取手駅西口から競輪場へ向かう道の途中。

駐車場。

中国語の看板。「请不要在停车场内上网和吸烟」
(駐車場でのインターネット閲覧や喫煙はご遠慮ください。)

こちらは、日本語の看板です。

取手駅西口から競輪場へ向かう道の途中。

駐車場。

中国語の看板。「请不要在停车场内上网和吸烟」
(駐車場でのインターネット閲覧や喫煙はご遠慮ください。)

こちらは、日本語の看板です。

取手市台宿の住宅街。

「越後屋」の大看板。

店内に掲げられている暖簾には、「餃子の店」と書かれています。

「餃子2人前定食」とビールを注文。
(餃子2人前定食は、通常メニューにはありません。)

「従是筑波山道」碑※1 の近くの県道沿い。
お食事、結婚式。手打ちそばの看板。

モーテルのような2階建ての商業施設の建物が建っています。

お食事処。

天ぷら蕎麦とビールを注文。

蚕影神社の参道の入口に、一軒の茶店(「春喜屋」)が残っています。*1

戦前までは三軒ほどの茶店があって、三月から五月にかけての代参時期にはかなりの参拝者で賑わいました。*1

土産物の「蚕影羊羹」の看板。

自然湧水。

北条から筑波山神社へ向かう「つくば道」の中間点あたりに、蚕影神社の道標がありますが、ここから西へ進んだ山腹に蚕影山神社が鎮座しています。
蚕影山信仰は、養蚕が盛んになった頃から、全国各地に流布されていました。*1

奉納額のほとんどは、大正時代から昭和初期にかけてのものです。

額殿新築寄付者の石碑。寄付者は関東各地や東北地方まで広範囲に及んでいます。

金色姫伝説(病で亡くなった金色姫の遺骸が繭になり、繭から糸を取ることを教えられた)が日本の養蚕の始まりとされています(案内板より)。

夫女原の歌碑※1の南側に「夫女ヶ石」があります。

矢印の方向に進むと、大きな自然石が2つ。

陰陽石とも言われる奇石で、その形が男女並んでいるようにみえるため「夫女ヶ石」の名が付けられました(案内板より)。

割れ目があるので、こちらが陰石でしょうか。

今回は、筑波(茨城県つくば市)の町並みを散歩します。
筑波山の麓。筑波ふれあいの里の前に、大きな石碑が建てられています。

当時、常陸の国府の役人であった高橋虫麻呂が筑波山の嬥歌会(かがい)に参加したときに詠んだ歌です(案内板より)。

嬥歌会(かがい)とは、筑波の国の裳羽服津(モハキツ)のほとりに、男も女も誘い合って集まり、歌を掛け合わせて、性の解放におよぶことは、をいい、これは、筑波の山の神がその昔から認めてきた行事だと、詠みあがています。*1

筑波山の嬥歌が行われたモハキツについては、次の5説があるそうです。*1
1.夫女原(ぶじょがはら):旧六所神社の裏山、筑波山神社の南東方8丁余の麓
2.飯名岡(いなおか):筑波町臼井、飯名神社の丘陵
3.蚕影山(こかげやま):筑波町神郡、蚕影山神社の山
4.真壁町羽鳥
5.御幸原(みゆきがはら):男体山と女体山の鞍部
たしかに、ここ夫女原は、多くの男女が集まれそうな広い場所です。

土浦駅西口のバスターミナルに建つ裸婦像。

デッキの上からも見ることができます。

後ろから。

豊かな体格の裸婦像です。

土浦駅前の桜小路の隣の通は、居酒屋やスナック・パブなどが密集する歓楽街です。

ものまね芸人が出演する居酒屋。

パブの看板が乱立しています。

ショータイムを売りにする店。

土浦市中央1丁目の交差点の角にある「保立食堂」は、明治二年、魚問屋と食堂を兼ねて開業したもので、予科練※1 の指定食堂でした。*1

現在は、天ぷら屋ですが、建物の外観は予科練習生が来ていた当時と同じ店構えです。*1

当時、土浦市にはこの保立食堂の他、保長食堂、富久善本店、豊島百貨店食堂、桝屋そば店、吾妻庵等、計7店の予科練指定食堂があり、このうち、現在も残っているのは、土浦市中央にある桝屋そば店、吾妻庵とこの保立食堂の3軒です。*1

天ぷら定食とビールを注文。

「保立食堂」は、明治二年、魚問屋と食堂を兼ねて開業したもので、予科練の指定…