神田小川町の靖国通りから南へ入ったところにある「みますや」。創業は、明治38年、現存する東京の居酒屋では最古といわれています。看板建築の建物は、昭和3年のたてものです。*1

昭和の雰囲気が残る店内。

昼間はランチ営業です。ごはんの大盛(100円)は、ものすごいボリュームです。

夜になると、居酒屋の営業が始まります。

ちよだく
神田小川町の靖国通りから南へ入ったところにある「みますや」。創業は、明治38年、現存する東京の居酒屋では最古といわれています。看板建築の建物は、昭和3年のたてものです。*1
昭和の雰囲気が残る店内。
昼間はランチ営業です。ごはんの大盛(100円)は、ものすごいボリュームです。
夜になると、居酒屋の営業が始まります。
神田小川町2丁目のビル街。写真右手前は、以前のビルが取り壊され、建て替え予定となっている更地です。
更地の隣の3階建てのビル。正面から見ると2階建てのように見える点は、看板建築の特徴を有しています。
更地の方向から見た建物の側面。
少しだけ3階部分が垣間見えます。
神田多町2丁目にある「栄屋ミルクホール」。銅板葺きの看板建築です。
創業は、昭和20年。*1
ラーメン。
カレーラーメンを頂きました。
神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1
正面部分のみ銅板が貼られています。
建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。
逆方向から。
神保町の靖国通り沿いにある「スマトラカレー」は、大正13年創業の老舗カレー店です。*1
明治の末、広く東南アジアに遊び知見を広めた伊藤友治郎氏より、スマトラ島のカレー の作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジしたのが、共栄堂のカレーです。※1
ポークカレーとビールを注文。
デザートの焼きリンゴ。
リンゴは紅玉。10月から4月までの限定メニューです。*2
神保町の古書店街から水道橋にかけての道路沿いには、以前※1 と比べ数は減りましたが、アダルトビデオ店が健在です。
店舗脇の壁面。
古書店街にある店舗。
アダルト専門店です。
今回は、神保町の町並みを散歩します。
神保町シアターは、古い邦画を中心に、上映している映画館です。
今月は、「女たちの街」と題し、色街、花街、ネオン街の名作17作が上映されています。
今回、鑑賞したのは、「赤坂の姉妹 夜の肌」川島雄三監督の昭和35年の作品です。
館内の壁面。
かつて男坂の途中には、料亭「開化楼」の高楼がそびえたっていました。*1
現在、男坂の途中には、オフィスビル「KAIKA」が建っています。
料亭「開化(新開化)」があったたり。
料亭「開化」の前には、神田芸組合の事務所が建っていました。*1
写真奥は、神田川本店がる方角です。※1
神田明神下の南側の一画にある神田川本店。美しい黒板塀のある老舗料亭です。
創業は文化2年。代々受け継がれている辛口のタレは、江戸幕府の賄い方だった初代が万世橋の際で開いたときからのものだそうです。*1
神田川本店の裏手の路地。このあたりは、かつての花街のころの雰囲気が残っています。
現在は、神田川本店の倉庫となっている一画。
かつて、神田明神下同明町に花柳界があって、この三業地を俗に講武所、ここの芸者を講武所芸者と言いました(講武所とは、幕末に創設された幕府の武術教育所のこと)。*1
花街のことを「講武所」と呼んだのは、
・講武所の運営費捻出のため、現在の秋葉原駅の万世橋通り付近の土地を町屋に編入して地代を取るようになり、安政期(1854-59年)にこの地に芸者が姿を現したため、講武所芸者と称されるようになった。*2
・旗本、御家人などの二男・三男が武芸鍛錬のため講武所へ行くと言って家を出てここで遊んでいたとか、客に講武所の生徒が多かったため、*1
など諸説あります。
また、明治3年)頃に、芝居茶屋が出現し、同時に草分け芸者が生まれ、花街となった。*3 とする説もあります。
男坂の通りの北側の通りにある料理屋。右側の建物もかつての料理屋です。
料理屋「あら喜」
元料理屋の建物。
「章太郎」は、明神したの艶っぽさを残す名店です。*2
JR御茶ノ水駅の北側の外堀通り。神田川沿いに建ち並ぶ4階建ての建物※1 の裏側にあたります。
「玉台家具製作所」の木製の文字看板。昔は、ビリヤード台のことを「玉台」呼んでいたようです。
