長崎戸町(戸町遊廓跡の建物)木造三階建て。

戸町一丁目の海岸一帯は昭和初期までここは遊廓地帯で、狭い道を挟んで木造三階建てを主とした大きな家が二十軒ほども競い建っていました。*1
現在もその名残と思われる木造三階建ての建物が残っています。

かつての雰囲気と名残を感じます。

奥行のある建物です。

高台の上る道路の途中から。

参考文献

*1
嘉村國男長崎町人誌 第6巻(さまざまのくらし編 住の部 2)長崎文献社
古きよき時代の戸町一丁目
P.296 今はここの海岸一帯は造船関係の工場や駐車場となり、様相を一変しているが、昭和初期までここは遊…

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長崎戸町(2階建ての木造家屋)奥行のある町屋風の建物。

長崎戸町(戸町市街)道路が弧を描いています。

戸町一丁目の旧繁華街は、丸い半島の形状に合わせて、道路が弧を描いています。

3階建ての店舗。

道路の形状に合わせて建物もカーブしています。

国分町近くにある造船所。

参考文献

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長崎戸町(戸町港)中小の造船所があります。

今回は、長崎戸町(長崎県長崎市)の町並みを散歩します。国道交差点からほんのわずかに歩いたときにかかる鶴見橋から戸町港が見えます。

中小の造船所があります。

小菅修船場跡。船を乗せて曳揚げる台の形状から「そろばん」ドックと呼ばれました。

高台から見た戸町港。写真奥は女神橋です。

参考文献

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小城(お稲荷さん)小城の遊廓の遊女が信仰。

小城の旧遊廓のメインの通り。

通りの奥(北側)に、娼婦達が参ったお稲荷さんがあります。

煉瓦が使われています。

お稲荷さんの周囲は、堀で囲まれています。

参考文献

*1
岡本澄雄江戸吉原の遊廓と住ノ江遊廓小城の歴史 : 第73号小城郷土史研究会2016
住ノ江は、江戸後期には生活の糧として有明海の魚介類を水揚げしていた漁村であったが、近代化の原動力と…

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小城(住ノ江遊廓 妓楼の建物)面影を残す門構え。

現在は、住宅街となっている住ノ江遊廓跡に、1軒だけ、当時の三階建ての妓楼の建物が残っています。*1

遊廓の面影を残す塀。*1

玄関付近。

北側に隣接する敷地にも立派な塀が残されています。

参考文献

*1
岡本澄雄江戸吉原の遊廓と住ノ江遊廓小城の歴史 : 第73号小城郷土史研究会2016
住ノ江は、江戸後期には生活の糧として有明海の魚介類を水揚げしていた漁村であったが、近代化の原動力と…

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小城(小城遊廓跡)住ノ江橋の東側。

住ノ江遊廓の開業は大正9年11月3日で、八軒の遊廓が軒を並べてどの遊女屋も5~10人の娼妓を抱えていました。*1*2

メインの通り(北側から)。写真奥は住ノ江橋です。*3

東側に入ったところには、検査所がありました。*3

六角川の堤防から旧遊廓地の遠望。

参考文献

*1
福岡博佐賀・小城・多久の今昔 : 保存版郷土出版社2012.11

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小城(住ノ江港)石炭で栄えたかつての貿易港。

六角川の河口の住ノ江港は、かつては石炭で栄えた貿易港でした。*1

現在は漁港になっています。

住ノ江橋。

住ノ江橋の東側(写真左奥)には、住ノ江遊廓がありました。*1

参考文献

*1
岡本澄雄江戸吉原の遊廓と住ノ江遊廓小城の歴史 : 第73号小城郷土史研究会2016
住ノ江は、江戸後期には生活の糧として有明海の魚介類を水揚げしていた漁村であったが、近代化の原動力と…

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小城(スナック店)映画館「桜座」があった通り。

今回は、小城(佐賀県小城市)の町並みを散歩します。
JR唐津線小城駅の北側の通りは、スナックが散在する住宅街になっています。

スナックと割烹料理店。

この付近には、映画館の桜座がありました。*1

桜座があった敷地の隣に建つスナック。

参考文献

*1
フォーラム小城近・現代小城マップフォーラム小城 リンク
桜座跡 リンク
桜座跡 創業は明治期までさかのぼるが、廻り舞台を持った劇場で観客席は桝席になっていた。戦時中一時閉…

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上野(キムチ横丁のトイレ)中国語の貼り紙。

キムチ横丁※1 の中央。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。

広々としたトイレ。

男子小便器の中国語の貼り紙。漢字から、だいたい意味は想像がつきます。

「文明にとっては大きな一歩だ。」

上野(キムチ横丁の通路)ディープな雰囲気の通路。

東上野2丁目の「キムチ横丁」と呼ばれるコリアンタウン。※1
2棟の建物の間が生活通路になっています(南側より)。

ディープな雰囲気の通路。

逆方向から。

横丁の中央部。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。