所沢(三好亭跡)浦町とよばれた花街。往時の名残。

所沢は、江戸時代に綿織物の集散地として栄え、国内初の飛行場ができたことでも知られます。旧市街地・銀座通りに並行するように流れる東川沿いには、かつて浦町とよばれ、花街でした。*1

現在、かつての浦町は静かな住宅街となっていますが、華やいだ昔をしのばせる建物が今も残っています。*1

矢羽根の戸袋などに、往時の名残を見ることができます。*1

屋号の「三好亭」の文字が残っています。

【参考文献】
*1 朝日新聞さいたま総局:さいたま文学紀行 作家たちの描いた風景(さきたま出版会,2009)p.148-P.149

参考文献

参考記事

所沢(浦町の町並み)高層マンションと木造家屋が混在する景観。

今回は、所沢(埼玉県所沢市)の町並みと風俗を散歩します。
小金井街道沿いは、高層マンションが建ち並ぶ一画ですが、そこから一歩北側に入ったかつて浦町と呼ばれたあたりには、現在も食堂や飲食店などの古い建物が残っています。

高層マンションと木造家屋が混在する特異な景観です。

焼肉店の建物。

この界隈も、やがては高層マンションの町並みにのみこまれてしまうのでしょうか。

参考文献

参考記事

浜島(ヌード夢)ストリップ劇場跡。大きな文字。

浜島のバス停近くに、休業したスナックがあります。

大きな文字で「蘭」と書かれてあります。

ヌードショーの看板があります。ストリップ劇場だったようです。

入り口には、三重県の「バー」のプレートがありました。

参考文献

参考記事

浜島(理容室)鮮やかな緑色。Y字路にある理容室。

浜島の商店街には、レトロは理容室がたくさんあります。

Y字路にある理容室とパーマ屋さん。

鮮やかな緑色に塗られています。

こじんまりとした建物ですが、いい雰囲気です。

参考文献

参考記事

浜島(スナック街)スナックや飲食店が連なる路地。

商店街から一本入いると、スナックや飲食店が連なる路地があります。

和洋折衷の建物です。

スナックの看板が掲げられた和風の木造家屋。

飲食店と古い木造の建物が混在しています。

参考文献

参考記事

浜島(松波湯)妓楼のような建物。商店街の奥まったところ。

浜島の商店街の奥まったところにある銭湯の松波湯。

まるで妓楼のような建物です。ピンク色に塗られています。

玄関付近。

現在は、休業している模様です。

参考文献

参考記事

浜島(「大成楼」妓楼跡)浜島遊廓。浜島港に建物が現存。

戦国時代、浜島城主の小野田筑後は、九鬼水軍の九鬼嘉隆に随身しましたが、そのときに残した兵士の子女が船員相手の洗濯を請け負ったことが春を売ることに変化し「はしりかね」となり、明治時代に遊廓になりました。遊廓は、田端楼、一万楼、三光楼、常盤楼、光月楼、吾妻楼、吉川楼、大成楼、のまやの9軒がありました。*1
浜島港に大成楼の建物が現存しています。*2

当時の面影を残す玄関部分。

神社町遊廓(北廓)に対し、浜島遊廓は、南廓と呼ばれていました。

建物の側面部分。

参考文献

参考記事

浜島(浜島港)旅館や民宿が建ち並びます。伊勢志摩の美しい海。

今回は、浜島(三重県志摩市浜島町)の町並みと風俗を散歩します。
浜島は、伊勢志摩の美しい海に囲まれた港町で、温泉が楽しめる旅館や民宿が建ち並びます。

民宿や商店が建ち並ぶメインストリート。

浜島港。この付近に遊廓がありました。

魚市場もあります(写真奥)。

参考文献

参考記事

伊勢(中野牛乳の牛乳箱)3つの牛乳箱。伊勢参詣の旅人が歩いた道。

伊勢市駅の北西約4kmにある明野駅付近。参宮道と呼ばれた伊勢参詣の旅人が歩いた道です。

中野牛乳の牛乳箱。両脇には、ヤクルト箱と郵便ポスト。

小さな小川が流れています。古い家に牛乳箱が3つ並んで取り付けられています。

3つの牛乳箱。

参考文献

参考記事

伊勢(新玉湯)モダンな建物です。門柱に取り付けられた照明器具。

柏屋旅館の隣に廃業した銭湯の「新玉湯」の建物があります。銭湯ではめずらしく門柱があります。

門柱に取り付けられたプレート。モダンなデザインです。ここでは「新玉湯」ではなく「新珠湯」と書かれているようです。

門柱に取り付けられた照明器具。

建物は和風ですが、随所に洋風の装飾が施されている建物です。

参考文献

参考記事

伊勢(神社町遊廓跡地)引本楼跡。すっかり変わった町通り。

昭和5年刊行の「全国遊廓案内」によると、神社町遊廓は、承応年間に町内にあった船宿に針仕女(はりしめ)という女を置いたのが初まりで、娼楼は、引本楼、豊盛楼、小田屋、花月楼、誘心楼、愛国楼、真砂楼、美咲楼の8軒がありました。*1
地元のNPO法人「神社みなとまち再生グループ」が作成した案内板によると、この場所は、居酒屋、料理店、商人宿、遊廓などが道の両側に建ち並ぶメインストリートでした。

ここには、引本楼だった建物が数年前まで現存していました*2 が、 現在は新しい住宅に建て変わっています。

裏側から見たところ。

案内板には、「すっかり変わった町通りで昔の面影が残るのは、柏屋旅館(写真奥)他わずかしか稼動していません。」とかつて賑わいぶりが説明されています。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.112「全国遊廓案内」
*2 忍甲一:近代日本遊廓志稿(日本炎災資料出版,2007)p.741,P.754-P.756

参考文献

参考記事

伊勢(神社港)旧花街通り。勢田川の河口。

今回は、伊勢(三重県伊勢市)の町並みと風俗を散歩します。
神社(かみやしろ)港は、伊勢市街を流れる勢田川の河口に位置します。

神社港には、江戸時代から遊廓がありましたが、こちらの案内板では旧花街通りと書かれています。

一色大橋から見た神社港。桟橋の奥が花街通りです。*1

清雲院(写真の地図の上中央)は、遊女が埋葬された寺院として知られています。*1

【参考文献】
*1 忍甲一:近代日本遊廓志稿(日本炎災資料出版,2007)p.741,P.754-P.756

参考文献

参考記事

倉敷(橘湯)年季の入った下駄箱。外観は洋風。

川西町の通りに面して「橘湯」があります。

外観は洋風ですが....。

玄関を入ると年季の入った木製の下駄箱があります。

脱衣場はさらにびっくりです。木製ロッカーも年代ものです。

参考文献

参考記事

倉敷(牛乳箱)四国は一つ。新鮮な牛乳によって皆様の幸せ。

川西町の旧遊廓街で見かけた「らくれん牛乳」の牛乳箱。
「らくれん」は、四国乳業株式会社によって製造、販売される牛乳・乳製品の代表的なブランド名です。「緑美しい四葉のクローバーと白いハト」のシンボルマークは、「四国は一つ。新鮮な牛乳によって皆様の幸せ(健康と平和)を」そんな思いがこめられています。*1

