今回は、渋沢(神奈川県秦野市)の町並みを散歩します。
駅前ロータリーからは、丹沢山塊の塔ノ岳が望めます。

バス乗り場の近くに、列車接近案内放送に関する案内板が設置されています。

ZARDのボーカル故・坂井泉水さんは、秦野市に住んでいたこともあり、高校に通学する際には、最寄駅である小田急線渋沢駅(秦野市)を利用していました。

渋沢易では、到着列車が近づくと、「負けないで」(上りホーム)、「揺れる想い」(下りホーム)のメロディーが流れます。

今回は、渋沢(神奈川県秦野市)の町並みを散歩します。
駅前ロータリーからは、丹沢山塊の塔ノ岳が望めます。

バス乗り場の近くに、列車接近案内放送に関する案内板が設置されています。

ZARDのボーカル故・坂井泉水さんは、秦野市に住んでいたこともあり、高校に通学する際には、最寄駅である小田急線渋沢駅(秦野市)を利用していました。

渋沢易では、到着列車が近づくと、「負けないで」(上りホーム)、「揺れる想い」(下りホーム)のメロディーが流れます。

茂原市街からジャパンディスプレイの工場へ向かう途中にある日進橋。

土橋慶光作「春雷」。

力強さを感じる作品です。

後ろ姿。

昭和32~3年ごろ、落合橋際の平安閣があったあたりに「茂原グリーンセンター」が開設しました。*1*2
ヨード温泉も兼ね、舞台村100畳の大広曲があって、芝居、手踊り、歌謡曲など各種の園芸が催され、大衆向きの娯楽場として賑わいました。*1
茂原グリンセンターは、太平洋戦争末期、海軍からの要請で開設された慰安所が、終戦後は一時進駐軍の慰安所となり、その後「茂原温泉郷」となったものが、昭和33年に、大衆娯楽場のグリンセンターに転業したものです。*3*4

現在、当時の面影はありません。

「茂原太平記」*4 には、「阿久川の流れにかかった落合橋を渡ると、六軒ばかり固まって割烹旅館式の作りの家が立ち並び、温泉マークがネオンに輝いている。弁天荘、大善、若松、松竹、松の家、深川という色どり。」と、茂原温泉郷の当時の様子が描写されています。

阿久川の流れ。
遠くにガスタンクとガス管橋※1 が見えます。

P.111
鈴木音三郎氏らが中心になり、昭和32~3年ごろ、落合橋際( 今の平安…
早野新田海軍慰安所設置
<…阿久川という川とは名ばかりの流れにかかった落合橋を渡ると、六軒ばかり固まっ…
茂原駅の北東にある三井化学茂原分工場。

現在、工場となっている敷地は、太平洋戦争末期、茂原海軍航空隊の飛行場があった場所です。

工場の東側を南北に縦断する道路は、滑走路跡の一部です。

茂原海軍航空隊の主力戦闘304飛行隊は、昭和20年(1945年)初頭に正式に発足しましたが、戦況悪化に伴い、沖縄戦への出動命令が下り、同年4月初旬、柳沢少佐を隊長とする神風特別攻撃隊第三御楯隊柳沢零戦隊が編成され、約40名が茂原基地から鹿児島県の国分基地に転出し、他の飛行隊と共に菊水三号作戦に参加しました。
柳沢零戦隊の戦死者(19名)のうちのほとんどは、予科練や予備学生の出身者でした。*1

昭和19年、海軍からの要請で、早野新田に慰安所が開設されました。終戦間際、特攻基地となった茂原からは、毎日の如く台湾沖へ若鷲が出発し、前日には必ず挨拶酒宴が催されました。*2※1
P.30
45年1月頃、第一線で消耗した戦闘304飛行隊が館山に復帰。3月にはある…
早野新田海軍慰安所設置
<…2号掩体壕※1 があった場所から県道293号線を東へ進むと、道路沿いに「掩体壕100m」の看板があります。

住宅地に残る3号掩体壕。

戦時下の飛行場施設は、「分散」「偽装・隠蔽」「耐弾化」が三原則とされました。掩体上に密生している草、後方の木々などは、これこそが「偽装・隠蔽」されたもともとの姿と言えます。*1

茂原市は、戦後50年事業の一環として、3号掩体壕の土地を借り上げて説明板をつけました。*1

P.9
茂原市文化財審議会では残された鉄網コンクリート製の掩体壕に、1号から…
P.3
太平洋戦争末期、…
太平洋戦争末期、陸海軍飛行場に建造された掩体壕のうち、1か所に多数の掩体壕が残存している例としては、茂原市の11基がを筆頭に木更津市の10基、大分県宇佐市の10基、高知県南国市の7基、北海道根室市6基などがあります。*1
茂原市の11基のうち、もっとも綺麗な状態で残っているものの1つが2号掩体壕です。

入口は補強されていて、良好な保存状態です。

横から見ると、徳利型であることが解ります。

内部の様子。

P.3
太平洋戦争末期、…
新茂原駅の南の神林踏切近く。

黄色のちかん看板。下の「注意」の文字が日焼けで見えなくなっています。

新茂原駅前。こちらの看板も「多発注意!!」の部分が日焼けしています。

朝日神社の近く。下の部分「に注意」が、見えなくなっています。

塗料の色によって日焼けの進行に差があるようです。※1
新茂原駅前の通り沿いには、飲食店が散在しています。

すし、天ぷら、うなぎの辰巳屋。

ランチメニューもあります。

ちらし寿司とビールを注文。

今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
外房線茂原駅の一つ手前の新茂原駅。

改札口へ。

紺地に白文字で書かれたホーロー駅名標。近年は姿を見かけなくなってきましたが、綺麗な状態で残っています。

駅舎もレトロな雰囲気です。

布田駅近く。旧甲州街道沿いにある常性寺。

境内の西側手前の隅に、「敷石碑」が建っています。
これは、五宿の貸座敷業の主人が、明治11年、境内の敷石を寄付した記念碑です。※1

「五宿貸座敷」。

五宿貸座敷の主人20名の名が刻まれています。*1

1865年、幕府は長州征伐を行ない、布田五宿に対し、軍用金5000両の献上を要求しましたが、五宿は、飯盛り旅籠の設置の許可を願い出、飯盛旅籠が認められれば、7000両の冥加金を上納することを申し出ました。その結果、1866年 7月以前には布田五宿に飯盛旅籠が許可されました。その後、貸座敷業者は、1875年には17件を数え、さらに1877年には21軒に増加しましたが、その後は衰退しました。※2
この「敷石碑」は、布田の貸座敷が全盛期のものといえます。
P.265
国領二丁目から一丁目に入ると、右手に常性寺がある。境内隅には敷石…
P.73
甲州街道筋では、内藤新宿、高井戸、府中、八王子が飯盛女を置いていた…