創業50年の老舗ビリヤード場です。*1
カラフルな看板。
今回は、神田明神下(東京都千代田区)の町並みを散歩します。
JR御茶ノ水駅の東側。神田川に架かる聖橋からみたJR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線が立体交差します。ずっと眺めていても飽きない景観です。
昌平橋から聖橋方面の遠望。
川沿いに4階建ての建物が建ちならんでいます(JR御茶ノ水駅より)。
ビリヤードの建物。
秋葉原の昭和通り沿い。1本入った通りには、ガールズバーやカフェバーなどがひしめいています。
上から下までガールズバーがはいるビル。
秋葉原駅南口。最近、アダルトビデオ製作会社が運営する居酒屋がオープンしました。
立ち飲み屋。
今回は、秋葉原(東京都千代田区)の町並みを散歩します。JR秋葉原駅の東側の昭和通り沿いは、裏秋葉原とも言えそうなエリアです。ビデオ店の巨大看板や風俗店の派手な看板が密集しています。
レトロな雰囲気のビデオ店の看板。
ビルを見上げると、はるか上方に張り紙。写真左側は総武線の高架です。
総武線の車窓から。張り紙がよく見えます。
2000年代初め、秋葉原に続々と開店したメイド喫茶は、現在も盛況です。秋葉原から神田川を渡った神田須田町にもメイド喫茶の店舗が進出しています。
写真の店は、1階がバーで、地下1階がアニソン(アニメソングのこと)専門のカラオケ店。
同じく神田須田町のメイド喫茶。
コスチュームの展示・販売。
「大人の遊園地」がコンセプトのメイド喫茶。
万世橋近くにあるラジオガァデン。その名の通り、電機部品の店舗です。かつての秋葉原の電気屋街を思わせる風景です。
ラジオガァデンの中になる飲食コーナー。肉の万世の直営店です。
生ビールを注文。写真左側のかつサンドは、見本品です。
店内には、肉の万世の開業当時の写真は、当時の秋葉原の写真が展示されています。
関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。
写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。
こちらも、一見何の変哲もない2階建て。
横から見ると3階建てです。
神田須田町の「肉の万世秋葉原本店」の東隣にある狭小建物。1階に多数の自販機が並んでいます。
珍しいポップコーンの自販機。
中身が不明な怪しげ商品も販売されています。
看板。
神田須田町二丁目の「肉の万世秋葉原本店」の東側の一画。ビルとビルの間に、狭い空間があります。
生活用の通路となっているようです。
長い側溝。
マンションの1階部分を貫通しています。
神田須田町の京浜東北線の「第一柳町橋高架橋」。高架下が倉庫のスペースになっています。
「たばこのむな」の注意書き。
最近は使われなくなりましたが、昔は、たばこを「のむ」という言い方が使われていました。
南隣の「平永町橋高架橋」。こちらは、「禁煙」の注意書きです。
神田須田町の柳原通り※1 を南側に入った路地。このあたり問屋街だったと思われます。右側の建物には、株式会社西田文庫と書かれていました。
左側の建物は、ビデオ&本。
「大人の夢をかなえる!!」成人向けの店舗だったようです。
店名の「ドリーム」の「ド」の濁点部分には、ハートのマーク♡♡がデザインされています。
建物脇の路地。
今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1
写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4
海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3
2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1
今回は、四ツ谷(東京都千代田区、新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
吉原遊廓の成立を書いた最古の資料「異本洞房語園」には、「慶長の頃迄、御城下定りたる遊女町なし、傾城屋所々にありし中にも、軒をならべ集り居たる場所、三四ケ所あり、麹町八丁目に十四五軒、鎌倉河岸に同断、大橋の内柳町に廿余軒...」と書かれています。麹町八丁目とは、現在の麹町四丁目付近です。*1
