心斎橋(トルコ風呂跡)ビルの屋上に残る看板。トルコ孔雀。

道頓堀川の大黒橋近く。屋上にトルコ風呂の看板が残るビルがあります。

「トルコ孔雀」と書かれています。
1981年の資料*1 によると、ミナミ(難波駅周辺)には、約30軒のトルコ風呂が営業しており、この写真の付近には、「孔雀」、「六本木」、「男爵」の3軒の店が建ち並んでいました。

ビルの背面(道頓堀川側)。

”和風”トルコだったようです。

大坂のトルコ風呂は、条例によって、個室の天井に近い壁に20~30センチの空間(隣の部屋とのスキ間)を作るよう定められていたのが特色でした。これにより、隣の部屋の話声、シャワーの音などがソックリ聞こえるので、少々プレイのさまたげになったのですが、店側が一部屋ずつ置いて客を入れることで解決しました。*1
【参考文献】
*1 大洋図書:ミリオンMOOK全国高級トルコ・ガイド(大洋図書,1981)P.106-P.110

参考文献

参考記事

飛田(日之出温泉)朝6時から営業。大きな煙突。

飛田新地の北側は、風情のある住宅地です。

住宅街の狭い路地に、銭湯の日ノ出温泉があります。

大きな煙突。

「日之出温泉」の名前の通り、朝6時から営業です。

参考文献

参考記事

飛田(アパートの建物)飛田本通商店街近く。タイルで装飾。

飛田本通商店街から路地を入ったところに、アパートが連なる一画があります。

玄関付近。タイルの装飾が見事です。

玄関脇のタイル。

タイルで装飾された窓。

参考文献

参考記事

飛田(レトロな建物)全面がタイルで装飾。飛田新地近く。

飛田新地の西側。高速道路の高架下に、古いアパートの建物があります。

2階建てのレトロな建物です。

全面がタイルで装飾されています。円柱のデザインも見事です。

玄関付近。

参考文献

参考記事

五条(旅館の建物)奇抜な洋風のデザインの三階建て。

旧五条楽園にある古い旅館。三階建ての建物です。

「旅館」と書かれた看板のある入口。

奇抜な洋風のデザインです。

睨みをきかしている鐘馗さん(3階部分)。

参考文献

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烏丸(桜湯)レトロな銭湯。大正8年の建築。

桜湯は、丸太町橋の近くにあるレトロな銭湯です。

大正末以降に全盛となる派手な銭湯建築の様式(唐破風や格天井)とは異なり、大正8年に建てられた桜湯の建物は貴重なものです。*1

入口には大きな暖簾。

脱衣場のロッカーと柳行李。かなり使いこまれた感じです。*1

【参考文献】
*1 林宏樹:京都極楽銭湯案内(淡交社,2004)P.46-P.47

参考文献

参考記事

呼子(旅館街)帆船時代の料理店・船宿からの歴史。いか活き造りが名物。

殿ノ浦の旅館は、いずれも帆船時代の料理店・船宿から旅館業を始めた、長い歴史を持つ旅館です。呼子港は長い歴史を持ち、この町は多くの映画や小説の舞台となりました。

最近は、少人数での観光客が増え、ホテルタイプの近代的な施設へ転換しています。

呼子は、いか活き造りが名物となっていて、殿ノ浦の旅館の中にも生簀(いけす)で泳いでいるイカを料理してくれる旅館があります。

対岸から見た殿ノ浦の旅館街。

参考文献

参考記事

唐津(旅館跡)重厚な3階建ての造り。木綿町の歓楽街。

木綿町の歓楽街の中心部に、古い旅館の建物が残っています。

今にも崩れかけそうに見える建物です。

地元の方の話によると、昭和の初め頃、この付近一帯には、女郎屋もあったそうです。

重厚な3階建ての造り。世界遺産級です。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331

参考文献

参考記事

本庄(理容室)逆さまの看板。本庄市中央一丁目の通り。

本庄市中央一丁目の通り。

レトロな理容室があります。

木造の建物が印象的な理容室。

なぜか、看板が逆さまに取り付けられています。現在は、向かい側の店舗が営業中です。

参考文献

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指宿(村之湯温泉)古さを感じさせます。

村之湯温泉の歴史は古く、文久三年に創設されました(案内板より)。

浴槽は、縦に二つ並んでいます。

棚や鏡など、ありとあらゆるものがこの温泉の歴史の古さを感じさせます。

浴槽ニタオルヲツケヌ様イタシマセウ。
浴場ヲ綺麗ニ致シマセウ。

参考文献

参考記事

指宿(村之湯温泉)閑静な住宅街。木造の浴場の建物。

指宿市大牟礼の閑静な住宅街。

住宅街のど真ん中に、銭湯の村之湯温泉があります。

木造の浴場の建物は、風情があります。

浴場の隣にある温泉源。

参考文献

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鹿児島(霧島温泉)市街にあるレトロ銭湯。

天文館近くの大通り(千石馬場通り)。

切妻の1階建ての霧島温泉があります。妻の部分には、木の湯号がはめこまれていて、屋根付きの湯気抜きなど、銭湯らしい落ち着いた雰囲気を残しています。*1

夜になると、切妻部分に燈が灯り、幻想的な雰囲気です。

創業は大正時代。昭和62年に内部を大改装し、現在に至っています。*1

【参考文献】
*1 鹿児島銭湯めぐり かごしま倶楽部第2巻(ハビタ,2000)P.40

参考文献

参考記事

鹿児島(林芙美子文学碑)幼少の頃、桜島で過ごした女流作家。

今回は、鹿児島(鹿児島県鹿児島市)の町並みと風俗を散歩します。
鹿児島の象徴と言えば、噴煙あげる桜島です。桜島へは鹿児島港からフェリーで約15分です。

桜島の古里温泉に女流作家の林芙美子文学碑があります。

幼少時代のフミ子像。「幼少の頃、フミ子はここ桜島で過ごした」と刻まれています。
幼少時代の芙美子は、桜島の大噴火に遭遇しています。芙美子は、遅くとも大正3年10月には、鹿児島の叔母や祖母のもとに預けられていましたが、この桜島大噴火は、大正3年1月12日から約2年間も続きました。*1

大正の中ごろから昭和にかけてカフェーというものが大いに発達し、そこで働く女給が芸者に代わって都市インテリたちの新しい魅力の対象となりました。かつて女給をしたことのある女流作家は多く、一流どころでは、宇野千代、林芙美子、平林たい子、佐多稲子などがいます。*2

