小田原駅前の東通り商店街近くに大乗寺がありますが、このお寺へ向かう道が分岐する三角地帯に狭小建物があります。建物の前には自販機が置いてあります。
この角度から見ると、かなり薄型の建物に見えます。
自販機と建物は、以外にもこのぐらい離れています。
建物の先端部分は、入口と階段になっています。
小田原駅前の東通り商店街近くに大乗寺がありますが、このお寺へ向かう道が分岐する三角地帯に狭小建物があります。建物の前には自販機が置いてあります。
この角度から見ると、かなり薄型の建物に見えます。
自販機と建物は、以外にもこのぐらい離れています。
建物の先端部分は、入口と階段になっています。
渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。
壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。
このような木の壁が景観を特徴づけています。
縦横に走る路地。
元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。
ピンク色の料理屋。
タイルのモザイク。
同じ通りの小料理屋とクラブ。
本町二丁目の中心部にあるキャバレービル。上から下まですべてキャバレーの看板で埋め尽くされています。
キャバレー「ドンファン」(地下1階)。
付近には、フィリピン系の店が数多くあります。
フィリピンパブの看板。
小田原市本町二丁目の歓楽街。クラブやスナックが密集しています。
スナックとエステ。
一本東側の通り。
逆方向から。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みと風俗を散歩します。
小田原駅前の好立地にある「みやこ旅館」。当時のままの姿の建物です。
風情のある板塀。
情緒ある和風造り。
旅館の裏側は墓地です。
吉原のはずれの千束通りを行くと、一葉桜・小松橋通りと交差します。通りには、一葉桜(八重桜の一種)が植えられています。この日は、一葉桜まつりが行われていました。一葉桜まつりは、一葉桜が植えられた2002年から始まり、今年で4回目だそうです。
まつりの目玉は、花魁道中です。もちろん、これは、当時のものを再現したものです。禿(かむろ)、花魁、振袖新造の順です。
ステージが用意されており、そこでは、花魁ショーが行われました。写真は、花魁が杯を飲み干した場面です。
最後に、花魁の撮影タイムがありました。
京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。
アパートに転業した建物。
円柱と石材が調和しています。
ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。
角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。
正面から見たところ。
ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。
【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)
松島新地の中に入ります。料亭が整然とならんでいます。飛田に似た雰囲気ですが、飛田と比べて明らかに異なる点は、道路の幅が広いことです。道路は、車も通りますので、ど真ん中を歩くと危険ですが、少し離れて歩いて見て回ることができるので、安心感があります。
「おおさか百景いまむかし」*1 に写真が掲載されている建物。
軒下のオブジェ。
モダンなデザインです。
【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.112
今回は、九条(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
中央線九条駅で下車し、百十四銀行のところを右へ曲がります。
すこし行くと左手に松島新地の入口があります。
松島料理組合が組織されています。
この地図を見る限りは、料亭街といった感じです。
信太山新地の中央部あたりに、公衆トイレがあります。男女の別はありません。入口は一つだけです。
「きんかくし」は、きれいです。中に、清掃用具が置いてあるので、定期的に清掃が行われているのだと思います。
トイレの窓。窓枠に、女性の名前や携帯の電話番号の落書きがあります。
トイレのドアの内側。「○○ちゃん、サイコー」、「超名器」、「テクニシャン」、「サービスいいよ」、「かずのこ天井」、「こんぺいとう天井」、などの落書きがあります。
信太山新地の中に神社があります。
今回は、信太山(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪からJR阪和線に乗って、信太山(しのだやま)駅で下車します。
信太山新地へは、駅前からJR阪和線の線路沿いに天王寺方面へ向かって進むか、駅前の「スーパー玉出」の脇の道を進むみます。今回は、「スーパー玉出」の脇の道を行くことにします。