現在、この付近には、千代田区 町名由来板ガイドがあります。
遊廓は、元和3年に日本橋(元吉原へ)移転しました。*1
名由来板ガイドが設置されているのは、麹町4丁目と五丁目の境界付近です。
【参考文献】
*1 石崎芳男:よしわら「吉原」(早稲田出版,2003)
江戸には、湯女を置いている風呂屋が200軒余あったといわれ、優れた湯女も出ました。代表的なのは、井原西鶴が「好色一代男」の中で描いた勝山でした。勝山がいた湯女風呂は、神田佐柄木町(現在の神田淡路町交差点の近く)にあった旗本堀丹後守の屋敷前にあり、男たちがここに集まり派手な風俗を競いあったので、その風俗を歌舞伎にうつして丹前風と呼ばれました。*1
佐柄木町周辺にあった湯女風呂は俗に「丹前風呂」と呼ばれました。*1
淡路町の町名由来看板に江戸時代の古地図が掲載されています。佐江木町は、淡路町交差点の南側にあったことが解ります。
淡路町の町名由来看板に、丹前風呂のことは書かれていませんでしたが、淡路町からは少し離れた美土代町(みとしろちょう)」の町名由来板に、丹前風呂のことが書かれています。
この付近に丹前風呂がありました。
【参考文献】
*1 神保五弥:浮世風呂(毎日新聞社,1977)P.20-P.25
千代田区内神田1丁目。このあたりはオフィス街ですが、突然アダルトビデオに遭遇します。
1階は酒屋などの商店ですが、2階がビデオ屋になっているようです。千代田区内神田1丁目。このあたりはオフィス街ですが、突然アダルトビデオに遭遇します。1階は酒屋などの商店ですが、2階がビデオ屋になっているようです。
「憾娼」。「鑑賞」と書くべきところ、この字をあてはめたのでしょうか。
酒屋の雰囲気も残っていますが、現在は「憾娼」の看板が目立っています。
神田鍛冶町三丁目にある古い商業ビル。
パーマ屋の看板。現在は休業中です。
1階が、パーマ屋や理容室などの商業スペースで、2階と3階は居住スペースです。
理容室は、現在も営業中です。
神田駅周辺には、ラブホテルはありませんが、新旧のレンタルルームが多数あります。
新しいレンタルルームもオープンしています。
ビデオ鑑賞店に隣接するレンタルルーム。
駅の西側のビジネス街の中にあるレンタルルーム。
ビルとビルの間の狭いすき間。箒が吊るされています。
奥に鳥居のマークがあって、「トイレはガード下にあります。」と書かれています。
道路を挟んだ反対側のガード下。
トイレはガード下にありました。
神田駅から線路沿いに南下すると、「今川小路」の看板が現れます。
居酒屋が営業するガード下の飲み屋街です。
高架下建築。
高架の複雑な鉄骨構造が露出しています。
今回は、神田(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
神田の魅力は、ガード下です。
通常の高架下建築とは異なり、山の手線の高架と道路が交差する部分のガード下に飲み屋が集中していて、独特の雰囲気をかもしだしているのが、神田駅前の特徴です。
昼、なお暗いガード下。
夜の飲み屋街の雰囲気です。
皇居の北の丸公園から見ると、堀の向こう側に「昭和館」の巨大な建物が見えます。
昭和館は、戦中、戦後の国民生活を中心とした資料を 展示している博物館です。
「働く女性」に焦点をあてた企画展が開催中です。
初代、スチュワーデスの制服の展示もあります。
九段南三丁目の東側の九段南二丁目の区画も、花街でした。
こちらには、現役の料亭などは無く、住宅街となっていますが、かつての花街を思わせる住宅がいくつか残っています。
料理屋だった建物。*1
料理屋だった頃の屋号が残っています。
【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図(戦後分)千代田区 九段坂上方面・靖国神社方面(都市整図社,1954年)
今回は、九段(東京都千代田区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の九段三丁目は、旧町名で「上三番町」と呼ばれ、料亭などが集まって発展した町でした(掲示板より)。
かつての料亭街の中心部。道の両側に料亭が建ち並んでいました。*1
三業会の事務所があった場所*1 は、チュニジア大使館になっています。
唯一、当時の屋号で営業中だった、「酒亭田むら」は、閉店して跡地は駐車場になっています。