【参考文献】
*1 廣畑研二:甦る放浪記(論創社,2013)P.48
*2 大宅壮一:週刊読売(1958.2.25)P.26 「女流作家の愛情行路」

参考文献

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中洲(長浜屋台)団地が建ち並ぶ住宅街。鮮魚市場西門近く。

中洲の西(地下鉄空港線で赤坂駅下車)の福岡市鮮魚市場西門近くに、長浜ラーメンの屋台街があります。
周囲は、団地が建ち並ぶ住宅街です。

屋台は、道路の両側の歩道に建ち並びます。

屋台通りに暖かい灯りが連なります。

屋台ならではの味わいを満喫できる場所です。

参考文献

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中洲(南新地の屋台)博多の夜。屋台は、専用の駐車場で待機。

博多の夜と言えば、屋台です。

夜になると、どこからともなく屋台がやってきて、あっという間に屋台村が出現します。

昼間は、この通り、跡形もない状態に戻ります。

屋台は、専用の駐車場で待機しています。

参考文献

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伊万里(相生橋)伊万里行進曲。お舟屋女郎衆の涙雨。

今回は、伊万里(佐賀県伊万里市)の町並みと風俗を散歩します。
伊万里の市街地をゆったり流れる伊万里川には、様々な多くの橋が架かっています。いずれの橋にも欄干には、豪華な伊万里焼の陶器や人形などが飾られています。

相生橋の南側にある 佐賀銀行の壁にはからくり時計が設置されており、定刻になるとからくり人形が動き出し ます。

からくり人形の演奏曲目は時刻によって異なります。15:00の演奏曲目は、「伊万里行進曲」です。
♪ 船を出しゃらば夜深にだしゃれ
♪ お舟屋女郎衆の涙雨
♪ 伊万里港は入船出船
♪ 並ぶ三橋恋の橋…
歌詞に登場する「船屋町」は花街として栄えました。三橋とは、市街地と花街をつないだ「相生橋」、「延命橋」、「幸橋」を指しています。*1

船屋町の遊廓は、相生橋を渡ってすぐ左に入った場所にありました。

【参考文献】
*1 西日本新聞社文化部:愛しのご当地ソング(書肆侃侃房,2006)P.64-P.67

参考文献

参考記事

長崎丸山(「福地桜痴生誕の地」の碑)桜痴の吉原好きは有名でした。

崇福寺にのぼる道の途中に「福地桜痴生誕の地」がたっています。*1

福地桜痴は、大政奉還後、大蔵省の役人となりましたが、その後は新聞記者に転身しました。*1

桜痴の吉原好きは有名で、さと夫人との結婚当夜も吉原にでかけ帰らなかったという逸話が残っています。「桜痴」という号も深い仲になった吉原の芸者「桜知」の名に由来しています。*1

吉原で知り合った渋沢栄一の紹介で伊藤博文と出会い、それが大蔵省に入るきっかけとなりました。*1

吉原弁財天の入口の石柱には、福地桜痴の詩が刻まれています。*2
春夢正濃満街桜雲(しゅんむまさにこまやかなりまんがいのおううん)
秋信先通両行灯影(しゅうしんまさにつうずりょうこうのとうえい)
【参考文献】
*1 長崎文献社:旅する長崎学7 近代化ものがたり1(長崎文献社,2007)P.54
【参考記事】
*2 風俗散歩(入谷~吉原):吉原弁財天

参考文献

参考記事

長崎丸山(山頭温泉)かつて遊廓があった界隈に建つ銭湯。

丸山の入口を山ノ口とよぶのに対し、丸山の上手を山頭といいます。*1

山頭には、山頭温泉という銭湯があって、丸山が盛んな頃、山頭温泉の利用者は丸山の芸者衆や女性たちが中心で、寄合町の社交場でもありました。*1

かつて遊郭があった界隈に建つ銭湯です。

玄関のアール状のひさし。

【参考文献】
*1 長崎文献社:長崎丸山に花街風流うたかたの夢を追う(長崎文献社,2007)P.25

参考文献

参考記事

福知山(櫻湯)姿見は女湯だけにあります。

櫻湯の脱衣場。

木製のロッカーには、柳行李(やなぎごうり)の脱衣籠がずらりと並びます。これは、伝統的な京都式です。*1

女将さんと話をしているうちに、女湯を特別に見せて頂けることになりました。姿見(大きな鏡)は男湯には無く、女湯だけにあります。

風呂場の入口のステンドグラス。

【参考文献】
*1 FASTNER(2013.8)P.34 激渋銭湯を訪ねて

参考文献

参考記事

福知山(櫻湯)渋い外観。音無瀬橋近く。明治時代の建物。

福知山市街のはずれ(音無瀬橋近く、福知山市西長)に渋い外観の銭湯があります。

外観は洋風のデザイン。女将さんの話によると、明治時代に建てられたそうです。

医院のような入口。

夜の雰囲気は格別です。

参考文献

参考記事

綾部(松本湯)POLA化粧品。暖簾が美しい入口です。

綾部市新宮町にある銭湯の松本湯。

暖簾が美しい入口です。

特徴的なのは、建物の左側の角のPOLA化粧品。銭湯に化粧品の店舗が併設されていたのでしょうか。

建物の裏側。

参考文献

参考記事

宮津~伊根(宮津節の碑)縞の財布が空となる。海からも陸からも多くの遊客。

今回は、宮津(京都府宮津市)の町並みと風俗を散歩します。
「丹後の宮津」は、日本三景の「天橋立(あまのはしだて)」にむすばれ、情緒の港町ともいわれました。また、色町のさかんであることも有名で、天保13年(1842年)に魚屋町海岸に「新浜廓」をひらいたことから、一段と幕末の「丹後の宮津」を売り出し、当時流行の「縞の財布」の底をはたこうと、海からも陸からも多くの遊客が集まりました。*1

宮津桟橋近くの国道176号線沿いに、宮津節の碑があります。
♪二度と行こまい丹後の宮津
♪縞の財布が空となる
♪丹後の宮津でピンとだした

宮津節の碑のある場所のすぐ隣の波止場児童遊園に「見返り柳」があります。

当時を偲ぶよすがとなっています。

【参考文献】
*1 岩崎英精:丹後の宮津(天橋立観光協会,1963)P.4-P.5

参考文献

参考記事

新富町(正金アパート)昭和の初期からあるアパート。

新富一丁目の新大橋通り沿いに、正金アパートがあります。

昭和の初期からあるアパートです。*1

玄関付近。

1階には、飲食店がはいっています。

*1 中央区火災保険特殊地図(戦後)新富町方面(1950,都市整図社)

