているようです。

参考文献

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鶯谷(ピンクビラ)ラブホテル街。ボール紙の台紙。

鶯谷ラブホ近くの公衆電話BOX。
以前は、ピンクチラシが所狭しと貼られていましたが、現在は一枚も見当たりません。代わりに「ピンクビラ等お断り!!」のステッカーが貼られています。

しかしながら、あるラブホテルの前の電柱には、真新しいチラシが貼られていました。

ラブホテル街の中の他の場所にも、同じチラシが貼られています。

ボール紙の台紙に、複数枚のチラシが貼られています。

参考文献

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鶯谷(ラブホ街の看板)ポン引き、街娼、ピラ貼り。

鶯谷のラブホテル街には、犯罪防止の看板が乱立しています。看板は3種類あります。(写真は、JR山手線の線路沿い)。

1種類だけば単独で設置されている場合もあります。

ビラ貼り、客引き、つきまとい。

鶯谷のラブホテル街の中の公園(写真左奥に看板)。

参考文献

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鶯谷(ホテル「石秀」)岩風呂。根岸の里。入口に庭園。

JR鶯谷駅から見える和風旅館。

岩風呂「石秀」。

入口に庭園が配置された和風の佇まいです。

コンセプトは、「根岸の里」。

参考文献

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鶯谷(無料情報館)セルフ案内所。ビルの1階に2軒。

鶯谷(鶯谷駅北口)待ち合わせ場所。「うぐいす小路」の案内板。

今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。

待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。

駅前から路地を入るとラブホテル街です。

北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。

参考文献

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東向島(森永牛乳の牛乳箱)東向島の路地。白鬚神社近く。

白鬚神社近くの路地。

懐かしい牛乳箱(森永牛乳)があります。保存状態も良い方だと思います。

文字は、オレンジ色と黒色の2色。背景の黄色と合わせると、3色刷りです。
「ウルトラ・プロセス」というのは、当時、森永乳業(株)が開発した加熱殺菌の技術の名称です。

木のぬくもりが感じられます。オーソドックスな形が気に入りました。

参考文献

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東向島(古いアパート群)ラーメンの屋台。白鬚神社の隣。

白鬚神社の隣に、古いモルタルアパート群があります。

アパートは数棟が群れのように並んでいます。

ラーメンの屋台が置いてあります。

入口が階段になっているアパート。

参考文献

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東向島(白鬚神社)吉原の松葉屋半左衛門奉納の狛犬。

玉の井から、いったん東向島の駅へ戻り、そこから隅田川方面へ向かって散歩してみることにしました。東向島三丁目に白鬚神社があります。

漢字は、「白髭」ではなく「白鬚」のようです。大辞林には、『「髭」はくちひげ、「鬚」はあごひげ、「髯」はほおひげ、の意で書き分ける』と載っています。

案内板を見ると古い神社であることがわかります。平安時代に、現在の滋賀県にあった白鬚大明神を分霊して祀ったのが起源ですので、なんと千年以上の歴史があることになります。

神社の狛犬は、山谷の料亭「八百善」の八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が奉納したものだそうです。

参考文献

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東向島(東清寺「玉の井稲荷」)古い佇まいの稲荷神社です。

東清寺の入口。玉の井稲荷と書かれています。

お寺の中に稲荷神社があるということでしょうか。

狐の像。

大正道路の記念碑。

参考文献

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東向島(赤い壁の建物)路地を抜けるといろは通りに出ます。

玉の井のメインの通りから路地にはいると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている赤い壁の建物があります。

派手な色の円柱。上部は茶色。中央部分は緑色です。

円柱の下部は、青と白で塗装されています。

路地を抜けるといろは通りに出ます。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.78

参考文献

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東向島(赤線時代の建物)当時のままの原型を留めています。

