阿見坂上の「さとう衣料品店」前。

道路の角に、「海軍用地」の標識が残っています。*1

中郷東の旧中印刷前の道路沿いにも同様の道路標識が残っています。*1

残念ながら、表面は風化して判読不能です。

阿見坂上の「さとう衣料品店」前。

道路の角に、「海軍用地」の標識が残っています。*1

中郷東の旧中印刷前の道路沿いにも同様の道路標識が残っています。*1

残念ながら、表面は風化して判読不能です。

現在、陸上自衛隊土浦駐屯地ある場所は、戦時中、土浦海軍航空隊の本部がありました。*1
その敷地の一角に、予科練の碑(予科練二人像)が建っています。

「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」の略称で、戦時中、14才半から17才までの少年を全国から選抜し、搭乗員としての訓練をし、このうち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。*2

予科練二人像。左側に「七つボタン」の制服姿、右側に飛行服姿の像。

『若鷲の歌』では「七つボタンは桜に錨・・・」と歌われたことから、七つボタンの制服は、当時の少年たちの憧れとなりました。*3

「武蔵屋」※1 のあるY字路の近くの国道沿いに、入口に何の表示もないアーケードがあります。

空き店舗もありますが、いくつかの商店は営業中です。

アーケードの出口に「土浦名店街」の看板がありました。

「土浦名店街」遠望。

モール505(写真左奥)※1 のY字路の角に建つ看板建築。

Y字路の形状に合わせて、建物も三角形です。

独特の形状のパラペットが正面部分に立ち上がっています。

霞ヶ浦名産、うなぎ、しら魚。

今回は、土浦(茨城県土浦市)の町並みを散歩します。
土浦駅前近くにある「モール505」は、つくば万博が開催された昭和60年にオープンした、全長505メートル、三階建てのモール型ショッピングセンターです。*1

もともとこの場所には、川口川という川が流れていたため、ショッピングセンター自体がゆるやかなカーブを描いています。*1
土浦高架道(写真右)と寄り添うようにカーブしていて、不思議な空間になっています。

モールの途中には、505のオブジェが掲げられていて、この部分は通り抜けができるようになっています。
2階、3階は通路になっています。

モールの前面は公園になっています。

水戸市街、南町1丁目の交差点から少し入ったところにある「富士食堂」。

昔ながらの大衆食堂です。

ラーメンから定食まで、幅広いメニュー。

タンメンとビールを注文。はじめに食券を買います。

大工町1丁目にある山口楼は、明治五年の創業の会席料理の老舗です。

明治時代、上市(うわいち)の花街は、大工町を中心に鳥見町、裡新願寺、泉町、裡五軒に散在し、鳥鍋、鰻屋、寿司屋などの飲食店も出現し、盛り場となりました。料亭には「中川楼」「山口楼」などが建っていました。*1*2

明治34年間の水戸案内は、市内の割烹18店を紹介していますが、この割烹18店のうち今も栄えているのは、山口楼のみです。*3

山口楼は、現在では大洗町などにも日本料理店を展開しています。*4

P.33
上市にも芸妓
上市の芸妓屋は、大工町を中心に鳥見町、狸新願寺、泉…
P.286
明治34年間の水戸案内は、市内の割烹18店を紹介。中でも垂楊亭は”水戸…
水戸市街の泉町2丁目に、レトロな建物が残る一画があります。

泉町会館は、昭和30(1955)年に建てられました。*1

1階はワインバーと水戸のおみやげ品を製造・加工できる場所に、2階は市民も使うことができるオープンスペースになっています。*1

泉町会館があった場所には、昭和の初め、水戸市警防団がありました。*2

泉町会館は、昭和30(1955)年に建てられました。1階はワインバーと水戸のおみ…
水戸市に警防団が結成されたのは昭和十四年五月。その後の戦時中の六年間、消防…
赤塚氷川神社の富士塚は、板橋の文化財一覧に指定されています。*1

この富士塚が造成されたのは、天保六年(1835)頃と考えられているそうです(案内板より)。

山頂からの眺め。

山頂の祠には、大黒様と恵比寿様がまつられています。

地下鉄成増駅の南。成増1丁目の住宅街。

中華料理「奥州軒」。

ビールを頼んだときに出てくる御新香は、小分けされた状態で冷蔵庫に準備されていて、パックのままでていきます。合理的です。

チャーハンを注文。