【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図(戦後分)千代田区 九段坂上方面・靖国神社方面(都市整図社,1954年)
「新橋方面近道」のビルの通路※1。中央部分あたりに、2階へ上る階段があります。
階段脇にあるトイレ。
ドアは開けられたままです。
女子専用。
JRのガード下を有楽町から新橋駅へ向かう途中に、「新橋近道」と書かれた入口があります。
暗い地下道のようなガード下の通路が延々と続きます。
所々に、このような階段があります。
階段を登ると、2階にも同じような通路が続いています。
地下鉄有楽町駅を地上に出ると、皇居を望む丸の内です。
ここには、第一生命本館、帝国劇場、明治生命ビルなど、昭和の激動期を見つめてきた近代建築物が多く残っています。
明治生命ビルは、昭和9年(1934年)竣工。ギリシヤ・ローマ建築を思わせる建築形式です。敗戦後、マッカーサーが一部会議室として使用しました。*1
マッカーサーがGHQ(連合軍最高司令部)の本部を置いたのは、明治生命ビルの300m南にある第一生命ビル(現DNタワー21)です。マッカーサーの執務室なども保存されています。*1
東京宝塚劇場は、1934年、東京での宝塚歌劇の拠点となる劇場として誕生。その後、立替工事を行い、2001年、リニューアルオープンしました。3
敗戦後は、アニー・パイル劇場と改名された宝塚劇場は、他の接収施設とは多少事情が異なりました。観客は米軍の将校、兵隊でしたが、舞台上や舞台裏で日本人が活躍し、戦後の日本のエンターテイメントの発祥の地となりました。2
【参考文献】
*1 小林一郎:目利きの東京建築散歩(朝日新聞出版,2010)
*2 朝日新聞社会部:有楽町有情(未来社,1981)P.149-P.153
【参考URL】
*2 宝塚歌劇団:宝塚歌劇ホームページ劇場案内
有楽町駅の南側のガード下は、飲み屋が密集する場所です。
店からあふれた客たち用に、道路に丸イスが並べられています。
ガード下の通路を南側へ進むと「ホッピー」のノボリとおびただしい数の提灯。
トンネル型ガードは、「焼き鳥横丁」と呼ばれ、わずか30,40mのかいわいに10軒ほどの店が並んでいますが、やはりこの一角では漂う煙が主役です。*1
「小松」、「登運とん」、「ふじ」、「金陵本店」は、昭和中頃から現在も続いている店です。
トンネル内には、濃い煙が立ち込めています。
【参考文献】
*1 朝日新聞社会部:有楽町有情(未来社,1981)P.81-P.85
JR線が走る遊楽町のガード下にある“有楽町コンコース”に、昭和の時代をそのままに再現した飲食店があります。
丹下左膳のポスターとミルクホールの看板。
「ミルクホール」は、明治30年(1897年)頃に各地の大学街などに現れました。当初は「新聞・官報縦覧所」と言われ、手頃な価格でミルクを飲みドーナツなどの軽食を食べながら、備え付けられた新聞や雑誌を閲覧することができました。まだ飲み慣れなかった牛乳の乳臭さを消すためにコーヒーが加えられ、一般大衆にコーヒーメニューが受け入れられることにもつながりました。*1
トリスバーの看板と理髪店。
性病科の診療所の看板。
【参考URL】
*1 UCC上島珈琲株式会社:時代を映す愛すべき空間~カフェはじめて物語・日本篇~
有楽町駅の南側のガード下。
ここに、サラリーマンの憩いの場所があります。
清涼飲料水の自販機コーナー。
ビール(炭酸飲料)も販売しています。
自販機前にはテーブルがあって、自販機で買ったビールをその場で飲むことができます。
有楽町で書き落としてならないのは、すし屋横丁(通称:スシ横)です。現在の交通会館と新幹線の間には、「ヤミ市」の名残として、二階建てのすし屋横丁が昭和30年代まで残っていました。「スシ横」は、近隣のサラリーマンの手軽な安息所として人気を集めましたが、建物は年とともに老朽化し、汲み取り式の共同便所は異臭を放っていました。東京オリンピック開催を控えた時期、新幹線を日本の技術の粋として世界に紹介しようということになり、「スシ横」の撤去を断行するため、「東京交通会館」の設立が決定されました。*1
当時、すし屋横丁には、「ミルクワンタン」という店があって、店名にもなっているミルクワンタは、ワンタンの汁が牛乳で、モツの煮込みが入れてあるというものでした。カウンターには、油虫がはってて、床にはニワトリの足だの首だの落ちていましたが、味は最高でした。*2