箱の横に書かれている「アイミー」は乳酸菌飲料の商品名です。*2

こちらは青汁の宅配箱です。牛乳ではありませんので、「青汁箱」とでも呼ぶのでしょうか。当然のことながら、箱の色は緑です。

遠藤青汁グリーンライフ(本社:岡山県倉敷市)は、「青汁」の創始者・遠藤仁郎博士が設立した会社です。*3

【参考URL】
*1 らくれん:ホームページ会社案内
*2 らくれん:ホームページアイミー
*3 遠藤青汁グリーンライフ:ホームページ会社概要

参考文献

参考記事

倉敷(川西町の自販機)商店街には、自販機が似合います。

川西町の商店街には、自販機が似合います。

酒屋さんには、お酒の自販機です。

ここへ来れば、どんなお酒も手に入りそうです。

角にある自販機。右は川。左は旧遊廓街です。

参考文献

参考記事

倉敷(倉敷遊廓跡)川西町。川西橋近くの大きな木造家屋。

川西橋近くの大きな木造家屋。かつての遊廓の建物です。*1

1階の格子窓越しに遊女が顔見世をし、2階の個室で客の相手をしました。*1

窓には装飾が施されています。

同じ建物を裏から見たところ。何度も増築を重ねたのでしょうか。継ぎはぎだらけの状態になっています。

【参考文献】
*1 福田忍:おかやま街歩きノオト第6号(福田忍,2009)P.14-P.17

参考文献

参考記事

倉敷(川西町のスナック街)旧遊廓街。看板の跡。

川西町の旧遊廓街は、現在はスナック街になっています。

こじんまりとしたスナックの建物が建ち並んでいます。

和風の木造家屋の一部がスナックに改築されています。

上の写真のスナックの建物の上部。ここに看板があったようですが、今は蛍光灯がむき出しの状態になっています。

参考文献

参考記事

倉敷(川西町)旧遊廓街の入口。商店街のアーケードがつきるあたり。

今回は、倉敷(岡山県倉敷市)の町並みと風俗を散歩します。
倉敷駅前から南側に延びる商店街のアーケードがつきるあたり。

川西町には、かつて遊廓があって、この川西橋が遊廓の入口でした。*1

川西町の集会所の建物が水路をまたぐように建っています。

この水路の南側(写真右側)が遊廓があったエリアです。*1

【参考文献】
*1 福田忍:おかやま街歩きノオト第6号(福田忍,2009)P.14-P.17

参考文献

参考記事

玉島(みなと湯)目立つレンガ色の洋風の建物。

羽黒神社の石段脇に昭和2年に建てられた銭湯の「みなと湯」があります。かなり目立つレンガ色の洋風の建物です。

入口には賑やかな雰囲気の暖簾。

中に入って、まず目につくのが、脱衣棚の扉に大きな白い文字で書かれた旧漢字の番号です。

浴室のペンキ絵と看板は創業当時の雰囲気そのままです。

【参考文献】
*1 小野敏也:玉島界隈ぶらり散策(日本文教出版,2007)P.124

参考文献

参考記事

玉島(夢の浮橋)遊廓の入口にある石橋。歴史的な遺蹟。

仲買町から西町の方へ歩きます。この付近は町並み保存地区に指定されていて、歴史的な遺蹟については、看板が立てられています。

川でもないのになにやら橋らしきものがあります。石に刻まれた文字は「夢の浮橋」と読み、ここから先には遊廓がありました。*1*2

江戸の末期の回船問屋の名前が彫られています。*2

遊廓が途切れたところにも橋があって、その橋は「地獄橋」と呼ばれています。*1

【参考文献】
*1 小野敏也:玉島界隈ぶらり散策(日本文教出版,2007)P.136
*2 虫明徳二:歴史散歩玉島町並み保存地区(虫明徳二,2007)P.62

参考文献

参考記事

玉島(バス停置き場)木造三階建ての建物脇。衣笠バス。

天満町の遊廓跡※1 の木造三階建ての建物脇の階段を上ると、祠のある広場に出ます。

祠の向こう側に、たくさんのバス停が立っています。

衣笠バスのバス停置き場でしょうか。

おびただしい数のバス停です。

玉島(天満町の遊廓跡)木造三階建ての建物が現存しています。

天満町の通りを南へ進むと、木造三階建ての建物が見えてきます。

「中村」という遊廓跡と思われる三階建ての建物。(「歴史散歩玉島町並み保存地区」*1 によると、「天満宮(写真右側)の右側に行くと...三階建ての建物」と説明されていますが、たぶんこの建物だと思います。)

建物の壁面に、鬼瓦だけが取り付けられて保存されています。

二・三階部分には、遊廓時代の面影が感じられます。

【参考文献】
*1 虫明徳二:歴史散歩玉島町並み保存地区(虫明徳二,2007)P.78

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

玉島(バス停置き場)木造三階建ての建物脇。衣笠バス。

玉島(天満町)曲がりくねった道路。天満町公会堂の建物。

玉島市街の南側に位置する天満町の町並みは、曲がりくねった道路が続いて、とてもミステリアスです。*1

道が回っているので、何が出てくるかわからない感じです。

旅館か料亭として使われていたのでしょうか。

天満町公会堂の建物。「堂會公」と書かれています。


【参考文献】
*1 虫明徳二:歴史散歩玉島町並み保存地区(虫明徳二,2007)P.77-P.78

参考文献

参考記事

玉島(通町商店街)ノスタルジックな世界。パチンコ「思ひで」。

昭和30年代を題材にしたノスタルジックな映画「ALWAYS三丁目の夕日」の撮影が行われたその事実がしめすとおり、玉島はどこか懐かしい風景、心地よい生活感が漂っています。港水門がある場所からすぐ目につくのが通町商店街の入口です。左側にはパチンコ屋さんだった看板「パチンコ」「思ひで」があります。*1

古い商店の建物が並んでいます。

中華食堂だった建物。

理容室、仏具店。

【参考文献】
*1 小野敏也:玉島界隈ぶらり散策(日本文教出版,2007)P.130

参考文献

参考記事

玉島(港水門)「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地。

今回は、玉島(岡山県倉敷市)の町並みと風俗を散歩します。
水郷の町玉島には、かつて大小多数の水門がありました。これらの水門は、時代の推移とともに技術革新などで次第に統廃合されてきました。

