高萩(養豚発祥の地)サイボク園内「心友の像」。

今回は、高萩(埼玉県日高市)の町並みを散歩します。
日高市下大谷沢にあるSAIBOKUは、豚のテーマパークです。

園内には、日本の養豚を牽引した株式会社埼玉種畜牧場(サイボク)の創業者と豚のモニュメント「心友の像」が建てられています。

親豚と子豚2匹。

株式会社埼玉種畜牧場は、昭和21年の創業。育種改良事業を中心とし、日本養豚の発展に寄与してきました。(案内板より)

「心友の像」の近くには、「畜魂の碑」があります。

参考文献

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越生(中華料理「永楽」)ラーメン、チャーハン、餃子など。

越生駅前の通り沿いにある中華料理「永楽」。

建物の外観、暖簾は、ワインレッドで統一されています。

ラーメン、チャーハン、餃子など。アルコール類の提供はありません。

チャーハン(大盛)を注文。

参考文献

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越生(黒山三滝 女滝・男滝)鉱泉発見により、明治時代は県内有数の観光地。

黒山三滝入口のゲート※1 から10分ほど歩くと、天狗滝への道が分かれます。

さらに進むと、黒山三滝の男滝、女滝に到着です。

黒山三滝は、男滝、女滝、下流の天狗滝を総称して黒山三滝と呼びます。室町時代の応永5年(1398)、栄円は、この地に、関東の修験道の拠点「山本坊」を開きました。天狗滝奥の大平山には栄円の墓があり、修験道の開祖役行者の石像が祀られています。幕末期には、新吉原で成功を収めた尾張屋三平によって江戸市中に紹介されました。明治になると鉱泉が発見され、県内有数の観光地として知られるようになりました。(案内板より)

男滝と女滝。

越生(「三滝入口」碑)日本第一 大平山 三瀧入口。

「黒山三滝入口」のゲート手前の三差路。

半分ほど埋まりかかっていますが、尾張屋三平が寄進した道標が残されています。

正面は、判読できない状態ですが、「日本第一 大平山 三瀧入口」と刻まれています。*1

側面には、「東都 新吉原講中」と刻まれています。*1

参考文献

*1
神山弘ものがたり奥武蔵 : 伝説探訪二人旅金曜堂出版部1984.12
黒山三滝と吉原講中
尾張屋三平の道しるべ

P.198

越生町のはずれ…

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越生(八幡神社)尾張屋三平が寄進した狛犬。

越生(黒山三滝入口)故郷を宣伝した新吉原の尾張屋三平。

越生駅前から黒山行きバス(1日7本運行)に乗り、終点の黒山で下車。バス停のつきあたりに、「黒山三滝入口」のゲートが建っています。

ゲートの袂には、尾張屋三平の案内板。

新吉原で「寒菊尾張」の暖簾を揚げた尾張屋三平(新井宗秀)は、故郷の黒山三滝の宣伝に尽力しました。

尾張屋三平は、津久根八幡神社の狛犬や道標を寄進しました。

越生(「二七の市」の碑)旅館、料理屋、芸者屋など。明治・大正期に最盛期。

今回は、越生(埼玉県入間郡越生町)の町並みを散歩します。
越生町の中心街。越辺川(おっぺがわ)に掛かる中央橋へ向かう通りの入口に、「二七の市」の碑が建っています。

越生町は、幕末の横浜開港以降、絹取引が盛んになり、明治・大正期に最盛期を迎えました。生絹商や糸繭商をはじめ、旅館、料理屋、芸者屋、人力車など、あらゆる業種が軒を連ね、市日は祭りのような賑わいでした。(案内板より)

当時の様子。(案内板より)

現在の通り。

下北沢(宇田川湯)風呂場のペンキ絵は赤富士。

新代田駅の北側。環七通りを東へ入ったところ。

先頭の宇田川湯があります。

「元気ハツラツ」の看板。

入口に、富士山の絵が掲げられていますが、風呂場のペンキ絵はみごとな赤富士でした。

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下北沢(中華「丸長」)老舗ラーメン店。

北沢川緑道近くの交差点のい角に建つオレンジ色のビル。

中華そば「丸長」です。

チャーシュー麺とビールを注文。チャーシューはたっぷり5枚のっています。

椅子の背もたれには、「〇長」と彫りぬかれていて、歴史を感じます。

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下北沢(安吾文学碑)区立代沢小学校の敷地。家の門柱。

北沢川緑道は、せせらぎのある遊歩道です。北沢川緑道の北側(写真左側)は区立代沢小学校です。

坂口安吾が住んでいた家の門柱が残されていて、脇に安吾文学碑が建っています。

坂口安吾は、戦前・戦後に活躍した小説家・評論家で、「堕落論」「白痴」などの作品で時代の寵児となりました。
なかでも、「安吾巷談」は、戦後間もない時代の日本の姿を描いたエッセイ集で、「田園ハレム」では、小岩の「東京パレス」※1の様子を描いています。*1

安吾の名言「人間の尊さは自分を苦しめるところにある」。

参考文献

*1
坂口安吾安吾巷談坂口安吾全集08筑摩書房1998
田園ハレム リンク

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※1小岩(東京パレス跡)現在は、郵政公社の宿舎です。

下北沢(かたばみ荘跡)文学に因縁が深い「よじれた四つ角」。

下北沢駅の近く。森茉莉は、「貧乏サラヴァン」の中で、代沢五差路あたり※1 のことを述べていて、その中で「どこへ行くのかわからない細い道があり、そこをまがると「かたばみ荘」という、枕が二つずつある寝台の部屋が幾つかあるメゾン・ドゥ・ゲテがある」と書いています。*1

現在は、ラブホテルになっています。

小田急線の線路に隣接しています。

逆方向から。

参考文献

*1
森茉莉森茉莉全集3私の美の世界/記憶の絵筑摩書房1993.9
貧乏サラヴァン

鮨屋と鮨屋の向いの焼鳥屋(この店は親友の萩原葉子がつねに「寄ろうか」、或い…

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※1下北沢(狭小建物)戦前は川が流れていたY字路。