街道沿いの旅館街の先に、橋本湯があります。
レトロな作りの入り口です。
玄関は、赤いタイルで装飾されています。
裏側にまわってみました。川の風景に煙突がよく似合います。
街道沿いの旅館街の先に、橋本湯があります。
レトロな作りの入り口です。
玄関は、赤いタイルで装飾されています。
裏側にまわってみました。川の風景に煙突がよく似合います。
街道沿いにある多津美旅館。正面の看板は、多津美の津の字が欠落してしまっていますが、右側の看板には、「淀川温泉 旅館 多津美」と書かれています。
旅館の外壁には、規模は小さいですが、美しいステンドグラスがはめ込まれています。
旅館の玄関には、金の襖があります。
玄関の左側には、ダンスを踊る男女のステンドグラスがあります。
駅前にある旅館。京阪電車踏み切りのすぐそばにあります。
橋本は京街道の宿場町としての機能も持っていました。京街道沿いに風情のある旅館の建物が残っています。
橋本は、江戸時代から遊廓でしたが、明治初年に東京遷都により、徐々に衰退、人口も減少しましたが、明治21年に遊廓を再興し、京阪電車の開通とともに、再び繁盛しました。*1
大谷川から見た旅館街の裏手。川の流れに旅館の建物がよく似合います。右側には淀川の堤防があります。
*1 渡会恵介:京の花街(大陸書房,1977)P.276
今回は、橋本(京都府八幡市)の町並みと風俗を散歩します。橋本は、京都府八幡市の西部に位置し、西側には木津川・宇治川・桂川の三川が流れていて、橋本付近でそれぞれの川が合流し、淀川となります。
大阪方面行き改札口前には、かつて橋本の渡しがあった名残として、「橋本渡舟場 三丁」、「山崎停車場 十丁」、「柳谷観音 一里一丁」と場所と距離が書かれた石柱があります。
駅前に地図が掲示してあります。駅前には、洋食の店「やをりき」をはじめ数軒の商店があります。大谷川方面へ行くと、松永歯科医院、淀川温泉「多津美旅館」、銭湯の「橋本湯」などがあります。
踏み切りに「しゃだんきをくぐってはいけません。」の看板。子供向けに書かれています。たぶん大人達がしゃだんきをくぐるので、それを真似する子供が危険にさらされているのだと思います。
「きんせい」という名のビリヤード店。その脇に路地があります。
家と家の間の空間に屋根のある路地が続いています。
路地は、家の中を突き抜けて、通りに出て、その通りを越えた先に、さらに路地が続いています。まるで迷宮のようです。
路地はコの字型になっていて、ぐるっと回ると元の通りに出ます。家の車庫のように見えたところは、実は、通り抜けできる私有地の路地でした。
東柳町周辺には、往時の町並みを残す旅館の建物が残っています。
壁の装飾に特徴があります。
「赤線跡を歩く」に写真が掲載されてる円柱を持つ建物*1 があった場所は、今では、住宅地になっています。
風情のある旅館「まつば」の入口。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.107
中書島の駅舎の2階からの眺め。瓦屋根に銭湯の煙突がよく似合ってます。
新地湯という名前の銭湯は、駅前の商店街にありました。建物の2階部分の装飾がレトロな雰囲気をかもし出しています。
関西の銭湯は、煙突が太く、迫力があります。
伏見の名水で沸かした銭湯です。
今回は、中書島(京都府)の町並みと風俗を散歩します。京阪電車で中書島駅で下車します。
京阪電車のこの色が気に入りました。車両もユニークです。ラッシュ時は5扉電車ですが、閑散時間帯は2扉を閉め切って格納していた座席を戻して、座席定員を増やす離れ業ができます。*1
中書島は、高浜虚子の句に「花人の落合ふ駅や中書島」と詠まれ、京阪本線と京阪宇治線の分岐点でもあります。
中書島は、寺田屋や伏見の酒蔵群など、観光地として有名です。
【参考URL】
*1 京阪電気鉄道(株):車両資料館
広沢池近くの珍石をよく観察してみることにします。
黒い男性器。ペニスに観音様が描かれています。
赤い男性器。玉袋のフサフサ感がリアルに再現されています。
赤い女性器。両側に観音様が描かれています。
黒い女性器。こちらは、仏足石のようです。上部の平らな部分に、仏様の足の裏が描かれています。
ところで、なぜ、このような珍石がなぜこの場所に置かれているかについてですが、この付近の土地の所有者が石材屋を経営しており、未加工の石材や加工した石灯籠や石柱、置物などを置いているものだそうです。ちんこまんこ石は、商売のために制作し、主に温泉地や風俗店に納入していますが、商売で余った石たちをこの場所に置いているそうです。*1
【参考URL】
*1 怪しげ探検隊:エログロ調査報告集「チンマン王国」
広沢池から自転車で5分ほど鳴滝方面へ向かったところに珍石があります。写真に写っているレンタサイルクルの自転車が置いてある道路沿いから10mほど林の中に入ったところです。
「不許葷辛酒肉入山門」と書かれた石碑があります。この石碑は、銀閣寺の南に法然院などで見かける石碑と同じです。「不許葷辛酒肉入山門」(くんしんしゅにく、山門に入るを許さず)とは、「ニラやニンニクといった臭く辛い野菜や肉などなまぐさものを食べたもの、酒を飲んだものは、山門に入るのを禁止する」という意味だそうです。
しかし、ここは、お寺ではなさそうです。地図を見ると、造園家のお宅があるあたりです。