道なりに進むと府道30号線に出ます。信号のある交差点に、「そこはだめ!!勝手な駐輪大迷惑 信太山新地」と書かれた看板がありますが、新地のような雰囲気はありません。
信号のある交差点の左側を見ると、旅館が立ち並んでいます。ここが、信太山新地の入口のようです。道の左側手前に、「スタンド○○」という看板のあるスナックのようなお店があります。
夕方になると、お店に提灯が灯ります。これからが飛田新地の始まりです。
店には女性とやり手婆が座り、客を待ちます。顔を明かりで照らしているせいか、女性はみな美人に見えます。女性は、10分か15分毎に交代するお店が多いようです。
青春通りと呼ばれる北部の通り。
店の前で、交渉している客がいます。
飛田大門から、いよいよ飛田新地の中へ入ります。
まず、目に入るのが高速道路。飛田新地のほぼ真ん中をを高速道路が走りぬけます。東京の風俗地帯では見られない光景です。
しばらく歩くと、反対側の壁が見えてきます。壁には階段があり、阿倍野地区へぬけることができます。整備された綺麗な階段です。
登ったところから見た壁の側面と飛田新地。こうやって見ると、飛田新地はくぼ地にあることがわかります。
壁の上から見た飛田新地。2階建ての建物がずらっと並ぶ光景は圧巻です。
動物園前商店街がつきるあたりに、大門跡の碑があります。
動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。
綺麗に整備された商店街です。
商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。
二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。
動物園前の駅から、商店街へ入ってすぐの路地裏に、「ゴールデン 休憩200より 宿泊300より」と書かれた看板があります。「ゴールド」ではなく、「ゴールデン」という名前が何となくそそります。(新宿ゴールデン街のことを思い出していました。)
今回は、飛田(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪市営御堂筋線を動物園前駅で下車し、地上へ出ます。出口の隣に、緑色に塗装された新聞・雑誌の売店が目に入ります。
出口を出て、すぐ目の前にある大衆酒場。
通りの方へ回りこんだところにある大衆酒場。古い看板が特徴的です。立ち飲みやに近い雰囲気があります。
こちらの大衆酒場は、なぜか、脇にうどん・そばの屋台が置いてあります。これほどまでに、大衆酒場が密集しているのは見たことがありません。すでに、ここから飛田は始まっているのだと予感させるような光景です。
横まち柳通りを散歩した後、横山町の南側の中央町のあたりを散策します。
1階に3軒のお店が入っている建物があります。
右側のお店。赤いドアが印象的です。
ドアの上に「カフエー」と書かれたプレートがあり、小さな文字で「茨城県公安委員会許可第1795号」と書かれています。さらに、その右側には、「二十....立入....」と書かれたプレートがあります。
JR古河駅から北西に500mぐらいのところに横町があります。「よこまち柳通り」の碑があります。
碑の裏側に、この通りの建設の経緯が書かれています。「横山町通りは、かつて江戸時代に日光街道の北玄関口として作られ、宿場としての問屋場や旅籠、茶店等が軒を連ね、陸上交通の要所として賑わった。しかし、明治から現在に至る社会経済の変化、交通手段の変革により、まちも変遷を余儀なくされた。そこで、市は、地域住民と相計り、往時を思い、さらに風格と活力のあるまちづくりを目指して、ここに『よこまち柳通り』を建設した。」
逆方向から見た横町柳通り。道路は、一直線ではなく変化がつけられていますので、自動車も速度を落として運転しています。
通りの雰囲気にマッチした水のみ場がありました。
今回は、古河(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。
駅前に白ポストがあります。 「こどもたちに見せたくない雑誌・写真・ビデオ等のみ入れて下さい。」「少年雑誌、ゴミ等はだめ」と書かれています。
箱の側面には、「ゴミその他のものを入れた方をみかけた場合、御連絡をください。」と書かれています。いかにして、このポストにゴミを入れさせないようにするかに労力が注がれています。
西口にも、同じ仕様の白ポストがあります。但し、こちらのは、台座が丸型です。
北口の駅前ロータリーから線路沿いの路地を入ったところに輸入品専門店があります。
店の前に、ガチャガチャがあります。
「ランジェリーがちゃがちゃ 500円」と書かれています。大人向けのガチャガチャです。
試しに1個買ってみました。中には黒いパンティが入っているようです。
鶯谷ラブホ近くの公衆電話BOX。
以前は、ピンクチラシが所狭しと貼られていましたが、現在は一枚も見当たりません。代わりに「ピンクビラ等お断り!!」のステッカーが貼られています。
しかしながら、あるラブホテルの前の電柱には、真新しいチラシが貼られていました。
ラブホテル街の中の他の場所にも、同じチラシが貼られています。
