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水戸(山口楼)明治五年の創業の会席料理の老舗。

大工町1丁目にある山口楼は、明治五年の創業の会席料理の老舗です。

明治時代、上市(うわいち)の花街は、大工町を中心に鳥見町、裡新願寺、泉町、裡五軒に散在し、鳥鍋、鰻屋、寿司屋などの飲食店も出現し、盛り場となりました。料亭には「中川楼」「山口楼」などが建っていました。*1*2

明治34年間の水戸案内は、市内の割烹18店を紹介していますが、この割烹18店のうち今も栄えているのは、山口楼のみです。*3

山口楼は、現在では大洗町などにも日本料理店を展開しています。*4

参考文献

*1
額賀せつ子水戸と太田の芸妓たち : 芸妓の今昔(公財) いばらき文化振興財団助成事業K5 ART DESIGN OFFICE.2015.12
水戸の芸妓たち

P.33
上市にも芸妓
上市の芸妓屋は、大工町を中心に鳥見町、狸新願寺、泉…

*2
水戸市立図書館水戸市立図書館 デジタルアーカイブ水戸市立図書館 リンク
水戸市街明細地図 リンク
*3
網代茂水府綺談新いばらきタイムス社1992.7
今は志村病院、泉町・垂楊亭の盛衰

P.286
明治34年間の水戸案内は、市内の割烹18店を紹介。中でも垂楊亭は”水戸…

*4
山口楼山口楼山口楼 リンク

参考記事

「水戸(山口楼)明治五年の創業の会席料理の老舗。」への2件の返信

はじめまして。私は現在他県在住ですが、水戸で生まれ育った両親(大正生まれ)から昔の話を聞いておりましたので、kokontouzai様のblogを大変懐かしく、また有難く拝読しました。「山口楼」「中川楼」の名は、放蕩三昧の祖父のエピソードと共に何度となく聞いておりました(笑)
ところで二点ほどご確認いただきたい事がございます。
「狸新願寺」→「裡信願寺」、「狸五軒」→「裡五軒」のように思われますが如何でしょうか?古地図の手書き文字はクセがあって判別が難しいものです。「サイト」欄に「水戸市立図書館/デジタルアーカイブ」のURLを記載します。リンク先の古地図でご確認いただければ幸いです。
なお、この大工町近辺は、コインパーキング代が昼よりも夜の方が高いという「盛り場」の名に相応しい場所です。
父母それぞれの法事を「山口楼」「中川楼」で開きましたが、大正~昭和初期に水戸で生まれた参列者の皆様には大変喜んでいただきました。それくらい名店として人々の記憶に刻まれた名前だったと実感した次第です。
そのような事どもを懐かしく思い出させていただきました。ありがとうございました。

蘆野鶴人さん
懐かしい思い出の話、ありがとうございます。
当時の盛り場の名店が現在も営業中というのは、水戸の魅力だと思います。
誤字の御指摘ありがとうございます。本文を訂正致しました。
(歓楽街の横丁には、狸、貉といったけものへんの字を多いので、間違えてしまいました。)

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