林の中には、女性器と男性器の形の奇妙な石がたくさん並んでいます。
嵯峨嵐山駅からレンタサイクルに乗ってで嵯峨野を散歩します。美しい田園風景がひろがります。嵯峨野は、歴史的風土特別保護地区に指定されています。写真に写っている自転車は、レンタサイクルです。
府道宇多野嵐山山田線を東へ行くと、広沢池に到着します。
広沢池は、日本三沢の一つと言われます。奈良の猿沢池、大分県宇佐市の初沢池、そして広沢池です。
広沢池は、朝霧が立ち昇るときの風景がすばらしいと言われます。今回、訪れたのは昼ですが、十分に幻想的で美しい風景です。
今回は、嵯峨野(京都府)の町並みと風俗を散歩します。
嵯峨野へは、四条大宮駅から嵐電(京福電鉄)に乗って行く事にします。「嵐電1日フリーきっぷ」を購入しました。
途中、西院駅で下車し、西院車庫の横を走る嵐電を撮影しました。
山ノ内駅で下車。このあたりは、道路併用軌道の区間です。市電と同じ光景です。
嵯峨駅前で下車し、JR嵯峨嵐山駅へ向かいます。トロッコ列車に乗る観光客で賑わっています。レンタサイクルの看板があります。ここからは、自転車で嵯峨野を散歩することとします。
宮川町の北側の亀井町。
軒下に「居住者見取図」が掲げられている古い建物のお宅。
玄関脇に雪印牛乳の牛乳箱が設置されています。
こちらは、井上牛乳の牛乳箱。府立病院指定と書かれているのが特徴です。井上乳業は、右京区花園に本社がありましたが、現在は廃業しています。
毎日牛乳の牛乳箱。「毎日のんで毎日健康」がキャッチフレーズです。
宮川筋7丁目に手押しポンプが2基残るお宅があります。 花壇、植木ポット、雨樋、ひさし等風情があります。
植木ポットに囲まれて、井戸ポンプがあります。
ポンプは鴨川の伏流水を汲み上げ、道路散水、花への水やり等に利用されています。*1
株式会社慶和製作所*2 の井戸ポンプ
もう一つのポンプは色が黄色に塗られています。
【参考文献】
*1 大島忠剛:手押しポンプ探訪録(信山社,2006)P.128-P.129
【参考文献】
*2 株式会社慶和製作所:慶和製作所ホームページ
木造の風情のあるお茶屋が並ぶ中、「舞香」という看板のある変身処があります。
舞妓変身サービスは、雑誌の記事に紹介されています。
店の前には座布団が置かれています。変身した舞妓さんがここに座るのかもしれません。
店の前の張り紙には、「変身してお散歩されるお客様は、喫煙、飲食、寄り道は、しないで下さい。花街の風情を壊すような行動は謹んで下さい。」と書かれています。たしかに、10代の少女でしかなれない舞妓が喫煙をするのは、つじつまが合いません。
今回は、宮川町(京都市東山区)の町並みと風俗を散歩します。
宮川筋三丁目から六丁目の市街地は、お茶屋が建ち並び江戸情緒ある通りで、京都市は平成11年に歴史的景観保全修景地区に指定しました。祇園甲部界隈に比べ、観光客は少なく静かに散策できる場所でもあります。*1
宮川筋の四条・五条間の南北約800メートル、東西最大150メートルの細長い地が、宮川町遊廓の区域いでした。具体的には、宮川筋二丁目から六丁目までが宝暦元年(1752年)に遊廓地の指定を受け、宮川筋七丁目が安政6年(1859年)に遊廓地に編入されました。*2
写真は、現在の宮川筋2丁目付近から3~4丁目方向を見たところですが、現在は、宮川筋2丁目~4丁目付近が花街となっていて、お茶屋さんが建ち並んでいます。
お茶屋さんのプレート。
宮川筋七丁目付近までくると、花街の風情は無くなりますが、スナックや寿司屋などが散在しています。(写真は、八丁目付近から七丁目方向を見たところ)
【参考文献】
*1 相原恭子:京都 舞妓と芸妓の奥座敷(文藝春秋,2001)P.22
*2 明田鉄男:日本花街史(雄山閣出版,1990)P.101-P.103
五条楽園の中にある旅館「平岩」。
玄関は南側です。
現在は、外国人観光客用の観光旅館になっているようです。
東側の通り。
五条楽園の近くに任天堂旧本社ビルが当時のままで保存されています。任天堂と言えば、現在では、ファミコンの企業として有名ですが、創業は五条楽園のすぐそばだったとは知りませんでした。
タイルが美しい建物です。
入口に「山内任天堂」と書かれたプレートがあります。最初は、トランプとかるたの会社から始まったようです。プレートは、右から左に書かれていますが、「トランプ」の文字だけ左から書かれています。
横から見ると、建物は、3つの部分に分かれています。かなり奥行きのある建物です。真ん中の建物が建築的に最も美しいように思います。
五条楽園には、木製牛乳箱が沢山あります。但し、販売店が頑張ったせいか、なぜか森永ばっかりです。
旅館HIRAIWAにあった森永の牛乳箱。日に焼けて印刷が見えなくなっています。森永の牛乳箱は日焼けに弱いようです。
同型の牛乳箱。横に森永マミーと書かれています。森永マミーは昭和40年に発売が開始された乳酸菌飲料です。当時は90ccのビンに入っていて、「森永マミーもう1本プレゼント」は、キャップを利用した現品引き換えによるスピードくじで、注目されました。*1
ウルトラプロセスの文字だけが残っている森永の牛乳箱。黒インクは日焼けに強いのでしょうか。
森永ビヒダスの牛乳箱。こちらは、新しい牛乳箱のため、保存状態は良好です。
【参考文献】