ボール紙の台紙に、複数枚のチラシが貼られています。
鶯谷のラブホテル街には、犯罪防止の看板が乱立しています。看板は3種類あります。(写真は、JR山手線の線路沿い)。
1種類だけば単独で設置されている場合もあります。
ビラ貼り、客引き、つきまとい。
鶯谷のラブホテル街の中の公園(写真左奥に看板)。
JR鶯谷駅から見える和風旅館。
岩風呂「石秀」。
入口に庭園が配置された和風の佇まいです。
コンセプトは、「根岸の里」。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。
待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。
駅前から路地を入るとラブホテル街です。
北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。
白鬚神社近くの路地。
懐かしい牛乳箱(森永牛乳)があります。保存状態も良い方だと思います。
文字は、オレンジ色と黒色の2色。背景の黄色と合わせると、3色刷りです。
「ウルトラ・プロセス」というのは、当時、森永乳業(株)が開発した加熱殺菌の技術の名称です。
木のぬくもりが感じられます。オーソドックスな形が気に入りました。
白鬚神社の隣に、古いモルタルアパート群があります。
アパートは数棟が群れのように並んでいます。
ラーメンの屋台が置いてあります。
入口が階段になっているアパート。
玉の井から、いったん東向島の駅へ戻り、そこから隅田川方面へ向かって散歩してみることにしました。東向島三丁目に白鬚神社があります。
漢字は、「白髭」ではなく「白鬚」のようです。大辞林には、『「髭」はくちひげ、「鬚」はあごひげ、「髯」はほおひげ、の意で書き分ける』と載っています。
案内板を見ると古い神社であることがわかります。平安時代に、現在の滋賀県にあった白鬚大明神を分霊して祀ったのが起源ですので、なんと千年以上の歴史があることになります。
神社の狛犬は、山谷の料亭「八百善」の八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が奉納したものだそうです。
東清寺の入口。玉の井稲荷と書かれています。
お寺の中に稲荷神社があるということでしょうか。
狐の像。
大正道路の記念碑。
玉の井のメインの通りから路地にはいると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている赤い壁の建物があります。
派手な色の円柱。上部は茶色。中央部分は緑色です。
円柱の下部は、青と白で塗装されています。
路地を抜けるといろは通りに出ます。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.78
いろは通りの路地裏には、昔の面影を残す建物がいくつかあります。
散歩の雑誌等でおなじみのお宅。
当時のままの原型を留めており、迫力があります。
左側から見たところ。2階のバルコニーに特徴があります。
右側を見たところ。
玉の井が色街だった頃のメインストリートであったと思われる通り。
現在はスナック街になっています。
一階がスナック、二階にバルコニーがある家が並んでいます。
スナックの入口付近。当時の玉の井には、「抜けられます。」と書かれた看板があったそうですが、現在は、「車ぬけられません」と書かれた標識があります。
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。
「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。
いろは通りの商店街。
最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。
今回は、巣鴨(東京都豊島区)の町並みと風俗を散歩します。
JR巣鴨駅北口前のロータリーの北側の一画は、飲食店が密集する繁華街です。
北側のメインストリートは、居酒屋などの飲食店に風俗店が散在する通りです。
夕方の時間帯になると人通りが増えてきます。
繁華街の南西側。写真奥は白山通りです。
鮮やかな緑色のアパートがあります。
美しい緑色のタイルで装飾されています。
路地側に回り込むと鮮やかな青色の建物があります。
全面のタイルの装飾。
旧カフェー街の通りに面して、赤紫色の装飾が施された建物があります。
看板を取り付けるための金具があります。店の屋号か何が掲げられていたのでしょうか。
側面の装飾。
玄関付近。
安浦の旧赤線街には、古い電柱がたくさん残っています。
現在も街路灯として使われています。
色里だった雰囲気が伝わってきます。
コンクリート製の電柱。
安浦の旧カフェー街は、現在は住宅地となっていますが、当時の歓楽街を偲ばせるスナック喫茶の建物が残っています。
入口のピンク色のアーチが印象的です。
こちらは、現在も営業中のスナック店。
奇抜なデザインの玄関。喫茶店かスナックだったのだと思います。
今回は、安浦(神奈川県横須賀市)の町並みと風俗を散歩します。