現在の「ミルクワンタン」は、東海道線ガード下に移転しています。1968年、すし屋横丁の立ち退きの際、民間会社の倉庫だった物件が売りに出されると聞きつけて、主人の藤波さんは、金額よりは有楽町かいわいにあるかないかが問題だと考え、飛びつきました。*2
「ミルクワンタン」と赤い文字で書かれた看板。
ミルクワンタンは、若いころシベリアを放浪した藤波さんが、ボルシチにヒントをえて創作した料理で、和風スタミナ・シチューと考えればよく、胃にもなじみやすく、二日酔いにも効く、と評判をよびました。*2
【参考文献】
*1 木村毅:有楽町今と昔(東京交通会館,1980)P.271-P.272
*2 朝日新聞社会部:有楽町有情(未来社,1981)P.109,P.122-P.126
JR有楽町京橋口から徒歩0分のところに、「有楽町高架下センター商店会」の入口があります。
夜になると、看板に明かりが灯ります。
高架下を北に1分ほど歩くと、丸三横丁の看板があります。
JT高架を横切るわずか50mのトンネル状の小道に、味わい深い飲み屋群がぎゅ~っと詰まっています。場所は、東京国際フォーラムのすぐ隣。凄いギャップです。*1
【参考文献】
*1 散歩の達人:散歩の達人(1999.11)P.8-P.9
今回は、有楽町(東京都千代田区)の町並みと風俗を散歩します。
有楽町駅の日比谷口を出て、すぐ左手に折れるとガード下です。頭上をJRの電車が走り抜けます。
敗戦直後、このあたりは、パンパンガール(街娼)のかせぎ場でした。*1
東京に進駐した占領軍は、日比谷の第一生命ビルにGHQを設置し、焼け残った建物は次々と接収されました。有楽町から日劇の周辺には、進駐軍将校や靴みがき少年、浮浪児、パンパンガールなどが街にあふれていました。東京におけるパンパンガールの発祥地はこの有楽町で、「ラク町ガール」とも呼ばれました。*2
パンパンガールは、旧日劇前や数寄屋橋交差点を周辺にも分布していました。
有楽町のガード下は、現在でも、昼なお暗い場所です。
【参考文献】
*1 朝日新聞社会部:有楽町有情(未来社,1981)P.12-P.17
*2 桑原稲敏:戦後史の生き証人たち(伝統と現代社,1982)P.12
赤坂の東側。永田町にある首相官邸は、日本の政治の中枢です。
昭和41年、この首相官邸の裏にトルコ風呂の建設が申請されました。当時、トルコ風呂の営業地域は特定されておらず、許可さえ受ければどこでも開業できた時代だったため、トルコ風呂業者が永田町の首相官邸の近くでの営業を申請したわけです。ところが、それを知った佐藤栄作首相が大激怒。関係省庁にハッパをかけ、第15回国会に「風俗営業等取締法の一部改正」を上程して通過させ、開業を阻止しました。風俗ジャーナリストの広岡敬一さんは、どこの誰による開業申請かを探るため、所轄と思われる麹町保健所で申請書を探しましたが、書類は破棄されて不明だったそうです。*1
トルコ風呂の建設が申請された「官邸裏」とはどこだったのか、手がかりが無く不明ですが、この問題を議題としてとりあげた昭和41年6月27日の参議院地方行政委員会*2 で、市川房枝議員は「総理官邸の下」と表現しています。おそらくトルコ風呂は、官邸のある高台よりも地形的に低い場所に計画されていたのでしょう。首相官邸の南東側は崖になっていて、現在、この付近には、東横イン官邸南店などの民間のビルが建ち並んでいます。
また、同委員会で、松澤兼人委員は、「参議院会館の窓からのぞくと、大きなたれビラが、屋上から下に下がっていて、『サウナ・バス、八月一日オープン』と書いてあった。」とこのときの状況を国会で説明しています。*2
さらに、松澤兼人委員は、「きのうヒルトンホテル(現在のキャピトル東急ホテル)に参りましたら、あの角のところに何とかというビルがある。そこにサウナ・バスとかいう大きなたれビラがたれまして、八月一日オープンと、こう書いてある。」と述べています。*2
「大きなたれビラ」があったと思われる場所は、首相官邸からは少し離れていますが、官邸の北西に位置し、地形的にも低い場所にあります。この付近にトルコ風呂が計画されていた可能性もあります。
【参考文献】
*1 広岡敬一:戦後性風俗大系(朝日出版社,2000)P.211-P.212
【参考URL】
*2 国会会議録検索システム:第051回国会地方行政委員会第32号(1966.6.27)
神田神保町2丁目に銭湯の梅の湯があります。
都会のビルの谷間にある銭湯です。