*1 森永乳業50年史編纂委員会:森永乳業五十年史(森永乳業,1967)P.300-301
五条楽園には、タイルで装飾された洋風の建物が数多くあります。緑や赤など色合いが鮮やかです。
円柱のタイルを持つ建物。
タイルで装飾された玄関。
お茶屋のプレート。
六軒橋周辺の広場に面して「本家三友(旧三友楼)」があります。
五条楽園の中では最大級の建物です。
新緑に木造建築が映えます。
お茶屋のプレート。
五条楽園のお茶屋は、路地の中にひっそりと佇んでいます。お茶屋「八千代」のある通り。
営業中のお茶屋の入口には提灯と暖簾が掲げられています。
六軒橋の近くの開けた場所にあるお茶屋。
洋風のお茶屋の建物の提灯。
五条楽園の中心街。
今回は五条(京都市下京区)の町並みと風俗を散歩します。
五条大橋の西側に高瀬川が流れています。すぐ近くに「五条楽園」の看板があり、そこが楽園の入口であることがわかります。
木々の緑が美しい流れです。
高瀬川は、豊臣秀吉の天下統一後、資材の運搬のためにつくられた水路(運河)です。案内板には、五条ー七条間に架かる橋は、人が橋の下を通れるように高くしてあって、中でも、六軒橋、上の口橋は階段式(10段ほどの石段)であったと説明されています。
その上の口橋ですが、現在は「五条楽園」の大きなアーチがあって、五条楽園の象徴的な場所の一つになっています。
水戸市街は、中央が盛り上がった馬の背のような地形をしており、そこから坂を下ったところに奈良屋町があります。「赤線跡を歩く」に掲載されている「坂の途中にあった『弘月』」*1 は、今は無く、駐車場になっていました。
水戸の繁華街から別の道を下ったところにある建物。角が丸くなっているのが特徴です。落書きされているのが残念です。
そのすぐ近で道は二股に分かれます。
緑のある東照宮方面と水戸市街(写真の左側)は、共に、標高が高く、このあたりが窪地であることがわかります。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.159
奈良屋町の路地にある旅館「ほおずき」。古い自動販売機があります。
さらに、その隣に雰囲気のあるお宅があります。
よく見ると、「二十歳未満のお客様の店内立入を堅くお断りいたします」のプレートが貼られています。以前、古河市ので見かけたプレート*1 と同じものです。「赤線跡を歩く」に掲載されている「桂願寺門前の飲み屋横丁跡の写真」*2 にも同じプレートが見かけられます。たぶん茨城県共通仕様のプレートだと思います。
プレートの下部には、「水戸警察署水戸料飲支部」と書かれています。
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.160
【関連記事】
*1 中央町の飲食店(風俗散歩 2006,3)
奈良屋町(現在の宮町)は、カフェー街であったそうです。
「赤線跡を歩く」に掲載されていた「往時のたたずまいをとどめるお宅」は、今は無くなって、駐車場になっています。
料理屋だったと思われる建物。
「料理店」のプレートがあります。
国道118号線に面したビルの脇に、旧町名を示す石柱があります。石柱の側面に、次のような谷中の地名の由来の説明があります。「地形が谷間であったためにつけられた常葉村の小字名で、享保の頃、城下町と町続きになった。明治22年市制施行に当たり、水戸市に編入された。」
「赤線跡を歩く」に写真が掲載されていた「通りの奥に残る建物」*1 は、今はありません。かろうじて、「路地をはさんで向かいにある旅館」が今も残っていました。
「路地をはさんで向かいにある旅館」は、「喜楽荘」という名の立派な旅館です。
「喜楽荘」のある桂岸寺の西側(回天神社の前あたり)に、料亭や待合が並んでいたのだと思います。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.161
水戸駅前から茨城大学行きのバスに乗ります。バスは、大工町から右に曲がり、国道118号線へ入ります。末広町三丁目で下車したところに、桂岸寺があります。「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている写真に、「桂願寺門前の飲み屋横丁跡」とのコメントが付けられていますが、石柱は、「桂願寺」ではなく、「桂岸寺」となっています。
桂岸寺周辺(市の北西部)を、ロマンチックゾーンと呼ぶそうです。「赤線跡を歩く」*1 には、「水戸には、大工町と竹隈町に花街があり、のちに市の西方、練兵場近くの近くの料理屋にも芸者が入るようになり、谷中花街が生まれた。」と書かれています。
案内板に、次のような解説があります。
「市街地の北西部、水戸八幡宮から曝井(さらしい)の一帯に、太古の昔から近代までの歴史的遺産が、あたかも時の流れを忘れたかのようにその姿を止めている。訪れる人々の心に安らぎを与えてくれる恵まれた緑と湧き水。また、古くから寺町・花街として栄えた商業地が広がり、古い店舗や土蔵が見られ、昔の栄華を今なお偲ぶことができる。この辺りを水戸のロマンチックゾーンと呼ぶ。」
案内板にある「花街」は、谷中花街のことを言っているものと思われます。
桂岸寺の隣にある回天神社には、格さんの墓があります。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.160-163