参考文献

参考記事

巣鴨(おとめ湯)中庭のある銭湯。2013年6月休業。

巣鴨駅近くにある銭湯のおとめ湯。
1954年に創業し、中庭のある銭湯として親しまれながら、今年6月に60年の歴史に幕を下ろしました。*1

正面入り口の唐破風・蒔絵は、当時の銭湯経営者が華やかさを競った名残です。*1

内部の様子(9月1日の見学会にて撮影)。

洗い場からは、中庭を鑑賞することができます。

【参考文献】
*1 東京新聞 2013年8月18日

参考文献

参考記事

麻布(ゲイシャ缶)日本製の缶詰を印象づけた「芸者印」。

南麻布の有栖川公園近くにある食品スーパーの「ナショナル麻布」は、周囲が大使館に囲まれているため 客層のほとんどは外国人です。

ここでは、通常のスーパーでは扱われていないGEISHA(ゲイシャ)缶が販売されています。
GEISHAブランドの缶詰は、コンビーフでおなじみの野崎産業(現在は川商フーズ)が明治44年(1911年)にカニ缶詰にGEISHAブランド貼り付けして、販売を開始し、翌45年に米国で商標登録を行ったものです。1
現在では、水産缶詰と野菜缶詰はアメリカにおいてはトップクラスのシェアを築いており、西アフリカにおいてはツナとサバを中心に、それぞれの地域で高いシェアを維持しています。
2

当時、野崎兄弟商会の責任者であった野崎末男氏は、日本製の缶詰であることを強く印象づける必要があると考えました。日本の言葉で広く外国に知られているのは、フジヤマ、ゲイシャ、ヨシワラなどですが、フジヤマはあまりに通俗的であり、ヨシワラは食料品の商標として感心できないので、ゲンシャなら優美華麗で響きも良いことから、ここに「芸者印」が生れ出ました。*3
缶の側面には、芸者さんが描かれています。

びん長まぐろ(ホワイトミート)のまぐろ水煮缶詰。野菜スープ、サラダ油入りで、たいへん美味しく頂けます。

【参考文献】
*1 野崎産業株式会社社史編纂事務局:野崎産業100年史(野崎産業,1995)P.9
*3 真杉高之:食品と容器(1984,VOL25,No.11)P.558-P.559
【参考URL】
*2 川商フーズホームページ

参考文献

参考記事

麻布(小山湯)大正十年建築。現在は休業中です。

麻布十番の古川の東側に広がる住宅街の路地の突当りに銭湯の小山湯があります。
小山湯は、大正十年建築の都内で一番古い銭湯でしたが、平成18年に廃業しました。屋号の小山湯は、かつてこの地が三田小山町と呼ばれていたからと推察されます。*1

入口が独立して付属している構造は、他にあまり類を見ない様式です。*1

2階部分の装飾が見事です。花街の建築を見ているようです。
東京に宮造り銭湯が登場したのは、大正12年の関東大震災の復興期なので、小山湯は、それ以前の建築様式で建てられました。*1

銭湯脇の石段を登ると、煙突が見える場所に出ます。

【参考文献】
*1 町田忍:銭湯遺産(戎光祥出版,2008)P.53

参考文献

参考記事

棚尾(元理髪店の建物)棚尾本通りの商店街。

棚尾本通りの商店街に古い長屋風の大きな建物があります。

元理髪店の建物です。

建物の前面は、タイルの装飾が施されています。

「理容」と書かれています。

参考文献

参考記事

衣浦(長屋の大衆食堂)ユニークな看板建築。

名鉄三河線の新川町駅前の商店街に、飲食店が入る長屋の建物があります。

大衆食堂の建物。

物干し台のような形状のユニークな看板建築です。

丼物一式、うどん、そば。

参考文献

参考記事

衣浦(旧「八千草」)旅館だった建物。

衣浦温泉の旧旅館街には、昔の面影が残る建物がいくつかあります。

旧「八千草」。旅館だった建物です。

南西方向から見た外観。

2階部分は、窓が二段になっています。

参考文献

参考記事

余市~積丹(余市川温泉)宇宙飛行士毛利衛氏が生まれた温泉。

余市橋を渡ると、「宇宙の湯、余市川温泉」と書かれたビルが見えます。

銭湯の余市川温泉。キャッチフレーズは、「宇宙飛行士毛利衛氏が生まれた温泉」です。

建物の屋上には、今にも飛び立ちそうなスペースシャトルのモニュメントが取り付けられています。胴体部分の側面には、アルファベットの「YoichigawaOnsen」と温泉マーク、水平尾翼には日の丸が描かれています。

2階は食堂になっています。ビールとチキンかつ定食(600円)を注文しました。テレビを見ながらのんびりと過ごせます。

参考文献

参考記事

岩内(小松湯)残念ながら休業中です。

岩内市街、ショッピングプラザ・ヤダのある通りに、銭湯の小松湯があります。

建物は新しく、最近改装したように思われる銭湯ですが、現在は休業中のようです。

奥行きのある建物です。

北海道の木造建築をイメージしたデザイン。

参考文献

参考記事

飛田(簡易旅館)ビジネスホテルも混在。飛田本通商店街の西側。

飛田本通商店街の西側に 簡易旅館が密集している一画があります。

旅館街のメインストリート。

中心部にある大きな旅館。

最近は、安いビジネスホテルも混在しています。

参考文献

参考記事

飛田(旅館「明楽」)温泉マーク。豪華な家具、明るい洋室。気楽できれいな日本間。

大坂環状線と阪神高速が交差するあたり。 てんのじ村記念碑(上方演芸発祥の地)の近くに古い旅館の建物があります。

建物脇の路地を入った奥まった所が旅館の入口です。

豪華な家具、明るい洋室。気楽できれいな日本間。

温泉マーク。

参考文献

参考記事

飛田(和光浴場)多数の張り紙。朝から営業しています。

飛田新地の北側、山王の住宅街。

銭湯の和幸浴場があります。

露天風呂の他、たくさんの種類の風呂があって、のんびりできます。
浴場の中には、次にように書かれた貼り紙が多数貼られています。
「他人の体に触れたり必要以上に近くに座ったり、何度も異常に接近したり、目にして不快な行為をしたり、このような行為をした方は今後入浴をお断りし、警察に通報致します。」

