今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。
尾張屋橋の上り口のあたり。
尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。
尾張屋橋から見た住宅街。
今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。
尾張屋橋の上り口のあたり。
尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。
尾張屋橋から見た住宅街。
中田宿の遊廓は8軒ありましたが、現在はそのうちの1軒のお宅だけがその威容をとどめています。*1
横から見たところ。
雲形の持ち送りのある窓の庇。
右側から見たところ。
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
古河市には、幕末以来という古い遊廓がありました。光了寺の南側に塀で区画された場所があり、昭和初年には、ここに8軒の妓楼が建っていました。*1
中央の通り。
廓の外側を1周できる道があります。
奥まった一画へ続く道。こちらへも塀が続いています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
中田のバス停から10分ほど、北に歩いたところに、光了寺があります。
入口の石柱に静御前の文字があります。
光了寺には、静御前の遺物が保存されています。
静御前の伝説は全国各地に残されています。
利根川を渡ると旧中田宿の町並みが見渡せます。
中田は、江戸時代から続く宿場町でした。
中田のバス停。栗橋駅からは約10分です。
近くには、古い建物が残っています。
八坂神社の中にレトロな電柱があります。
何のためにこの電柱がここにあるのかは不明です。
てっぺんに裸電球がついています。
関所跡。碑は利根川の堤防の近くにあります。
今回は、埼玉県の栗橋を散歩します。
JR宇都宮線の栗橋駅の駅前に、源義経の寵愛を受けた静御前の墓があります。
今年は、NHKの大河ドラマ「源義経」が放映されているので、栗橋は義経ゆかりの地ということになっているのでしょう。大河ドラマ新聞記事があちこちに掲示されています。
石原ひとみの似顔絵?を使った酒屋の広告があります。
商店に貼られている商品券取扱店のポスターにも静御前の肖像が使われています。
幕張本郷駅からバスに乗って約10分のところにある展示場の幕張メッセ。写真はプリンスホテルのエレベータからです。
コンパニオンのショーが始まると、予め陣取っていた客がビデオやデジカメを手にした客が撮影を始めます。
こちらのブースでは、撮影専用のコーナーが設けられており、黒山の人だかり状態です。
車の展示会というよりは、コンパニオン撮影会になっています。
今回は、千葉県幕張を散歩します。
JR幕張本郷駅から徒歩10分の場所。国道をはさんだ南側(写真左側)には家電量販店のコジマがあります。
北側(写真右側)には、奇抜な建物が屹立するラブホテル街があります。
道路は広々しています。
最上階には窓付きの部屋のあるホテル。「海が見えるラブホ」というのがウリのようです。
ときわ通りと劇場通りが交差する交差点の角。交差点の対面にはカラオケのパセラがあります。
ここに新しいタイプの紹介所があります。
1階に居酒屋がある小さな建物の2階が案内所です。
「案内所」と3文字書いてあるだけです。以前は楕円形の看板のところに「Dellys」と書かれていましたが、今はなぜか消されています。
2階には、5店舗のデリヘルの事務所が入っていて、その場で写真を見て女の子を選べます。指定された場所で待ち合わせをするシステムです。
待ち合わせ場所はいくつかあるようですが、いずれもときわ通り近くの場所です。
蔦に覆われた建物があります。この建物は近年まで旅館として使われていました。*1
入口だけが少し見えます。
横に回ってみます。
