佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。

現在は、休業中です。

写真左奥は、観光スポットの町並みです。

建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。

佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。
現在は、休業中です。
写真左奥は、観光スポットの町並みです。
建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。
佐原市街の東薫酒造の工場(写真左側)の西側の通り。
通りのつきあたりに、古風な理容室があります。
1階部分は水色。窓枠は白く塗られています。
地元の方の話によると、かつて、この通りの先には、花柳界の見番がありました(「駅前の看板に書かれていた二業組合とは、時代が異なるのでは」との話)。
佐原市街にある金平湯。
住宅街の中にあります。
現在は、「まちぐるみ博物館」として利用されています。
鮮やかな青色のタイル
JR下総中山駅の東側にあるビル銭湯(写真左奥が総武線の高架です)。
天然鉱泉「滝の湯」。
総武線の車窓からも見える滝の湯の煙突。
建物の北側の通り。
JR下総中山駅南口から100mの場所にある桔梗湯。
まるで、高級クラブのような佇まいです。
残念ながら、つい先日閉店したとのことです。
桔梗の紋。
国道14号線沿いにある銭湯の紅梅湯。
大型の建物に高い煙突が特徴です。
入口。
隣には、マンションの建物(写真左上)が迫っています。
船橋市の海老川沿いの住宅街。このあたりは、道幅の狭い昔ながらの路地が残っています。
立派な門構えの家。
木が生い茂る中に残る「旅館妙泉」の看板。
裏口付近。
船橋駅の東(京成大神宮下駅近く)にあるビル銭湯の宮の湯。
片持ちの外階段を持つ3階建てのビルです。
1階に、コインランドリーが併設されています。
宮の湯の煙突。
ホテル「白川郷」(写真左手前)の並びにある三経82ビル。
一見普通のビルに見えますが、アメリカで出版されたポストモダン建築の本の表紙を飾りました。*1
1階には、飲食店が入っています。ビル脇に2階(ホストクラブ)へあがる階段があります。
三経82ビルから北へ約30mにある三経75ビル。頂上部分が特徴的な形状です。
ホストクラブなどの風俗店が入居しています。
JR総武本線の東千葉駅から、約100m。「東千葉入口」交差点のとろこに、銭湯の喜代の湯があります。千葉市近郊では、数少ないレトロ銭湯です。
入口脇にはコインランドリーが併設されています。
隣接する駐車場からの遠望。
煙突。
1963年開業の三愛ドリームセンターは、現在も銀座のランドマークとして君臨しています。
2階の喫茶店の窓際席からは、銀座の景色を楽しめます。
3階のビルからは下着姿の女性が交差点を見下ろしています。
2階の喫茶店からの眺める銀座の風景。
大勝軒※1 の向かい側。同じく戦前の建物の「鳥萬」があります。
食料品の店舗だったようです。
鳥萬の文字。
4階建てのように見える3階建て。
国旗掲揚塔※1 のある通りを南へ進んだ四つ角にある下宿屋の日本館。昭和11年に始まった学生向けの下宿屋です。
玄関。
部屋数は約30室。
穴あきブロック塀の下に、穴あき状に石材を平積みした構造。
新小岩駅の北。駅前の繁華街からは離れた住宅街に銭湯の千代の湯があります。
シンプルな外観。
レトロな銭湯でありながら、ハイカラな感じの銭湯です。
浴室の背景は、常夏の海をイメージした海岸の絵。天井は、水色、グリーン、肌色の3色模様、と独特の雰囲気です。
コインランドリーが併設。
八重洲一丁目の繁華街。
ビルの谷間の木々が生い茂る中に、理容室のサインポールだけが置き去りになっています。
隣は雀荘が密集する路地。※1
現在、1階は喫茶店ですが、以前は理容室だったのかもしれません。
JR小岩駅から北へ徒歩約10分。昔ながらの銭湯の吉野湯があります。
南側の駐車場から見た建物。
入口。
脱衣場の格子天井。立派です。
千住5丁目にある銭湯の梅の湯(現在は廃業)。