京急県立大学駅(旧安浦駅)前に、佐野医院の建物があります。
アール・デコ調のデザインの立派な建物です。
文化的価値がありそうな近代建築です。
円形のステンドグラス。
「赤線」を東へ行くと、JR八高線の踏み切りを越えると、国道16号線に出ます。国道の向こうは米軍横田基地の第二ゲートです。
国道沿いに店が並びます。
店の看板は、すべて英語です。アメリカがそのまま引っ越してきたような雰囲気です。
派手なペンキ絵のなるお店。
旧赤線の通りには、おしゃれなレストランやバーがたくさんあります。
米軍横田基地が近くにあるので、横文字の看板のお店が多いです。
タイ・レストラン
派手なペンキ絵が書いてあるバーの建物の壁面。
今回は、福生の町並みと風俗を散歩します。JR福生駅東口から通りを5分ほど歩くと通称「赤線」の入り口の十字路です。
昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと並んでいますが、昼間はほとんど人通りがありません。
地元の人の話によると、これらのスナックの中には、ホステスを連れ出させる店もあるそうです。
外見は、普通のスナックです。
歌舞伎町で急増しているのが、ホストクラブです。ホストクラブ専門の紹介所もできています。
交差点の大きな看板。
歌舞伎町で最大のお店
おなべ専門のクラブもあります。
歌舞伎町のランドマークタワーと言われる風林会館の道を挟んだ対面に飲食店街があります。
狭い路地にベニヤ板でできた屋台が並んでいます。
屋台と屋台の間にドアが開けっ放しになっているトイレがあります。薄気味悪い感じです。
屋台の隣には飲食店が並らぶ狭い路地。
「新宿歩道公園四季の道」の脇に、かつては青線街であった新宿ゴールデン街があります。
最近設置されたと思われる案内板。「新宿ゴールデン街案内図。明朗会計お待ちしております。」と書かれており、店の名前がすべて地図に記載されています。紙で印刷された地図もあり、「ご自由にお持ちください。」と書いてあります。最近は、観光スポットとして変貌をとげているようです。隣には「マップ業者に注意。東京標識社はじめ、インチキ業者からお金を請求される被害が出ております。組合とは関係ありませんので、絶対に金を支払わないでください。」との注意書きがあります。
花園神社側の通りから見たところ。花園一番街、三番街、五番街と名前がつけられています。
昔懐かしいグループサウンズの曲が聴けるお店の看板。
靖国通りを渡ると、「新宿歩道公園四季の道」の入り口があります。
歌舞伎町のど真ん中に木々が生い茂る歩道が突然現れます。人通りが結構多く、歩行者の通り道になっているようです。
歩道公園の中程にイルカの像があります。
公園の出口付近にある木橋。いろいろな表情の楽しめる歩道公園です。
今回は、新宿歌舞伎町の町並みと風俗を散歩します。
新宿駅南口から見るマイシティの裏側の通り。
成人映画専門の「新宿国際劇場」があります。
看板はかなり大きめです。人通りの多い通りに成人映画の大型の看板があり、新宿の伝統を受け継いでいます。
入口付近。映画のポスターがたくさん貼られています。
本町からさらに東を行くと海神の住宅地です。車が通れない狭い路地が縦横に走ります。中には自転車が通行するのがやっとの路地もあります。路地から、黒い煙をはく煙突が見えます。
煙突は、路地の先にある銭湯の稲荷湯でした。
稲荷湯の概観。
銭湯の入口の前は広場になっていて、そこに木材が置かれています。
妓楼の建物の前の通り。
普通のコンクリートの電柱に混じって、レトロな電柱が残っています。
根元の部分。
今の電柱と違って、昔の電柱は雰囲気があります。
若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。
木の温もりが感じられる建築です。
奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。
玄関の明かり取り。
船橋市本町の閑静な住宅街。
路上に残るコンクリート製ゴミ箱。保存状態は良好です。
箱の側面には、何か文字が書かれているようです。
住宅街の風景に溶け込んでいます。
スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。
バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。
若松劇場。
女の子の写真が掲載されています。
今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。
バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。
古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。
建物の角に入口があるスナック。
今回は、曳舟~鳩の街の町並みと風俗を散歩します。東武亀戸線に乗って、亀戸から曳舟方面へ向かいます。東武亀戸線は、二両編成の電車です。
氷川神社の参道から西側へ入った住宅街。