昭和23年に造られた「港水門」も、今は使命を終え使われていません。*1

反対側から見た港水門。

映画「ALWAYS三丁目の夕日」の夜のシーンはここで撮影されました。*1

【参考文献】
*1 虫明徳二:歴史散歩玉島町並み保存地区(虫明徳二, 2007) P.35-P.36

参考文献

参考記事

宮内(共同墓地)西側の一画に多数の無縁墓。

吉備津駅背後の山の斜面に共同墓地があります。

その西側の一画に、多数の無縁墓が整理されています。この中には、遊女の墓も含まれています。

墓地最上部段には、宮内の豪商と言われた真野家の墓があります。

共同墓地から見た宮内。

【参考文献】
*1 岡山市教育委員会文化課:岡山市の歴史みてあるき(岡山市教育委員会,1977)P.293

参考文献

参考記事

宮内(吉備津神社)寛政頃の歌舞伎役者寄進の玉垣。

「吉備の中山」の山麓に、吉備津神社が鎮座しています。

巨大な本殿。室町時代に再建されました。

江戸時代の都会のシンボルは「遊廓」と「芝居」の2つですが、吉備津神社の門前町の宮内でもすでに江戸時代初期からさかんに芝居が行われていました。*1
ところが、天保年間、水野忠邦の「天保の改革」により、芝居など華美な遊興施設の廃止が断行されたため、名優たちは、生活にも困るようになりました。この窮地を救ったのが、宮内の大親分の岡田屋熊次郎で、熊次郎親分は、銭にものをいわせて、名優たちを宮内に迎え入れたことから、当時の名優のほとんどは宮内に集まりました。北随身門近くの玉垣には、寛政頃の名優たちの名前が刻まれています。*2

中村歌六、嵐冠十郎が寄進した玉垣。*2

【参考文献】
*1 藤井駿:おかやま風土記(日本文教出版,1956)P.141-P.146「江戸時代の遊里としての備中の宮内」
*2 荒木祐臣:備前池田藩秘史(日本文教出版,1976)P.46,P.48

参考文献

参考記事

宮内(花街跡地)江戸時代初期から遊廓がありました。

今回は、宮内(岡山県岡山市)の町並みと風俗を散歩します。
吉備津神社の門前町である宮内(みやうち)は、明治維新前までは山陽道でも屈指の花街でした。天保11年版の「諸国遊所番附」では、前頭として宮内が京都の先斗町や遠州の浜松の遊廓と肩を並べています。*1
宮内が遊里としてはじめて史上に名を出したのは、天正十年(1582年)、豊臣秀吉の高松城水攻めのときです。このとき備中に乗り込んだ兵士が付近の民家を荒らし、子女を犯すものが多くでたため、その取締りに困り、上方より多数の遊女を招致して宮内において花街としました。最盛期には、約100軒の花街が軒を連ね、300人の遊女を擁していました。*2

鳥居が残っている辻小路のあたりが宮内の中心街でした。*3

辻小路の西側に民家があります。

かつての遊女屋は、このような家屋だったのかもしれません。*4

【参考文献】
*1 藤井駿:おかやま風土記(日本文教出版,1956)P.141-P.146「江戸時代の遊里としての備中の宮内」
*2 荒木祐臣:備前池田藩秘史(日本文教出版,1976)P.44-P.45
*3 岡山市教育委員会文化課:岡山市の歴史みてあるき(岡山市教育委員会,1977)P.282,P.294
*4 三室清子:岡山大学教育学部研究集録 通号40(1974.08)「盆踊りの研究–岡山市吉備津の宮内踊りを中心として」P.39

参考文献

参考記事

秩父(小岩井牛乳の牛乳箱)岩手県のブランド。小岩井牛乳の販売店。

秩父市中町の路地。

小岩井牛乳の牛乳箱があります。

小岩井と言えば、岩手県のブランドですが、なぜ秩父に...?

付近を散歩してみると、小岩井牛乳の販売店がありました。

参考文献

参考記事

秩父(たから湯)木の温もりを感じます。

下町(もとまち)の旧花街近く。銭湯の「たから湯」があります。

入口には、赤い暖簾。

これで「たから湯」と読みます。

外観はビル型の建物ですが、内部は木材がふんだんに使用されています。

参考文献

参考記事

秩父(稲荷神社)寄進者に「芸妓組合」。台座に「秩父町料理店組合」。

下町(もとまち)の旧花街の一画に、稲荷神社があります。

周囲は住宅地となっていて、花街の名残はありません。

寄進者に「芸妓組合」や「料理店組合」の名前があります。

狛狐の台座に「秩父町料理店組合」の名前が彫られています。

参考文献

参考記事

秩父(カフェ・パリー)食堂として営業中です。

秩父市街の番場町は、古い建物が保存されている町並みです。「カフェ・パリー」の建物は登録有形文化財として保存されています。

入口の暖簾、アサヒビールの看板など、いい雰囲気です。

建物の2階部分に取り付けてあるネオン看板。

オムライスと瓶ビールを注文。野菜がたっぷり添えられていてボリュームもあり、大満足でした。

参考文献

参考記事

秩父(下町通りの花街跡)現在はヨガ教室になっています。

近世(明治時代)の秩父の町並みは、北から下町(もとまち)、中町、上町に分かれていました。このうち、下町では、織物業や自動車修理業などの商工業者が集まり、下町の西側の段丘崖を下りた地区には料亭や芸者置屋が軒を並べていました。*1

かつてこの付近が花街であったことを説明する看板。

料亭だったと思われる建物。現在はヨガ教室になっています。

大正14年(1925年)の「大日本職業別明細図 秩父及び其の付近」*1 を見ると、この場所には「花月」という屋号の建物がありました。現在もその屋号が引き継がれているようです。

【参考文献】
*1 石井英也:景観形成の歴史地理学(二宮書店,2008)P.103,P.115-P.117

参考文献

参考記事

秩父(犬フン看板)武甲山を望む秩父鉄道の線路沿い。

今回は、秩父(埼玉県秩父市)の町並みと風俗を散歩します。
秩父は、幕末以降に蚕糸業や織物業が活発となり、大正12年には秩父セメント株式会社が設立され、石灰石工業が盛んになりました。*1
秩父鉄道の秩父駅からは、武甲山が雄大な姿を見せています。
武甲山は、高純度の石灰石を豊富に埋蔵する日本屈指の大鉱床で、秩父の石灰石工業を支えてきました。*2
その武甲山を望む秩父鉄道の線路沿いに犬フン看板があります。