今回は、水戸(茨城県水戸市)の町並みを散歩します。
水戸駅から徒歩5分のところにある宮下銀座商店街は、昭和37年の東照宮再建の際に整備された商店街でした。*1
昭和37年頃は、アーケードはまだ無く、よしずのようなひさしが掛かっていましたが、青果店、レストラン、電器店、さまざまな店が立ち並び、市場のような雰囲気で、宮下銀座をめぐれば、揃わないものは無いといわれるほど品揃えも豊富でした。*1
光があまり差し込まないため、昼でも薄暗く、ディープな雰囲気です。
東照宮の石段から見下ろしたアーケードの突端部分。
利根川は、このあたりは川幅が広いので、川というよりは湖のようです。護岸は、コンクリートで固められています。
河口(太平洋)の方向には、銚子大橋が見えます。
護岸には、ヨットがたくさん引き上げられています。
護岸の近くは芝生の公園になっていて、お年寄りがゲートボールを楽しんでいます。
結婚式場「モアパーク」の隣に広い駐車場がありますが、ここには、龍宮城と形容された二軒の妓楼(松岸遊廓)がありました。*1
松岸遊廓の最盛期は、銚子汽船と総武線開通によって客の範囲の広がった明治後期から大正期で、明治5年(1872)の資料によると貸座敷4軒が営業し、娼妓数は64名でした。*2
昭和40年頃までは建物が残っていたそうです。ひと頃、演芸ホールに改装されて芝居や歌謡ショーの興行がおこなれていたこともありました。*1
別の角度からも撮影してみました。
る護岸は後年できたもので、以前は妓楼のすぐ下までおだやかな利根川の流れが打ち寄せ、建物の周りには掘割がめぐらされていました。*1
龍宮城の雰囲気を味わいたいと思い、利根川の桟橋から妓楼跡を眺めてみました。
「全国花街めぐり」*3 では、『青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のごとく一大楼閣の浮き上がってくるのを望んだとき、「まるで繪(ゑ、かい)のやうだね」「(まるで)龍宮といった態(かたち)だね。」、誰しもそう言って歓喜のこえを放つのである。』と紹介されています。
P.118
昭和40年頃までは建物が残っていた。(写真:2軒の妓楼はこのあたりに…
P.73
良福寺の過去帳に遊女の記載が初めてあらわれるのは享保9年(1724)の…
その一すぢ青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のご…
今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。
近くにあった煙草屋。カラフルなタイルが印象的ですが、休業中のようです。
しばらく行くと、前方に利根川が見えてきます。同時に、壮大な王宮のようなピンク色の建物が左手に現れます。
制服を着た若い女性が玄関の掃除をしています。どうやら、ピンクの建物は、「モアパーク」という名の結婚式場のようです。
神田駅西口近くの路地。
コスプレ焼肉「OK牧場」があります。
ガッツ石松さんが流行らせた「OK牧場!(私もあなたもOK)」を思い出します。
メイド服等のコスプレ姿のおねえさんが席の隣に座って、焼肉を食べさせてくれるそうです。
風俗店ではないのに、なぜか、18歳未満入店お断りです。
神田には、ビデオ鑑賞店が密集しています。
「ホテルがライバル」と書かれた大型のビデオ鑑賞店。
「太郎と花子」。新種のビデオ鑑賞の店でしょうか。
詳しい説明があります。
神田はパチンコの町です。神田駅西口の改札口を出ると、まず目につくのが、パチンコ店の広告です。
西口近くのゲーム店。お店入口のオブジェがボコボコにされていて、ちょっと可愛そう。
スロット専門店の「GOLD」。ここのお店の女性従業員の制服は、白のジャッケットに黒の超ミニスカートです。
「でちゃう!ガールズ(略称:でちゃガ)」というパチンコガールのおねえさんが来店する日があります。写真のミニスカの制服を着た女の子が来店し、お客様を応援するというタイアップ企画で、おしぼりやキャンディーのサービスがある模様です。
今回は、神田(東京都)の町並みと風俗を散歩します。南口の交差点から見た神田駅。中央線の高架を挟んで、両側に商店街が並びます。
最近はあまり見かけませんが、このあたりには、夜になるとアジア人のマッサージ嬢が出現していました。
駅前に、「違法客引取締中」の看板があります。看板は新しく、最近、設置された模様です。韓国語、中国語でも書かれています。
西口にも同じ看板があります。
西口にある古いバージョンの看板。「神田の街から違法エステを追放しよう!」と書かれています。かなりくたびれていますが、「違法エステ」という具体的な業種名が示されており(しかも赤字で強調)、かつての神田の状況を伝えています。
JR早川駅。前小田原駅の一つ隣の駅
駅前に白ポストがあります。
投函口は水色に塗られています。
箱の側面に「青少年に有害な本はこのポストへ」の表記。取り出し口は箱の側面下部にあります。
小田原駅前の東通り商店街近くに大乗寺がありますが、このお寺へ向かう道が分岐する三角地帯に狭小建物があります。建物の前には自販機が置いてあります。
この角度から見ると、かなり薄型の建物に見えます。
自販機と建物は、以外にもこのぐらい離れています。
建物の先端部分は、入口と階段になっています。
渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。
壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。
このような木の壁が景観を特徴づけています。
縦横に走る路地。
元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。
ピンク色の料理屋。
タイルのモザイク。
同じ通りの小料理屋とクラブ。
本町二丁目の中心部にあるキャバレービル。上から下まですべてキャバレーの看板で埋め尽くされています。
キャバレー「ドンファン」(地下1階)。
付近には、フィリピン系の店が数多くあります。
フィリピンパブの看板。
小田原市本町二丁目の歓楽街。クラブやスナックが密集しています。
スナックとエステ。
一本東側の通り。
逆方向から。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みと風俗を散歩します。
小田原駅前の好立地にある「みやこ旅館」。当時のままの姿の建物です。
風情のある板塀。
情緒ある和風造り。
旅館の裏側は墓地です。
吉原のはずれの千束通りを行くと、一葉桜・小松橋通りと交差します。通りには、一葉桜(八重桜の一種)が植えられています。この日は、一葉桜まつりが行われていました。一葉桜まつりは、一葉桜が植えられた2002年から始まり、今年で4回目だそうです。
まつりの目玉は、花魁道中です。もちろん、これは、当時のものを再現したものです。禿(かむろ)、花魁、振袖新造の順です。
ステージが用意されており、そこでは、花魁ショーが行われました。写真は、花魁が杯を飲み干した場面です。
最後に、花魁の撮影タイムがありました。
京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。
アパートに転業した建物。
円柱と石材が調和しています。
ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。
角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。
正面から見たところ。
ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。
【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)
松島新地の中に入ります。料亭が整然とならんでいます。飛田に似た雰囲気ですが、飛田と比べて明らかに異なる点は、道路の幅が広いことです。道路は、車も通りますので、ど真ん中を歩くと危険ですが、少し離れて歩いて見て回ることができるので、安心感があります。
「おおさか百景いまむかし」*1 に写真が掲載されている建物。
軒下のオブジェ。
モダンなデザインです。
【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.112
今回は、九条(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
中央線九条駅で下車し、百十四銀行のところを右へ曲がります。
すこし行くと左手に松島新地の入口があります。
松島料理組合が組織されています。
この地図を見る限りは、料亭街といった感じです。
信太山新地の中央部あたりに、公衆トイレがあります。男女の別はありません。入口は一つだけです。
「きんかくし」は、きれいです。中に、清掃用具が置いてあるので、定期的に清掃が行われているのだと思います。
トイレの窓。窓枠に、女性の名前や携帯の電話番号の落書きがあります。
トイレのドアの内側。「○○ちゃん、サイコー」、「超名器」、「テクニシャン」、「サービスいいよ」、「かずのこ天井」、「こんぺいとう天井」、などの落書きがあります。
信太山新地の中に神社があります。
今回は、信太山(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪からJR阪和線に乗って、信太山(しのだやま)駅で下車します。
信太山新地へは、駅前からJR阪和線の線路沿いに天王寺方面へ向かって進むか、駅前の「スーパー玉出」の脇の道を進むみます。今回は、「スーパー玉出」の脇の道を行くことにします。
道なりに進むと府道30号線に出ます。信号のある交差点に、「そこはだめ!!勝手な駐輪大迷惑 信太山新地」と書かれた看板がありますが、新地のような雰囲気はありません。
信号のある交差点の左側を見ると、旅館が立ち並んでいます。ここが、信太山新地の入口のようです。道の左側手前に、「スタンド○○」という看板のあるスナックのようなお店があります。
夕方になると、お店に提灯が灯ります。これからが飛田新地の始まりです。
店には女性とやり手婆が座り、客を待ちます。顔を明かりで照らしているせいか、女性はみな美人に見えます。女性は、10分か15分毎に交代するお店が多いようです。
青春通りと呼ばれる北部の通り。
店の前で、交渉している客がいます。
飛田大門から、いよいよ飛田新地の中へ入ります。
まず、目に入るのが高速道路。飛田新地のほぼ真ん中をを高速道路が走りぬけます。東京の風俗地帯では見られない光景です。
