藤沢駅の南側にある奥田センター街。
左右2棟の共同建築(1階が飲食店、2階が居住スペース)が向き合う横丁風の飲食街です。

入口の「いらっしゃいませ」のゲート。

大衆的な飲食店の名店が軒を連ねています。

ゲートの裏側(「有難うございました」)。

藤沢駅の南側にある奥田センター街。
左右2棟の共同建築(1階が飲食店、2階が居住スペース)が向き合う横丁風の飲食街です。

入口の「いらっしゃいませ」のゲート。

大衆的な飲食店の名店が軒を連ねています。

ゲートの裏側(「有難うございました」)。

藤沢駅前に建つレトリビルの「フジサワ名店ビル」。
ビルの懸垂幕は、ビルを盛り上げたいという切なる思いが込めれらえています。老朽化に伴い、3つのビルは2025年に解体予定です。*1

フジサワ名店ビルの誕生は昭和40(1965)年11月。ビルの1階に「東京名店街」があったことが、ビルの名前の由来です。*1

1階の「ハゼの木広場」は市民の憩いの場で、大型のテレビも設置されていました。*1
「フジサワ名店ビル」は、「ダイヤモンドビル」と「藤沢プライム」と内部で連結し、それらに囲まれて方形の中庭(はぜの木広場)が構成されています。*2
ビルの連結部分は、内装や外装が食い違っています。

「ダイヤモンドビル」と「藤沢プライム」のつなぎ目部分。

フジサワ名店ビルの誕生は昭和40(1965)年11月。
ビルの1階に「東京名店街…
小田急線善行駅から階段を登ってすぐの場所にある「グリーンハウス」は、昭和7(1932)年、ゴルフ場の開場と共にクラブハウスとして竣工した歴史的建物です。*1

ゴルフ場が航空隊に徴用されてからは、この建物は司令部となり、さらに米軍が駐留してからもその司令部となりました。*1

建築後80数年を経た今日でも県立体育センターの建物として利用されています。

2階から見下ろした1階の玄関。

P.96
グリーンハウスは、昭和7(1932)年、ゴルフ場の開場と共にクラブハウ…

小松屋のご先祖様は「飯盛り女の供養墓」※1 でお馴染みの旅籠「小松屋」(小松屋源蔵)で、旅籠があったこ の場所をそのまま利用し兄姉妹で営んでいるそうです。*1

味噌ラーメン、餃子、などが主力メニューです。ビール、冷酒も頂けます。

味噌ラーメン三種盛りと冷酒を注文。

今回は、藤沢(神奈川県藤沢市)の町並みを散歩します。
広重の東海道五十三次藤沢宿の版画(江の島一ノ鳥居を遊行寺を背景にして描いたもの*1)に出てくる遊行寺橋際の鳥居は、かつては江の島弁才天の一の鳥居でした。江ノ島参詣に来た旅人にとって「是より江ノ島道」との道しるべになっていました。鳥居は、3度にわたり消失~再建されましたが、3代目の鳥居の礎石のみが遊行寺境内の宝物館の入り口前に保存されています。*2

石材は小松石で、角石の四角を大きく面取って八菱形になっていて、側面の広い面に各三面づつ銘文が刻してあります。*3

明治十四年四月。上己日建。祠官筥崎博之。この銘文によって最後の鳥居は明治14年4月に竣工したことが判ります。*3

世話人 当駅
常陸屋権右ェ門、曼屋又兵ェ、大磯屋市右ェ門、丸屋晃、 青木精也、川邑新七
江の島
紀伊国屋半六……
世話人の中にある常陸屋権右ェと紀伊国屋半六は創建以来の家柄であり、また曼屋又兵ェ以下川邑新七までの五人は藤沢宿時代の遊女屋です。*3

図は藤沢宿にあった江の島一ノ鳥居を遊行寺を背景にして描いたもので、鳥居の後…
P.98
一の鳥居
広重の東海道五十三次藤沢宿の版画に出てくる遊行寺橋際の…
P.34
現在、藤沢の古老の説話に残っているのは第3代鳥居であるが、幸い、そ…
堀江フラワー通りから一本南へ入った路地。

駄菓子屋さんの「十兵衛商店」があります。

店の前には、多数のゲーム機が並んでいます。

「十兵衛商店」は、「浦安鉄筋家族」の駄菓子屋「はなくそ一発」のロケ地として使用されました。*1
映画ロケ地の名残の事例としては、他に、映画「青天の霹靂」の上田映劇通り※1 があります。

ロケ地紹介
駄菓子屋『…
浦安の「やなぎ通り」は、店舗やオフィスビルが建ち並ぶ浦安の繁華街の中心的通りです。

やなぎ通りを西へ進むと浦安橋(写真右奥)へ至ります。

通りに沿いの角に、ラブホテルが建っています。

角を入ったところに、もう1軒あります。(写真奥は東西線のガード)
昭和48年、花街の女将、熊川いくさんはこの地に「ホテルいくの家(旅荘いくの家)」を開業しました。*2※1
当時は風呂つきの部屋で清潔にしてたから重宝されたそうです。*2

P.148
敗戦後の混乱の中、昭和21年、GHQの主導で公娼制度が廃止になりました…
かつての魚市場の東隣に、1棟の飲食店街があります。

軒下が飲食店の共有の通路になっている構造です。

焼肉店、居酒屋、スナックなどが軒を連ねます。

「市場裏飲食店街」の看板。

かつての浦安魚市場(現在のスーパーサミットがある区画)の北隣に、海苔などの海産物を扱う商店が集積する「浦安市場北口商店街」がありました。

宇田川海苔店は、現在も営業中です。

ほし商店。駐車場スペースになっています。

かさや海苔店。

浦安市の当代島は市川市と境を接する江戸川べりの町です。近くには、妙見島(東京都江戸川区)※1※2 という川中島もあって、このあたりに島の付く地名の多いことは、かつていくつかの島があったことを想像させます。*1
当代島には、かつての島を連想させる船圦川が流れていました。

当代島地区は、この船圦川沿いに集落が形成され、発展してきました。漁へ行くときは、ここから旧江戸川に出て、海へと下っていきました。「船圦(ふないり)」という呼び方は、ここから来たものです。*2

現在は、「船圦緑道」と名付けられ、憩いの散策道として親しまれています。*2

「船圦緑道」は稲荷神社※3 の入口を過ぎるとこまで続いています。

P.45
浦安市の当代島は市川市と境を接する江戸川べりの町である。すぐ前を流…
現在、緑道になっているこの場所は、昭和40年代後半まで船圦(ふないり)と呼ば…