秩父鉄道と言えばSLです。土曜・日曜・祝日を中心に走ります。

秩父市街で見かけた賑やかな犬フンの貼紙。

「犬」とだけ書かれた貼紙。

【参考文献】
*1 石井英也:景観形成の歴史地理学(二宮書店,2008)P.60
【参考URL】
*2 秩父石灰工業株式会社ホームページ「武甲山の石灰岩

参考文献

参考記事

十条(久保の湯)傘を入れる棚。ミニ庭園。

十条駅近くにある銭湯の久保の湯。

住宅街にある堂々とした構えの建物です。

特徴的なのは、入口に傘を入れる棚。

ミニ庭園もあって、のんびりできる銭湯です。

参考文献

参考記事

十条(東十条駅近くの路上)パートナー紹介の貼り紙。

JR埼京線十条駅の近く。電信柱に貼紙があります。

貼紙は、電信柱の根元に近い部分に貼られています。

パートナー紹介。

女性は無料。有償行為は厳禁です。

参考文献

参考記事

十条(エロ本自販機)交差点の角にあります。

東十条4丁目の交差点。

エロ本自販機と思われる自販機があります。*1

残念ながら現在は稼動していませんが、当時の雰囲気が伝わってきます。

隣には、週刊誌の自販機もありました。

【参考文献】
*1 末井昭:パチスロ必勝ガイド(白夜書房,2008.10)P.109「泉麻人の80年代流行物しりとり」

参考文献

参考記事

十条(大人のオモチャ屋)線路沿いの店舗。アイデア商品。

今回は十条(東京都北区)の町並みと風俗を散歩します。
JR東十条の線路沿い。新幹線、東北本線、京浜東北線が平行して走っています。

線路沿いの店舗のような事務所。アイデア商品を販売店でしょうか。

「大人のオモチャ」屋さんのようです。

当然のことながら、18才未満入店お断りです。

参考文献

参考記事

音羽(月の湯)「古本まつり」の会場。富士山のペンキ絵。

目白台(音羽の西側)にある月の湯。この日は「第4回 月の湯古本まつり」の会場として使用されました。

昭和の雰囲気漂う銭湯の内部。

富士山のペンキ絵が見事です。鯉のタイル絵もすばらしいです。

洗い場。

参考文献

参考記事

音羽(岡場所跡地)江戸時代は有数の盛り場でした。

今回は、音羽(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
護国寺の門前すぐそばの音羽町の大通りは、江戸時代は1丁目から九丁目まであって、特に六丁目から九丁目にかけてが女と遊べる江戸有数の盛り場でした。道の両側には、水茶屋と料理屋が軒をつらね、ひとつ奥に入った路地や裏通りには、局見世や子供屋が並んでいました。女郎のことを「子供」と称するなど遊興は深川を模倣したものでした。*1

天保度には、八・九丁目に料理屋が3軒あって、九丁目の子供屋2軒から女を送りました。*2
3軒の料理屋(吉田屋、紅屋、住吉屋)は、現在の音羽通りと目白通りが交差するあたり(現在は音羽一丁目)にありました。*3*4

旧音羽八丁目の裏通り。

音羽町九丁目の東側の桜木町と呼ばれていた一帯にも岡場所がありました。還国寺近くから北側に見える崖下に私娼宿が並んでいました。*1

【参考文献】
*1 江戸の性を考える会:大江戸岡場所細見(三一書房,1998)P.192-P.194
*2 花咲一男:江戸岡場所遊女百姿(三樹書房,1992)P.83-P.85
*3 岸井良衞:江戸・町づくし稿. 中巻(青蛙房,2003)
*4 児玉幸多:復元・江戸情報地図 14.音羽町・小石川一円(朝日新聞社,1996)

参考文献

参考記事

熊谷(森牛乳の牛乳箱)森永ではありません。上熊谷駅近く。

秩父鉄道の上熊谷駅近く。

「森牛乳」と書かれた黄色の牛乳箱があります。「森永」ではなく「森」です。
森乳業(株)は、明治20年創業の埼玉県行田市の乳業メーカーです。*1

牛乳箱は、住宅の側面の中央部分に取り付けられています。

木の暖かみを感じる風景です。

【参考文献】
*1 横溝健志:思い出牛乳箱(ビー・エヌ・エヌ新社,2008)P.167

参考文献

参考記事

熊谷(伊勢町の遊廓跡)「まねき猫」は取り去られていました。

前回(2006年)も訪れた伊勢町の遊廓跡を散歩します。
通りの南側には、当時の建物が3軒並んでいましたが*1、現在はそのうちの両側の2軒の建物が残っています。

どっしりとした構えの元妓楼の建物。*1

「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されていた「まねき猫」は取り去られていました。

右側の建物は、改装されているようです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.84-P.87

参考文献

参考記事

金沢(野町湯)大きな看板。にし茶屋街の南側。

にし茶屋街の南側。北陸鉄道石川線の野町駅前に、銭湯の野町湯があります。
「野町湯」と書かれた大きな看板があります。

看板に導かれて進みますが、どうも入口らしくありません。

裏側へ回ると銭湯の入口らしい雰囲気です。

機械の故障のため、しばらくの間お休みです。

参考文献

参考記事

金沢(にし茶屋街周辺のパーマ屋)鮮やかな彩りの建物。

にし茶屋街周辺には数軒の美容院や理容室があります。

鮮やかな彩りの建物です。

にし茶屋街の通りをそのまま南へ行ったところにある美容院。

掘割に面した理容室。

参考文献

参考記事

金沢(雨宝院)自伝的小説「性に眼覚める頃」。

犀川大橋南詰の交差点近くにある雨宝院は、「故郷(ふるさと)は遠くにありて思うもの・・・」という詩で有名な室生犀星(むろうさいせい)が幼少期を過ごした寺です。

寺の入口脇には碑があります。

室生犀星の自伝的小説「性に眼覚める頃」は、主人公の17歳の男子の性的衝動を描いた作品です。娘が賽銭箱から銭を盗み出すのを寺の記帳場の節穴から覗いて「性欲的な興奮と発作」を感じ、その娘の家をつきとめ、玄関先に脱ぎ捨てられた紅い鼻緒の雪駄(せった)を見て、「そこに足をのせれば、まるで彼女の全身の温味を感じられる」と思い、ついにその雪駄の片方を盗んでしまいます。*1
小説の後半では、主人公が遊廓に登楼する場面が描かれています。
「私はひっそりと寺をぬけ出て、ひとりで或る神社の裏手から、廓町(現在の「にし茶屋街」)の方へ出て行った。」*1*2

雨宝院裏側から見る犀川。
現在は、川幅が広くなっていて雨宝院の後ろはすぐ川になっていますが、室生犀星がいたころの寺域は広くて、木立もうっそうと茂っていました。*3

【参考文献】
*1 室生犀星:或る少女の死まで(岩波書店,2003)P.158,P.285
*2 (財)金沢文化振興財団:かなざわ文学散策((財)金沢文化振興財団,2005)P.16
*3 「文学への旅金沢・名作の舞台」編集委員会:金沢・名作の舞台(金沢市,2000)P.148

参考文献

参考記事

金沢(にし茶屋街)現在は観光地化しています。

金沢市街の南部にある「にし茶屋町」は、金沢の花街です。

かつての遊里ですが、現在は観光地化しています。

にし茶屋町の沿革を書いた碑があります。これによると、西茶屋町は、文政3年(1820年)に妓楼を区域限定で集め、石坂茶屋町が出来上がったのが始まりだそうです。

にち茶屋町から西側に坂を下っていくと、石坂のスナック街にたどりつきます。

参考文献

参考記事

金沢(石坂の赤線跡)凝った意匠の和洋折衷の建物。

赤線があった石坂の路地。

こちらにも凝った意匠の建物が残されています。

入口部分。和洋折衷のデザインです。

鮮やかなタイル。

参考文献

参考記事

金沢(石坂の赤線跡)タイルで彩られた建物。

赤線があった石坂には、タイルで彩られた建物が数多く残っています。

こちらの建物は、1・2階部分にそれぞれ和洋折衷の装飾が施されています。

2階部分。

1階部分。玄関はタイルで鮮やかに装飾されています。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.14