いろは通りの路地裏には、昔の面影を残す建物がいくつかあります。
散歩の雑誌等でおなじみのお宅。

当時のままの原型を留めており、迫力があります。

左側から見たところ。2階のバルコニーに特徴があります。

右側を見たところ。

参考文献

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東向島(赤線建物)独特の意匠。2階にバルコニー。

東向島(色街だった頃のメインストリート)車ぬけられません。

玉の井が色街だった頃のメインストリートであったと思われる通り。

現在はスナック街になっています。

一階がスナック、二階にバルコニーがある家が並んでいます。

スナックの入口付近。当時の玉の井には、「抜けられます。」と書かれた看板があったそうですが、現在は、「車ぬけられません」と書かれた標識があります。

参考文献

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東向島(いろは通り)赤線時代の名前を残す通り。

今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。

「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。

いろは通りの商店街。

最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。

参考文献

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巣鴨(駅北口の繁華街)飲食街の中に風俗店が散在。

今回は、巣鴨(東京都豊島区)の町並みと風俗を散歩します。
JR巣鴨駅北口前のロータリーの北側の一画は、飲食店が密集する繁華街です。

北側のメインストリートは、居酒屋などの飲食店に風俗店が散在する通りです。

夕方の時間帯になると人通りが増えてきます。

繁華街の南西側。写真奥は白山通りです。

参考文献

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安浦(旧カフェー街)鮮やかな緑色のアパート。

鮮やかな緑色のアパートがあります。

美しい緑色のタイルで装飾されています。

路地側に回り込むと鮮やかな青色の建物があります。

全面のタイルの装飾。

参考文献

参考記事

安浦(旧カフェー街の通り)赤紫色の装飾が施された建物。

旧カフェー街の通りに面して、赤紫色の装飾が施された建物があります。

看板を取り付けるための金具があります。店の屋号か何が掲げられていたのでしょうか。

側面の装飾。

玄関付近。

参考文献

参考記事

安浦(旧赤線街)古い電柱がたくさんあります。

安浦の旧赤線街には、古い電柱がたくさん残っています。

現在も街路灯として使われています。

色里だった雰囲気が伝わってきます。

コンクリート製の電柱。

参考文献

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安浦(スナック店)旧カフェー街。ピンク色のアーチ。

安浦の旧カフェー街は、現在は住宅地となっていますが、当時の歓楽街を偲ばせるスナック喫茶の建物が残っています。

入口のピンク色のアーチが印象的です。

こちらは、現在も営業中のスナック店。

奇抜なデザインの玄関。喫茶店かスナックだったのだと思います。

参考文献

参考記事

安浦(駅前の病院)アール・デコ調のデザイン。

今回は、安浦(神奈川県横須賀市)の町並みと風俗を散歩します。
京急県立大学駅(旧安浦駅)前に、佐野医院の建物があります。

アール・デコ調のデザインの立派な建物です。

文化的価値がありそうな近代建築です。

円形のステンドグラス。

参考文献

参考記事

福生(国道16号線)国道沿いに米軍基地があります。

「赤線」を東へ行くと、JR八高線の踏み切りを越えると、国道16号線に出ます。国道の向こうは米軍横田基地の第二ゲートです。

国道沿いに店が並びます。

店の看板は、すべて英語です。アメリカがそのまま引っ越してきたような雰囲気です。

派手なペンキ絵のなるお店。

