東葛西(妙見神社)妙見宮が島にまつられていたことが、妙見島の名前の由来。

妙見島に住宅街はなく、工場や物流倉庫の用地となっています。

島の北よりの月島食品の工場の近くに妙見神社があります。

妙見宮が島にまつられていたことが、妙見島の名前の由来と考えられています。*1
この妙見神社も妙見宮に関連するものかもしれません。

後ろ側のお堂から。

参考文献

*1
やまひこ社行徳・浦安わがまち発見 ①リブロポート1986.10

P.45
浦安市の当代島は市川市と境を接する江戸川べりの町である。すぐ前を流…

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浦安(船圦川跡)かつて島があったことを連想させます。

東葛西(妙見島)歩道橋から階段を下りて島へ上陸。

地下鉄東西線の浦安駅から葛西駅へ向かう途中。車窓から妙見島の南側の突端部分を見ることができます。

妙見島は、浦安橋の途中にあります。徒歩で向かう場合は、歩道橋を進み、歩道橋から階段を下りて妙見島へ上陸することができます。

浦安橋から見た妙見島の東側。高い堤防で囲まれています。

浦安川から見た妙見島の遠望。
山本周五郎が浦安に住んでいた昭和のはじめ頃は、ヨシが一面に生えた川の中州でしたが、現在はほとんどコンクリートに覆われた工場だけの島です。*1

参考文献

*1
やまひこ社行徳・浦安わがまち発見 ①リブロポート1986.10

P.45
浦安市の当代島は市川市と境を接する江戸川べりの町である。すぐ前を流…

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浦安(船圦川跡)かつて島があったことを連想させます。

東葛西(そば処「やぶ忠」)、フルーツをつけていたことの名残。

今回は東葛西(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
浦安橋へ向かう通りの途中。

そば処「やぶ忠」。

天ぷらそばとビールを注文。

乳酸菌飲料の「ピルクル」がつきます。昔、フルーツをつけていたことの名残だそうです。

参考文献

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浦安(松の湯)昔は、漁師さんたちで賑わっていた境川沿いの銭湯。

現在は、休業している模様です。

煙突。「松の湯」と書かれています。

境川沿いに立地しています。昔は、漁師さんたちで賑わっていたのだと思います。

参考文献

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浦安(左右天命辨財天)弁天様は、くるわに災害が起る前には、女の姿になって現われました。

猫実2丁目の住宅街の細い路地の先に、左右天命辨財天(さゆうてんのみことべんざいてん)があります。

浦安には、「くるわ」と名の付く旧地名が2つあります。一つは、「柳町のくるわ」で、柳町という人が最初住家を数軒建てたのでこう呼ぶようになりました。※1 もう一つは、「へいやのくるわ」で昔、川島という貝灰工場があったところから名付けられました。へいやというのは、はいや(灰屋)のまなりです。

猫実の弁天様は、明治十七年十月(1884)川島という人が建立しました。弁天様は「灰やのくるわ」に災害が起る前には、女の姿になって現われ、災害を未然に教えたり、大津波の襲来を予告したりして常にくるわの人達を救ってくれ、特にくるわの人々は付近の守り神として崇拝しています。(案内板より)。

池の中に社殿があります。水音が常に聞こえます。

参考文献

*1
浦安市自治振興課浦安の地名・地理グラフ浦安 第5号浦安市自治振興課1979.7
P.8 へいやのくるわ 猫実の弁天様の付近で、昔、川島という貝灰工場があったところから名付けられました…

参考記事

※1浦安(歓楽街跡地)柳町さんの名前をとって命名。

浦安(富士塚)当代3丁目の稲荷神社。急な登り口。

当代島3丁目の稲荷神社の境内の奥。浅間神社の鳥居の後ろには富士塚がそびえています。

登り口は、何本かありますが、いずれも急です。

高さがあり、富士塚の頂上から下を見ると恐怖を感じます。

遠方の眺め。

参考文献

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浦安(稲荷神社)当代島3丁目。「いくの家」寄進の玉垣。

当代島3丁目の住宅街の中に稲荷神社があります。

玉垣には、水産関連の名前が多く見れらます。

柳町の小料理屋「いくの家」※1 と思われる寄進の玉垣。

「いくの家」は、昭和33年に柳町に開業しましたが、その後、昭和48年に駅の近くに、「ホテルいくの家」を開業しました。浦安は昔から家に風呂がなかったので、風呂つきの清潔な部屋は重宝されました。*1