参考文献

参考記事

金沢(石坂のスナック)掘割にかかる小橋。スナックが多いエリア。

今回は、金沢(石川県金沢市)の町並みと風俗を散歩します。
金沢市街の南側に位置する石坂(いしさか)は、戦前は西廓と呼ばれた遊廓があった場所で、戦後は赤線として栄えました。「にし茶屋資料館」の角を右に曲がってしばらく行くと、掘割にかかる小橋が見えます。*1

この付近はスナックが多いエリアです。

掘割に沿って歩くと公園にでます。

公園に隣接しているスナックの建物。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.193-P.199

参考文献

参考記事

宇出津(湊湯)神棚に「千客万来」の文字。レトロな木造の佇まい。

宇出津市街の中心部にある湊湯。レトロな木造の佇まいが目をひきます。

歴史を感じさせる暖簾。その上には、「湊湯」と書かれた木の看板。

暖簾をくぐると、正面には、富士山、松、宝船が描かれたタイルが貼られています。

脱衣場の神棚には、「千客万来」の文字。右上には、10カ条の「入浴者心得事項」の貼紙があります。

参考文献

参考記事

宇出津(塩谷寺)宇出津港と棚木遊廓が一望できます。

棚木遊廓の近くにある塩谷寺。

高台にある塩谷寺までは、長い階段を上ります。

遊廓があった頃、塩谷寺の六ツの鐘が鳴り始めると、遊女たちは格子(こうし)越しに店先に居並んで、客を出迎えました。*1

塩谷寺の高台からは、宇出津港と棚木遊廓跡地が一望できます。

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.148

参考文献

参考記事

宇出津(棚木遊廓周辺の水路)客は木橋を渡って往来しました。

棚木の遊廓へ足を運ぶには、笹谷川にかかる橋を渡らなければなりません。地元ではこの橋を「さよなら橋(別名:未練橋)」と呼ぶようになりました。

遊廓は、治安や風俗の取り締まりなどの目的から、人々が住む土地から隔離され、定められた一つの地域に許可されました。棚木遊廓の周囲の大部分は笹谷川で仕切られ、客は木橋を渡って往来しました。

当時の遊廓の建物の前にかかる橋。

小さな地蔵堂は、遊女たちの心の拠りどころとなる確かな存在仏でした。*1

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.156

参考文献

参考記事

宇出津(棚木遊廓跡)当時の妓楼の屋号を引き継ぐ民宿。

宇出津の棚木遊廓の妓楼は、宇出津湾に注ぐ笹谷川仕切られ、整備されていました。

笹谷川から、遊廓が軒をつらねる広場への入口に、古い民宿の建物があります。

風情のある玄関。

宇出津・棚木遊廓(メンキチ)界隈図(1937年)*1 に記載されている当時の妓楼の屋号を引き継いでいます。

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.155

参考文献

参考記事

宇出津(遊廓跡)地元の人々は「メンキチ」と呼びました。

宇出津は、昔から漁業が盛んで、海上交通の拠点としても発展したため、自然発生的に茶屋や旅籠が生まれ、茶屋女や飯盛女などの売春婦が現れました。明治に入り、宇出津の町は国の許可を得て棚木地区の一画に遊廓が生まれました。宇出津の棚木の遊廓は、奥能登一の賑わいを見せ、その繫昌ぶりを芸者の奏でる三味の音にたとえ、常に耐えることがなかったということから、この地域を音羽町(おとわちょう)と名付けられました。地元の人々は遊廓界隈を「政府から免許を得た地」、即ち「メンキョチ」または「メンキチ」と呼びました。*1

かつて遊廓として使われていた建物が現在も残っています。*1

建物側面の入口。

建物の前の庭。

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.140-P.148,P.156

参考文献

参考記事

宇出津(市街の景観)町の中をめぐる水路。

宇出津の市街の中心部を流れる梶川。町の景観に趣きを添えています。

町の中をぐるりとめぐっている水路のような笹谷川。道路から対岸の建物へのかけ橋が連なっています。

宇出津港近くの港大橋から梶川を見たところ。港町らしい景観です。

宇出津港。

参考文献

参考記事

宇出津(駅周辺)さよなら橋。別名「未練橋」。

今回は、宇出津(石川県鳳珠郡能登町)の町並みと風俗を散歩します。

宇出津(うしつ)駅は、のと鉄道の能登線の廃止により2005年3月いっぱいで廃駅となりました。

現在は、街の駅として利用されています。

駅前にある観光案内板。町の南側に宇出津港を有し、市街を梶川と笹谷川が流れています。
数馬酒造近くにある「さよなら橋」は、別名「未練橋」とも呼ばれ、宇出津の遊廓の入口にありました。*1

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.167

参考文献

参考記事

七尾(制服店)お父さんの背広よりも良い生地。

七尾市街地の中央に位置する一本杉通りには、古くからの卸・小売の老舗の建物が残っています。呉服店の前の路上に制服のマネキンがあります。

お父さんの背広よりも良い生地が使われています。

三島町の金刀比羅神社近くの洋服店。

セーラ服のマネキン。

参考文献

参考記事

七尾(たから湯)遊廓跡地近くの銭湯。レトロな雰囲気のネオン管。

遊廓があった常盤町の南隣。

銭湯の「たから湯」があります。

レトロな雰囲気のネオン管。

清潔感あふれる銭湯です。

参考文献

参考記事

七尾(飲み屋街の近くの看板)ゲロを吐くな!。

七尾市米町の飲み屋街に隣接する駐車場。

駐車場のフェンスに犬糞看板があります。

駐車場の奥まったところ。人目につきにくい場所です。

「ゲロを吐くな!」の看板。

参考文献

参考記事

七尾(遊廓跡地のスナック)色町だった名残。

常盤町遊廓跡地には、色町だった名残と思われる居酒屋や料亭、スナックなどが現在も営業中です。

通りの南側。料亭と喫茶・スナックが建ち並んでいます。

通りの北側。ニュー十番街。建物の両側は駐車場になっています。

西側の端にあるスナック。

参考文献

参考記事

七尾(七尾遊廓跡地)明治はじめに埋め立てされた常盤町。

今回は、七尾(石川県七尾市)の町並みと風俗を散歩します。
七尾の遊廓は、明治はじめに埋め立てされた常盤町へ移り、その後、昭和32年の売春防止法が施行されてなくなりました。*1

道幅が少しひろくなっているこのあたりが遊廓があった場所です。*1

元旅館だった建物。

元旅館の玄関前。

【参考文献】
*1 七尾市:目で見る七尾の100年(七尾市,1969)p.60-P.61

参考文献

参考記事

鶴来(遊廓跡地のスナック)現在は鶴来温泉。旅館やスナックが建ち並ぶ町並み。

昭和34年の売春防止法施行により、その灯かりは完全に消え、現在は鶴来温泉として旅館やスナックが建ち並ぶ町並みになっています。

2階がスナックになっている建物。

和風の建物がスナックに改装されています。

スナックの入口付近。

参考文献

参考記事

鶴来(日詰町の遊廓跡)煙草栽培から貸座敷業に転業。

今回は、鶴来(石川県白山市)の町並みと風俗を散歩します。
かつて鶴来(つるぎ)には、金沢をしのぐ貸座敷があって、連日近郷近在から若者や旦那衆がやって来て、日詰町に不夜城の時代がありました。鶴来は江戸期より煙草栽培がさかんでしたが、明治時代の煙草税法改正により転業を余儀なくされ、これを契機に日詰町の数名が貸座敷業免許願を提出し、明治19年に「免許地」として許可されました。当時の日詰町は、溜め桶や薪を積んだ棚(にお)の置き場、物置小屋などが散在していて、貸座敷業とはまったく無縁の土地柄でした。*1