参考文献

参考記事

福生(レストラン)タイ、アメリカなど、多国籍です。

旧赤線の通りには、おしゃれなレストランやバーがたくさんあります。

米軍横田基地が近くにあるので、横文字の看板のお店が多いです。

タイ・レストラン

派手なペンキ絵が書いてあるバーの建物の壁面。

参考文献

参考記事

福生(旧赤線街)昼間はほとんど人通りがありません。

今回は、福生の町並みと風俗を散歩します。JR福生駅東口から通りを5分ほど歩くと通称「赤線」の入り口の十字路です。

昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと並んでいますが、昼間はほとんど人通りがありません。

地元の人の話によると、これらのスナックの中には、ホステスを連れ出させる店もあるそうです。

外見は、普通のスナックです。

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福生(スナック街)旧赤線街の東隣の通り。

歌舞伎町(ホストクラブ)近年急増。おなべ専門。

歌舞伎町で急増しているのが、ホストクラブです。ホストクラブ専門の紹介所もできています。

交差点の大きな看板。

歌舞伎町で最大のお店

おなべ専門のクラブもあります。

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歌舞伎町(風林会館前)屋台が並ぶ狭い路地。

歌舞伎町のランドマークタワーと言われる風林会館の道を挟んだ対面に飲食店街があります。

狭い路地にベニヤ板でできた屋台が並んでいます。

屋台と屋台の間にドアが開けっ放しになっているトイレがあります。薄気味悪い感じです。

屋台の隣には飲食店が並らぶ狭い路地。

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歌舞伎町(新宿センター街)思い出の抜け道。

歌舞伎町(新宿ゴールデン街)観光スポットとして変貌中。

「新宿歩道公園四季の道」の脇に、かつては青線街であった新宿ゴールデン街があります。

最近設置されたと思われる案内板。「新宿ゴールデン街案内図。明朗会計お待ちしております。」と書かれており、店の名前がすべて地図に記載されています。紙で印刷された地図もあり、「ご自由にお持ちください。」と書いてあります。最近は、観光スポットとして変貌をとげているようです。隣には「マップ業者に注意。東京標識社はじめ、インチキ業者からお金を請求される被害が出ております。組合とは関係ありませんので、絶対に金を支払わないでください。」との注意書きがあります。

花園神社側の通りから見たところ。花園一番街、三番街、五番街と名前がつけられています。

昔懐かしいグループサウンズの曲が聴けるお店の看板。

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歌舞伎町(歩道公園)ビル街の中の緑の歩道。

靖国通りを渡ると、「新宿歩道公園四季の道」の入り口があります。

歌舞伎町のど真ん中に木々が生い茂る歩道が突然現れます。人通りが結構多く、歩行者の通り道になっているようです。

歩道公園の中程にイルカの像があります。

公園の出口付近にある木橋。いろいろな表情の楽しめる歩道公園です。

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歌舞伎町(新宿国際劇場)露骨な看板が目につきます。

今回は、新宿歌舞伎町の町並みと風俗を散歩します。
新宿駅南口から見るマイシティの裏側の通り。

成人映画専門の「新宿国際劇場」があります。

看板はかなり大きめです。人通りの多い通りに成人映画の大型の看板があり、新宿の伝統を受け継いでいます。

入口付近。映画のポスターがたくさん貼られています。

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船橋(稲荷湯)狭い路地の先にある木造銭湯。

本町からさらに東を行くと海神の住宅地です。車が通れない狭い路地が縦横に走ります。中には自転車が通行するのがやっとの路地もあります。路地から、黒い煙をはく煙突が見えます。