しばらく歩くと、反対側の壁が見えてきます。壁には階段があり、阿倍野地区へぬけることができます。整備された綺麗な階段です。
登ったところから見た壁の側面と飛田新地。こうやって見ると、飛田新地はくぼ地にあることがわかります。
壁の上から見た飛田新地。2階建ての建物がずらっと並ぶ光景は圧巻です。
動物園前商店街がつきるあたりに、大門跡の碑があります。
動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。
綺麗に整備された商店街です。
商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。
二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。
動物園前の駅から、商店街へ入ってすぐの路地裏に、「ゴールデン 休憩200より 宿泊300より」と書かれた看板があります。「ゴールド」ではなく、「ゴールデン」という名前が何となくそそります。(新宿ゴールデン街のことを思い出していました。)
今回は、飛田(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪市営御堂筋線を動物園前駅で下車し、地上へ出ます。出口の隣に、緑色に塗装された新聞・雑誌の売店が目に入ります。
出口を出て、すぐ目の前にある大衆酒場。
通りの方へ回りこんだところにある大衆酒場。古い看板が特徴的です。立ち飲みやに近い雰囲気があります。
こちらの大衆酒場は、なぜか、脇にうどん・そばの屋台が置いてあります。これほどまでに、大衆酒場が密集しているのは見たことがありません。すでに、ここから飛田は始まっているのだと予感させるような光景です。
横まち柳通りを散歩した後、横山町の南側の中央町のあたりを散策します。
1階に3軒のお店が入っている建物があります。
右側のお店。赤いドアが印象的です。
ドアの上に「カフエー」と書かれたプレートがあり、小さな文字で「茨城県公安委員会許可第1795号」と書かれています。さらに、その右側には、「二十....立入....」と書かれたプレートがあります。
JR古河駅から北西に500mぐらいのところに横町があります。「よこまち柳通り」の碑があります。
碑の裏側に、この通りの建設の経緯が書かれています。「横山町通りは、かつて江戸時代に日光街道の北玄関口として作られ、宿場としての問屋場や旅籠、茶店等が軒を連ね、陸上交通の要所として賑わった。しかし、明治から現在に至る社会経済の変化、交通手段の変革により、まちも変遷を余儀なくされた。そこで、市は、地域住民と相計り、往時を思い、さらに風格と活力のあるまちづくりを目指して、ここに『よこまち柳通り』を建設した。」
逆方向から見た横町柳通り。道路は、一直線ではなく変化がつけられていますので、自動車も速度を落として運転しています。
通りの雰囲気にマッチした水のみ場がありました。
今回は、古河(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。
駅前に白ポストがあります。 「こどもたちに見せたくない雑誌・写真・ビデオ等のみ入れて下さい。」「少年雑誌、ゴミ等はだめ」と書かれています。
箱の側面には、「ゴミその他のものを入れた方をみかけた場合、御連絡をください。」と書かれています。いかにして、このポストにゴミを入れさせないようにするかに労力が注がれています。
西口にも、同じ仕様の白ポストがあります。但し、こちらのは、台座が丸型です。
北口の駅前ロータリーから線路沿いの路地を入ったところに輸入品専門店があります。
店の前に、ガチャガチャがあります。
「ランジェリーがちゃがちゃ 500円」と書かれています。大人向けのガチャガチャです。
試しに1個買ってみました。中には黒いパンティが入っているようです。
鶯谷ラブホ近くの公衆電話BOX。
以前は、ピンクチラシが所狭しと貼られていましたが、現在は一枚も見当たりません。代わりに「ピンクビラ等お断り!!」のステッカーが貼られています。
しかしながら、あるラブホテルの前の電柱には、真新しいチラシが貼られていました。
ラブホテル街の中の他の場所にも、同じチラシが貼られています。
ボール紙の台紙に、複数枚のチラシが貼られています。
鶯谷のラブホテル街には、犯罪防止の看板が乱立しています。看板は3種類あります。(写真は、JR山手線の線路沿い)。
1種類だけば単独で設置されている場合もあります。
ビラ貼り、客引き、つきまとい。
鶯谷のラブホテル街の中の公園(写真左奥に看板)。
JR鶯谷駅から見える和風旅館。
岩風呂「石秀」。
入口に庭園が配置された和風の佇まいです。
コンセプトは、「根岸の里」。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。
待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。
駅前から路地を入るとラブホテル街です。
北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。
白鬚神社近くの路地。
懐かしい牛乳箱(森永牛乳)があります。保存状態も良い方だと思います。