2階部分。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.90
現在でも原型をとどめている建物。最近、補修されたようですので、まだまだ大丈夫のようです。
軒下にランプがあります。
隣のアパートの3階から見たところ。建物の奥行きに驚かされます。
2階部分。
通りの奥にある建物。正面から。
裏門付近。
隣のアパートから見たところ。奥行きがあり立派です。
真上から見ると建物の大きさが実感できます。
暁橋の手前の交差点から左に折れる道路は、突然道幅が広くなっています。田町遊廓跡の大門通りです。周囲には卸売り業者の倉庫や物流拠点があります。
地図で確認していみると、周囲の道路の幅と比べ、ここの部分だけが幅の広い道路となっていることがよく解ります。
逆方向(西側)から。
工場だったと思われる建物を転用した雑貨のディスカウントストアがありました。八王子はかつて絹織物工業がさかんでしたが、その頃の工場だったのかもしれません。
千住龍田町は、細い路地が迷路のように続く住宅街です。。
物干し竿が残るお宅。
昭和の風景です。
長屋の建物。
千住は銭湯の町なので、今回は銭湯をハシゴすることとしました。2軒目はキング・オブ・銭湯と呼ばれる大黒湯です。立派な宮造り建築です。
屋根の正面には大黒様。
左右には恵比寿様。
入口。
キング・オブ・縁側と呼ばれているタカラ湯へ寄りました。
柴又帝釈天の仏師の作とされる七福神の彫刻は非常に立派なものです。 お風呂の種類は豊富です。個人的には「座風呂」が気に入りました。浴槽の中が椅子の形になっていて、それに座ると足の裏に気泡があたるようになっています。
さすがは、キング・オブ・縁側。本格的な日本庭園です。
池には錦鯉が沢山泳いでいます。
お化け煙突は、解体されましたが、その一部は千寿双葉小学校のすべり台として保存されています。
千寿双葉小学校は平成17年4月に千寿第三小学校と元宿小学校の統合により誕生し、1年間は元宿小校舎(千住桜木町)を使用し、平成18年に千寿第三小跡地(千住大川町)に建つ新校舎に移転する予定です。
運動場の木々の中にすべり台があります。
近くで見ると頑丈そうに見えます。
すべり台の裏にはプレートが取り付けてあり、次のように書かれています。
「四本煙突記念 通称千住のお化け煙突として親しまれてきた東京電力の四本煙突が解体されるにあたり、その一部(下部、直径6m重量約3t、半円分)の寄贈をうけた。これをながく本校にとどめ児童の遊戯施設として設置し記念とする。昭和40年1月」
千住には「お化け煙突」と呼ばれる大きな煙突が町のシンボルとなっていたそうです。千住柳町はお化け煙突の麓にあったわけです。
元宿堤稲荷神社はこの「お化け煙突」の守護社となっている神社です。
正式には「千住4本煙突」と呼ぶそうです。
略記に「4本煙突」の由来が説明されています。
狛犬
千住柳町の赤線跡(遊廓跡)は大門商店街の隣の路地にわずかに残っています。
二軒続きの家があります。
一階の窓に特徴があります。
二階の窓にはひさしがついています。
今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。
お買い物の散歩道。
商店街の脇の路地。
モダンなデザインの建物。
小山駅東口の北側に、「みつわ通り商店街」があります。
古くからある商店街らしく、道は緩やかにカーブを描いています。
左側に曲がったあたりが、商店街の北端です。
「みつわ通り商店街」にあるカラオケパブ。和田アキ子、坂本九など、懐かしさを感じます。
閉園となった小山遊園地は、いずれ取り壊される予定です。
小山遊園地のシンボルの小山タワーがそびえたっています。
ジェットコースター。
観覧車。写真左下奥は、小山温泉「思川」。
キャンプ村。
今回は、小山(栃木県小山市)の町並みを散歩します。
小山遊園地は、「おやまーあれまー」のCMソングで有名です。口ずさむと癖になってやめらなくなります。
