今回は、鶴巻温泉(神奈川県秦野市)の町並みを散歩します。
国道246号線から鶴巻温泉への入口を示す巨大な看板が建っています。

レトロ感ある看板です。

国道246号から鶴巻温泉へ分岐が三叉路になっているので、看板の支柱も三角形になっています。東京方面から来る(下り)場合は左折、秦野側から来る(上り)の場合は右折することを示す「入口→」の表示があります。

南側は、「入口」の表示もなく、「歓迎」の文字もありません。

今回は、鶴巻温泉(神奈川県秦野市)の町並みを散歩します。
国道246号線から鶴巻温泉への入口を示す巨大な看板が建っています。

レトロ感ある看板です。

国道246号から鶴巻温泉へ分岐が三叉路になっているので、看板の支柱も三角形になっています。東京方面から来る(下り)場合は左折、秦野側から来る(上り)の場合は右折することを示す「入口→」の表示があります。

南側は、「入口」の表示もなく、「歓迎」の文字もありません。

最乗寺の相生橋を渡り、その先の道をさらに進むと明神ヶ岳への登山口です。

登山道をしばらく登って振り返ると、眼下に大雄山の市街を見下ろせます。
遠くに見える三角形の山は丹沢の大山※1です。

明神ヶ岳の頂上からの富士山の眺望。手前の丸いピークは金時山です。

箱根方面の眺め。煙が出ている場所は大涌谷です。

最乗寺の相生橋を割った奥に、多数の玉垣が並んでいます。緩やかな坂道を登った先に、沼津道了講の玉垣が並ぶエリアがあります。

割烹旅館が寄進した玉垣。

沼津芸妓寮組合。
沼津市街の上本町と下本町は、戦前は花街でした。*1※1

料理屋か芸妓屋らしき屋号もあります。

道了尊仁王門側からの市街の遠望。

道了大薩埵碑の手前に、燈籠が建っています。

「江戸 ウルユス本店」と刻まれています。
「ウルユス」 は、 大阪の肥後屋丈右衛門が発売した薬で、 洋名の売薬のさきがけとされています。*1

「ウルユス」の発売の始めは、明和~天明年年間 (1764-1788) とも文化9 (1812)年とも言われています。*1
燈籠には、天保(1830-1844年)の年号が刻まれています。

「ウルユス」 は、 大阪の肥後屋丈右衛門が発売した薬で、 洋名の売薬のさきが…
仁王門前に建つ道了大薩埵碑。※1

碑の裏面に、「天明2年3月建設、明治13年5月再建」とあります。

裏面下部には、新吉原講の講元、世話人の記載。

台座に刻まれた楼名。この頃は「楼」ではなく、「屋」多く使われていたようです。

仁王門の近くにある五丁目星宿燈。

「東京市浅草 引手茶屋」と刻まれています。

六丁目星宿燈。

東京市浅草新吉原仲の町「引手茶屋 久(丸印)大和」と引手茶屋の名前が刻まれています。二十八基の星宿燈の中で、引手茶屋の名が刻まれているケースは珍しいです。

一丁目の星宿燈を過ぎると、参道の道路は、徐々に傾斜を増していきます。

道路際の星宿燈。

しっかりとワイヤーで電柱にくくりつけられています。

「新吉原 新明楼」と刻まれています。

今回は、大雄山(神奈川県南足柄市)の町並みを散歩します。
最乗寺へ向かう参道には、星の名前のついた道しるべ星宿燈(せいしゅくとう)が建てられています。※1
星宿燈は2種類があります。火室の大きさの違いがポイントです。口がやや小さめの方は「明治40年建之」の銘が刻まれ、東京浅草新吉原の遊廓の店や人名が記されています。もう一方の建立者には現在の小田原市の旧村名が記されてしています。つまりこれらの星宿燈は二十八宿をセットに二次にわたって建てられたものなのです。*1

参道一丁目バス停の近く、保育園の手前に、「日月星宿」の星宿燈が地面に半分近く埋まった状態で残っています。
「明治40年建之」の星宿燈のうち、例外的に町名が振られていないものが2つありますが、「日月星宿」はそのうちの一つです。*1

発起世話人 東京新吉原 新龍ヶ㟢樓 岡本樓 長金花樓 と刻まれています。*1

吉原京二 辰小松楼。*1


星宿燈を詳しく観察すると、主に2種類があることがわかります。形状では火室の…
東葛西7丁目交差点の近くにある銭湯の仲の湯。

風格のある昔ながらの銭湯の建物です。

残念ながら、2022年9月に閉店となりました。

仲の湯の煙突。

妙見島(江戸川の中州)※1の南端部に建っているラブホテルが建っています。江戸川を渡る浦安橋のちょうど中間あたりに位置します。

浦安橋から中間から分岐する妙見島への降り口がホテルへの入口です。

ホテルの入口。

東京都で唯一、島に立地するホテルです。