煙突は、路地の先にある銭湯の稲荷湯でした。

稲荷湯の概観。

銭湯の入口の前は広場になっていて、そこに木材が置かれています。

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船橋(レトロな電柱)妓楼跡に残っています。

妓楼の建物の前の通り。

普通のコンクリートの電柱に混じって、レトロな電柱が残っています。

根元の部分。

今の電柱と違って、昔の電柱は雰囲気があります。

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船橋(船橋新地跡)1軒だけ残っている妓楼跡。

若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。

木の温もりが感じられる建築です。

奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。

玄関の明かり取り。

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船橋(コンクリゴミ箱)保存状態良好。閑静な住宅街。

船橋市本町の閑静な住宅街。

路上に残るコンクリート製ゴミ箱。保存状態は良好です。

箱の側面には、何か文字が書かれているようです。

住宅街の風景に溶け込んでいます。

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船橋(若松劇場)スナック街の奥まったところにある劇場。

スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。

バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。

若松劇場。

女の子の写真が掲載されています。

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船橋(スナック街)バルコニーに装飾のある建物。

今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。

バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。

古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。

建物の角に入口があるスナック。

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大宮(菊水湯)住宅街の銭湯。トタン屋根の銭湯。

今回は、曳舟~鳩の街の町並みと風俗を散歩します。東武亀戸線に乗って、亀戸から曳舟方面へ向かいます。東武亀戸線は、二両編成の電車です。

氷川神社の参道から西側へ入った住宅街。

銭湯の菊水湯。レトロな銭湯です。

トタン屋根の銭湯。
残念ながら本日は、定休日でした。

後方にある煙突。

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大宮(ソープランド街の路地)旅館があった北銀座通り。

ソープランド街の南寄りに路地があります。現在は、路地の両脇に旅館や風俗店はありません。

「北銀座通り」と書かれた街路灯があります。

昔、旅館だった建物。

山口旅館という名前の旅館だったようです。

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大宮(平和通商店街)特殊浴場協会の事務所。

今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。

大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。

商店街といっても商店はあまり多くありません。

しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。

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曳舟~鳩の街(商店街裏の路地)水色の円柱のお宅。

鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。

家の左側に水色の大きな円柱。

水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。

株は緑色です。

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鳩の街(赤線跡)黄緑色を基調とした窓の廻りの装飾。

鳩の街(赤線跡)美しい黄緑色のタイル。黄緑、水色、赤(ピンク)。

鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。

赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。

赤いタイルの円柱もあります。

黄緑、水色、赤(ピンク)。

曳舟~鳩の街(鳩の街商店街)ピンク色のアーチが入口です。

水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。

賑わいのある商店街。

2階に物干し台のある商店(写真右)。

木造和風の佇まいの化粧品店。

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曳舟~鳩の街(京島二丁目)裸電球の街路灯。

今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
京島二丁目の住宅街。道路がS字カーブを描くようにして続いています。

一歩路地へ入ると昭和の空間が残っています。

木製の支柱と裸電球の街路灯。

コンクリート製の支柱に裸電球の街路灯もあります。

蛍光灯の街路灯。支柱は木のままです。

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藤沢(湯房ふじさわ)奇抜なデザインの建物。

藤沢の風俗街。「小鳥の街(写真左奥)」※1 の建物のある通り。

奇抜なデザインの建物。

めずらしい「湯房」というネーミング。

入口の看板には、「ご入浴料金¥5,000、サービス料金¥2,500」と書かれています。

藤沢(赤線跡)豆タイルで装飾された円柱の柱。斜めに通した二重の取って。

風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。

豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。

美しい入口の扉。

扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。

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藤沢(和風スナック)小鳥の街の北側

小鳥の街※1 の北側は、和風スナックや旅館が建ち並ぶエリアです。

和風スナック店。

仙成旅館。

水色のスナック店。

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藤沢(かつての旅館街)現在はマンションが林立。

藤沢(奥の飲食街)和風スナックや小料理店。

小鳥の街※1 の北側の奥まった場所。

両側に飲食街が建ち並ぶ一画があります。

和風スナックや小料理店が建ち並びます。

東側の和風スナック。

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藤沢(小鳥の街)居酒屋とスナック店。ひよ子、せきれい。

木造アーチのある飲食街を抜けると、スナック街が現れます。

居酒屋やスナック店が入る建物。ひよ子、せきれい。鳥にちなんだ店名が多いです。

「小鳥の街」と呼ばれているようです。

「小鳥の街」のネオン管

藤沢(木造アーチの飲食街)藤沢銀座近く。

藤沢銀座の「飲食街in」の看板の一つ手前の路地を右手に入ると、木造アーチを持つ飲食街の建物があります。

内側から見たところ。このような空間が藤沢銀座と隣接して残っていることは驚きです。

「まりこ」という店の名前と思われる看板が軒下に残っていました。

裏面は蝶のデザイン。

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藤沢(木造アーチの飲食街)老朽化が進んでいます。

藤沢(風俗街近くの路地)犬のフンの看板。通行を禁ず。

今回は、藤沢(神奈川県藤沢市)の町並みを散歩します。
木造アーチ手前の細い路地。自動車が通れない道幅なので、犬の散歩などには最適なコースです。

木造アーチ入口の左側の電柱に犬のフン看板があります。ここから、さらに細い路地が続いています。

上の写真の電柱の犬のフン看板の奥に、住民が設置したと思われる「毎日犬のフンをさせにくる人」への「通行を禁ず」の看板があります。

この界隈は、犬のフン看板が多く、あちこちに貼られています。

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六本木(公園)子供用トイレがあります。親子用。

ホテル「アルファイン」の近くにある狸穴公園。公園に公衆トイレがあります。

「きんかくし」があるのに、「男性用入口は反対側(道路側)にあります。」と書かれています。

「きんかくし」は、親子用トイレの子供用「きんかくし」でした。「この便器は幼児専用です。大人の方はご遠慮下さい。」と書かれています。高級住宅街らしい親切な公衆トイレです。