入口のエスカレータ。
残念ながら2005年2月に閉園しました。
現在は、スパだけが営業中です。
小山ゆうえんちドットコムに掲載されていたCMソングのおやまゆうえんちの唄の歌詞を抜粋させて頂きます。
1、オヤマーアレマー 小山ゆうえんち
つつじ花咲く恋も咲く
つつじ祭りを見に行こう
オヤマーアレマー
お隣り日光こりゃ結構
小山ヘルスセンター 小山ゆうえんち
(後略)
吉原ソープ街の周囲には、飲食店もあります。
京町通り北側にある飲食店。
隣には、花柳舞踏研究所。
旧赤線の「美津和」の屋号を引きついだ食堂。
吉原の北東側の土手通りにあるつけ麺チェーン。看板には「吉原店」と書かれています。
台東区日本堤にある廿世紀浴場。建物は、昭和初期に流行したアール・デコ様式を取り入れた建築様式です。
正面入り口の両側のアーチ型窓の曲線は、アール・デコの特徴を残しています。
モダンな文字で、描かれた「廿世紀浴場」
銭湯の後ろ側。老朽化が進んでいます。
ソープランド街の三ノ輪側に銭湯の一葉泉があります。この付近は、樋口一葉ゆかりの地であるため、一葉にちなんでなづけられたのでしょう。
おせんべ屋の一葉煎餅というのもあります。
入口にある見事なペンキ絵。陸中海岸と書かれています。
一葉泉の文字。
脱衣場に入ります。柱時計が時をきざんでいます。
角町二丁目に赤線跡の建物があります。表通りはソープランド街です。
路地の十字路の角にあります。
外壁の装飾が独特です。
軒下にランプがあります。
ソープランド街の中には、旅館もあります。ソープランド「ワールド」の近くにある旅館。雰囲気があります。
正面から見るとかなり大きな立派な建物であることがわかります。
堺町の通りから旅館の側面を見たところ。
入口にあった吉原観光旅館組合員のプレート。
伏見通りは、古い建物が多く残る通りです。
赤茶色が印象的な建物があります。
正面上部には、「マスミ」という屋号が大きく書かれています。
「マスミ」は吉原今昔図*1 にも記載されています。
【参考記事】
*1 吉原神社の吉原今昔図(風俗散歩,2005.9)
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原のソープランド街には、ソープランドの建物以外に、住民のアパートと思われる建物が混在しています。
京町一丁目のソープランド「ヴィナス」の裏手にあるアパート。「ヴィナス」の建物(写真右側の白い建物)にピッタリとくっついて建っています。
「ヴィナス」の裏手の奥まったところにあるピンク色のアパート。
円形のデザインが特徴です。
変わった形のバルコニーのアパート。
現在は住宅街となっている通り。
古いバーの建物があります。
ニューボン。
入口には、ピンクのタイルの装飾があります。
洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。
建物には、屋号が外壁に残っています。
現在は、共産党の事務所として使用されています。
タイルで装飾された大型の丸い円柱。
弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。
通りに入って横から見たところ。
青いタイルが綺麗です。
この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。
洲崎橋の入り口にあたる交差点の角のそば屋の「花村」は、昔からあるそば屋だそうです。ショーウィンドウには当時の洲崎の写真が掲げられています。
ショーウィンドウ
昔の洲崎の写真。(上の写真の拡大)
現在の写真です。
今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
木場駅からすぐのところに洲崎神社があります。
弁天池
洲崎神社に隣接する児童公園に書かれていた絵。当時の洲崎を伝える絵です。
洲崎神社の隣の区民会館のところにある掲示板。江戸時代は洲崎神社は海岸に面していたそうです。