銭湯は、朝から営業しています。

参考文献

参考記事

新世界(旅館街)風情のある路地。通天閣の南西側。

通天閣の南西側。

数軒の旅館が密集するエリアがあります。

レトロな雰囲気のホテルの看板。

ホテル街の路地は風情があります。

参考文献

参考記事

京橋(鴫野湯)モダンな建築。「ゆ」の看板。

大坂環状線の東側、城東区鴫野(しぎの)西2丁目は、巨大マンションが建ち並ぶ住宅地ですが、1本路地を入ったところに、「ゆ」の看板を見つけました。

銭湯の鴫野湯。

和風の建築ですが、デザインはモダンです。

ロケットのような煙突。少し斜めに建っています。

参考文献

参考記事

今市(日光珈琲)明治時代に建てられた遊廓の建物。

報徳二宮神社近く、「玉藻小路」と名前のついた小さな長屋の一角。

喫茶店の「日光珈琲」があります。

店舗は明治時代に建てられ、増改築を繰り返し、一時は遊廓としても使われていました。*1

名物のスープカレーを頂きました。

【参考文献】
*1 下野新聞社: とちぎのまち歩き~ほんのりカフェ時間~(下野新聞社,2009)P.44-P.45

参考文献

参考記事

今市(旅館の看板)今市市駅前の商店街。休憩もOKの旅館。

今回は、今市(栃木県日光市)の町並みと風俗を散歩します。

今市市駅前の商店街に、旅館の看板に従って路地を入ると老舗旅館日光屋があります。
昭和30年当時、今市市内には、芸妓置屋の梅松の家、山陽家、新春の家、年寿々本、年都、春の家、文春の家などがあり、当時の旅館としては、木村屋、つたや、あたみ館、日光屋、村上屋、本多屋、白川屋、からかさ屋、かどや、福田屋、日の出屋などがありました。*1

今市市駅近くの通り。

旅館の看板がありますが、近くに旅館はありません。休憩もOKの旅館だったようです。

【参考文献】
*1 渡辺武雄:今市の懐旧(渡辺武雄,1991)P.84

参考文献

参考記事

鬼怒川温泉(ブロンズ像)くろがね橋。箱根・彫刻の森公園にも展示されている作品。

鬼怒川温泉のくろがね橋。温泉街の中心部です。

彫刻家の峯孝の代表作「プリマベラ(春)」(1972年)のブロンズ像があります。

箱根・彫刻の森公園にも展示されている作品です。

下から見上げてみました。

参考文献

参考記事

鬼怒川温泉(ホテル廃墟)名物のかっぱ風呂。鬼怒川の流れやロープウェイなど一望。

今回は、鬼怒川温泉(栃木県日光市)の町並みと風俗を散歩します。
鬼怒川温泉は、東武鉄道鬼怒川線の鬼怒川温泉駅から鬼怒川公園駅に至る南北約2kmの範囲にあります。滝見橋から眺めると鬼怒川の両岸にホテル街を見ることができます。

道路の東側が旅館の入口です。この付近のホテルは鬼怒川温泉の中では古く、現在は廃業しているホテルがほとんどです。

名物の「かっぱ風呂」の看板。

かっぱ風呂は、円型の大浴場で、ここからは鬼怒川の流れやロープウェイなど一望できます。

参考文献

参考記事

板橋(花の湯)立派な唐破風。石像と燈籠。

板橋の仲宿通りに、銭湯の花の湯があります。唐破風が前面に押し出されているので、すぐに見つけることができます。

唐破風の右側が入口になっています。

花の湯の煙突。

待合室には、布袋様?の石像と燈籠があります。

参考文献

参考記事

一身田(三階建て)美しい黒塗りの板壁。かつての遊廓街の通り。

かつての遊廓街の通りに、木造三階建ての建物があります。

細い路地を入ると、3階建ての部分が現れます。

美しい黒塗りの板壁。

逆方向から見ると、三階建て部分が天守閣のようにそびえ立っているのが解ります。

参考文献

参考記事

多治見(多治見温泉)風格のある看板。新羅神社の隣。

広小路の商店街の南側、新羅神社の隣に銭湯の多治見温泉(現在は廃業)の建物があります。

風格のある多治見温泉の看板。

建物を後ろ側から見ると、銭湯らしい造りになっていることが解ります。

建物脇の煉瓦。

参考文献

参考記事

多治見(玉突)遊廓跡近く。昭和の町並みが残された一画。

広小路の商店街の西側。遊廓があったと思われるあたりから、南に折れると昭和の町並みが残された一画があります。

「玉突」と書かれた看板が残されている建物。

かつて、おのあたりは繁華街だったのだと思います。

店の入口。

参考文献

参考記事

多治見(広小路の銭湯跡)「御婦」「御殿」。

広小路の商店街の東側に、銭湯跡の建物があります。

入口が2か所あるので、銭湯の建物だったことが解ります。女湯は「御婦」、男湯は「御殿」と書かれています。

銭湯脇の路地。

銭湯脇の路地に、物置がありました。

参考文献

参考記事

浜松町(小便小僧)着せられている衣装は毎月着せかえられます。

今回は、浜松町(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
浜松町駅の山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに小便小僧があります。

小便小僧に着せられている衣装は毎月着せかえられます。5月は鯉のぼりと金太郎の衣装です。

小便小僧の由来は、こちらの石碑の通りです。

発車(発射)オーライ。

参考文献

参考記事

熊本(肥後ずいき)水前寺公園の土産物店。瑞喜の華。

水前寺公園は、肥後藩主細川家によって筑造されました熊本の名所です。入口には、公園を境内とする出水神社の鳥居があって、ここから公園の入口までが参道になっています。

参道の両側には、土産物店が並んでいます。

今回は入門用として、クリームの「瑞喜の華」を購入。
箱を開けるとチューブの「瑞喜の華」が入っていて、「ホカク用 革製品に使用すれば一段と若返り艶が出てきます。医療用、化粧品には使用しないでください。」と書いた説明書きが添えられています。

熊本のゆるキャラ「熊もん」と一緒に記念撮影。

【参考文献】
*1 渡辺信一郎:江戸の閨房術(新潮社,2005)P.216-P.218
*2 蕣露庵主人:秘薬秘具事典(三樹書房,2003)P.237-P.244

