明治初年の頃は、つくば道の一の鳥居※1 があったあたりから、道の両脇に土産物屋が並んでいて、つくば郵便局※2 があった門前町の1~3丁目を経て、筑波神社に至りました。現在は、中腹まで道路が通っているので、つくば道は衰退し、土産物屋は、筑波神社周辺に残っているのみです。

土産物屋は、筑波神社(写真右側)の東側に建ち並んでいます。

杉本屋は、「明治初年頃の筑波山門前町」*1 に掲載されており、現存する最古の土産物だと思われます。

最近は、冬季は休業が多いそうです(地元の方の話)。

明治初年の頃は、つくば道の一の鳥居※1 があったあたりから、道の両脇に土産物屋が並んでいて、つくば郵便局※2 があった門前町の1~3丁目を経て、筑波神社に至りました。現在は、中腹まで道路が通っているので、つくば道は衰退し、土産物屋は、筑波神社周辺に残っているのみです。

土産物屋は、筑波神社(写真右側)の東側に建ち並んでいます。

杉本屋は、「明治初年頃の筑波山門前町」*1 に掲載されており、現存する最古の土産物だと思われます。

最近は、冬季は休業が多いそうです(地元の方の話)。

P.190
fig.2 明治初年頃の筑波山門前町(地図)
筑波山中腹への道路が大きくカーブするあたり※1 から、南の道を下ると、月水石神社の看板があります。

月水石神社には、婦人病の神(イザナギ、イザナミのミコトの第四子イワナガヒメ)が祭られています。
つくば周辺は勿論のこと、他町村からの参詣の女性の姿が多く見られ、その中には筑波町の遊女もいたと言われています。*1

つくば周辺は勿論のこと、他町村からの参詣の女性の姿が多く見られ、その中には筑波町の遊女もいたと言われています。*1

神社の境内に大きな石(ご神体)月水石があり小さな割れ穴から月に一度、赤い水が滴り落ちるといわれ、月水石神社とむかしからいわれてきたそうです。*1

1918年(大正7年)の筑波鉄道の開通により、筑波から土浦まで約50分で行けるようになり、1922年には、つくば駅から標高200mの中腹まで自動車道路が開通しました。さらに、1925年(大正1)4年には、筑波山ケーブルが開通し、筑波山は、東京から気軽に行ける観光地として定着しました。*1

現在では、筑波山中腹へ向かう道路の途中には、ホテルが建ち、マイカーでの観光が定着しているように見えます。

富士山、スカイツリーも見える絶景ホテル。

ホテルの入口。

P.186
1918年の土浦筑波間を結ぶ筑波鉄道の開通により、筑波から土浦まで約5…
今回は、筑波(茨城県つくば市)の町並みを散歩します。
茨城県道14号筑西つくば線から少し入ったあたりは、筑波山への登山口にあたる場所です。

ここには、2つの石碑が建っています。一つは、「茨城百景筑波山」の碑。

もう一つの石碑は、「従是筑波山道」です。

「明治三十七年二月」とあります。

この頃は、土浦まで電車で行き、人力車あるいは馬車を使用して北条経由で筑波山へ行く方法(従来のつくば道※1)、に加え下館まで電車(現在のJR水戸線)で行き、筑波町へ行く方法、などがありました。*1
「従是筑波山道」は、後者のルートが一般化されつつあることを物語っていると思われます。
P.588
1889(明治22)年には水戸と小山を結ぶ水戸鉄道水戸線(現在のJR水戸…
荒川沖宿の旧道沿い。交番の隣にある天満宮。

天満宮の裏手に遊女の墓があります。*1

空地の一角に、嘉永、寛政、安永と刻まれた約百基ほどの無縁仏が折り重なっています(北側の駐車場より)。*1

郷土史家の山本鉱太郎さんは、「墓は風化し、どれが遊女の墓かついてにわからなかった。」と記しています。*1

P.112
無縁仏となった遊女たち
荒川沖の街道沿いには、茅葺きの旧家が2軒残っています。

荒川沖郵便局の右隣にある佐野家は、現在も茅葺きのままです。*1

鶴町たばこ店。

江戸時代の荒川沖宿は、本陣がなかったせいか遊廓が栄えました。サカモトストアがあった場所には、女郎屋がありました。*1*2

駅前の飲み屋街 ※1 にあるCOFFEE SHOP「ニュ-フジ」。

店内は、昭和を彷彿とさせる雰囲気です。

サンドイッチと紅茶を注文。サンドイッチは「耳有りか耳無しか」を聞かれましたので、「耳有り」を注文。食パン3~4枚はありそうなボリュームです。

お食事・喫茶の他、カラオケ唄い放題。

荒川沖駅西口のすぐ近くに、小さな飲み屋街があります。地元の方の話によると、かつては川が流れていて、ときどき溢れていたそうです。

麻雀「つくば」。

ちょいのみ「宇宙人」など、飲み屋が連なっています。

パブもあります。

今回は、荒川沖(茨城県土浦市)の町並みを散歩します。
JR常磐線の荒川沖駅西口。

白ポストが設定されています。

側面には、「伸びよう伸ばそう青少年」の標語。

駅からの下り階段から目に入る場所に設置されています。

新大利根橋のたもとの土手に「七里ヶ渡跡の碑」が建っています。

実際に渡し場があった場所は、土手を降りたあたりで、こちらにも案内板が建っています。

かつての七里ヶ渡し(しちりがわたし)には、回船問屋や宿、旅人や、若い衆相手の茶店が軒を並べていました。*1

渡し小屋の写真。