銭湯の菊水湯。レトロな銭湯です。
トタン屋根の銭湯。
残念ながら本日は、定休日でした。
後方にある煙突。
ソープランド街の南寄りに路地があります。現在は、路地の両脇に旅館や風俗店はありません。
「北銀座通り」と書かれた街路灯があります。
昔、旅館だった建物。
山口旅館という名前の旅館だったようです。
今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。
大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。
商店街といっても商店はあまり多くありません。
しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。
鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。
家の左側に水色の大きな円柱。
水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。
株は緑色です。
鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。
赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。
赤いタイルの円柱もあります。
黄緑、水色、赤(ピンク)。
水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。
賑わいのある商店街。
2階に物干し台のある商店(写真右)。
木造和風の佇まいの化粧品店。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
京島二丁目の住宅街。道路がS字カーブを描くようにして続いています。
一歩路地へ入ると昭和の空間が残っています。
木製の支柱と裸電球の街路灯。
コンクリート製の支柱に裸電球の街路灯もあります。
蛍光灯の街路灯。支柱は木のままです。
藤沢の風俗街。「小鳥の街(写真左奥)」※1 の建物のある通り。
奇抜なデザインの建物。
めずらしい「湯房」というネーミング。
入口の看板には、「ご入浴料金¥5,000、サービス料金¥2,500」と書かれています。
風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。
豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。
美しい入口の扉。
扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。
小鳥の街※1 の北側は、和風スナックや旅館が建ち並ぶエリアです。
和風スナック店。
仙成旅館。
水色のスナック店。
小鳥の街※1 の北側の奥まった場所。
両側に飲食街が建ち並ぶ一画があります。
和風スナックや小料理店が建ち並びます。
東側の和風スナック。
木造アーチのある飲食街を抜けると、スナック街が現れます。
居酒屋やスナック店が入る建物。ひよ子、せきれい。鳥にちなんだ店名が多いです。
「小鳥の街」と呼ばれているようです。
「小鳥の街」のネオン管
藤沢銀座の「飲食街in」の看板の一つ手前の路地を右手に入ると、木造アーチを持つ飲食街の建物があります。
内側から見たところ。このような空間が藤沢銀座と隣接して残っていることは驚きです。
「まりこ」という店の名前と思われる看板が軒下に残っていました。
裏面は蝶のデザイン。
今回は、藤沢(神奈川県藤沢市)の町並みを散歩します。
木造アーチ手前の細い路地。自動車が通れない道幅なので、犬の散歩などには最適なコースです。
木造アーチ入口の左側の電柱に犬のフン看板があります。ここから、さらに細い路地が続いています。
上の写真の電柱の犬のフン看板の奥に、住民が設置したと思われる「毎日犬のフンをさせにくる人」への「通行を禁ず」の看板があります。
この界隈は、犬のフン看板が多く、あちこちに貼られています。
ホテル「アルファイン」の近くにある狸穴公園。公園に公衆トイレがあります。
「きんかくし」があるのに、「男性用入口は反対側(道路側)にあります。」と書かれています。
「きんかくし」は、親子用トイレの子供用「きんかくし」でした。「この便器は幼児専用です。大人の方はご遠慮下さい。」と書かれています。高級住宅街らしい親切な公衆トイレです。
男性用(大人用)のきんかくしの上に貼ってあった注意書き。落書きの内容がユニークです。
ロシア大使館の裏にSM専用ラブホの「アルファイン」があります。
閑静な高級住宅街に異様な外装でそびえたっています。ホームページを見ると、各部屋に名前がつけられています。狂い十字架、羞恥破壊、拷問地獄、拷縛便器、排泄学園、奴隷市場、診察学園、.....。
表側の入口。不思議な洞窟のようなイメージです。
近くの六本木ヒルズとの対照が印象的です。
六本木から飯倉交差点を過ぎ、ロシア大使館東側の狸穴坂(まみあなざか)を下ります。狸やムササビが住む穴があったと伝わることからこの名前がついています。六本木は以外と坂道が多いところです。小高い丘が多く山の手と呼ばれていることが納得できます。