かつては、昭和初期の建築で、外観、脱衣場をほぼ新築時の姿のまま残す貴重な銭湯でした。*1
オゾン浴泉
北側見た建物の外観と煙突。
南側の駐車場から。
西小岩の武蔵湯。総武線の車窓からも見える銭湯です。
美しい煙突。
入口にはタイル絵。
最近、内装リニューアルされたらしく、床やロッカーは綺麗で快適です。
廃材置き場。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
入口のシャッターには、富士山の絵。
お湯は木材で沸かしているようです。
煙突。
浅草の浅草寺の東隣にある旅館「一富士」。
落ち着いた佇まいの和風旅館です。
白い塀に、一富士の看板。
一富士旅館。
西五反田の住宅街。写真の左手は小学校の運動場です。
見事な破風の屋根の外観。大型の建物です。内部は天井が高く開放感があります。風呂桶が木製であることも魅力の一つです。
昔ながらの銭湯です。
短く太い煙突。
足立区千住柳町にある銭湯の金の湯。
外観は、近代的銭湯のように見えますが、内部は昔ながらの銭湯です。
玄関の傘立て。
真っ白の煙突。「金の湯」の文字が目立ちます。
西小山駅南東側の商店街。スーパーサミットの前にある東京浴場。
ビル型の銭湯ですが、レトロな雰囲気を出しています。
白い四角い煙突。
ビルはマンション兼ねている大きな建物です。
中野区弥生町の住宅地にある清春湯。
建物は、重厚な造りです。
煙突には、温泉マークのみ。シンプルです。
破風の部分にも温泉マーク
王子駅前の北本通りの商店街(王子銀座)。王子のシンボル、スーパー「ほりぶん」です。
先代の名前が堀文文吾(二代目の堀文文嘉さん)も「ほりぶん」が名前の由来です。もともと肉の卸・小売りからスタートしました。*1
王子銀座。
黄色の目立つ外観です。
品川には、看板建築の建物がわずかに残っています。
こちらの建物は、1階が飲食店としてリニューアルされています。
旧東海道沿いの金物店。
2階の上下に銅板の装飾。中央部分は茶色のタイル。斬新なデザインです。
今回は、入谷~吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
入谷一丁目にある太田ハム。地元の有名企業です。
看板には、「HAMBACON&SAUSAGE」と書かれています。
太田ハムの看板。
隣には、肉の石川。
国道14号線(千葉街道)沿いの歩道にある「鷺沼温泉」。
昭和4年から80年間営業している銭湯です。
映画のセットでも見ているかのような脱衣場。
浴場は、さらにレトロです。
銭湯の裏側。地元の方の話によると、昔は重油で沸かしていたが、最近は供給が多い廃材で沸かしているとのことです。
根岸柳通りは、古い町並みが残る商店街です。
商業ビル※1 の対面に残る看板建築の建物。
1階は美容室。
ドア横にある凝った意匠の小窓。
根岸柳通りにある商業ビル。1階が店舗で2階が居住部分です。中央には、「婦人倶楽部」の看板のある商店。「婦人倶楽部」戦前・戦後を通じて発刊された婦人雑誌です。
女のよろこび・・・・・妻のしあわせ
建物の紋章。スッポンのように見えます。
建物の裏側、表側は、複数の店舗が一体感のある商業ビルに見えますが、裏側の構造は複雑です。
言問い通りから北へ入ったところに建つ洋館の建物。旧陸奥宗光邸です。陸奥宗光は、明治時代に活躍した外交官です。
陸奥宗光は、坂本龍馬、伊藤俊輔(伊藤博文)などと交友を持つ頃から、花柳界にも名を震わし、大阪の判事にとばった頃、堀江の唄女を正妻としました。神奈川県知事となった頃、正妻が死没し、亮子夫人が後妻となりました。亮子は、元新橋の名妓「小兼」で、板垣退助に愛された「小清」と並んで新橋の双美人と称されていました。*1
この屋敷は、陸奥宗光が1884年から1886年のロンドン留学中、「鹿鳴館の華」と称された妻の亮子夫人とその子供たちが暮らしました。(案内板より)
陸奥宗光と亮子夫人。(案内板より)
今回は、三沢(青森県三沢市)の町並みを散歩します。
青い森鉄道線三沢駅の西側に、2012年に廃線となった十和田観光電鉄線の三沢駅の駅舎が残っています。
北側の入口。
現在も残る切符売り場