鶴来遊廓は、日清戦争のため一時衰退しましたが、日露戦争後は遊廓組合の一致協力により復興しました。その盛況ぶりは金沢三遊廓に並ぶほどで、昭和戦前には全盛となりました。

旅館の隣に古い建物が残されています。

遊廓の雰囲気が残る佇まいです。

【参考文献】
*1 鶴来商工会百周年記念委員会:ふるさと「鶴来」再発見(鶴来商工会,2004)P.107-P.108

参考文献

参考記事

川崎(ロンドンA館)いさご通り。入口に電飾。

旧東海道「いさご通り」。町名もこの付近は砂子(いさご)二丁目です。

1階に「ロンドンA館」が入るビル。

入口の電飾。

募集看板。

参考文献

参考記事

川崎(キャバレー跡)帽子のマークの大看板。

川崎市内の繁華街を歩いていると、「ナイトイン右折」の看板を発見。

老舗のキャバレーの建物です。

帽子のマークの大看板。迫力があります。

2つ並んだゴミ箱。

参考文献

参考記事

川崎(商店脇の小路)料理店のプレート。飲み屋街。

川崎駅前の繁華街に、1軒だけ取り残されるように建っている商店。2階部分に、紙石鹸のレトロな看板が2つ並んでいます。

商店脇の路地は、昔のままの雰囲気が残された飲み屋街になっています。

もう一本北側の路地にも同じような飲み屋街。写真奥は、第一京浜です。

「料理店」のプレート。

参考文献

参考記事

川崎(堀の内のスナック)ソープランドご用達。

堀の内のソープランド街の入口付近。

こじんまりとしたスナックがあります。

入口の看板。35年間、ソープランド御用達(ごようたし)です。

ラーメンを注文。海苔とワカメがトッピングされたあっさりとした醤油味です。

参考文献

参考記事

川崎(宗三寺の遊女の供養塔)川崎貸座敷組合。

川崎遊廓は、元東海道五十三次中の川崎宿の宿場女郎であったものが、明治37年に現在の指定地へ移転したものです。*1
宗三寺の墓地の西側の角に、遊女の供養等があります。

供養等には、「川崎貸座敷組合」と刻まれています。

高塚、藤屋、三浦屋、金波楼、太田屋、三好楼、三日月楼、など、「全国遊廓案内」*1 に記載されている楼名が確認できます。

川崎今昔会が建てた供養の碑(裏側)。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.34「全国遊廓案内」

参考文献

参考記事

川崎(駅前のラブホテル)宗三寺の墓地に隣接。

今回は、川崎(神奈川県川崎市)の町並みと風俗を散歩します。
京急川崎駅の下り線ホームから宗三寺の墓地と墓地に隣接するラブホテルと質屋が見えます。

墓地の反対側(北側)には、別のホテルが隣接しています。
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」*1 と言われているそうですが、川崎駅前もこの法則が当てはまりそうです。

ひっそりとしたラブホテルの入口付近(写真左側)。墓地(写真右側)が隣接しています。

未成年者、売春婦の利用お断り。

【参考文献】
*1 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62

参考文献

参考記事

五井(黄桜の自販機)酒は黄桜。小島功さんの女カッパの絵。

五井駅の北側約1kmのところにある若葉小学校裏で、日本酒の自販機を発見しました。

酒は黄桜。

黄桜といえば、「カッパCM」*1 が有名です。昭和49年(1974年)からは、アダルト漫画作家の小島功さんが女カッパの絵を描いています。*2*5

ワンカップにも女カッパがデザインされています。
小島功さんは、「日本遊女考」というコミックを出版しており、この中には、遊女をテーマとした43話の艶っぽい作品が収録されています。*3*4

【参考URL】
*1 黄桜株式会社ホームページ「カッパCM
*2 黄桜株式会社ホームページ「1970~74年の主な出来事
*3 小島功:公式ホームページ「作品一覧
【参考文献】
*4 小島功:日本遊女考(日本文芸社,1979)
*5 月刊江戸楽(2010年2月号)P.53

参考文献

参考記事

五井(レンタルオフィス)旅荘「入舟」の看板。お遊び案内所。

ラオックス市原店のある大通り。「くらぶ姫」の看板。

旅館の建物が「お遊び案内所」と「レンタルオフィス」に改装ています。

旅荘「入舟」の看板。

玄関に置かれている「レンタルオフィス」の看板。

参考文献

参考記事

五井(ソープランドの看板)お地蔵さんの側面にあります。

JR五井駅の北側の国道24号線沿いに、お地蔵さんがあります。

このお地蔵さんの側面にソープランドの看板が取り付けられています。

この路地の先にソープランドがあるというのですが、周囲は閑静な住宅街で風俗店がある雰囲気ではありません。

路地を進み、さらに右へ曲がると、「五井中央スチーム」の看板が見えてきました。

参考文献

参考記事

五井(レンタルルーム)ビジネス向けの休憩室。

西口商店街の南西側。スナックや風俗店に混じって「レンタルルーム」と書かれた店舗が数軒あります。

レンタルルームのある路地。

デリヘル店とレンタルルームが同居する建物。

ネクタイ姿のサラリーマンが仕事をする姿が描かれている看板。「ビジネスマン向けの休憩室」というコンセプトのようです。

参考文献

参考記事

五井(西口商店街)クラブの大看板。飲食店や風俗店が密集する繁華街。

今回は、五井(千葉県市原市)の町並みと風俗を散歩します。
JR五井駅前の西口商店街は、飲食店や風俗店が密集する繁華街です。

ビルの1階に、目立つ看板の風俗店があります。

畳15畳分ぐらいはありそうな大看板。看板の上部に「地域最上質宣言」と書いてあります。

ハイグレードなクラブです。

参考文献

参考記事

柏木田(常盤湯)木の温かみのある脱衣場。

柏木田には、銭湯がたくさんあります。
妙栄寺の南側にある常盤湯。通りから東に入ったところにあります。

昔ながらの雰囲気が残っている銭湯です。

煙突。

木の温かみのある脱衣場。

参考文献

参考記事

柏木田(犬の糞看板)小さい字でウンコ。

柏木田で、多く見かけるのが、犬の糞看板です。
こういうブロック塀などは、狙われやすい場所なのでしょう。

こういう植え込み部分も要注意です。

空カン、小便、犬のフン、3つまとめて。

「犬にウンコさせて(小さい字で)ウンコ、放置していくな。」の看板。

参考文献

参考記事

柏木田(妙栄寺)色っぽい戒名。小説「血族」。

山口瞳さんの小説「血族」によると、主人公の私(山口瞳さん本人)の母の生家(羽仏家)は、柏木田遊廓で女郎屋を営んでいました。「血族」には、羽仏本家の菩提寺の妙栄寺が登場します。*1