洲崎という地名はほとんど残っていません。洲崎神社、洲崎郵便局、そしてこの洲崎緑道公園です。洲崎緑道公園は、洲崎に遊廓があったころの堀(洲崎川)を埋め立てて公園としたものです。
大門通りと公園が交差するあたり。
「洲崎パラダイス」のアーチがあった旧洲崎橋は大門通りと洲崎緑道公園が交差するあたりです。
この場所に「洲崎橋跡地」の碑があります。
洲崎緑道公園は堀を埋めたたて出来た公園であるため、細長い形をしています。歩行者用の道と自転車用の道が分かれているのが特徴です。
かつての歓楽街「田んぼ」があった通り(南西側から)。
古い建物が残っています。
駐車場側から。
別の棟。立ち入り禁止のテープが貼られています。
町田の通称「田んぼ」と言われるちょんの間地帯が壊滅状態と聞き、立ち寄ってみました。 ここがちょんの間のある通りです。
ちょんの間のあったプレハブの建物は、入口に黄色のテープとベニア板が張られ、閉鎖されています。
もう1軒あったプレハブの建物。こちらはつい数年前な営業していた記憶がありますが、閉鎖されています。建物の内部には窓ガラスが散乱していました。すでに廃墟と化しています。
この建物は、反対側の通り沿いのコンビニのあたりからも駐車場を隔てて見ることができます。
今回は、町田(東京都町田市)の町並みを散歩します。
町田駅の南西側。境川を渡ったすぐの場所(神奈川県上鶴間本町)には、かつて「田んぼ」と呼ばれた歓楽街がありました。
最近、この付近は浄化され、警察署の出張所もできています。
かつての名残の建物も残っています(写真左奥)。
付近には「貸ルーム」と呼ばれる店舗もあります。
吉原弁財天のすぐ近くに吉原神社があります。
境内には、「吉原今昔図」が掲示されています。
明治時代から現在に至るまでの、妓楼の配置が描かれています。
吉原遊廓の写真や地図、解説もあります。
吉原弁財天の中に愛護地蔵尊と呼ばれる吉原で働いていた女性の水子地蔵があります。
「生まれるべく体内に宿りし水子も母なる生命保護のため人工妊娠中絶によって無明の境に失われていく悲憐なる幼い霊を供養する」と石碑に記されています。
愛護地蔵尊の正面の右側の玉垣には角海老の名前が刻まれています。
周りの玉垣。「新吉原カフェー」と記されています。その横の名前はカフェーの店の名前のようです。
途中、吉原弁財天へ立ち寄りました。ここには数多くの見所があります。
「花吉原名残碑(はなのよしわらなごりのひ)」は、吉原が、江戸唯一の幕府公認の遊郭であり、昭和33年の売春防止法が施行されるまで続いていたことを名残惜しむ碑です。
花吉原名残碑の隣には、幕府の許可を得て元吉原を開業した庄司甚右衛門の碑があります。
案内板があるので、これを読むと吉原の歴史を知ることができます。
----花吉原名残碑(はなのよしわらなごりのひ)----
吉原は、江戸における唯一の公許の遊廓で、元和三年(1617年)、葺屋町東隣(ふきやちょうひがしどなり、現中央区日本橋人形町付近)に開設した。吉原の名称は、植物の葭(よし)の生い茂る湿地を埋め立てて町を造成したことにより、はじめ葭原と称したのを、のちに縁起の良いう文字に改めたことによるという。
明暦三年(1657年)の大火を契機に、幕府による吉原遊廓の郊外移転が実行され、同年8月、浅草千束村(現台東区千束)に移転した。これを「新吉原」と呼び、移転前の遊廓を「元吉原」という。
新吉原は、江戸で有数の遊興地として繁栄を極め、華麗な江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだが、昭和三十三年「買春防止法」の成立によって廃止された。
(後略)
国際通りを横切るとせんわ通りに入ります。ここからは柳並木が現れます。
交差点を左に曲がると吉原の一角にさしかかってきます。
花園公園のあたり。道がS字型にカーブしています。このあたりは水道尻(すいどじり)と呼ばれているそうです。
水道尻を抜けると吉原のソープ街まで一直線です。