現在は、使われていないプラットホーム。
北野辺地駅へ向かう道路の途中にある若葉温泉。
温泉地が多い青森県の大衆浴場です。
昭和の雰囲気を満喫できます。
煙突。
野辺地町助佐小路の交差点にレトロな美容室があります。
交差点の角に建っています。
隣の建物と繋がっていて、長屋の構造になっているようです。
ショーウィンドウ。
大万旅館のある旧金沢町の旅館街。*1※1
木造建築の旅館がもう一軒あります。
旅館「福よし」。
1階部分は、洋風の佇まいです。
建物は、L字型に連なっていて、かなり大型です。
神田小川町2丁目のビル街。写真右手前は、以前のビルが取り壊され、建て替え予定となっている更地です。
更地の隣の3階建てのビル。正面から見ると2階建てのように見える点は、看板建築の特徴を有しています。
更地の方向から見た建物の側面。
少しだけ3階部分が垣間見えます。
神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1
正面部分のみ銅板が貼られています。
建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。
逆方向から。
大塚駅南口。サンモール商店街を進み、天祖神社のさらに先にビル銭湯の記念湯があります。マンションの1階が銭湯の入口です。
シンプルな記念湯の看板。
脱衣場の天井には宇宙の絵が描かれています。
玄関マットにも宇宙の絵。
今回は、錦糸町(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
錦糸町駅の北口の駅前ロータりーから道を1本入ったところ、繁華街の中に旅館の建物があります。建物の屋上には、旅館「草分け」のネオン看板。
1階に焼き鳥やが入る交差点の角の建物の西側の建物が、旅館「草分」けだったのでしょうか。
旅館草分。
1階の焼き鳥屋は、現在も営業中です。
月島西仲通り商店街※1 の北側に位置する佃島は、関東大震災にも第二次世界大戦にも被害を免れた。昔ながらの下町の面影を残す地域です。*1
佃小橋から大きな煙突付きマンションが見えます。
近くには「つり船」の店。
ビルの1階が銭湯です。
大栄マンションの東側は堀(佃川支川)です。
築地7丁目のアパホテルのある通り。
純和風の旅館があります。
周囲は、高層ビルが建ちち並びます。
丸い竹に書かれた「旅館大宗」
築地市場の東側。築地6丁目、7丁目付近には、看板建築が多く残っています。
こちらの商店だったと思われる建物は、正面から見ると2階建てです。
背面から見ると、屋根裏部屋部分*1 は、3階建て部分であることがわかります。
こちらも正面は2階建て、横から見ると3階建てです。
三角屋根部分が3階部分になっている食品会社の建物。
旅荘※1 があった小路を抜けると大木戸子ども園の前の商店街に出ます。
新宿区の都心にありながら、レトロ感満載の銭湯です。
現在は、銭湯は休業し、商店の建物として活用されているようです。銭湯脇のコインランドリーは営業中です。
脇の小路。
関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。
写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。
こちらも、一見何の変哲もない2階建て。
横から見ると3階建てです。
今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1
写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4
海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3
2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1
釧路市大町にある銭湯の草津湯。
建物は、改築していますが、創業は大正8年だそうです。*1
奥行のある建物です。
反対側。
釧路市米町3丁目にある銭湯の岬湯。
正面はこちら側です。
裏側からは、立派な煙突をみることができます。