参考文献

参考記事

別府(梅園温泉)路地裏温泉。繁華街のど真ん中。

別府市元町の繁華街「梅園通り」に梅園温泉の入口があります。繁華街のど真ん中という独特な立地の路地裏温泉です。

人ひとりがやっと通れるほどの狭い路地を進みます。

スナックのママさんがはいるため、夜0時まであいています。(案内看板より)

脱衣所と円型の浴槽が隣合わせになっていて、浴槽の隅には湯槽があって源泉がボコボコと音を立てて出ています。浴槽のお湯は熱めですので、体が温まります。

参考文献

参考記事

別府(すずめ旅館)北部旅館街。古くからの旅館が現在も営業中。

今回は、別府(大分県別府市)の町並みと風俗を散歩します。別府駅の北東側に位置する北部旅館街(仲間通り)は古くからの旅館が現在も営業中です。

そのうちの1軒、すずめ旅館は、宿泊(素泊まり)2500円です。看板には、「御泊り」の他に「御休憩」もあります。昔は、休憩のみの利用もできたのだと思います。

豪華なソファーと大きなダブルベッド。艶っぽい雰囲気の調度品など歴史を感じさせる旅館です。

夜になると、別府タワーのネオンが望めます。

参考文献

参考記事

門司(古びた飲食店の建物)当時の賑やかさが伝わってきます。

門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。

郷愁を感じさせる1階部分の看板。

1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。

いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。

参考文献

参考記事

安浦(理容室)緑のタイル。木製の窓枠。

住宅街の中にスナック、銭湯などが点在する旧カフェー街。

理容室「良美軒」の建物。

玄関部分は緑色のタイルで装飾されています。

木製の窓枠がいい感じです。

参考文献

参考記事

安浦(日の出浴場)宝船のタイル絵。あずま通り。

あずま通りの中ほどに、銭湯の日の出浴場があります。

こじんまりとした暖簾が郷愁を誘います。

玄関部分には、宝船のタイル絵があります。

裏側から見た銭湯の建物の全景。

参考文献

参考記事

神楽坂(熱海湯)緑に囲まれた玄関。駐車場の奥に銭湯。

神楽坂の見番通りに面した駐車場の奥に銭湯の煙突が見えます。

路地の階段を下っていくと、銭湯の熱海湯があります。

緑に囲まれた玄関。

堂々とした木造建築です。

参考文献

参考記事

渋谷(閉園した屋上遊園地)東急東横店東館。

今回は、渋谷(東京都渋谷区)の町並みと風俗を散歩します。
戦後も落ち着きを見せ始めた昭和26年、東横百貨店屋上(現在の東館、写真左)と現在の西館(写真右)の位置にあった玉電ビル(当時4階建て)の屋上との間に、都会では珍しいロープウェイが出現しました。「ひばり」号と名付けられたこのロープウェイは、もともとは東横百貨店屋上の遊園地の遊戯物の一つで、子供たちには大変な人気でした。「ひばり号」は、認可がおりるまでに時間を要したため、開業時には、玉電ビルの所に新館(現在の西館)を建設することが決まっていたたため、昭和28年に運休し、短命に終わってしまいました。*1

それから60年が経過した現在、渋谷駅周辺は大規模な都市開発が進行しています。渋谷ヒカリエからは、東急百貨店東館の屋上遊園地が見えます。東館が閉館する3月31日、屋上遊園地も閉園となりました。

閉園した屋上遊園地(アスレチック広場「わんぱく島」のあたり)。

屋上遊園地「ちびっ子プレイランド」の様子(最終日の3月31日に撮影)。写真手前は、レール走行乗り物遊具の「機関車トーマス」。

【参考文献】
*1 宮田道一,林順信:鉄道と街・渋谷駅(大正出版,1985)P.138-P.139

参考文献

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加古川(友栄湯)旧町名の友栄町にちなんだ名前。

国道から路地を少し入ったところにある銭湯があります。

現在は休業中のようです。

友栄湯。旧町名の友栄町にちなんだ名前だと思われます。

銭湯の裏側は、長屋が連なる路地になっています。

参考文献

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加古川(松月旅館)白い質素な暖簾。昔ながらの風情を保っています。

加古川駅前の大通りと国道2号線が交差した角に、松月旅館があります。周囲には広い道路ができて開発が進んでいますが、昔ながらの風情を保っています。

側面から見ると、奥行のある建物であることがわかります。

入口には、白い質素な暖簾があります。

裏通りにも入口があります。

参考文献

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加古川(みどり旅館)1階はうなぎ屋。「うなぎのみどり」。

加古川の検番筋に「みどり旅館」があります。

1階はうなぎ屋になっています。屋号は旅館と同じ「うなぎのみどり」です。

レトロな看板。

旅館脇の路地は、検番筋を横切ってずっと続いています。

参考文献

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高砂(梅ヶ枝湯)建物の裏側は圧巻。煙突は重厚なレンガ造り。

旧国鉄高砂線の線路跡沿いを行くと銭湯の梅ヶ枝湯があります。モルタル造りの銭湯です。

建物の裏側は圧巻です。木造建築でありながら、煙突は重厚なレンガ造りで、増改築を繰り返した結果、3階建ての建物になっています。

夜になると、大きな暖簾が出ます。

木製のロッカー。

参考文献

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吉祥寺(井の頭公園近くの旅館)閑静な住宅街。昭和40代の旅荘。

吉祥寺の南口から井の頭公園にかけての界隈には、「旅荘」が多くありました。*1

現在は、閑静な住宅街ですが、当時の名残と思われる旅館があります。裏口は塀で囲まれています。

井の頭公園の東側にあるひょうたん橋から坂を上がったあたりにも、旅荘がありました。昭和40代の旅荘は、現在のファッションホテルとは異なり、一見料理屋風の建物でした。写真の左側に旅荘「利根川」、右側に旅荘「安楽」がありました。*1

旅荘「安楽」があった通り。

【参考文献】
*1 土屋恂:吉祥寺消えた街角(河出書房新社,2004)P.103,P.106

参考文献

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吉祥寺(井の頭公園の旅荘)昭和初期の雰囲気を伝える佇まい。

吉祥寺駅から井の頭公園へ向かう坂道。

坂を下りきったところに、風情のある旅荘があります。

旅荘の裏側のお客様入口。

昭和初期の雰囲気を伝える佇まいです。

参考文献

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吉祥寺(よろづ湯)近鉄百貨店東側の銭湯。

近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)の東側は、いわゆる「近鉄裏」と呼ばれるピンク街でした。