マラソンのお客様向けの貼紙。皇居の周辺をマラソンした後、この銭湯を訪れるランナーの方々が、銭湯の需要を支えているようです。
内部は清潔そのもの。「ハイパワージェット」なる泡風呂は名前の通りハイパワーでした。
靖国神社のある九段下の近く、神田神保町三丁目に昭和のモダン・ビルが残されています。
1階には、店舗が入居していたようです。現在も飲食店が何軒か営業中です。
旧名「今川小路共同建築」、現在は「九段下ビル」と看板を掲げる三階建てのビルは、昭和2年、戦災復興事業のひとつとして、建てられました。倒壊の危険も囁かれていますが、今のところ、解体の計画はないそうです*1
裏から見ると、かなり風化が進んでいることがわかります。
【参考文献】
*1 藤木TDC,イシワタフミアキ:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.24-P.25
神保町交差点から白山通りを南下したあたり。近くには首都高速都心環状線が通っています。
ここに、ひときわ目立つ円柱状のオブジェを持つ不二ラテックス株式会社(コンドームメーカー)の本社ビルがあります。
不二ラテックス創立者の岡本忠大さんは、精巧なヌード姿の蝋人形を作るのが趣味で、由美かおる、マリリンモンロー、岡田菜莉子、八代亜紀などがあって、性器やヘアまでそっくり(?)にできていました。岡本さんは、興に乗るとこれらの人形を並べて酒を飲んだ粋人でしたが、1983年4月、肝臓ガンで亡くなりました。*1
『胴部三段緊縮絞り』のコンドームを模した巨大ネオン塔。企業の宣伝という立派な大義名分を果たしてはいるのですが、そんな有用性を突き抜けて製作者のやみくもな思い入れがムキ出しに現れているところが、痛く感動的です。*2
【参考文献】
*1 セルフ出版:元気マガジン(1983.8)P.16 「不二ラテックスの故岡本忠大社長に哀悼の意」
*2 赤瀬川原平:路上観察学入門(筑摩書房,1993)P.266
神保町の靖国通りから路地を入った「アカシヤ書店」の近く。
レトロなゲームセンターがあります。
ゲームセンターの歴史は、1972年に登場した米アタリ社のピンポンテレビゲーム「ポン」が普及のはしりと言われています。その後、1976年に「ブロッグくずし」が登場。1978には、タイトーの「スペースインベーダー」をはじめとするインベーダーゲームがヒットしました。*1
驚くべきは、入口付近に80年代の全盛時代のゲーム機が並べられていることです。手前から、「スペースインベーダー」、「ギャラガ」、「ムーンクレスタ」と並んでいます。まるで、博物館のようです。
【参考文献】
*1 石川弘義:大衆文化事典(弘文堂,1994)P.237
ビニール本(透明なビニールで密閉されたヌード写真誌)のブームは、1978~79年頃から拡大し、1980年にピークを迎えました。*1
神田神保町は、もともと古書店百軒の街。学生や読者が一軒ずつ回り歩いて求める書籍を探します。漫画専門店、映画演劇の専門店、戦争物の専門店。その中にポルノの専門店もあっていいのではないかというわけで、先鞭(せんべん)をつけたのが芳賀書店でした。神保町店(15坪)、古書センター(24坪)、そして40坪の本店。本店だけでも1日に4~5千人の来客があり、芳賀書店には、約50社ビニール本出版社が殺到しました。この一大ポルノブームにより、神田神保町は復興し、地下鉄神保町駅のトイレは、破り捨てたビニール袋でいっぱいになりました。*2
やがて、ビニール本は、過当競争で内容がエスカレートし、裏本といわれる女性性器を露出したものも出回ったため、摘発が急増しました。1980年10月に芳賀書店常務が逮捕されたことが契機となり、ブームは終息していきました。*1
現在は、成人向けの古書店で、この懐かしいビニール本を見ることができます。
ビニール本に代わって、アダルト向けメディアの主役になったのが、AV(アダルトビデオ)です。こちらの店舗では、階段の壁にびっしりとAVのパッケージが貼られています。
書店なのに本が無い、熟女、マニアモノ専門店。
【参考文献】
*1 石川弘義:大衆文化事典(弘文堂,1994)P.645
*2 北村四郎:ビニール本の恋びとたち2(二見書房,1981)P.48
今回は、神保町の町並みと風俗を散歩します。
この日は、「神田古本まつり」開催中で、靖国通りの舗道には、古書店と向き合うように書棚が並べられます。