墓地は、石段を登った小高い丘にあります。

羽仏本家の墓のあるあたり。

山口瞳さんの母方の祖父母の墓。
「血族」の中で、山口瞳さんは、「この墓の右側に、ぐんと小さくなった墓が並んでいて、女郎と思われる「紅顔院妙裏日艶信女」という戒名、番頭か妓夫太郎と思われる「快楽恒然信士」という戒名が刻まれていて、この色っぽいとしか言いようのない戒名に私は慄然とした。」と述べています。*1
付近を探しましたが、それらしき墓石は見あたりませんでした。

【参考文献】
*1 山口瞳:血族(文芸春秋,1979)P.185-P.186

参考文献

参考記事

柏木田(福助ホテル)現在は、休業中のようです。

柏木田遊廓跡地のメインの通りの西側。

福助ホテルがあります。

福助は江戸時代から存在したキャラクターです。*1

現在は、休業中のようです。

【参考文献】
*1 荒俣宏:福助さん(筑摩書房,1993)P.19

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

柏木田(穴守稲荷大明神)旧町名の名残。町内会。街路灯。

柏木田(柏木田遊廓跡地)小説「血族」の舞台。

今回は、柏木田(神奈川県横須賀市)の町並みと風俗を散歩します。
横須賀市内でもっとも古く、しかも公然と認められた遊廓は柏木田でした。明治21年2月頃、大滝町の豊川稲荷付近に大火があって遊廓が焼失したため、明治22年6月頃、柏木田に移転しました。*1

柏木田遊廓のことは、山口瞳さんの小説「血族」に詳しく書かれています。山口瞳さんの祖母は、「藤松」という屋号の貸座敷の経営者でした。

「血族」には、「大門から数えて、ホンダオートバイ販売店、仕舞屋、江戸屋という染物店、この3軒分が藤松...」と藤松があった場所が説明されています。*1
こちらの住宅地図(の右上部分)には、オートバイ店、染物店の江戸屋が記載されています。染物屋はマンションに建て替わっていますが、オートバイ店は現在も営業中です。

ソープランドがあったあたり。

【参考文献】
*1 横須賀警察署史発行委員会:横須賀警察署史(横須賀警察署,1977)P.123
*2 山口瞳:血族(文芸春秋,1979)P.209

参考文献

参考記事

姉ヶ崎(地下道入口の付近)たくさんの風俗店の貼紙の跡。

JR姉ヶ崎駅近くの地下道の入口付近。たくさんの貼紙の跡。

風俗店の貼紙です。

現在、この店は閉店している模様です。

比較的保存状態の良い1枚。

参考文献

参考記事

西新井(アダルトショップ)頭上にウルトラマン。

環状七号線沿いに大きなマンション。

マンションの1階に、ビデオ、DVDの販売店があります。

入口付近。アダルトビデオも取り扱っているようです。

店の入口では、ウルトラマンが出迎えてくれます。

参考文献

参考記事

西新井(大人向け自販機)DVDなど。天井にポスター。

環状7号線の交差点近くに「ビデオ販売無人コーナー」の看板のある自販機コーナーがあります。

たくさんの自販機が並んでいます。すべて大人向けです。

アダルトビデオ、DVDなどが販売されています。

天井には、AV女優のポスター。

参考文献

参考記事

西新井(コンドームの自販機)明るい家族計画。

西新井駅の北側。周囲に団地がたくさんあるエリアです。

交差店の角にある化粧品店にコンドームの自販機が設置されています。最近、あまり見かけなくなった「明るい家族計画」のキャッチコピーのある自販機です。

こちらは、住宅地にある別タイプの自販機。

明るい家族計画。

参考文献

参考記事

西新井(関原銀座)鋭角の建物のパーマ屋さん。

今回は、西新井(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
関原は、西新井駅の南側の地域で、関原銀座会などの商店街があります。

関原銀座会の商店街にある鋭角の建物のパーマ屋さん。現役で営業中です。

モダンなデザインの理容室。

関原二丁目。

参考文献

参考記事

竹ノ塚(元渕江公園)露出狂のカップルが出没?。

竹ノ塚駅の東側。国道4号線沿いの元渕江公園では、夜な夜な露出狂のカップルが出没するといいます。*1

都心部のハプニングバーの客が店の後に訪れ、公園内の身障者用便所がプレイルームになっていると言われています。*1

トイレのドアの内側の落書き。ハッテンバとしても活用されているのでしょうか。

長文の落書き。

【参考文献】
*1 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56

参考文献

参考記事

竹ノ塚(駅前のラブホテル)24時間いつでも休憩OK。

今回は、竹ノ塚(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。

団地の一大密集地である竹ノ塚は、主婦売春が盛んと言われています。*1
しかし、竹ノ塚駅周辺のラブホは意外にも少なく、線路沿いにあるこちらの2軒のみです。
足立区の主婦は、地元のホテルは利用せず、隣の埼玉県八潮市のホテル*3 を利用するという情報もあります。*2

24時間いつでも休憩OK。便利なホテルです。
八潮市のラブホテルも同じシステムを採用しています。*3

ホテル脇の路地を通りに出ると、テレクラがあります。

【参考文献】
*1 山藤 章一郎:週刊ポスト(2006.9.29)P.198-P.171 「現場の磁力6」竹の塚”主婦売春”は格差社会の産物か
*2 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
【参考記事】
*3 風俗散歩(八潮):大曽根のラブホテル(2009.11)

参考文献

参考記事

九条(ペプシコーラ箱)大型縦長の木製牛乳箱。

松島公園の近く。大型縦長の木製牛乳箱?発見。

と思いきや、何とペプシコーラ箱です。ペプシコーラも牛乳と同じように宅配されていたのでしょうか。

箱の上部は開閉するようになっていますが、ここからコーラの瓶を入れるのはちょっと厳しそうです。

いろいろ推論しましたが、「ペプシコーラの搬送用の木箱を使って郵便ポストを自作した。」と考えるのが妥当かもしれません。

参考文献

参考記事

九条(小便禁止看板)鎖で囲われています。

松島新地近くの商店街。駐輪禁止、小便禁止の看板が3つ並んでいます。

小便禁止の看板。

整然と文字が並んでいてインパクトがあります。

看板の周囲は、鎖で囲われていて立ち入りができないようになっています。

参考文献

参考記事

九条(松島新地)和風の建物が並んでいます。

松島新地は、赤線当時の和風の建物がそのまま残されています。

路地に入ると雰囲気のある塀が続いています。

路地からメインの通りを見たところ。

2階部分。

参考文献

参考記事

九条(松嶋遊廓跡地)現在は公園になっています。

今回は、九条(大阪府大阪市西区)の町並みと風俗を散歩します。
木津川と尻無川に挟まれた寺島の地(現在の松島公園)の北端は、松ヶ鼻と呼ばれた場所で、直径1mにおよぶ大きな松の樹が水面に枝葉を垂れていた景勝地で、松島の地名の所以でもありました。*1