文字は、オレンジ色と黒色の2色。背景の黄色と合わせると、3色刷りです。
「ウルトラ・プロセス」というのは、当時、森永乳業(株)が開発した加熱殺菌の技術の名称です。
木のぬくもりが感じられます。オーソドックスな形が気に入りました。
白鬚神社の隣に、古いモルタルアパート群があります。
アパートは数棟が群れのように並んでいます。
ラーメンの屋台が置いてあります。
入口が階段になっているアパート。
玉の井から、いったん東向島の駅へ戻り、そこから隅田川方面へ向かって散歩してみることにしました。東向島三丁目に白鬚神社があります。
漢字は、「白髭」ではなく「白鬚」のようです。大辞林には、『「髭」はくちひげ、「鬚」はあごひげ、「髯」はほおひげ、の意で書き分ける』と載っています。
案内板を見ると古い神社であることがわかります。平安時代に、現在の滋賀県にあった白鬚大明神を分霊して祀ったのが起源ですので、なんと千年以上の歴史があることになります。
神社の狛犬は、山谷の料亭「八百善」の八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が奉納したものだそうです。
東清寺の入口。玉の井稲荷と書かれています。
お寺の中に稲荷神社があるということでしょうか。
狐の像。
大正道路の記念碑。
玉の井のメインの通りから路地にはいると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている赤い壁の建物があります。
派手な色の円柱。上部は茶色。中央部分は緑色です。
円柱の下部は、青と白で塗装されています。
路地を抜けるといろは通りに出ます。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.78
いろは通りの路地裏には、昔の面影を残す建物がいくつかあります。
散歩の雑誌等でおなじみのお宅。
当時のままの原型を留めており、迫力があります。
左側から見たところ。2階のバルコニーに特徴があります。
右側を見たところ。
玉の井が色街だった頃のメインストリートであったと思われる通り。
現在はスナック街になっています。
一階がスナック、二階にバルコニーがある家が並んでいます。
スナックの入口付近。当時の玉の井には、「抜けられます。」と書かれた看板があったそうですが、現在は、「車ぬけられません」と書かれた標識があります。
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。
「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。
いろは通りの商店街。
最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。
今回は、巣鴨(東京都豊島区)の町並みと風俗を散歩します。
JR巣鴨駅北口前のロータリーの北側の一画は、飲食店が密集する繁華街です。
北側のメインストリートは、居酒屋などの飲食店に風俗店が散在する通りです。
夕方の時間帯になると人通りが増えてきます。
繁華街の南西側。写真奥は白山通りです。
鮮やかな緑色のアパートがあります。
美しい緑色のタイルで装飾されています。
路地側に回り込むと鮮やかな青色の建物があります。
全面のタイルの装飾。
旧カフェー街の通りに面して、赤紫色の装飾が施された建物があります。
看板を取り付けるための金具があります。店の屋号か何が掲げられていたのでしょうか。
側面の装飾。
玄関付近。
安浦の旧赤線街には、古い電柱がたくさん残っています。
現在も街路灯として使われています。
色里だった雰囲気が伝わってきます。
コンクリート製の電柱。
安浦の旧カフェー街は、現在は住宅地となっていますが、当時の歓楽街を偲ばせるスナック喫茶の建物が残っています。
入口のピンク色のアーチが印象的です。
こちらは、現在も営業中のスナック店。
奇抜なデザインの玄関。喫茶店かスナックだったのだと思います。
今回は、安浦(神奈川県横須賀市)の町並みと風俗を散歩します。
京急県立大学駅(旧安浦駅)前に、佐野医院の建物があります。
アール・デコ調のデザインの立派な建物です。
文化的価値がありそうな近代建築です。
円形のステンドグラス。
「赤線」を東へ行くと、JR八高線の踏み切りを越えると、国道16号線に出ます。国道の向こうは米軍横田基地の第二ゲートです。
国道沿いに店が並びます。
店の看板は、すべて英語です。アメリカがそのまま引っ越してきたような雰囲気です。
派手なペンキ絵のなるお店。
旧赤線の通りには、おしゃれなレストランやバーがたくさんあります。
米軍横田基地が近くにあるので、横文字の看板のお店が多いです。
タイ・レストラン
派手なペンキ絵が書いてあるバーの建物の壁面。
今回は、福生の町並みと風俗を散歩します。JR福生駅東口から通りを5分ほど歩くと通称「赤線」の入り口の十字路です。
昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと並んでいますが、昼間はほとんど人通りがありません。
地元の人の話によると、これらのスナックの中には、ホステスを連れ出させる店もあるそうです。
外見は、普通のスナックです。
歌舞伎町で急増しているのが、ホストクラブです。ホストクラブ専門の紹介所もできています。