狸穴坂は、江戸の坂をまとめて書いている天和2年(1682)の「紫の一本」という本に書かれています。*1
明るい坂道を下ります。警備の警察官がいます。江戸時代、この付近は大名屋敷がありましたが、戦後は大使館の敷地に転用されました。
「ホテルアルファイン」と書かれた広告看板が電柱に貼られています。
昭和を感じさせる民家の佇まいがなんとも言えません。ここの電柱にも「ホテルアルファイン」の広告があります。
六本木交差点近くのビル。1階はショットバーですが、2階はSM関係です。
女性のオブジェがあります。
看板をみると、SMショップの店舗のようです。
入口のドアは赤いライトで照らされており、怪しげな雰囲気です。店員は女性です。
六本木交差点から外苑東通りを飯倉片町方面へ進むと、目の前に東京タワーが見えてきます。六本木らしい風景です。が、しかし、手前のビルの屋上に異様な建築物が設置されているのが目に入ります。
近寄ってみると、闘牛の角のようです。
異様な建築物の正体は、ドンキホーテが店舗の屋上に建設中の絶叫マシン「ハーフパイプ」ですが、地元の住民の反対(騒音、安全性)があり、使用されていないようです。
ドンキホーテの裏の六本木墓苑から見たところ。
今回は六本木の風俗を散歩します。六本木の交差点に「奏でる乙女」の像があります。この像の碑文に、昔、この地の小高い丘に六株の松が生えていたことから「六本木」と呼ばれるようになったこと、時代と共に繁栄を極めたが、太平洋戦争の空襲により美しい町並や樹々が一夜のうちに灰に帰したこと、その後の人々の努力により復興を遂げたことなどが書かれています。
「乙女の像」の近くに、ピンクチラシ回収ボックスがあります。
今ではめずらしくなった白ポストです。ピンクチラシ回収用として麻布地区が設置したもののようです。森ビル寄贈と書いてあります。
交差点の4つの角のうち、3箇所に白ポストが設置されています。喫煙コーナーも2箇所設置されており、麻布地区の環境浄化に対する取り組みがうかがえます。
人形町2丁目に末廣神社があります。
末廣神社は400年以上の歴史を持つ神社です。元吉原の総鎮守社として信仰されてきました。
神社に日本酒が奉納されています。末廣酒造という会社があるようです。
吉原移転後は、花街として繁栄したようです。
今回は、人形町(東京都中央区)の町並みを散歩します。
地下鉄の人形町駅を出たところの交差点。
歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んになり、人形町の地名の由来になりました。
歌舞伎で有名な玄冶店跡の碑。
玄治店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐(せがわじょこう)が脚色し、嘉永6年(1853年)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の「源氏店(玄治店)」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。(案内板より)
成田山への近道を下りきったあたりに、ちょっとした広場のような場所があり、そこに旅館の看板を掲げた古い家があります。
裏の路地へ回ると入り口があります。
風情のある木造の古い家です。
狭いが路地が縦横に入り組んでいます。
川崎南町にある銭湯「政の湯」。平凡なビル型銭湯ですが、ソープランド街の中にあるという点は非常に珍しいと思います。隣の隣にソープランド「京都クリスタル」があります。
四角い煙突。
このあたりは、政の湯通りと呼ばれています。銭湯の名前が通りの名前になっています。
脱衣場にタイル貼りの大きな円柱があります。
料亭だったと思われる家。
お茶漬け屋のある緑色の壁。
緑色の壁は路地の奥まで続いています。
赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。
反対方向から。
小料理「あわじ」。
長屋風の飲み屋。
当時そのままの料理屋やスナックが残っています。
交差点の角に、入口が大きく開いているスナックがあります。入口部分がレンガで作られており、古さを感じます。
こちらも交差点の角にあるスナック。
右側から見たところ。
住宅街の中の一画。
赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。
同じ通り沿いにある旅館風の建物。
菱型の窓。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。
これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。
横から見たところ。
1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。
大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。