安政5年(1856年)の五か国通商条約以後、大阪開港が行われ、木津川と安治川に囲まれた挟まれた砲弾型の土地に外国人居留地ができました。これに伴い、「軍艦、商船が渡来し水夫・兵士など「軽輩」の者が出入りするので遊女屋がなくてはかえって不取締りになる」ことから、横浜、長崎、箱館(函館)の例にならって、松嶋遊廓の建設が許可されました。*2
現在は松島公園となっていて、当時の面影は残っていません。

松嶋遊廓の北端には、松島橋と梅本橋がありました。*2
松島公園内(野球場横)に、松島橋の碑があります。*3

同じく、野球場入口横にある梅本橋跡の石碑は、当時の様子を写真で伝えています。

【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.62
*2 佐賀朝:近代大阪の都市社会構造(日本経済評論社,2007)P.41,P.43
*3 熊田司,伊藤純:森琴石と歩く大阪(東方出版,2009.8)p.157

参考文献

参考記事

福原(オブジェ)マーライオン。ソープランドの建物。

ソープランドの建物につきものなのが、ユニークなオブジェです。
こちらの像はかなり大型です。

マーライオン(頭部がライオンで下半身が魚)は、シンガポールを代表する観光のシンボルです。

小型ですが、美しいオブジェです。

こちらは銀色で、セクシー度抜群です。

参考文献

参考記事

福原(大人のおもちゃ屋)「世界の下着」の看板。団体3人以上お断り。

新開地にある「世界の下着」の看板のある店。

入口のドアには、大きく「下着」と書かれています。左側に、おとなのおもちゃ屋さんが隣接しています。

「団体3人以上お断り」の貼紙(写真右側)。

おとなのおもちゃ屋さんのショーウィンドウ。

参考文献

参考記事

福原(新開地のホテル)土手の東側の石垣に階段。

新開地の北側に位置する湊川公園は、天井川だった旧湊川の川床と同じ高さに埋め立てられたので、土手の東側の石垣には、階段が作られています。*1

階段の上にホテルの土地がせり出してします。

ホテルへの階段。

ホテル脇の路地を進むと松竹小路*2 を経由して新開地商店街に出ます。

【参考文献】
*1 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.9,P.66
【参考記事】
*2 風俗散歩(福原):松竹小路(2010.1)

参考文献

参考記事

福原(松竹小路)不思議な造型。魅力的な古い路地。

新開地本通商店街の湊川公園方面へ向かって坂道を登っていくと、右手(東側)に松竹小路の入口が見えます。

松竹小路は、数ある新開地の路地の中でも最も魅力的な古い路地のひとつです。*1

不思議な造型がこの路地の魅力です。

スナック、居酒屋、カラオケ、お好み焼き屋...。

【参考文献】
*1 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.78

参考文献

参考記事

福原(聚楽館跡地)新開地のシンボルでした。

新開地は、明治の末期、天井川で流れていた湊川を新湊川に付け替えたあと、河川敷を埋め立てて新しく開いた地であることから新開地と呼ばれてきました。大正、昭和の一時期は、「東の浅草、西の新開地」と並び称されるほどの歓楽街として栄えました。*1
新開地のシンボルの一つであった「聚楽館(しゅうらくかん)」は、大正2年にオープンした神戸最大の豪華劇場できした。神戸跡地はボーリング場へと姿を変えています。

ボーリング場の入口には、当時の新開地の写真が掲示されています。

ボーリング場の裏手付近。

聚楽館(衆楽館)の名は現在も電柱に残っています。*2

【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.76
*2 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.35

参考文献

参考記事

福原(福原遊廓跡地)現在はソープランド街。

神戸の歴史は、福原遊廓とともに始まったといえます。*1
福原遊廓の妓楼は、上、中、下と客すじが別れていて、一番よいところが仲之町(桜筋)でした。*2
現在はソープランド街となっています。

大楼として知られた松浦楼があったあたり。*1*2

桜筋の東隣の柳筋は、福原遊廓の頃は、中小の廓が並ぶ場所でした。*2
現在は道幅も広く、むしろこちらの通りの方がソープランド街の中心になっています。

花柳病の薬を専門に販売していた「有田ドラッグ」があったあたり。*2
「有田ドラッグ」の経営者、有田音松は、福原遊廓の長谷川楼の妓夫太郎(客引き)から身を起こし、あくどい商法で名を成しました。*3
「有田ドラッグ」の店頭には、梅毒や淋病にかかって頭部の皮膚が犯されたり、鼻が欠けた人体の模型が飾られ、「十八歳未満の者、中に入るべからず。」と貼紙がされていました。店の中に入ると今度は淋病におかされた局部の模型が陳列されていて、性病患者はおじけづき、有田ドラッグの薬を買い求めました。*4

【参考文献】
*1 加藤政洋:神戸の花街・盛り場考(神戸新聞総合出版センター,2009)P.61,P.67-P.69
*2 君本昌久:いろまち燃えた(三省堂,1983)P.82-P.84
*3 林喜芳:わいらの新開地(神戸新聞総合出版センター,2001)P.36-P.37
*4 稲垣喜代志:ドキュメント日本人 第9(学芸書林,1969)「有田音松」P.40,P.45

参考文献

参考記事

福原(兵庫牛乳の牛乳箱)不思議な六差路。平野の交差点。

平野の交差点の近くに、不思議な六差路があります。
地元では「六道(堂?)の辻」というそうですが、細い道が綺麗に放射状に走っています。角の窮屈な三角地に家が建っています。*1

三角地に建っている家に緑色の牛乳箱があります。

兵庫牛乳の牛乳箱。

サイズは大型です。

【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.70-P.72

参考文献

参考記事

福原(福原京跡)平清盛の福原遷都。「雪見御所」があった場所。

今回は、福原(兵庫県神戸市兵庫区)の町並みと風俗を散歩します。
祇園神社の南面一帯の平野付近は、約800年前、平清盛が幻の都といわれる「福原京」を置いた場所です。*1

清盛の山荘である「雪見御所」があった場所には、「雪見御所之碑」が建っています。

福原は、半年間だけ日本の首都となりました。

荒田八幡神社裏に、「福原遷都八百年記念之碑」があります。
明治元年に開設が許可された「福原遊廓」は、平清盛の福原遷都にちなんで命名されました。その後、福原は、東京の吉原、京都の島原とともに、「さんぱら」並び称されるようになりました。*2

【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.70-P.72
*2 加藤政洋:花街(朝日新聞社,2005)P.200-P.201

参考文献

参考記事

人吉(大工町の美容院)レトロな建物。旅館丸恵本館の近く。

人吉市街の大工町。旅館丸恵本館の近くに美容院のレトロな建物があります。

「美容院」と書かれたドア。

入口のタイルの装飾。

木製の窓。

参考文献

参考記事

人吉(市街の大衆食堂)派手な大衆食堂。ラーメン、焼肉。

人吉の中心街には、派手な大衆食堂が軒を連ねます。

ラーメン、ギョーザ、ビール。

看板建築のホルモン店。

スナックのような佇まいの食堂。

参考文献

参考記事