現在、近鉄裏のピンク街があった場所のほとんどは空地となり、銭湯の「よろづ湯」だけがぽつんと1軒営業中です。

昭和の雰囲気を今に伝える銭湯です。

高いビルに囲まれた銭湯の煙突。

参考文献

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吉祥寺(弁天湯)磨りガラスで描かれた裸婦。

倉橋島(桜湯)音戸町鰯浜。建物下部は煉瓦造り。

古い町並みが残る音戸町鰯浜。

レトロな銭湯があります。

「桜湯」と書かれた京行燈。

建物の下部は、煉瓦造りです。

参考文献

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倉橋島(城谷本店)元アイドル歌手の生家。丸型の郵便ポスト。

今回は、倉橋島(広島県呉市)の町並みと風俗を散歩します。倉橋島は、呉市の南方の瀬戸内海に浮かぶ島で、呉とは音戸大橋でつながっています。

音戸町鰯浜には、古い町並みが残っています。(写真奥に見えるのは、音戸大橋のループ式の取付道路です)

音戸大橋西詰近くに、元アイドル歌手の城みちるさんの生家の城谷本店があります。*1
丸型の郵便ポストが映える美しい民家です。

城みちるさんは、1973年12月、「イルカに乗った少年」でデビューし、甘い歌声とマスクでいちやくスターダムにのぼり、翌年にはレコード大賞新人賞をとりました。3年後の20歳のときに、父親の家業の電器屋を継ぐために、突然、芸能界を引退しましたが、その後、芸能界への復帰を果たし、現在も歌手・タレントとして活躍されています。*1*2*3

【参考文献】
*1 週刊明星(1976.9.12)P.173-P.174 「ヤングアイドル城みちる引退の陰に秘められた伊藤咲子との交際」
*2 週刊平凡(1976.9)P.38-P.39 「城みちるが突然、歌手の座を捨て引退」
*3 週刊平凡(1986.3)P.108-P.109 「『イルカにのった少年』から12年 あの城みちるが電気店主を捨て芸能界復帰へ」

参考文献

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姫路(たばこ屋)梅ヶ枝町の南側に南北に連なる商店街。

野里商店街は、梅ヶ枝町の南側に南北に連なる商店街です。

歴史ある商店街には、古い建物が残っています。

古いたばこ屋さん。

「こばた」と読んでしまいそうな看板。

参考文献

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明石(祇園写真館)魚の棚商店街近くの木造建築の写真館。

明石駅前の商店街から路地を入ったところに、木造建築の写真館があります。

玄関部分はタイルで装飾されています。

色鮮やかなタイル。

路地はコの字方型になっていて、再び商店街に出ます。写真奥は魚の棚商店街です。

参考文献

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明石(明石海浜ヘルスセンター跡)現在は駐車場になっています。

今回は、明石(兵庫県明石市)の町並みと風俗を散歩します。
JR明石駅を下車し、南側のフェリー乗り場の方へ向かって歩くと、錦江橋(きんこうばし)があります。

明石港に面した出島状の中崎には、江戸時代、お茶屋があって風光明媚な場所であったようです。

中崎には、戦前は遊廓があって14の楼が「明石貸座敷業組合」をつくっていましたが、戦後は赤線に移行しました。*1
電柱のプレートには、「シンチ」と書かれています。

1958年の売防法施行後、貸座敷の多くは旅館などに転業したほか。大規模なヘルスセンター、ボーリング場、ローラースケート場ができるなど、新たなスタートをきりましたが、現在はマンションが立地する住宅地に変貌しました。ヘルスセンターの廃墟は2000年に取り壊され、「明石海浜ヘルスセンター」の名にちなんだ「ヘルス明海」という駐車場になりました。*1

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:20世紀の遺跡(河出書房新社,2002)P.34-P.38

参考文献

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津山(西村旅館)重厚な木造3階建て。津山市街の中心部。

津山市街の中心部に、古い木造の建物があります。

看板に「西村旅館」と書かれています。

重厚な木造建築です。

細長い煙突。煙突の下部に「火口用」と書かれています。

参考文献

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津山(福寿湯)町並み保存地区の銭湯。古い銭湯の建物。

保存地区に指定されている東新町の町並み。

古い銭湯の建物が残っています。

壁面に「福寿湯」と書かれています。

銭湯の脇の小路。

参考文献

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湯郷温泉(理容オダカ)手作り感のある理容室の看板。

温泉街には、接客サービスに携わる人が多いことから、あちこちに理容室や美容室があります。

手作り感のある理容室の看板。大きな看板なので目立っています。

居酒屋などが入居している建物。

建物の1階正面は、レトロな美容室です。

参考文献

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尾久(質屋)大きな看板。高い塀で囲まれいます。

尾久は質屋が多い街です。

こちらの質屋さんは、高い塀で囲まれいます。

塀に書かれた質屋の名。

表通りには、人目を引く大きな看板があります。

参考文献

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尾久(荒川遊園)尾久三業近くの遊園地。

あらかわ遊園は、大正11年に開園した遊園地です。
当時のあらかわ遊園の案内には、「東京に最も近き避暑地」と紹介されています。*1

大正時代に開設された遊園地の中には、多摩川遊園地、本牧花屋敷、など付近に寺社が多く集まる地域があり、遊園地の開園と同時期にニ業地あるいは三業地が立地する場合がありましたが、あらかわ遊園の場合も同様で、近くに尾久三業が立地していました。

「遊園地」と書かれた電柱番号札。

墨田川からのあらかわ遊園の遠望。

【参考URL】
*1 あらかわ遊園ホームページ
*2 安野 彰,篠野 志郎:日本建築学会計画系論文集(1998)「遊園地取締規則」にみる明治・大正期の東京近郊の遊園地の概念–都市娯楽施設の史的研究 P.165

参考文献

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紋別(喫茶店)ポツンと一軒だけある建物。サラダがサービス。

紋別市街にポツンと一軒だけある建物。一階は喫茶店で、二階は理容室です。

レトロな佇まいです。

建物には、煙突などがあって、北海道らしさを感じます。

コーヒーとトーストを注文。この後、サラダをサービスで付けてくれました。

参考文献

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網走(一ノ湯)コンクリート製の四角い煙突。

網走市街の南四条。銭湯の一ノ湯があります。

昭和3年の「網走市街明細図」*1 にも記載されている銭湯です。
立派なビル型の銭湯ですが、現在は休業中です。

入口は、男湯と女湯で分かれています。

コンクリート製の四角い煙突。

【参考文献】
*1 昭和3年(1928)発行の『網走市街明細図』(復刻版)