最近、惜しくも休業となったようです。張り紙が貼られていました。
今回は、生田原(北海道紋別郡遠軽町)の町並みを散歩します。生田原駅構内には、オホーツク文学館と図書館が併設されています。
図書館の入口に、昭和29年発行の「生田原市街地図」*1 が掲示してあります。
当時は、カフェーがあったようです。
北の王鉱山の全景。
網走市街の中心部にある銭湯のときわ湯。
最近改装されたのでしょうか。綺麗な銭湯です。
年季の入った煙突。
夜の銭湯。
波止浜の仲之町の通り沿いに、タイル貼りの理容室の建物があります。
建物の全面がタイルで覆われています。
ひさし部分。
水色にピンクのライン。
今治市の本町六丁目。海に近いあたりに銭湯の大黒湯があります。
道路沿いの銭湯。
入口の円柱は、松山の祇園湯※1 と同じ特徴です。
見ていると目が回りそうなタイルの装飾。
松山市祇園町にある銭湯の祇園湯。
タイルで装飾された入り口。中央の大きな円柱が特徴です。
最寄りの駅はいよ鉄のいよ立花駅ですが、松山市街からも徒歩で行ける位置です。
年季の入った感じの脱衣場。
多度津町の市街を流れる桜川。川沿いにマッサージ店があります。
あん摩やの大看板。
マッサージ店。
あん摩やの暖簾。
高知市与力町(堺町の西側)の交差点の角にあるレトロな「マキ美容室」の建物。
横から見ると、驚くほど狭小な建物であることがわかります。
入口付近。こちらは、「サロンK」という屋号です。
カラフルなタイルの装飾。
高知市南はりまや町。鏡川の堤防に近いあたり。
あん摩マッサージ屋さん。
インパクトのあるR(アール)あんま乳房マッサージの看板。
こちらが出入り口のようです。
鳴門駅の北側。住宅街の中にある銭湯の東湯。
鳴門市撫養町小桑島日向谷。看板には、「桑島 東湯」とあります。
現在は、休業中のようです。(貼り紙有り。)
煙突には、「東温泉」と書かれています。
牛浜駅の東側にある「福生アメリカンハウス」は、1958年に建てられたアメリカンハウスを使ったコミュニティスペースです。*1
内装も50年代当時の雰囲気が再現されています。*1
当時の珍しい写真も展示されています。
外人バー街には、空地があり、そこにはいつもアメリカ人の車が駐車していた。(解説文より)
今回は、福生(東京都福生市)の町並みを散歩します。
朝鮮戦争の頃の米国本土からの米軍人家族移住策により、基地内における米軍人家族用の新規居住が困難となったため、1951年、当時の基地の司令官が、米軍人家族用の一戸建て賃家である「ハウス」の建設を福生市に要請しました。これが、アメリカンハウスです。*1
ハウスは、米軍によって規格化された平屋の一軒家で、全室が洋間であることと、平均10畳のリビングと庭があることを特徴としていました。*1
外壁は、水色やピンク色に塗装されています。
最近は、店舗に転用されている事例もあるようです。
江戸東京たてもの園には、展示室があって、「看板建築展」開催中です。
看板建築は、関東大震災後、人々は、自力でバラックを建て始めましたが、このとき、バラック美しくする活動(今和次郎など)や建築家のデザインにりょう仮設商店などが建ち始め、これが後の看板建築につながったそうです。*1
本来、2階建てであるべきところ、少しでも広く使うために屋根裏部屋を設けた事例の模型が展示されています。*1
こちらは、ほぼ完全に3階建ての建物。
中央区月島の旧玩具店の建物に飾られていた、だるまの部分が移設、展示されています。
JR中央線武蔵小金井駅北口からバスで5分。小金井公園の敷地の中に、江戸東京たてもの園があります。
江戸東京たてもの園は、1993年、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目的に開園しました。*1
商店などの建物が建ち並ぶ東ゾーンの奥にある銭湯の子宝湯。1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられました。*2
格天井(ごうてんじょう)など、脱衣場は日本の伝統建築の空間。浴室はタイル張りなど、洋風の雰囲気が強い、いわゆる「東京型銭湯」の特徴*2 を持ち合わせています。