男性用(大人用)のきんかくしの上に貼ってあった注意書き。落書きの内容がユニークです。

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六本木(アルファイン)歴史のあるSM専用ホテル。

ロシア大使館の裏にSM専用ラブホの「アルファイン」があります。

閑静な高級住宅街に異様な外装でそびえたっています。ホームページを見ると、各部屋に名前がつけられています。狂い十字架、羞恥破壊、拷問地獄、拷縛便器、排泄学園、奴隷市場、診察学園、.....。

表側の入口。不思議な洞窟のようなイメージです。

近くの六本木ヒルズとの対照が印象的です。

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六本木(狸穴坂)ロシア大使館の東側。狸やムササビが住む穴。

六本木から飯倉交差点を過ぎ、ロシア大使館東側の狸穴坂(まみあなざか)を下ります。狸やムササビが住む穴があったと伝わることからこの名前がついています。六本木は以外と坂道が多いところです。小高い丘が多く山の手と呼ばれていることが納得できます。
狸穴坂は、江戸の坂をまとめて書いている天和2年(1682)の「紫の一本」という本に書かれています。*1

明るい坂道を下ります。警備の警察官がいます。江戸時代、この付近は大名屋敷がありましたが、戦後は大使館の敷地に転用されました。

「ホテルアルファイン」と書かれた広告看板が電柱に貼られています。

昭和を感じさせる民家の佇まいがなんとも言えません。ここの電柱にも「ホテルアルファイン」の広告があります。

参考文献

*1
横関英一江戸の坂東京の坂 (ちくま学芸文庫 ; ヨ11-1)筑摩書房
東京の坂の数
P.217 江戸の坂をまとめて書いているもので、比較的古いものとしては、天和2年(1682)に戸田茂睡という…

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六本木(SM用品プロショップ)六本木交差点。女性のオブジェ。

六本木交差点近くのビル。1階はショットバーですが、2階はSM関係です。

女性のオブジェがあります。

看板をみると、SMショップの店舗のようです。

入口のドアは赤いライトで照らされており、怪しげな雰囲気です。店員は女性です。

参考文献

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六本木(ビルの屋上)未使用のまま。絶叫マシン。

六本木交差点から外苑東通りを飯倉片町方面へ進むと、目の前に東京タワーが見えてきます。六本木らしい風景です。が、しかし、手前のビルの屋上に異様な建築物が設置されているのが目に入ります。

近寄ってみると、闘牛の角のようです。

異様な建築物の正体は、ドンキホーテが店舗の屋上に建設中の絶叫マシン「ハーフパイプ」ですが、地元の住民の反対(騒音、安全性)があり、使用されていないようです。

ドンキホーテの裏の六本木墓苑から見たところ。

参考文献

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六本木(六本木交差点)乙女の像と白ポスト。

今回は六本木の風俗を散歩します。六本木の交差点に「奏でる乙女」の像があります。この像の碑文に、昔、この地の小高い丘に六株の松が生えていたことから「六本木」と呼ばれるようになったこと、時代と共に繁栄を極めたが、太平洋戦争の空襲により美しい町並や樹々が一夜のうちに灰に帰したこと、その後の人々の努力により復興を遂げたことなどが書かれています。