今回は、入谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。地下鉄日比谷線の入谷駅を出ると、まず目につくのが大手家具小売のハヤミズ家具センターのビルです。不況の影響受けて経営破綻しましたが、店舗兼本社ビルは、そのままです。
入谷から金美館通りを経由して吉原へ向かいます。吉原へ歩いて行く道としてはもっともオーソドックスな道順です。昔、金美館という名前の映画館があった(写真の東京菓子会館のあたり)ことが、金美館通りの名前の由来だそうです。なんとなく妖しい響きのする名前です。
金美館通りの歩道を歩くと、「これから吉原へ行くんだ」という気分になってきます。
「第一食品」や「入谷市場」という名前のスーパーがあるあたりは下町風情が残っています。
渡鹿野園地から市街地の方へ向かいます。途中、アパート等の建物が点在しています。
市街地を北側に奥に入り、坂道を少し登ってみます。昼間はとても静かです。
島の市街地を見渡すと旅館のある市街地の中心部とその周りの居住地が見渡せます。
島の住民の住居と思われるアパートがあちこちにあります。
港から北東部へ伸びる防波堤を進むと「渡鹿野園地」と呼ばれる公園の入口である急な上り坂があります。
島の北東部は標高が高くなっており、海との境界は切り立った崖になっています。渡鹿野園地はこの崖の上にあり、北東方面の眺望が楽しめます。
ソテツが植えられており、南国の島に来たようなムードが漂います。公園というよりは、展望台と言った方がよいかもしれません。
渡鹿野は的矢湾の中央部に浮かんでいる島ですが、ここからみる眺望は湾の出口方向です。右側は安乗岬方面です。
今回は、渡鹿野島(三重県志摩市)の風俗を散歩します。渡鹿野島は数百年の秘密を守る島と聞きます。風俗雑誌等でもここだけは「W島」とか伏字にして語ることが多いようです。
近鉄線鵜方駅で下車し、安乗行きのバスに乗ります。
「スカイランドいこま」生駒山頂上にある遊園地です。以前は「生駒山上遊園地」という名前だったそうです。山頂には電波用の鉄塔が数多くあります。
旅館が立ち並ぶ石段を登り、宝山寺へ参詣することにします。鳥居までは、ゆるやかな石段が続き、幻想的な気持ちになります。とても静かです。
日頃の運動不足がたたり、石段の登りは足腰にこたえます。なんとか本堂に到着。
森の中に寺院が散在しています。生駒市街が見渡せます。
斜面の深い森に吸い込まれるように多宝塔が見えます。
ケーブルカーの宝山寺駅を下車するとカーブした道が続いています。ここから生駒新地に突入と思うと気持ちが高ぶってきます。
「観光生駒(聖天通り)」のアーケードがあります。観光地らしい雰囲気です。
観光案内図があります。もともと生駒新地は、宝山寺に参詣するために時間をかけて生駒山に登る必要があったことから、付近に旅館が発達したものです。宝山寺は「商売繁盛の聖天さん」として全国に知られる由緒正しいお寺です。
「観光生駒、旅館ご案内」の案内板。14の旅館があります。
生駒ケーブルは、日本最古(大正7年開業)のケーブルカーです。また、長さにおいても日本最長です。鳥居前駅から宝山寺駅までを宝山寺線、 宝山寺駅から生駒山上駅までを山上線と呼びます。
鳥居前1号踏切から宝山寺方面を見上げたところ。ケーブルカーとは想えない壮観な眺めです。複線のケーブルカーなので、迫力があります。
宝山寺線を走る車両は「ブル」と「ミケ」の2種類があります。写真は「ブル」です。生駒山の頂上に遊園地(スカイランドいこま)があるので、このような可愛い車両になっているのだと思います。
宝山寺駅に到着です。ケーブルカーの線路の斜面と生駒市街の展望に、しばらく見とれてしまいました。
今回は、宝山寺の風俗を散歩します。宝山寺(生駒)はマニアックな裏風俗として雑誌などで紹介されています。
近鉄生駒駅で下車すると、目の前に生駒山が望めます。よく見ると山の斜面にケーブルカーの線路が延びており、中腹あたりが目指す宝山寺であることがわかります。