ガラス戸を介した縁側。*2
東京学芸大の東側。道路沿いを進むとまるで軍艦のような外観の煙突を持つ建物が現れます。
鉄筋コンクリート3階建てです。
建物は、工事用事務所も兼ねているようです。
雑然とした感じの銭湯の入口。
西東京市南町1丁目にある松の湯。商店街の中にあります。
都内では少なくなりつつあるレトロ銭湯です。
簡易な懸魚。
ロケットのような形をした煙突。
三鷹駅の南側。三鷹市下連雀3丁目に、周囲をビルに囲まれた銭湯の春の湯があります。
マンションの建物の1階のビル銭湯。
これより先、土足禁止です。
清潔な店内。
東急百貨店の西側。商店やブティックもまばらになり、住宅街になるあたり。吉祥寺では、よろづ湯※1 と並ぶレトロ銭湯の弁天湯があります。
弁天湯の煙突。
脱衣場の窓には、裸婦が磨りガラスで描かれています。
レトロなかさ入れ。
池須町の北東方向。割烹「一力」の西側に、昔の佇まいが残る一画があります。
「ゑびす旅館」。地図によると現在は「ゑびす寮」となっています。
美しい黒板壁。
旧「桔梗屋」。*1
ゑびす旅館に隣接しています。
大垣駅近くにある銭湯の都湯。洋風の建物です。
手書きで書かれた屋号。
木製の棚。白く塗られています。
脱衣場には、なぜか小便小僧。
大垣城近くにある割烹旅館「菊水」。地元の方の話によると戦前は料亭を営んでいたそうです。
鉄筋コンクリート造りでありながら、みごとな和風の佇まいです。
夜の様子。
部屋はとにかく広いです。
お城街※1 のある城南アパートの西側。ひち屋の看板が見えます。
ひち屋の入口。
入口の看板に、「金融品 貸流品 廉売」と書かれています。
別の金融の店。
中山道、大田本町一丁目交差点近くに、銭湯の煙突が見えます。
一見、駄菓子屋か何かの商店かと思える緑色のビニールのテントですが、銭湯の音羽浴場です。
煙突。
夜の様子。
岐阜西通りと南本庄一条通りの交差点付近。「ヤマヨ温泉」の看板が見えます。
近代的な2階建てのビル銭湯は、多くの人で賑わっています。
煙突の上部に「ゆ」のマーク。
洗って・絞って・乾燥
JR岐阜駅の南側は、江戸時代はかつての中山道加納宿があったあたりです。
加納本町9丁目のかつての中山道沿いに、古い民家の建物が残っています。
丸窓などの装飾。料理屋等を営んでいたのかもしれません。
玄関付近。
相浦港から相浦橋(上相浦駅方面)へ向かう通りが相浦市街の中心部です。古い旅館の建物が残っています。
旅館「楽楽」の建物。*1
奥行のある立派な建物です。
旧入船旅館*1
圧巻の木造三階建てです。
門司市街の南部。背後に山が迫った場所にある清滝地区に、風情のある旅館があります。
入口は、坂を上った奥です。
一度、ぜひ泊まってみたい旅館です。
南側。
船津町市街の通り。
モダンな写真館の建物が残っています。
PHOTOSTUDIO。
落ち着いた佇まいです。
浅野川大橋の交差点を北西へ進むと、「くわな湯」の看板が見えてきます。
ビル型の銭湯です。
黒い煙をはく煙突。
浅野川の対岸から。
大野市街の北側の錦町は、周囲に寺院が林立する静かな町です、ここにスナックや理容室が入居する長屋の建物が佇んでいます。
風情のある理容室。
玄関部分はアーチで装飾されていて、モダンな雰囲気です。
2階部分。
日吉神社の北西側。大野市元町にある銭湯の鳳湯。
木造の重厚な建築です。
屋根からは櫓のようなものが突き出ていますす。
煙突。
中央一丁目の歓楽街。飲食店に混じって、青色の美容室の建物があります。
2階には、マッサージ店の看板。
1階の入口。
美容室の入口には、ウルトラマン。
今回は、原ノ町(福島県南相馬市)の町並みを散歩します。仙台駅からJR常磐線で1時間20分。原ノ町駅へ到着です。駅前から西側へ続く商店街を200mほど行きくと、1階に真新しいバーが開業しているレトロなビルがあります。
「旅館玉の湯」。旅館が併設されているようです。
「旅館玉の湯」の正面入口は、脇道を入ったところ。
「TAMANOYU」と書かれています。
うきよ小路の奥まったところにある、銭湯の「君が湯」