すずらん通り・さくら通りには、大人向けの雑誌やアイドルの写真集などを専門に扱った古書店が数軒あります。
懐かしいアイドルのポスターが貼られた店の入口。(写真中央の水着のポスターは、浅野ゆう子さんです。)
古書店の壁面にディスプレイされた等身大のパネル。数の多さは圧巻です。
秋葉原の石丸電気の隣に講武稲荷神社があります。
講武稲荷神社は、花街の繁栄に貢献顕著だと言われ、近隣の関係者はもちろん、向島からも参詣者があったとされています。(説明文より)
このあたりは、旧町名で、旅籠町と呼ばれていました。旅籠町は、もとは、昌平橋外河岸通りにあって、そこは板橋宿・川口宿への街道筋にあたって旅籠屋が多かったことから旅籠町と名づけられました。その後、移転や合併により、現在の外神田1・3丁目の一部となりました。*1
稲荷神社に旅籠町町会と書かれた街路灯が記念に残されています。
今でも、旅籠町の名残を見ることができます。(古美術茶廊「伊万里」にて)
【参考文献】
*1 竹内誠:東京の地名由来辞典(2006,東京堂出版)P.326
秋葉原のメインの通りから少し奥へ入ったあたり(外神田三丁目)は、パソコンのパーツの店などが並びます。その通りから路地一本入ったところに牛乳箱があります。
なんと、牛乳箱が2つ付けられています。以前、大和郡山で、縦に2つ並んだ牛乳箱を見かけましたが、今回の牛乳箱は、後背位ともいうべき体位(というか箱位)で、前面と背面が合体しています。
駅前に最近できたUDXビルの前に、昔の路地の雰囲気が残る場所があります。右側の古い商家の軒下に森永牛乳の牛乳箱があります。
京都で見かけた森永の牛乳箱と違い、ロゴや名称がはっきりと読めます。「ビタミン入り」や「ホモ牛乳」のロゴがあるのは、東京の森永牛乳の牛乳箱の特徴であると思われます。保存状態も良く、名品です。
秋葉原駅前にあるゲーマーズ本店限定のキャラクター缶ジュースの自販機は、5種類の絵柄からランダムで出てきます。どれが出てくるかは、買ってみないとわからないという点では、ガチャポンのような自販機です。
1本購入してみました。中身は、普通のオレンジジュースです。
ガチャポン会館。1Fのフロアはすべてガチャポンで埋め尽くされています。
ガチャポン会館には「エロポン」と呼ばれるアダルト向けのガチャポンもあります。エロポンは、店内の奥まったところに2台あります。
エロポンは組み立て式になっていて、説明書に組立て方が書かれています。説明書によると、このシリーズ「美牝・淫虐の館 縄艶妖花」は全8種で、今回出てきたのは、「⑥恥辱の媚肉花器(ちじょくのびにくかき)」というタイトルのものでした。
裏通りの古いビルにも、アキバ文化は進出しています。こちらの○○商店と書かれたビルは、1階は自販機置き場になっていますが、2階、3階はメイド系の店舗が入っています。
3階のドール販売店の看板。抱き枕やダッチワイフが大量に展示されています。
秋葉原は、メイド系の店にもさまざまな業態があります。こちらは、メイドのめがね屋さん。本物のメガネを売っています。店員の女の子は高級メイド服を着て、ハイヒールを履いています。
1階と2階がメガネ売場。3階が高級メイド服売場になっています。
総武線のガード下。日曜日は歩行者天国となる秋葉原のメインの通りです。家電量販店に混じってアダルトショップのチェーン店があります。
店の入口の右側には、、「エプロンブルマ」なるコスプレを着たマネキンがあり、「18歳未満及び高校生の入店不可」と書かれています。「入店不可」と書かれると、逆に入りたくなる衝動にかられます。
店の入口の左側には、「スク水エプロン」。スクール水着とエプロンが合体したものと思われます。
股間の部分にチャックがあり、エロいデザインです。
歩行者天国にある人寄せ行為禁止看板。
駅前のラジオセンター横の路地の壁の注意書き。JRは民営化される以前は、「国鉄」と呼ばれていました。
外神田3丁目の公園の近くにあるゴミ捨て禁止の看板。「あなたに公徳心はありますか。」と書かれています。「ゴミ捨て場ではありません。ゴミ容器置き場です。」と書かれているのも非常に解りやすいと思います。
公徳:社会生活をするうえで守るべき道徳(「大辞泉」より)
外神田3丁目の公園にあるもう一つの看板。
「護美」は、漢文風に訓読すると「美を護(まも)る箱」という意味*1 ですが、この看板では、さらに、くさかんむりがついています。
※1『朝日新聞』の1962(昭和37)年12月10日付夕刊の「今日の問題」という記事に、「護美箱」に関する記述があります。