大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1
現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。
老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。
風俗店の大看板が乱立する通り。写真は曙町二丁目北交差点。
目立つ看板。
ファッションブティックのような外観。ここもヘルス店です。
ヘルス店の前にあるオブジェ。ぐるぐると回っていて360度いろいろな角度から楽しめますが、やはりこの角度が一番です。目線も刺激的です。
親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。
1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。
緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。
スナックの横は路地になっています。
横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。
それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。
写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。
バルコニー付きの建物。
弥生三丁目付近に古い支柱があります。
左隣に理容室があります。コンクリートが劣化していますが、補修されています。
支柱が立っている場所は、特殊飲食街の雰囲気が残る路地の入り口にあたります。
かつてこの場所に飲食街の入り口を示すアーケードがあったようです。
今回は、横浜曙町の町並みと風俗を散歩します。黄金町からすぐのところに、映画館の日劇があります。昭和30年代から半世紀にわたって親しまれてきた映画館です。
残念ながら、2005年2月に閉館となりました。古い映画や人気のない映画を低価格で2本見れるというコンセプトだったようです。伊勢佐木町周辺の映画館は閉館が相次ぎ、全滅状態です。
シネマスコープの文字が見えます。
隣のシネマジャック&シネマベティ(旧東映名画座)も閉館と聞いていましたが、こちらは営業しているようです。「ゴシック・ロリータ」上映してました。
ヤマギワ電気本店のビルの建設工事現場です。
鉄板の囲いに秋葉原の昔を懐かしむ写真が4枚掲示されています。
昌平橋
ヤッチャバ
電気街の路地に、コスプレ専門店があります。
今年の流行語大賞のトップテンに「萌え~」が受賞し、テレビ放映された受賞式にメイド服の女の子多数見られました。秋葉原には”萌え”の象徴とも言えるコスプレショップがあります。
店の前に貼ってあるポスター。
こちらの店舗はメイド服やセーラー服を中心に品揃えが豊富です。
店の裏側にも看板があります。
電気街の中になるたちばな書店ビル。
このビルの4Fにブルセラショップがあります。
入り口のドアに「中古品ブルマー、夏冬セーラ制服」と書かれています。実際、店内に入ってみると夏用、冬用それぞれ50着ほどの本物の制服が並んでいます。中には学校名が表示されていものもあります。
雑居ビルにあるアダルトショプ。ここにも中古の本物のセーラ服が置いてありましす。
秋葉原の歩行者天国。メイド服を着た女の子がメイド喫茶のチラシを配っています。いつの間にか女の子を撮影する素人カメラマンが集まり、女の子も撮影に応じています。まるで撮影会場のようです。
個人の撮影モデルでしょうか。制服とメイド服の二人組みです。
このように地べたに座るのが秋葉原流?
ドレスを着た女性がいます。新人歌手のキャンペーンのようです。近くに「歩行者天国内での人寄せ行為は禁止されています。」という看板が近くにありますが、いっこうに関係ないようです。
秋葉原駅昭和通り口は、ビデオボックスなどが散在する小規模な歓楽街です。
こちらのビルは、全フロアがほぼ風俗店です。
不倫クラブの看板。
入口の看板。
今回は、秋葉原(東京都)の町並みと風俗を散歩します。
秋葉原と言えばおでん缶です。チチブデンキの前にあります。
おでん缶には種類があります。だいこん入り、つみれ入り、牛すじ入りなどです。完売御礼の張り紙が貼ってあるところを見るとけっこう売れているのかもしれません。
お土産用もあります。
実際に購入してみました。
旧東海道を葬祭場のところから右に曲がると、スナックが並ぶ一角があります。
料理屋の隣に小さな横丁の入口があります。
小町横丁という名前です。おとなのおもちゃの看板があるのがユニークです。
奥は行き止まりです。
堀の内のソープランド街には立て看板が多数あります。稲毛通り沿いのソープランド街入口付近。
国道15号沿いの道路の歩道にも立て同じ立て看板があります。「暴力団追放!路上の客引きに注意」と書かれています。
ソープランド街の中心部の交差点。四つ角のすべてにこの看板。が設置されています。
ソープランド街のあちこちに「客引き禁止」の看板があります。