浦安(歓楽街跡地)柳町さんの名前をとって命名。

昭和24年、町の9人の有志により、歓楽街がつくられました。当時そのあたりに住んでいた柳町さんという人の名前をとって柳町と名付けられました。長さ50mほどの路地が三本。その両側に「おしず」「仲よし」「福の家」「千鳥」「菊水」「ひげの家」「ハッピ」「大和」「おしげ」の店が開店しました。*1

熊川いくさんの回想録によると、柳町に焼き鳥屋「いくの家」を開業し、その後、昭和33年に店を2階建ての広い座敷に改装。小料理屋「いくの家」を開業しました。*1
1971の住宅地図を見ると、このあたりに「小料理いくの家 熊川」の記載があります。*2

現在、その場所(当代島1丁目)に当時の名残はありません。

1985年の住宅地図によると、「いく家」はこのあたりに移転したようです。*3

この路地の奥のあたりには、「浦安トルコ」がありました。*3

参考文献

*1
三谷紀美浦安・海に抱かれた町聞き書き 人と暮らし筑摩書房1995
金持ちもヤクザも同じ人間 花街の女将 熊川いくさん(大正11年生まれ)

P.148
敗戦後の混乱の中、昭和21年、GHQの主導で公娼制度が廃止になりました…

*2
住宅地図出版社ゼンリンの住宅地図 浦安町 1971住宅地図出版社1971
*3
ゼンリンゼンリンの住宅地図 浦安町 1985ゼンリン1985

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浦安(船宿)「青べか物語」に登場する船宿「千本」のモデル。

浦安の海は遠浅で、アサリ、ハマグリ、ハゼなどの水産物に恵まれ、潮干狩りやハゼ釣りに適し、都心から一時間前後のところにあることから東京方面からの行楽客がで賑わいました。特に大正8年から高橋、浦安間に通船が往復するようになってからは、ますます来遊する者が多くなりました。*1

旧江戸川沿いは、現在も船宿が建ち並んでいます。

船宿の前の釣り物看板。

吉野家は、山本周五郎「青べか物語」に登場する船宿「千本」のモデルとなりました。※1

映画のセットのような佇まいの「岩田屋」。

参考文献

*1
浦安町誌編纂委員会浦安町誌 上浦安町1969
観光

浦安の海は一帯に遠浅で、アサリ、ハマグリ、ハゼなどの水産物に恵まれ、潮干狩…

参考記事

※1浦安(郷土博物館)「青べか物語」にも登場する船宿や天ぷら屋を再現。

浦安(「蒸気河岸」跡)かつての蒸気船の発着所。

浦安橋近くの旧江戸川沿い。釣船や屋形船の発着所になっています。

東西線の鉄橋の下を船が行き交います。

このあたりは。かつて蒸気船「通運丸」※1 の発着所があったところで、「蒸気河岸」と呼ばれていました(案内板より)。

明治27(1894)年に島尻の一軒家(浦安の最北端の先、現市川市)に汽船発着所ができ、通運丸が両国からこの島尻の発着所を経て行徳に寄港したため、東京方面や行徳に行くのに通運丸を利用するものが多くなりました。*1

大正8(1919)年、通運丸に代わって東京通船株式会社が経営する定期船が深川から就航するようになり、浦安の人はこの定期船を通船と呼びました。*1

写真左奥は妙見島のラブホテル。

参考文献

*1
浦安市浦安市浦安市
定期船 リンク

浦安では、明治27(1894)年に島尻の一軒家(浦安の最北端の先、現市川市)に汽…

参考記事

※1関宿(博物館の展示)江戸川、利根川の歴史と産業・暮らし。