「乙女の像」の近くに、ピンクチラシ回収ボックスがあります。

今ではめずらしくなった白ポストです。ピンクチラシ回収用として麻布地区が設置したもののようです。森ビル寄贈と書いてあります。

交差点の4つの角のうち、3箇所に白ポストが設置されています。喫煙コーナーも2箇所設置されており、麻布地区の環境浄化に対する取り組みがうかがえます。

参考文献

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人形町(末廣神社)400年以上の歴史を持つ神社。

人形町2丁目に末廣神社があります。

末廣神社は400年以上の歴史を持つ神社です。元吉原の総鎮守社として信仰されてきました。

神社に日本酒が奉納されています。末廣酒造という会社があるようです。

吉原移転後は、花街として繁栄したようです。

参考文献

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人形町(玄冶店跡の碑)歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んだった歓楽街。

今回は、人形町(東京都中央区)の町並みを散歩します。
地下鉄の人形町駅を出たところの交差点。

歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んになり、人形町の地名の由来になりました。

歌舞伎で有名な玄冶店跡の碑。

玄治店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐(せがわじょこう)が脚色し、嘉永6年(1853年)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の「源氏店(玄治店)」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。(案内板より)

参考文献

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木更津(こうもり安の墓)花柳界の寵児と言われるほどの人物。

成田(旧カフェー街らしき場所)古い家と狭い路地。

成田山への近道を下りきったあたりに、ちょっとした広場のような場所があり、そこに旅館の看板を掲げた古い家があります。

裏の路地へ回ると入り口があります。

風情のある木造の古い家です。

狭いが路地が縦横に入り組んでいます。

川崎南町(政の湯)四角い煙突。政の湯通り。

川崎南町にある銭湯「政の湯」。平凡なビル型銭湯ですが、ソープランド街の中にあるという点は非常に珍しいと思います。隣の隣にソープランド「京都クリスタル」があります。

四角い煙突。

このあたりは、政の湯通りと呼ばれています。銭湯の名前が通りの名前になっています。

脱衣場にタイル貼りの大きな円柱があります。

参考文献

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川崎南町(カフェー「金鶴」跡)彫りぬかれた屋号。

料亭だったと思われる家。

お茶漬け屋のある緑色の壁。

緑色の壁は路地の奥まで続いています。

赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

参考文献

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川崎南町(路地裏の料理屋街)未舗装の砂利道。

川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。

反対方向から。

小料理「あわじ」。

長屋風の飲み屋。

参考文献

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川崎南町(スナック店)かつてのカフェー街。

当時そのままの料理屋やスナックが残っています。

交差点の角に、入口が大きく開いているスナックがあります。入口部分がレンガで作られており、古さを感じます。

こちらも交差点の角にあるスナック。

右側から見たところ。

参考文献

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川崎南町(「酒亭かの子」)菱型の窓を持つ旅館風の建物。

住宅街の中の一画。

赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。

同じ通り沿いにある旅館風の建物。

菱型の窓。


【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

参考文献

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川崎南町(カフェー「スエヒロ」跡)正面に4本の円柱。

赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。

これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。

横から見たところ。

1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。

参考文献

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大塚(大塚三業通り)バッティングセンター脇に入口看板。

大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。

大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1

現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。

老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。

参考文献

*1
豊島区豊島区史 通史編 2豊島区史編纂委員会1983
大塚三業
P.801 日露戦争頃より東京市隣接町村の都市開発は高まり、田畑は姿を消し、代わりに大塚周辺は宅地造成と…

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大塚(三業通り)看板がリニューアル。芸者さんのモニュメント。

伊勢佐木町(阪東橋付近)ヘルス店が乱立する通り。

風俗店の大看板が乱立する通り。写真は曙町二丁目北交差点。

目立つ看板。

ファッションブティックのような外観。ここもヘルス店です。

ヘルス店の前にあるオブジェ。ぐるぐると回っていて360度いろいろな角度から楽しめますが、やはりこの角度が一番です。目線も刺激的です。

参考文献

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伊勢佐木町(親不知通り)丸い円柱のある和風スナック。

親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。

1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。

緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。

スナックの横は路地になっています。

参考文献

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伊勢佐木町(路地裏に残る赤線跡)バルコニー付きの建物。

横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。

それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。

写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。

バルコニー付きの建物。

参考文献

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