参考文献

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大川(新盛旅館)現在も営業中。夜になると玄関先に明りが灯ります。

新盛旅館は、現在も営業中の旅館です。

夜になると玄関先にほんわりと明りが灯ります。

本日は、こちらの旅館に宿泊です。

玄関から2階の客室へ至る階段。歴史を感じさせます。

参考文献

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大川(新盛旅館)花宗通り。遊廓があった弥生町の東隣。

遊廓があった弥生町の東隣に花宗通りがあります。

花宗通りには、遊廓はありませんでしたが、古い旅館の建物が現在も残っています。

玄関付近。

横から見ると奥行きのある建物であることが判ります。

参考文献

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山鹿(山の湯)大衆浴場だったと思われる建物。

上市町の遊廓跡地の近くに大衆浴場だったと思われる建物があります。

大きな文字で「山の湯」と書かれています。

銭湯らしい痕跡は残っていません。

現在は廃屋になっています。

参考文献

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山鹿(洋風の建物)円柱状のモニュメント。モダンなデザインの玄関。

上市町の遊廓跡地の北東部分。古い洋風の建物が建ち並んでいます。

玄関の上部に円柱状のモニュメントが取り付けられています。何か大きな文字が書かれていたのだと思います。

モダンなデザインの玄関。

かつては、旅館だったようです。

参考文献

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山鹿(上市町旅館)料金が書かれた看板。坂道の途中。

遊廓街があった上市町の台地への坂道の途中に、旅館の建物があります。

大きな文字で「旅館」と書かかれています。

料金が書かれた看板。宿泊だけでなく休憩もあります。

玄関部分のタイルの円柱。

参考文献

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山鹿(家族温泉「再会」)べて個室になっていて二人で500円。

山鹿温泉には、家族温泉と呼ばれる公衆浴場があります。

スナックなどでよく見かける「再会」という屋号の家族温泉です。

銭湯とは異なり、男湯、女湯の区別はありません。その代りすべて個室になっていて、料金は二人で500円が基本。まるでモーテルのような造りです。

個室の中はシンプルです。脱衣場と源泉かけ流し温泉の風呂場があるのみです。

参考文献

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鳥取(古い旅館)弥生町の歓楽街。旅館脇の路地には、スナックの店舗。

弥生町の歓楽街。

通りに面して、古い旅館があります。

旅館脇の路地には、スナックの店舗が建ち並んでいます。

旅館の入口は、路地側にもあります。

参考文献

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松江(旧米江旅館)国の登録有形文化財。昭和2年に完成。

新地遊廓は、第2次大戦後、遊廓の大半は旅館・料亭となり、次第に姿を消し、現在は歓楽街となっていますが、当時の面影を残す旧米江旅館の建物が、この歓楽街の一画に残されています。

旧米江旅館は当主米江大輔(明治7年~昭和25年)が7年の歳月を費やして全国各地から資材を集め、大正12年から5年かかって昭和2年に完成したと伝えられている建物でです。

現在は、テナント募集中です。

建物は、意匠的にも技術的にも優れた近代和風建築遺構で、国の登録有形文化財に指定されています。

【参考URL】
*1 松江市:松江市長記者会見・記者発表資料「登録有形文化財の登録について 旧米江旅館本館

参考文献

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松江(旧松江旅館)現在は料理店

温泉津(レトロなタバコ屋)駅前の商店街。鮮やかなたタイルの装飾。

今回は、温泉津(ゆのつ、島根県大田市)の町並みと風俗を散歩します。
JR山陰本線温泉津駅前の商店街。温泉街へは、ここから約1kmです。

レトロなタバコ屋さんの建物。

鮮やかなたタイルの装飾。

「たばこは現金で願います」と書かれたホーロー看板。

参考文献

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浜田(学校制服専門店)ビッグサイズのセーラー服。紺屋町商店街。

紺屋町商店街は浜田城の城下町として発展し、戦前は陸軍歩兵第21連隊が現在の浜田高校、浜田一中の場所にあり約2000人の兵隊がいたので、紺屋町商店街は大変な賑わいでした。*1

商店街に制服屋があります。

商店街の中心部にある学校制服専門店。

店の前に展示されているビッグサイズのセーラ服。かなり目立っています。

【参考URL】
*1 こんやまち商店街ホームページ「商店街概要

参考文献

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大牟田(ガード下食堂)鉄管がむき出しのガード下。

鉄管がむき出しになっている三池炭鉱専用鉄道のガード下に、食堂があります。

その名も「ガード下食堂」。

店内には、木製の机と椅子がいっぱいに並べられています。

ちゃんぽん大盛りを注文。

参考文献

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久留米(木造の旅館)情緒豊かな太鼓橋。池町川沿い。

久留米駅近くの池町川沿いに古い木造の旅館の建物が残っています。

旅館「池街川」。川沿いの旅館らしい屋号です。

旅館の裏口に、情緒豊かな太鼓橋が架けられていますが、老朽化のため立ち入り禁止になっています。かつては、この橋を渡って旅館の裏口から男女が入っていったのでしょうか。

南側から見た旅館の全景(背後は九州新幹線の高架)。

参考文献

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若松(理髪店)旧土井町一丁目。モダンなデザインの入口のドア。

旧土井一丁目。

昭和を感じさせる理髪店があります。

モダンなデザインの入口のドア。

タイルの装飾もうまくマッチしています。

参考文献

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戸畑(ビジネスホテル)玄関のタイルの装飾。戸畑駅前の大通りに面した場所。

戸畑駅前の大通りに面した場所に、ビジネスホテルがあります。

玄関は、鮮やかな色のタイルで装飾されています。

ビジネスホテルの裏側には、同名の屋号の旅館があります。

旅館の全景。

参考文献

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戸畑(いくよ旅館)映画「ロボジー」の撮影で使用された旅館。

今回は、戸畑(福岡県北九州市)の町並みと風俗を散歩します。
昭和30年刊行の「全国女性街ガイド」*1 によると、戸畑には、築地町一丁目から五丁目へかけて赤線が93軒あり、駅前の一画は色町でした。

道路を挟んだ反対側の鳥旗町に、いくよ旅館があります。

この旅館は、映画「ロボジー」の撮影に使用されたそうです。
映画「ロボジー」は、二足歩行ロボットの開発を命じられた電器メーカー社員が、開発に行き詰まり、老人にロボットの中に入ってもらったことから起きる騒動を描くコメディです。おそらく、映画の中の旅館のシーンの撮影にこの旅館が使われたのだと思います。

