小田原市街にある松原神社。

周囲は玉垣に囲まれています。

「ういろう」など、小田原の商店などの寄進者の名が見えます。

宮小路トルコ。

小田原市街にある松原神社。

周囲は玉垣に囲まれています。

「ういろう」など、小田原の商店などの寄進者の名が見えます。

宮小路トルコ。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原市街の本町1丁目にある城郭のような建物。

ういらう本店。
外郎(ういろう)家は、中国で約千年、日本で六百数十年続いている家で、初代陳延裕(ちんえんゆう)は、元に仕えていました。
豊臣秀吉が北条家を滅ぼした時、外郎家だけは特別で残され、以後外郎家は、薬を一般に売り出し、江戸時代には宿老として小田原のために尽くしました。外郎家は今も小田原でその伝統を守り続けています。*1

外郎とは相州小田原名物の妙薬「透頂香(とうちんこう)」の別名。万能薬であるが特に舌の回りが良くなるとされます。「外郎売り」は、早口言葉など、淀みない巧みな弁舌で薬の売立の工場を聴かせることに主眼を置いた歌舞伎の演目で特定の筋はありません。*2

「透頂香(とうちんこう)=ういらう」を購入。

外郎(ういろう)家は、中国で約千年、日本で六百数十年続いている家で、初代陳…
早口言葉など、淀みない巧みな弁舌で薬の売立の工場を聴かせることに主眼を置い…
成田山東参道から南へ分岐する興亜道路沿い。

当時のままの牛乳店の建物。

建物上部に森永牛乳の屋号が残っています。

エンゼルマーク。※1

今回は成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
新勝寺額堂には、奉納額や絵馬などが掲げられています。

西側の正面に掲げられている大正10年9月の奉納額。

九段の富士見町花街の芸妓屋、待合などの屋号が記されています。
富士見町花街は、明治二年、菊乃屋の長岡仁兵衛氏が山手方面の繁盛を期する考えからこの地に花街の新設を思い立ち、当時の参議広澤真臣の力にすがって現在の靖国神社境内に茶店を出したのが初めであるといわれ、芸者屋数14軒、芸者総数429名を数えました。*1

待合「福林」(写真右から2番目)は、昭和5年の東都芸妓名鑑*1 に記載のある屋号です。

大網白里市の東側の南今泉。白里海水浴場のすぐ近くです。

そば処の更科。

店内。

天ざるとビールを注文。

大網駅の北西の金谷郷。

大網には、多くの切り通しがあります。*1
金谷郷の切り通しもそのうちの一つです。

幻想的な景色です。

切り通しを抜けたあたり。

大網駅の南側。

三宅島あじさいラーメン。あじさい娘。
店主の話によると、以前は、フランチャイズチェーンのあじさいラーメン*1 でしたが、開業後、本部が倒産してなくなってしまい、そのまま「あじさいラーメン」を名乗っていましたが、いつの間にか「あじさいラーメン」は、ここだけになってしまったそうです。

あじさいラーメン本部は、軽トラックを使った屋台式ラーメン(移動販売)をチェーン展開し、話題となりました。*2

醤油ラーメンを注文。

大網の商店街の東側。国道128号線を跨ぐと、畑の中にエメラルドグリーンの城が出現します。

城郭様式を模した外観のラブホテルです。

入り口部分の上部は、狭間胸壁(はざまきょうへき、凹凸状の壁面)の外観を備えています。*1

張り出し狭間(石落とし)。*1

著者(風きよし)が独自の目線で書いた散歩本。
…P.112
中世ヨーロッパ…
大網商店街の交差点の北側。

木造2階建の銀行建築の熱海輪店。登録有形文化財(旧千葉銀行大網支店)です。*1

近年の改装で、モルタル塗石目地仕上げがタイル貼りに変ったが、大正期銀行建築の骨格は旧状を留めています。*1

パラペット中央に紋章飾りを据えた半円アーチ。*1

大網の商店街の交差点。

木造家屋の前に標識が建っています。

「つうがくどうろ」の標識。

国交省の正式な道路標識ではなくオリジナルの標識です。
