下仁田駅前の十字路にこんにゃく料理の「常盤」があります。

常盤館は、もともと、木材、繭やコンニャクなどの取り次ぎで、この地を往来する商人の宿として、大正元年に創業致しました。*1

「全国花街めぐり」*2 によると、下仁田には、戸数500ぐらいの土地で料理店(甲種)32軒、芸者が50名近くいて、常盤館は内芸者(うちげいしゃ)を置いていたそうです。

昭和初期、竹久夢二の旅の宿ともなりました。*1

下仁田駅前の十字路にこんにゃく料理の「常盤」があります。

常盤館は、もともと、木材、繭やコンニャクなどの取り次ぎで、この地を往来する商人の宿として、大正元年に創業致しました。*1

「全国花街めぐり」*2 によると、下仁田には、戸数500ぐらいの土地で料理店(甲種)32軒、芸者が50名近くいて、常盤館は内芸者(うちげいしゃ)を置いていたそうです。

昭和初期、竹久夢二の旅の宿ともなりました。*1

今回は、下仁田(群馬県甘楽郡(かんらぐん)下仁田町)の町並みを散歩します。
高崎駅から上信電鉄に乗り、終着駅の下仁田駅に到着です。

レトロな駅舎です。

西側から。

周囲や山に囲まれています。

上毛電鉄中央前橋駅前にある美やこ食堂。

手打ちのうどん、そばが名物です。他に定食、丼もの。

店舗はかなり広いです。テーブル席とカウンター席。

天ざるの大盛を注文。蕎麦は平打ちの極細です。

前橋市中心部に位置する前橋市中央児童遊園。

遊園地の入口近くに片流れ屋根の「もくば館」があります。内部電動木馬と一体的に残る遊園施設です。*1
登録有形文化財に指定されています。

現存最古級の5基の電動木馬。*1

1回10円です。大人は乗れません。

臨江閣は、明治43年に本市を主会場に開催された一府十四県連合共進会(博覧会)の貴賓館として建てられました。*1

明治時代の木造建築です。

大広間。

博覧会は60日間開催され、当時前橋の人口が4万5,000人だったのに対し、この共進会には94万4,000人が来場。別館は行事や大会、夜会などに利用され、当時の首相である桂太郎をはじめ、大隈重信や渋沢栄一など多くの貴賓が訪れました。*1

三社神社の鞘堂(さやどう)※1 のうち、水分、雷電両社は、木祠でですが、左端の福守さんだけは男根です。石製、木製の大小さまざまの男根が数多く奉納されています。*1

2段目の棚の木製男根。
願主の氏名らしきものが書かれた男根もあります。(写真左側)

福守小唄。

川崎の若宮八幡宮のかなまら祭の写真も奉納されています。

福守さまは、橘神社の境内の本殿裏、一段高いところに祀られている。一つの鞘堂…
前橋市内から国道17号線を渋川方面へ向かった群馬大学の先の高台に橘神社があります。

橘神社の境内の本殿裏、一段高いところに三社神社が祀られています。

「三社神社の由来」の案内板。三社神社は、水分(みずわけ)神社、雷電神社、福守神社がいっしょになった神社です。

一つの鞘堂(さやどう)が三つに仕切られています。向かって右側が水分神社、中央が雷電神社、左端が福守神社です。*1

前橋市の敷島公園近くに、敷島浄水場配水塔が保存されています。
1929年に造られ、登録有形文化財(建造物)に指定されています。*1

水槽は、かなり大型です。
外側は断熱材で巻かれ、更に銅板で覆われています。*1

給水塔は鉄骨造で、八本の柱を立て水槽を支える構造になっています。*1

水道資料館が近接して建っています。

今回は、前橋の町並みを散歩します。
「大黒寿司」は、JR新前橋駅ロータリーにある老舗の寿司屋さんです。

寿司店ですが、ランチの定食、ラーメン、カレーもあります。

テーブル席の他、カウンター席もあります。

ちらし寿司を注文。

倉賀野は中山道の宿場の一つでした。旅の疲れを休め、骨休めをする旅籠屋や飲み屋が軒を連ね、飯盛女もいました。*1

この寺の墓地の片隅に、無縁仏となったいくつかの墓があります。

「高崎の散歩道」*1に、遊女の墓として紹介されいる墓石。
墓石には、
「越後 新潟平次 娘 きく墓」
「越後 三條裏館村 こよ墓」
「越後 大宮嶌村 女 へて墓」
「越後 三條久兵衛 女 里よ墓」
と刻まれています。*2

無縁仏は、他国出身の娘で、若く死亡した仏さまの墓が多い。出身地を分類すると越後の国が多く、また、没年齢の平均は21才でした。*1
「越後国長岡中源町 権介娘 やの」と刻まれています。*2

P.93
倉賀野は中山道の宿場の一つであった。旅の疲れを休め、骨休めをする旅…
…
⑨主な埋葬者
越後國三…