今回は、秋葉原(東京都)の町並みと風俗を散歩します。
JR秋葉原電気街口を出たところのアキハバラデパート前の広場は、多くの人たちで賑わっています。
駅前の電気街は、昔も今も人通りが多い場所です。
駅前の広場には、店への誘導を目的とした立て看板を多く見かけます。中にはベニア板の手作り製の看板もあります。
自転車を利用した立て看板があります。ベニヤ板の看板を角材2本で挟み、自転車の後ろの荷台に、ゴム製のロープでがっちりと固定されています。
神田駅西口近くの路地。
コスプレ焼肉「OK牧場」があります。
ガッツ石松さんが流行らせた「OK牧場!(私もあなたもOK)」を思い出します。
メイド服等のコスプレ姿のおねえさんが席の隣に座って、焼肉を食べさせてくれるそうです。
風俗店ではないのに、なぜか、18歳未満入店お断りです。
神田には、ビデオ鑑賞店が密集しています。
「ホテルがライバル」と書かれた大型のビデオ鑑賞店。
「太郎と花子」。新種のビデオ鑑賞の店でしょうか。
詳しい説明があります。
神田はパチンコの町です。神田駅西口の改札口を出ると、まず目につくのが、パチンコ店の広告です。
西口近くのゲーム店。お店入口のオブジェがボコボコにされていて、ちょっと可愛そう。
スロット専門店の「GOLD」。ここのお店の女性従業員の制服は、白のジャッケットに黒の超ミニスカートです。
「でちゃう!ガールズ(略称:でちゃガ)」というパチンコガールのおねえさんが来店する日があります。写真のミニスカの制服を着た女の子が来店し、お客様を応援するというタイアップ企画で、おしぼりやキャンディーのサービスがある模様です。
今回は、神田(東京都)の町並みと風俗を散歩します。南口の交差点から見た神田駅。中央線の高架を挟んで、両側に商店街が並びます。
最近はあまり見かけませんが、このあたりには、夜になるとアジア人のマッサージ嬢が出現していました。
駅前に、「違法客引取締中」の看板があります。看板は新しく、最近、設置された模様です。韓国語、中国語でも書かれています。
西口にも同じ看板があります。
西口にある古いバージョンの看板。「神田の街から違法エステを追放しよう!」と書かれています。かなりくたびれていますが、「違法エステ」という具体的な業種名が示されており(しかも赤字で強調)、かつての神田の状況を伝えています。
ヤマギワ電気本店のビルの建設工事現場です。
鉄板の囲いに秋葉原の昔を懐かしむ写真が4枚掲示されています。
昌平橋
ヤッチャバ
電気街の路地に、コスプレ専門店があります。
今年の流行語大賞のトップテンに「萌え~」が受賞し、テレビ放映された受賞式にメイド服の女の子多数見られました。秋葉原には”萌え”の象徴とも言えるコスプレショップがあります。
店の前に貼ってあるポスター。
こちらの店舗はメイド服やセーラー服を中心に品揃えが豊富です。
店の裏側にも看板があります。
電気街の中になるたちばな書店ビル。
このビルの4Fにブルセラショップがあります。
入り口のドアに「中古品ブルマー、夏冬セーラ制服」と書かれています。実際、店内に入ってみると夏用、冬用それぞれ50着ほどの本物の制服が並んでいます。中には学校名が表示されていものもあります。
雑居ビルにあるアダルトショプ。ここにも中古の本物のセーラ服が置いてありましす。
秋葉原の歩行者天国。メイド服を着た女の子がメイド喫茶のチラシを配っています。いつの間にか女の子を撮影する素人カメラマンが集まり、女の子も撮影に応じています。まるで撮影会場のようです。
個人の撮影モデルでしょうか。制服とメイド服の二人組みです。
このように地べたに座るのが秋葉原流?
ドレスを着た女性がいます。新人歌手のキャンペーンのようです。近くに「歩行者天国内での人寄せ行為は禁止されています。」という看板が近くにありますが、いっこうに関係ないようです。
秋葉原駅昭和通り口は、ビデオボックスなどが散在する小規模な歓楽街です。
こちらのビルは、全フロアがほぼ風俗店です。
不倫クラブの看板。
入口の看板。
今回は、秋葉原(東京都)の町並みと風俗を散歩します。
秋葉原と言えばおでん缶です。チチブデンキの前にあります。
おでん缶には種類があります。だいこん入り、つみれ入り、牛すじ入りなどです。完売御礼の張り紙が貼ってあるところを見るとけっこう売れているのかもしれません。
お土産用もあります。
実際に購入してみました。