交差点の大きな看板。
歌舞伎町で最大のお店
おなべ専門のクラブもあります。
歌舞伎町のランドマークタワーと言われる風林会館の道を挟んだ対面に飲食店街があります。
狭い路地にベニヤ板でできた屋台が並んでいます。
屋台と屋台の間にドアが開けっ放しになっているトイレがあります。薄気味悪い感じです。
屋台の隣には飲食店が並らぶ狭い路地。
「新宿歩道公園四季の道」の脇に、かつては青線街であった新宿ゴールデン街があります。
最近設置されたと思われる案内板。「新宿ゴールデン街案内図。明朗会計お待ちしております。」と書かれており、店の名前がすべて地図に記載されています。紙で印刷された地図もあり、「ご自由にお持ちください。」と書いてあります。最近は、観光スポットとして変貌をとげているようです。隣には「マップ業者に注意。東京標識社はじめ、インチキ業者からお金を請求される被害が出ております。組合とは関係ありませんので、絶対に金を支払わないでください。」との注意書きがあります。
花園神社側の通りから見たところ。花園一番街、三番街、五番街と名前がつけられています。
昔懐かしいグループサウンズの曲が聴けるお店の看板。
靖国通りを渡ると、「新宿歩道公園四季の道」の入り口があります。
歌舞伎町のど真ん中に木々が生い茂る歩道が突然現れます。人通りが結構多く、歩行者の通り道になっているようです。
歩道公園の中程にイルカの像があります。
公園の出口付近にある木橋。いろいろな表情の楽しめる歩道公園です。
今回は、新宿歌舞伎町の町並みと風俗を散歩します。
新宿駅南口から見るマイシティの裏側の通り。
成人映画専門の「新宿国際劇場」があります。
看板はかなり大きめです。人通りの多い通りに成人映画の大型の看板があり、新宿の伝統を受け継いでいます。
入口付近。映画のポスターがたくさん貼られています。
本町からさらに東を行くと海神の住宅地です。車が通れない狭い路地が縦横に走ります。中には自転車が通行するのがやっとの路地もあります。路地から、黒い煙をはく煙突が見えます。
煙突は、路地の先にある銭湯の稲荷湯でした。
稲荷湯の概観。
銭湯の入口の前は広場になっていて、そこに木材が置かれています。
妓楼の建物の前の通り。
普通のコンクリートの電柱に混じって、レトロな電柱が残っています。
根元の部分。
今の電柱と違って、昔の電柱は雰囲気があります。
若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。
木の温もりが感じられる建築です。
奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。
玄関の明かり取り。
船橋市本町の閑静な住宅街。
路上に残るコンクリート製ゴミ箱。保存状態は良好です。
箱の側面には、何か文字が書かれているようです。
住宅街の風景に溶け込んでいます。
スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。
バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。
若松劇場。
女の子の写真が掲載されています。
今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。
バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。
古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。
建物の角に入口があるスナック。
今回は、曳舟~鳩の街の町並みと風俗を散歩します。東武亀戸線に乗って、亀戸から曳舟方面へ向かいます。東武亀戸線は、二両編成の電車です。
氷川神社の参道から西側へ入った住宅街。
銭湯の菊水湯。レトロな銭湯です。
トタン屋根の銭湯。
残念ながら本日は、定休日でした。
後方にある煙突。
ソープランド街の南寄りに路地があります。現在は、路地の両脇に旅館や風俗店はありません。
「北銀座通り」と書かれた街路灯があります。
昔、旅館だった建物。
山口旅館という名前の旅館だったようです。
今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。
大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。
商店街といっても商店はあまり多くありません。
しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。
鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。
家の左側に水色の大きな円柱。
水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。
株は緑色です。
鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。
赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。
赤いタイルの円柱もあります。
黄緑、水色、赤(ピンク)。