北側から見た旅館の外観。

【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.187

参考文献

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日奈久(鍼灸院)マッサージクラブ。建物は風情があります。

日奈久温泉街には、鍼灸院があって、良いお湯と針灸の両方を受けることが出来ます。

温泉街に数軒の鍼灸院がありますが、その中でこちらの鍼灸院の建物は風情があります。

歴史を感じさせる「マッサージクラブ」の看板。

鍼灸マッサージ師会員章。

参考文献

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牛深(旅館「宝洋館」)狭い路地が海に向かって延びています。

牛深港前の県道35号線沿いに、旅館「宝洋館」の看板があります。

看板に導かれて路地を進むと、旅館の入口が見えてきます。世浦地区の「せどわ」のように、狭い路地が海の方向へ向かって伸びています(写真奥は牛深港)。

旅館の入口。

海側から見た路地。

参考文献

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牛深(ハイヤ節の碑)全国に広まりました。

今回は、牛深(熊本県天草市)の町並みと風俗を散歩します。
牛深は、ハイヤ節発祥の地です。

牛深港には、牛深ハイヤ節の碑があります。
ハイヤ節とは、港町の酒宴の騒ぎ唄として全国に分布しているもので、牛深港で生まれたものです。*1

大正時代、牛深は、「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛して来い」という俗謡(ハイヤ節)でその名を知られた女の評判な所で、お客と女との関係は、夫婦関係(同じ客を争奪しない)同然で、長逗留の客は自宅へ連れられ、花婿のように歓迎されました。町はずれの久玉(くたま)というところには、待合(遊廓)があって、待合以外の場所で寝泊まりすることはご法度となっていました。*2

牛深ハイヤ節は、その南国的陽気さが人気を呼び全国に広まりました。越後のオケサ節(佐渡オケサが有名)、津軽アイヤ節などの分派を生み、川を遡っては山村の盆踊り唄ともなりました。*1

【参考文献】
*1 大塚民俗学会:日本民俗事典(弘文堂,1994)P.560
*2 宮武省三:習俗雑記(坂本書店,1927)P.24-P.31 「牛深女と其俗謡に就いて」

参考文献

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三国(豊田屋歌川の句碑)妙海寺。三国の遊女にして俳人。

三国町山王にある妙海寺。ここに、豊田屋歌川の句碑があります。

「豊田屋歌川(とよだやかせん)」は、三国の遊女にして俳人(俳号を哥川)のことで、江戸時代中後期に活躍しました。*1

歌川の代表作「奥底の知れぬ寒さや海の音」。心にしみる名句です。*1

歌川の墓とされる豊田屋の墓。歌川の法名とされる「釈尼妙春」が刻まれています。

【参考文献】
*1 久保悌二郎 :遊女・豊田屋歌川(無明舎出版,2011)P.7,P.83,P.103-P.109

参考文献

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高岡(休業中の銭湯)唐破風と千鳥破風が入り組んだ荘厳な装飾。

高岡市街の川原町。

「唐破風」と「千鳥破風」が入り組んだ荘厳な装飾。寺院建築と見間違うかのような古代風の造りです。

懸魚(げぎょ)も大きく立派です。

現在は、休業している模様です。

参考文献

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荻窪(西郊ロッヂング)モダンなデザインの丸窓。

荻窪駅の大田黒公園周辺地区には、昭和初期に建てられた建築が現在も残っています。昭和5年、モダンな洋風下宿とした改行した「西郊ロッヂング」は、全室洋間。造り付けのベッドとクローゼット、内線電話までついていました。入居したのは地方の名士の子弟や高級サラリーマンだったそうです。*1

昭和12年に竣工した新館はドーム型の屋根のある塔が異彩を放っていますが、これは技術者だったご主人が設計にかかわった荒玉水道の排水塔を模したものです。*1

奥の建物は、和風の旅館になっています。

モダンなデザインの丸窓。

参考文献

*1
荻窪の記憶 新版2021.2
太田黒公園周辺100年の歴史

P.15
楓荻凹処と西郊ロッヂング
大田黒公園周辺地区に…

参考記事

日暮里(旅館「とよた」)竹で装飾されています。

舎人ライナーの高架が横切る日暮里駅前の近代的な町並みに混じって、古びた旅館の建物が1軒あります(写真奥)。

繊維街として発展した頃の日暮里には、このような旅館がたくさんあったのかもしれません。

モルタル造りの建物。

玄関付近は、竹で装飾されています。

参考文献

参考記事

日暮里(富士見ホテル)「夕焼けだんだん」の階段の上。

今回は、日暮里(東京都荒川区)の町並みを風俗を散歩します。
JR日暮里駅の西側にある「夕焼けだんだん」は、谷中では有名な夕焼けの絶景スポットです。

夕焼けだんだんの階段の上に、「富士見ホテル」の大看板があります。

細い路地をいくと、奥に富士見ホテルがあります。

ひっそりとしたホテルの入口。

参考文献

参考記事

墨俣(旅館の建物)昭和初期のものと思われる建物。

本町商店街から、北側に路地を折れると、旅館の建物が見えてきます。

現在は、休業中のようですが、昭和初期のものと思われる建物です。

趣きのある木製の看板。

旅館の周囲の路地には、当時の雰囲気が残っています。

参考文献

参考記事

墨俣(桜の湯)大垣市景観遺産に指定。カラフルなタイル建築。

墨俣町本町の商店街に古い銭湯の建物が残っています。

めずらしい洋風建築の銭湯です。建物は、大垣市景観遺産に指定されています。

まるで赤線建物を思わせるカラフルなタイル建築です。

正面玄関に描かれた美しいタイル絵。

参考文献

参考記事

高山(理容室)高山昭和館のある通り。

高山昭和館のある通り。このあたりは、町全体が昔の雰囲気を残しています。

「理髪」と書かれた看板のある理容室。

こちらの理容室は、休業中のようですが、色とりどりのペンキで装飾されています。

当時のままの佇まいです。

参考文献

参考記事

高山(中橋湯)川沿いの銭湯。擬宝珠と欄干。

市内を流れる宮川に架かる中橋。擬宝珠や欄干をそなえる美しい橋です。

川沿いに、銭湯の中橋湯があります。

特徴のある煙突。

お湯は熱すぎず、ゆっくりできます。

参考文献

参考記事