汲み井戸や共同水道しかなかったころは、バケツで水を運ぶ仕事は子供の仕事で、共同水道から家の風呂まで何度も往復して風呂に水を入れました。もらい湯といって、隣近所で声を掛け合い、もらい湯に行ったり来たりし、濃密な近所付き合いの家族ぐるみの交流の場でした。1
近隣の人々は「君が湯」という銭湯へいった。「君が湯」は平成になって、閉鎖され煙突も撤去された。1
玄関付近。
敦賀市津内町にある銭湯のサフラン湯。
「サフラン湯」と書かれた煙突。
風情のある暖簾。入口正面には「いらっしゃいませ」の看板。
脱衣場。畳のスペースがあって落ち着きます。
武生の京町は古くからの佇まいが残る商店街です。木造三階建ての建物もあります。(写真右手前)
美容室の建物。
ブロック塀でデザインされています。
美しいウエーブは女の浪漫です。
小松市今江町にある銭湯の今江温泉元湯。小松駅と串茶屋の中間あたりの道路沿いにあります。
大型の銭湯です。
入口。
「今江温泉」と書かれた煙突。
金沢市街の犀川大橋南詰交差点から北西へ約500m。住宅地の中に銭湯のあわづ湯があります。
昔懐かしい昭和の香りがする銭湯です。
建物の大きさに圧倒されます。
大きな暖簾。
川岸町の料理屋街にあるレトロな美容室。全体が薄いピンク色です。
入口の斜めドア。
モダンな斜めの手すり。
歴史を感じさせる貴重な建物です。
今回は、石動(いするぎ、富山県小矢部市)の町並みと風俗を散歩します。石動は、高岡と金沢の中間に位置し、北国街道の宿場町として栄えました。現在の石動駅の北側が中心市街地で、その東側には、小矢部川が流れています。小矢部川沿いは、風光明媚な地で、観光旅館の松泉閣の建物が建っています。
旅館に隣接した料亭風の建物。
観光旅館と書かれたホテルの玄関。
小矢部川からの遠望。
氷見本町の商店街沿いにある銭湯の氷見温泉。
現在は、休業中のようです。
レトロでモダンな建築です。
レンガ造りの煙突。
高岡市街の北西側の中島町。商店街の奥まった場所に銭湯があります。
中島湯。
昔ながらの銭湯です。
煙突。
今回は、越中大門(富山県射水市)の町並みと風俗を散歩します。
越中大門駅から県道322号線を西に進んだところに、大門赤湯鉱泉の看板が目に飛び込んできます。
和帳折衷の佇まい。
入口。
なぜか、マリア像が安置されています。
黒部市街の東側に位置する東三日市駅。富山地方鉄道の黒部駅の隣の駅です。
風情のある駅舎です。
簡素な改札口。
富山地方鉄道は、特色のある車両が残っています。
本牧の繁華街の北側。見晴トンネルの近くの閑静な住宅街。
細い道の奥まったところに銭湯の泉湯があります。
昔ながらの銭湯の佇まい。
ステンドガラスと暖簾。
和田町駅の西側の仏向町にある横浜温泉黄金湯。
「天然化石海水型」と看板に書かれています。
落ち着いた感じの脱衣場。
風呂釜。
磯子区久木町の住宅街。
レトロな理容室。
鮮やかな水色の看板に、サインポールが映えます。
店の前に置かれている鉢植えも水色に統一されています。
平塚市立野町にある銭湯のよねの湯
郊外の住宅地の中にある銭湯です。
水色の暖簾をくぐると、男湯と女湯で左右に分かれています。
煙突。上部が火の見櫓のような特殊な形状をしています。
久慈の歓楽街の北側(久慈市巽町1丁目)にある銭湯の寿湯。
建物の中央部分(男湯と女湯の間)に螺旋階段のある珍しい建物です。
入口部分のタイルの装飾。
裏側から見た銭湯の外観。大きな建物です。
浜町の苫小牧橋の袂にある銭湯の松の湯。
苫小牧で現在も残る数少ない銭湯のうちの1軒です。
北海道らしい佇まいです。
夜の様子。
大鰐温泉の入口にあたる相生橋。
橋端の湯「大鰐ホテル」があった場所は、現在は、大鰐若松会館に建て替わっています。
1階は、公衆浴場「若松会館」になっています。
大人入浴200円です。
木造桜川の商店。
歴史を感じさせる大きな木造建築です。
玄関脇のたばこ屋。
酒類の琺瑯看板。
「ニッポンビール」は、「サッポロビール」の前身です。
【参考URL】
*1 サッポロビール(株):公式ホームページ 歴史・沿革
焼津弁天地区。銀水楼の隣のアパート。
カラフルな玄関です。
隣の旅館風の建物。
松㐂寮。
弁天地区の旧赤線区域の一本西側の通り。
旅館と思われる建物が残っています。
タイルの円柱。
銀水楼の屋号。